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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

リアクション

 そのころ、ミフラグの元を訪れ、お茶をごちそうになっていたザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)もまた、盗難にあった始祖の書について陣たちと似たような情報を得ていた。
 ミフラグはザカコとは初見だったが、彼女は過去の出来事からシャンバラ人にはもともと好意的な上、ザカコのとった礼儀正しいあいさつや物腰に、すぐに警戒を下げて打ち解けていた。
「38巻? そんなにあるんですか?」
「らしいわね、死んだお父さまによると」
「内容については分かりますか?」
「さあ…」
 あたたかな湯気をくゆらせるカップを両手で持ったまま、ミフラグは小首を傾げた。
 彼女は1年近く前に起きたザナドゥの魔族との戦いでアガデが戦地となったとき、戦死した父親のあとを継いで12騎士となった。しかし、時代の変遷とともに意識改革が起きて女性の地位が確立されてきているとはいえ、まだまだ東カナンで女性が要職についた例は少ない。騎士役は男子のみが相続する、というきまりから、ミフラグは12騎士としての教育を受けてはいなかった。今でこそ12騎士の一員となっているが、それもコントラクターの助力とカイン・イズー・サディクの後ろ盾があればこそ。今の彼女は12騎士としてふさわしい教養・能力を詰め込んでいる真最中なのだった。
「わたしも12騎士になったからには閲覧してもいいことになってるんだけど、まだ全然そこまで手がつけられなくて。読んでないのよ」
 5000年前の書物を読むより優先すべき事は山のようにある。
 ザカコもそれは理解できた。
「そうですか」
 徒労だったか。内心、ふうとため息をもらす。
「ごめんなさい。昔、父と叔母がそれについて何か話してたような気がするんだけど、思い出せないわ。すごく小さなころだったし」
「叔母さんとですか?」
「わたしの叔母はサディク家に嫁いでるの。あそこは特殊な一族で、5000年前からの伝統を守り続けてるのよ。サディクの者はみんな、すごく仲間意識が強くて閉鎖的なのよね。あんな所へ嫁いで、叔母も当時は相当苦労したんじゃないかしら」
 ミフラグは視線を飛ばして、当時のことを思い出そうとする。
「あのころ、よく叔母は父を訪ねてきてたわ。今から思うと婚家の愚痴を言いに来てたんじゃないかしら?」
「なるほど」
「うーん。それらしいことを言ってたのを1度見たような気はするんだけど……やっぱり思い出せないわ。ごめんなさい」
「いえ。こちらこそすみませんでした」
 嫁ぎ先での不満を愚痴る、そういう姿を子どもに見せたがる大人はいないだろう。ザカコは引き下がった。
「サディクといえば、カインさんは賊を追いかけて行かれたんでしたね。2日経つそうですが、まだ戻られないんですか?」
「んっ? あ、そうね。まだみたい。リヒトおじさまも何もおっしゃってなかったし。連絡きてないんじゃないかしら」
「ミフラグさんの元へ連絡はないんですか?」
「わたし? まさか!」
 あははっとミフラグは手を振って笑った。
「カインはこまめにひととコミュニケーションをとるとか、そういうタイプじゃないわ。一匹狼なの。今なんか特に仕事モードでしょうし。騎士長たちに定期連絡を入れることは思いついても、わたしのことなんかチラとも浮かばないでしょうね」
「そうですか」
「あの人はね、バァルさまのことしか考えてないの」
 カインのことを思い出しているのか、どこか遠い目をしてつぶやく。
「昔からよ。女性の身で12騎士になったのもそのためだってみんな言ってるわ。でも誤解しないで。愛情とかそんな単純なものじゃなくて、それが自分の存在意義だと思ってるのね。
 彼女はバァルさまのためにしか動かないわ
「……あなたがこんなに心配しているのに?」
 ミフラグは答えなかった。ただほほ笑んでいた。
 どこかせつなそうに見えるのは、錯覚だろうか。
「とにかく、もし連絡が入ったら教えてください。自分は、彼女の手助けに向かいたいと思っています」
 それを最後に、ザカコはミフラグの部屋を退室した。
「分かったわ。気にかけておく」
 会釈をして去るザカコを見送ったミフラグは、んー? と考えてみる。
「とりあえず、伝書鳥を見に行ってみようかしら。可能性は低いけど」
 椅子の背もたれにかけてあったマントを手にしたときだった。

「やあ、ミフラグさん。こんにちは」

 少年の軽い声がして、背後に何者かの気配が突然生じた。
「!!」
 驚愕し、振り返ったミフラグの眼前に、長方形の箱がつきつけられる。そこから流れ出す、ゆるやかな曲を耳にした瞬間、くらりと頭の中が揺れた。
 同時に足から力が抜けて、その場にひざをつく。
 まず目に入ったのは赤い髪。眼鏡の奥、茶色の瞳が彼女を見下ろしている。
 異国の服を着た少年。
 見覚えは全くなかった。だけど――知っている
 彼は……彼は……。
「……あ…」
「おひさしぶりですね。お元気そうで何よりです。先ほどのお話は、俺も影から聞かせていただきました。カインさんとの仲も良好みたいですね。少なからずかかわった身として、俺もうれしいなあ」
「……なん……何、の、用なの……っ」
 ミフラグは必死に立とうとした。しかし両手は貼りついたように床から持ち上げられず、足はまるで下半身がなくなってしまったように感覚がない。
 ぶるぶると震えているミフラグの体を見て、音無 終(おとなし・しゅう)は嗤った。
「心配しなくても大丈夫です。あなたをどうこうしようなんて思っていません。ただ、先のお話をもう少し詳しく聞かせていただこうと思っただけですよ。――今はね」




