リアクション
● ● ● 桐生 円(きりゅう・まどか)が森を歩いていた。 目的は決まっている。神官のもとに向かうためである。 (……なーんか、怪しいもんね、あの人) 円はそう考えていた。いや、直感に近いと言ったほうがいいかもしれない。 最小限のことしか語ろうとしなかった神官は、まるで飛空艇の中にいたホログラムの女性を彷彿とさせる。 (まあ、向こうは完璧にコンピュータっぽかったけど。こっちは、多少は人間らしさがあるかな) それでも、実に機械的な――無感情な雰囲気は否めなかったが。 複数の見たことのない機晶姫を従えているところも不可解だし、明らかに何かを知っているはずだ。 円はそう思い、単身、ベルたちのもとを離れて神殿へ向かっているのだった。 「それにしても……この茂み邪魔だなぁ……」 身体に絡みつく藪の塊を蹴散らしながら、円は独りごちた。 すると、そのときである。きゅうういぃん……――という、光が波動を放つような、機械の駆動音にも似たような音が聞こえた。 (誰……っ) 円はその場に立ち止まり、辺りを警戒した。 だが、すぐにそれが余計な心配だということに気づいた。 森の向こうから誰かがやってくる。それは一体の人影である。――違う。機晶姫だ。 神殿にいた、不時着時にベルネッサたちを連行した機晶姫の一体が、茂みの向こうから円へと近づいてきたのである。 駆動音は安全を示すための信号か。胸の処にある赤い機晶石が、皓々と輝いていた。 機晶姫は円と相対すると、くいっと顎を動かして、背を向けた。 「……ついてこい……っていうこと?」 円がたずねると、機晶姫は背を向けたままうなずき、先を歩きはじめた。 円はその後を追った。無論、なにか敵の罠かもしれないという可能性は考えないでもなかった。しかし、それにしては自分だけを狙ってくるのはおかしな話だったし、なにより、そんなことをするような相手には見えなかった。 (――いいじゃん。ついてこいっていうなら、遠慮なく連れていってもらうよ) 円は不敵にそう笑って、機晶姫が向かう神殿の姿をその目に捉えた。 ● ● ● その、小さな客人を見定めたとき、神官は目を細めた。 「…………子どもだったか」 「子どもじゃないもん! 桐生円っていう、立派な名前があるんだよ!」 小さな客人はくわっと牙を剥きだして吠えた。 ――円である。機晶姫に案内され、辿り着いたのは、先日、ベルたちとも共に連れていかれた神殿の内部だった。 どう見ても小中学生ぐらいのお子さまにしか見えないが、本人は断固として19歳であると言い張る。 まあ、そんな事はどちらでもいい。神官には、些細なことだった。13歳だろうが19歳だろうが、円がここを訪れたのは間違いない。 段差を一つあがった神官の席で、整然とした態度であぐらをかく神官は、円にたずねた。 「何用で……いまふたたびここに足を踏み入れた?」 円は神官をじっと見た。 冷静な立ち振る舞い。余計な身動き一つなく動じず、こちらをしかと見定める目。 まるで機械だ。機械のように、無駄がない。だけど、その瞳にはかすかな情念が窺える。 円という存在をどう捉えるべきかと思考している、人間の情というものが。 円は、ゆっくりと言葉をこぼしていった。 「神官さんは……たぶん……ベルのことや、方舟のこと、いろいろ知ってるんだよね」 神官は口を閉ざしていた。円は続けた。 「うん、わかってる。話しちゃだめってことでしょ? でも、ぼく思うんだけど……それって、すごく不親切じゃない? もちろん、それが悪いとは言わないけどさ……。なんていうか、納得がいかないっていうかな。そんな感じなんだ」 円が話している間も、神官は一粒の動揺も見せなかった。 ただ静かで、酷薄めいた瞳で、円をじっと見つめ続けるだけだ。その瞳の力に圧倒されそうになるが、円はなんとか気力を押しとどめ、話を進めた。 「だから――だから、ほんのちょっとでもいいんだ。ベルのこと、あの不思議な機晶石のこと、ベルの父親のこと……なんでもいい。すこしだけでも、教えてもらえないかな?」 本人としては、出来るだけ殊勝にたずねたつもりである。 しかし、神官は一言も答えることなく、黙りこみ、円を見つめ、時間の経過を刻々と待った。 まるで、円自身がその圧力に負けて、逃げ出すのを待っているかのようでもある。 円はしかし、その眼力に実際に負けつつあり、涙ぐみながらも、ついに子どもじみた素の口調で文句を言った。 「――い、いいじゃんっ、いいじゃん! だ、だって、こっちは情報不足で不利なんだもん! 無転砲も止めないといけないし、なんか変な敵もいそうだし! 個人的な昔話でもいいから、ちょっとぐらい教えてくれたっていいじゃん!」 そう言うと、 「…………フっ……」 神官はかすかに笑ったようであった。 口元を緩め、まるでかつては普段からそう笑っていたであろうと思われる笑みを浮かべていた。 神官はすくっと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。 「ま、まって……っ」 円はそれに追いすがろうとする。 だが、その前に――円の目の前に、ちゃりんと音を立てて投げ落とされたものがあった。 神官が投げたものである。うす暗い祭壇の間の明かりと、錆びついていたせいもあって、最初こそよくわからなかったが……。 それは鍵であった。 「……神殿の鍵だ。この内部にある各部屋全てに使うことが出来る」 神官は背を向けたまま、肩越しに円を見ながら言った。 「調べたければ、好きにするといい。ただし――何が出てくるとは、限らんがな」 そう言って、神官は部屋をあとにした。 パチパチと爆ぜる松明の音と、警備用の二体の機晶姫、それに円だけがそこに残された。 鍵を拾う。鉄で出来ているのか、重く、ざらついた手触りがした。茶褐色の錆が、指先につき、円はそれを擦り合わせながら、静かに独りで呟いた。 「…………きったな」 |
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