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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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第1章 東カナン首都アガデにて

「え? シャンバラの方々の来訪ですか?」
 召使いから聞かされた内容に、東カナン12騎士騎士長ネイト・タイフォンは驚きを隠せなかった。
「はい。領主にお会いしたいということです。
 表宮の第1応接室にお通ししてありますが、いかがいたしましょうか」
「ドラゴン・ウォッチング・ツアーへ向かう途中に立ち寄った、ってとこかな」
 同じく12騎士で副騎士長のアラム・リヒトが言う。
 彼が言ったドラゴン・ウォッチング・ツアーとは、現在北カフカス山で開かれている竜見物だ。大変めずらしい竜が見られるということで、連日大にぎわいだという。それを聞いた東カナン領主バァル・ハダド(ばぁる・はだど)が、シャンバラの各校宛てに勧誘の書状を出したのだった。
 北カフカス山へ通じる道はアガデの南側にある。その行道に、ついでに城へご機嫌伺いに寄って行こうか、とアガデまで足を伸ばす者が出るのは十分考えられることだ。
「普段なら歓迎するところだが…」
 渋面になり、ふうと重い息を吐き出すアラムに、やはり少し考え込んでいるふうだったネイトが軽くうなずいて見せる。
「想定外というほどのことではありません。わたしが応対しましょう」
「おれも行こうか?」
「いえ、それには及びません。そろそろカインから連絡が入っておかしくないころです。いつ入ってもいいように、あなたはこちらで待機していてください」
 言い置いて、彼は部屋を出た。表宮へと通じる回廊に向かって廊下を歩く。
 東カナン領主の居城には政務を執り行う表宮と、領主一族と12騎士のみが入ることを許される奥宮とに分かれている。ネイトたちがいたのは奥宮だ。通常ならこの時間、警備についた騎士数名と召使いの姿が見えるぐらいの静謐に包まれた場所なのだが、ここ数日は騎士の数が3倍に増えているため、そこかしこで人の気配がしている。
 声をひそめ、ためらいがちにささやかれている言葉は、聞かずとも想像はついた。奥宮に賊が侵入するなどかつてなかった出来事だ。彼らはまた戦いが起こるのではないかと不安がっているのだ。
 無理もないことだ。魔族の襲撃を受けてアガデが崩壊してからまだ1年しか経っていない。終戦し、都も以前の姿を取り戻したとはいえ、彼らの記憶にはいまだ当時のことが生々しく刻み込まれている。それを取り去ることができるのは時間という忘却だけ。平和な日常が戻ったが、だからといって一朝一夕にはいかないことだ。
 奥宮で働く召使いたちには箝口令を布いているが、この張りつめた空気は表宮にも伝わっているだろう。
 当然、客人たちにも。
「…………」
 応接室のドアの前で一度足を止める。
 ゆっくりと開いた先、想定していた以上の数の者たちがいることに軽く目を瞠ったネイトだったが、大勢の見知った顔を見て、すぐに笑顔に変わった。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。シャンバラの皆さん」
「ネイトさん、お久しぶりです」
 席を立った矢野 佑一(やの・ゆういち)があいさつの手を差し出す。ほかの者たちも次々とネイトの周りに集まって、あいさつをかわした。
「皆さん、お元気そうでなによりです」
「ネイトさんも、と言いたいところだけど。疲れて見えるわね」
 脇についたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が、そっと腕に手をかけた。伝わってくる気遣いにネイトは手に手を重ね、ぽんぽんと軽くたたく。
「ありがとうございます。ですが、この程度でしたら大丈夫です。
 それより、せっかくお越しいただいたのに恐縮ですが、バァルさまは現在アガデにいらっしゃらないのですよ」
「ええ。さっき廊下で、ハワリージュとすれ違ったの。彼女から聞いたわ。遠方の領地の視察に行っているそうね」
 その言葉を肯定するように、リネン・エルフト(りねん・えるふと)と視線を合わせてネイトはうなずいた。
「シャンバラからお戻りになってすぐに出立されました。2カ月かけて南方の領地を視察することになっていましたが…。
 2日ほど前早馬を出しましたので、おそらくあと3日もすればお戻りになられるでしょう」
「セテカさんも?」
 ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が問う。ネイトは申し訳なさそうに首を振った。
「あれは4〜5日前から休暇を取っていて、連絡がつきません。山へ行くと言っていましたから、登山仲間の何人かにあれが足を運びそうな山をあたらせています。連絡がつけば戻ってくるでしょう。連絡がつかなくても、あと4日ほどで戻る予定です」
「そう…」
「何か起きたんですね?」
 佑一の言葉は問いのかたちをしていたが、そこにこもっているのは確信だった。
 全員が同じ目をしてネイトを見つめ、返答を待っている。
 ネイトもまた彼らが気付かないはずがないと推測していたので、この反応に驚きはしなかった。
「ええ。起きました」
「さしでがましいかもしれませんが……僕たちで何かお手伝いできることはありませんか」
 ネイトの沈黙をためらいととった佑一は、さらに言葉を継ぐ。
「それとも、やはり部外者である僕たちには話せないようなことなのでしょうか。もしそうでしたら遠慮なくそうおっしゃってください」
「ああ、いえ。そういうわけではありません。ただ、手伝っていただくといっても、何かしていただけるようなことは特にないものですから」
「ここで何が起きたんですか?」
 リネンに重ねて問われ、ネイトはふうと息を吐いた。
「分かりました。お話ししましょう。ですが、このことはできるだけご内密にしてください。奥宮の者たちは知っていますが、表宮の者たちは賊が侵入したことは知っていても、詳しくは知らないのです」
 彼らは互いに目を走らせ、うなずいた。



 ネイトが話したことはこうだ。
 2日前の夜、奥宮に黒装束の賊が侵入した。廊下で鉢合わせした召使いの悲鳴により、侵入は発覚。警備をしていた騎士たちと戦闘になった。
 賊は巧みに騎士たちを翻弄し、爆破物を投擲しつつ逃亡。当時奥宮に滞在していたカイン・イズー・サディクが、現在も1人で賊を追跡している。
「あとで賊は領主の私室にも侵入していたことが分かりました」
「侵入者は1人だったんですか? それとも複数名?」
「1名だったと報告を受けています。ここで召使いに遭遇」
 ネイトは佑一の提案で持って来させた奥宮の地図の一点に指を乗せる。
「そしてこちらへ走り、警備の騎士たちと戦闘になり、こちらの回廊へ逃げ込みました。こことここ」
 ネイトの指が回廊の壁2点に触れる。
「爆破物を投擲して騎士たちがひるんだ隙に中庭へと駆け込み、そこから城外へ逃げたようです」
 ネイトの指が離れたあと、佑一は地図に印をつけた。
 話を聞き、地図を見る限り、無理のない行動に見える。
「ここはどこですか?」
 召使いが遭遇したという場所は、部屋の前だった。側路が離れているところを見ても、賊はこの部屋から出てきたときに運悪く召使いと鉢合わせしてしまったのだろう。
「図書室です」
 ネイトは答えた。
「侵入者は本を盗んだんですか?」
「何の本です? ネイト卿。確認はとれているのでしょうか」
 奥宮の図書室だから閲覧できる者は限られている。蔵書目録を見れば何が欠けているかは割り出せるはずだとリネンは考える。
「ハダド家始祖直筆の書です」
 ネイトは声にわずかに厳しさをにじませながら告げた。
 ハダド家始祖。それは今から約5000年前、内乱に陥った東カナンを武力統一し、ハダド領主家を興した人物だった。その武勇はもはや伝説級、さまざまな伝承・口伝に登場する。それも玉石混淆、剣1本で竜退治をしたという逸話から、実は人間ではなく光から生まれたとかいう荒唐無稽な物語まで入れれば、それこそその数百はくだらない。
 わずか数十日で1国を統一した覇者。
 もちろんそれは彼1人では成し得なかった。彼を主君とし、絶対の忠誠を誓った12人の男たちの働きがあってこそだ。ハダドこそ次の領主にふさわしいと、彼らは猛虎のごとく戦い、ことごとく勝利した。
 その功績をたたえられ、彼らは東カナン12騎士と呼ばれるようになった。東カナンの全ての騎士の上に君臨し、彼らの中から領母を選出することで今もハダド家と密接な関係を保ち続けている。
「盗まれたのは、当時のことを書き記した書物です」



「5000年前の書物、ですか」
 奥宮の廊下を歩きつつ、ユーベル・キャリバーン(ゆーべる・きゃりばーん)は先の応接室で聞いたことについて考えた。
「失礼にあたるかと思って口にはしませんでしたけれど、そんな物を今さら欲しがるような方などいらっしゃるのでしょうか」
 はなはだ疑問だと肩をすくめて見せる。
「そうね。そこに何が記されてあったとしても、5000年前の事だから…」
 まさしく「今さら」だ。
(それとも、違うのかしら?)