 ミフラグはテーブルにあお向けになっていた。
 目を閉じてぴくりとも動かず。ゆっくりと定期的に上下する胸が、彼女が深い眠りについていることを知らせる。
「カインが賊を追ったということだからこいつを通じてうまく情報を得られるようにできたらと思っていたんだが、まさかあんな話が聞けるとはね。俺もなかなか運がいいな。――静」
 終はパートナーの銀 静(しろがね・しずか)を呼んだ。
 ――はい。

 姿も気配もないが、テレパシーが届く。
「こちらは気にしなくていい。近付く者がいないか、おまえは警戒に集中しろ。今、ここはかなりの数のコントラクターがうろついているからな」
 ――……分かったわ。

 声か、語感か。かすかに引っかかるものを感じて、終はネジを巻く手を止めた。
「静――いや、何でもない」
 気のせいだろう。
 キリキリと残りのネジを巻いて、枕元へオルゴールを置く。ふたを開くと『月光』が流れ出した。
「さあ、ミフラグさん。過去へ戻って、思い出してください。叔母さんがお父さんを訪ねてきた日です。2人の姿が見えますか?」
「……え……え…」
「2人の様子はどうです?」
「叔母が…………何か、言って……お父さまが、なだめ、てる……みたい…」
「何を話しています?」
「昔の……こと…? オットカラ キイタワ。ナゼ アンナモノヲ ノコシタノカシラ。アレハ ショブン スル ベキ」
「叔母さんですか?」
「そう…。マダ ソウトキマッタ ワケデハ ナイ。リュウ サエ メザメナカッタラ。……イイエ リュウハ ミコガイル。コレマデモ ソウダッタ…………ギンノ……」
「え? 何です?」
 何の前触れもなく、突然ばね仕掛けの人形のようにミフラグの体がはねた。
「ミフラグ!?」
「なんてこと!! そういうことなのね!! だから……ああ、バァルさま!! バァルさまに知らせないと――いえ、だめよ!! 知られてはだめ!! そんなことになったら……ああ」
 頭を抱え、彼女は錯乱したようにうめき始めた。終の手をはねのけ、突き飛ばして床に両足を下ろす。テーブルの端にぶつかり、揺れて、ガコンと音を立ててオルゴールが床に転がった。
「……銀の魔女…………東、カナンが…。
 バァル、さま…」
 宙に両手を伸ばし、一歩踏み出した足が床につく前に彼女の意識は途切れた。フッと糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ち、終へとぶつかる。
 とっさに受け止めようとした終は支えきれずよろめいて、テーブルに背中をぶつけてしまった。
「東カナンが、どうしたって?」
 つぶやくも、気を失う寸前のミフラグのつぶやきを終はしっかりと聞き取っていた。
 だが、信じられない。そんなことがあるのか?
 東カナンが…。
(終……やっぱり)
 困惑している終を見て、静は伏せ目がちに視線を逸らした。
(終は喜んでない。今知ったことが事実なら、終は喜ばないといけないのに…。
 終は気付いてるのかしら。「今回もせいぜいひっかきまわして遊んでやろう」みたいなこと言ってたけど、結局は事件の解決を望んでいることに)
 それが自分のためならばまだいい。でももし、それがバァルのためだったら…。
 いつかのメイシュロットで見た終の姿がよぎる。バァルを見下ろし、罵倒していた終。あんなにも感情的になって…。
(終は、もしかして…)
 もしそうなら、私が彼を殺してでも、いつもの終に戻ってもらわないと。
(――はっ)
 殺気看破が反応した。
 直後、大きくドアが内側に向かって押し開かれる。咆哮を発しながら金色の影がまっすぐ終に向かって行った。
(いけない! 終!)
 終も気付いていたが、気絶しているミフラグが邪魔でとっさに奪魂のカーマインが抜けない。
「きっときみみたいな便乗火事場泥棒しようなんて不心得者が現れると思っていたのよ!」
 かつてこの地で起きた事を思えば、十分警戒して当然のことだ。
 レゾナント・ハイで強化されたリカインのこぶしが飛ぶ。しかし警戒していた分、静の方が早かった。
 間に割り入り、自ら受け止める。腕に走った激痛をものともせず、サバイバルナイフをふるった。
 のどを切り裂かんとしたそれをリカインはとっさに七神官の盾で防ぎ、背後に跳んでいったん距離を開ける。
「はあああっ!」
 体勢を整え、再び仕掛けようとした瞬間、少年が何かを床にたたきつける動作をした。
 まばゆい閃光が室内を満たす。インフィニティ印の信号弾だ。
 強烈な光に目を開けていられず、閉じたリカインの体に、ドンっと何か重い物が正面からぶつかった。
「!」
 瞬時に身を固くしたリカインだったが、それは気絶したミフラグだった。光が消えたあとには、2人の姿はどこにもない。
 ミフラグの体がおおいかぶさるようにくっついていたせいで、残念ながらリカインは少年の顔がほとんど見えていなかった。赤髪で蒼空学園の制服を着ていたが、女の方が超霊の面をつけていたことからして、あれも偽装と見るべきだろう。
「……ネイトさんやみんなに知らせておく必要があるわね」
 賊とはまた違った悪党が侵入している。厄介な事になりそうだ。
 ため息をつきつつミフラグを抱き上げると、隣の寝室へと運び入れた。