「なんにしても、その価値は私たちには計りようがないわ。何が記されていたか、知らないんだもの。ネイト卿も、内容については覚えていないと、言われてたし――陣くん?」
 そこでリネンはいつの間にか高柳 陣(たかやなぎ・じん)の姿が消えていることに気がついた。
 応接室を出てからずっと、となりを歩いていたはずだ。
 振り返ると、何やら考え込んでいるふうに手を組んで立ち止まっている陣の姿があった。
「陣くん、どうかしたの?」
「お兄ちゃん?」
 ティエン・シア(てぃえん・しあ)が下から覗き込んでいる。
「……何が書かれていたか知る人物、か」
 ぽつりつぶやく。
 彼が見ているのは通りすぎたばかりの側路の方だ。
「心当たりがあるの?」
「んー。可能性だけどな。つーか、可能性で言ったら知ってても教えてもらえなさそうなんだが……ま、聞くだけならタダだ。
 とりあえず、俺はそっち方面で動いてみることにするよ。何か分かったら連絡する」
「分かったわ。お願い」
 じゃあなと手を挙げて、彼はパートナーたちとともに側路へと消えた。
「本の具体的な内容が分かれば、容疑者を絞り込めるかもしれないですわね」
「ええ」
「佑一さん? どうかしたの?」
 応接室を出てからずっと、無言で手元の地図を見続ける佑一になんらかを感じて、ミシェルがそでをツンツン引っ張った。
 声につられてリネンたちもそちらを向く。
「……うん。いや、侵入者が見つかったのは盗まれたあとだったんだな、と思って」
「盗む前でしたら未遂で終わっていましたわ」
「あ、うん、そうなんだけど」
「佑一さん?」
 妙に歯切れの悪い応答に、彼が納得できず何か引っかかりを感じていることに気付いたミシェルがじっと見つめる。
 佑一は苦笑し「これはあくまで推測だけど」とことわってから地図を少し広げた。
「ネイトさんの話によると、ここでメイドに見つかった。そしてこちらへ逃走した」
 指は左下の側路を伝う。
「回廊で駆けつけた騎士とやりあって、その際爆弾を使用する」
「この回廊は、中庭へつながっているわ。爆風と煙で騎士たちがひるんでいる間に、中庭の壁を越えたのね。
 何もおかしくないと思うけど?」
 しかし彼は何かおかしいと思ったのだ。
 リネンは先を促す。
「そしてバァルさんの部屋にも入っている痕跡が見つかった。それがここ」
 佑一は右上を指した。
「つまり侵入者は右上から来て左下に抜けていった?」
「そうとも限りませんわ、リネン。単にそちらを先にしただけで――」と、ユーベルの指が中庭から領主の私室、それから図書室と、ゆるい楕円を描く。「こういう動きをしたのかもしれません」
「うん。僕もそうかな、と思った。発見された場合、侵入者はとっさに見知った道をたどって出ようとするだろうし」
 奥宮は四方に小さな庭があり、中庭があって、さらに領主の許可がなければ入れない空中庭園がある。領主の部屋に面した空中庭園はともかく、ほかの庭や表宮と通じる回廊から領主の部屋までは、直路では行けないように工夫されていた。敵が攻め込んできたとき、側路を使って迎撃するためだという。
「似たような外観をした複雑な側路がいくつかある。これも不慣れな敵を惑わすためなんだろうけど。慣れない者にはちょっとした迷路だよね。極力発見されたくないと思うなら、どうしてもっと領主の部屋の近場にある窓や庭を使わなかったんだろう? そうすれぱほぼ直線路になる。僕はこの付近の窓が侵入に使われたんじゃないかと思う」
 佑一の指は領主の部屋のさらに右上にある、庭に面した廊下をいくつか楕円で囲った。
「でもその痕跡が――少なくとも彼らが目視した限りは――見つからなかったというなら、侵入者はやっぱり中庭から入ったんだろう。 侵入者が中庭から入って領主の私室へ向かった場合、かなりの距離だ。そして図書室へ向かう。図書室は中庭と領主の私室の半分よりやや中庭に近い。そして図書室へ入り、出たところでようやく発見された。
 これだけの距離を動いて1度も警備の騎士たちに見つからなかった侵入者が、どうしてメイドと鉢合わせなんてしたんだろう?」
「目的の物を手に入れられたから、気を抜いちゃったのかも」
「うん。その可能性もある」
「でも佑一さんは、そう見えないんだね?」
 佑一は言いあぐねるように視線を飛ばすと、何事かを思案したのち首を振った。
「分からない。推測ばかりだから。推測の上に推測を重ねても…」
「そもそも、賊はなぜ領主の私室へ忍び入ったのだ?」
 それまで聞きに徹していた十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)が、初めて口を開いた。
「それは……どうしてだろう?」
 彼らはその点を訊き洩らしていた。
 うかつだと言えばうかつだが、ネイトが「盗まれたのは始祖の書」と断言したので、バァルの部屋から何かを盗み出したとは考えなかったのだ。
「場合によっては書物盗難の方が攪乱目的だった、ということもあり得る。そうなると全てがひっくり返りかねないからな。このあたりはきっちり裏取りをしておいた方がいい。
 こちらは俺たちがあたろう」
「でも宵一、あれからもう大分経ちました。ネイトさんはあの部屋にはいらっしゃらないかも」
 ヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)の言うことももっともだ。宵一はうなずき、来た道を戻るのをやめた。
「城の中にいるのはたしかだ。彼の立場からしておそらくこの奥宮で、対策本部か何かがあるはずだ。そのへんで警備についている騎士の2〜3人にあたれば、どこへ行けばいいか分かるだろう」
「そうですね」
「よし。行くぞ、リイム」
「はいなのでふ! お城でこんなことになって、きっとミフラグちゃん、困ってるのでふ! 僕がきっと犯人を捕らえてあげるのでふ!」
 リイム・クローバー(りいむ・くろーばー)は東カナン12騎士の1人ミフラグ・クルアーン・ハリルと少なからぬ面識があった。その縁から、ツアー参加で東カナンへ来たついでに顔見せと城へ来て、今度のことを知ったのだ。
「やるでふよ〜」
 と、見るからに意気込んで先頭を行くリイムの後ろ姿を、宵一は不思議なものを見る目で見つめる。
「ほんの数時間前までめずらしい竜を見るんだと、あれだけ騒いでいたのに」
「ふふ。すっかりこの事件に夢中のようです。
 でも宵一も、本当はツアーよりもこちらの方がよかったから、ほっとしているのでしょう?」
 お見通しだと言いたげな目をして、ヨルディアはくすりと笑う。それを見て、宵一はかすかに罰が悪そうな光を浮かべた目を、気取られまいとするように前方へとそらした。
「俺はバウンティハンター。ツアーに参加しても1銭にもならないが、盗賊を捕らえれば報奨金が出るかもしれないからな」
 いや、この場合謝礼金か。
「そうですね」
 くすくす笑うヨルディアを伴って、宵一は側路に消えた。
「彼の言うことも一理ありますわ。サイコメトリをするのはバァルさまのお部屋の方がいいのではありません?」
 ユーベルの言葉にリネンは一考する。しかし結論はすぐに出た。
「そちらは彼の持ち返る返答次第でいいと思う。予定どおり、私たちは回廊へ行って賊の足跡をたどりましょう」
「分かりました」
「じゃあ手前がそちらを承りましょう」
 そう言ったのは、空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)だった。
 全員が彼の方を振り向いて、注目が集まる。
「手前もサイコメトリが使えます。賊が脱出したという中庭で用いるつもりでおりましたが、そちらがはっきりしているというのであれば、むしろ判然としない方面で用いる方がよいでしょう」
「だめよ」
 反対したのは、意外にもリカインだった。
「わたしたちはここでは部外者よ。奥宮に入って調査することは許可されたけれど、バァルさんの私室にまで入る許可はもらってないわ。それが出せるのはバァルさんだけ。彼が不在中は慎むべきよ」
「へえ」
 リカインの言うことが正しい。狐樹廊は引き下がった。
「では、矢野さんのおっしゃっていた、右上の通路を担当することにいたします。何か見えれば吉、何も見えなければ侵入路も中庭と限定して良いでしょう。それではこれにて」
 会釈してそちらへ向かおうとする狐樹廊を、リカインが呼び止めた。
「待って。この子も連れて行きなさい」
 ぐいと腕を掴んで後ろから引っ張り出したのは、褐色の肌の少女だった。
 まさかリカインがこんなことをするとはと、少女は真っ黒な目を大きく見開いてぽっかり口を開けている。
 この少女、みんなと合流してからずっとリカインの上着の端を掴んで、影のようにくっついてひと言もしゃべらなかった。今こうして自分に全員の注目が集まっても、ほとんど声らしい声が出せないという、極度の人見知りだ。
 リカインのパートナーだということに気付けても、この場にいるだれも彼女が傍若無人な石の魔道書禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)の化身だとは思わないだろう。
 狐樹廊以外は。
 狐樹廊はしぶい顔をして、無言で同行を拒む意を伝えている。
「いいから連れて行きなさい。この子のスキルは役に立つし、結構目端も利くからあなたでは気付けなかったことに気付く可能性が高いわ」
「……へえ」
「ほら、あなたも!」
 ぶるぶるぶるぶる首を振って、いやだ、離れたくないと懸命に意思表示している河馬吸虎の手を無理やり自分から引っぺがし、狐樹廊の方へと押しやった。
 狐樹廊の服の端を掴んだものの、まだ首を振っている河馬吸虎を連れて、狐樹廊はしぶしぶその場を立ち去る。
「まったく。何がそんなに怖いというのかしら」
「佑一さん、僕たちも行こう」
「うん、そうだね」
 彼らは止まっていた足を動かし、再び回廊へ向かって歩き出す。
「バァルさんがいなくてよかった」
「ん?」
「もしバァルさんがいたら、侵入者に襲われたかもしれないもの。会えなかったのは残念だけど……でもよかった」
「そうだね」
 いないと知っていたから侵入したんだろうけれど、とは口にしなかった。
 廊下の方はともかく、夜半に部屋に侵入して部屋の主に気付かれずに部屋内を探索したりはできない。侵入者はあらかじめバァルの不在を知っていたのだろう。
(でも、これも推測だ)
 推測、推測、推測。まだ何ひとつ証拠はない。
 今は考えられる可能性を残らず出して、それを1つずつつぶしていくしかない。
「セテカさんまでいないなんて。どこ行っちゃったのかなあ。お城がこんな大変なことになってるの、きっと知らないよね。知ったら驚くだろうな」
「本当に」
 ――あのばか。さっさと戻ってこい。
 脳裏に浮かんだ悪友の姿に内心罵声を飛ばしつつも面には一切出さず。佑一たちは図書室へと向かった。


「それにしても、あのエロ鴉、一体どこをほっつき歩いてるのかしら?」