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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――

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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――
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『夢は、あの空に広がる雲のように』

「やあフィーグムンド、よく来てくれたね。出迎えに行けなくてゴメンよ」
「気にしなくていい、アム。天秤世界の件にかかりきりで、こなさねばならぬ公務が山積しているのだろう?」
 アムトーシスを訪れたフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)へ、魔神 アムドゥスキアス(まじん・あむどぅすきあす)が申し訳無さそうな顔をして出迎えた。
「アムトーシスの方はいいんだけどね、ゲルバドルが。満足に人員を割けなくて、少しずつ溜まっていっちゃったんだよねー」
 アムドゥスキアスが言うように、臣下の者達が取り掛かっているのは殆どがアムトーシスの案件ではなく、ゲルバドルの案件だった。政務に関してはからっきしな魔神 ナベリウス(まじん・なべりうす)の補佐は他の街から人員を派遣することで成り立たせていたのだが、魔神が揃って席を空けた『天秤世界』の件の影響は大きく、自分たちの街の仕事をこなすのに手一杯となってしまった。結果、ゲルバドルの案件は後回しにされ(もっとも、後回しにしても問題がないレベルの案件ばかりだったが、体裁としてそうそう長く放っておくわけにもいかないので)、今少しずつ処理を行っているという段階であった。
「で、彼らの負担を減らそうと、ボクはアムトーシスの件を担当してるわけ。今日の分はあと二時間くらいで終わるから、済まないけど待っててもらえないかな」
「いや、私も手伝おう。アムトーシスの件ならば私でも処理出来る。
 それに一人でやるよりも、二人でやってしまった方が早く終わるだろう?」
「うーん、お客様なのに悪いなー。でも、ありがと。じゃあ、お願いしようかな」
 アムドゥスキアスの机に積まれていた書類の束を受け取って、フィーグムンドがその内容に目を通していく――。

 二時間はかかると思われていた仕事を一時間もかからずに終えた二人は、まだ明るいアムトーシスの街を並んで歩いていた。
「ふー。フィーグムンドが――」
 名を呼びかけたアムドゥスキアスの口が、フィーグムンドの差し出した指で塞がれた。
「アム、二人きりの時はフィーだと、約束しただろう?」
「……あはは、忘れてた。コホン……フィーが手伝ってくれて、助かったよ」
 忘れてた、ということにして言い直したアムドゥスキアスが、フィーグムンドへ改まって礼を言う。気にしなくていい、とフィーグムンドが答え、そして二人はのんびりと歩みを再開した。
 どこからか優雅な音楽が流れ、何かを削るような音が規則的に響いている。地上の喧騒も、異世界の騒乱も、この街では関係のないこと。住人は思い付くまま、頭に描いた作品を現実のものとしていった。
「虹を掴む夢を見れば、空を飛んで虹を掴める――あの頃は、貪欲に芸術を追い求めていた。
 そんな情熱が、この街を飛び出すまでに膨らもうとは、思ってもみなかった」
 今も昔も変わらぬように見える街を眺め、フィーグムンドが言葉を落とした。アムドゥスキアスはそれを拾い上げ、じっと聞き入る。
「だが情熱は方向性を変えた。望郷心……いや、街の統治者になったアムと再会した時、私の中にあった情熱が、これまで以上に沸き起こった」
 いや、これは情熱なのか、とフィーグムンドは自身の胸に手を当てながら呟いた。しばらく自分の中で言葉を編んで、フィーグムンドはアムドゥスキアスへ向き直って言葉を発した。
「変わり行く時の中で変わらない夢を掴む……なぁ、アム。私は掴む事が出来たのかな?」
 フィーグムンドの言葉を受けて、アムドゥスキアスは空を見上げた。地上では雲と呼んでいるものが、ぽつん、ぽつん、と点在している空を。
「これはあくまで、ボクの印象だけれども。
 いつまでたっても掴めないものだよ、あの雲のようにね。一時は掴んだ気になれる、けれどいつか掴めていなかったと気付かされる」
 手を伸ばして、アムドゥスキアスは雲を掴もうとする。もちろん手は雲を掴めるはずもなく、ただ空気を掴むばかり。
「夢は見続けるもの。果てない夢を見続け、ボクたちは今日も生き続ける」
「……アム、君はそう言うが、私の中では別の印象がある」
 アムドゥスキアスがフィーグムンドの顔を見た。意見の異なるのを責めているわけではない。意見が違うことなど、この二人の中では問題ですら無い。またそれを隠すような真似もしない。
「夢は見るものじゃない。叶えるものだ。
 ――私の夢。それは、アムと共に歩み、傍らに寄り添うこと」
 言ったフィーグムンドを、アムドゥスキアスは笑った。「それは随分と、情熱的な夢だね」と。
「笑うな、まったく……冗談で口にしているわけではない」
 プイ、とそっぽを向いてしまうフィーグムンド。その後もしばらくアムドゥスキアスは笑っていたが、ふと表情を引き締めてフィーグムンドへ向き直る。
「キミがボクの傍に居てくれるのは、ボクにとっても心休まる夢の様な時間さ。
 願わくばいつまでも、そんな夢を見続けていたいものだね」
 ――表現の異なる、それぞれの相手を想う気持ち。
 フィーグムンドが背後からアムドゥスキアスを抱き寄せ、アムドゥスキアスが背後から回されたフィーグムンドの手を取った。


『私が、私であるがためのもの』

「ふと思ったんだが、ロノウェのそのかけているのは、眼鏡だよな?」

 それは、何度目かになるお茶会の席での、神崎 優(かんざき・ゆう)の発言だった。
「……そうね。地上ではそう呼ばれているものね」
「ロノウェは視力が悪いのか?」
 優が気になったのは、身体的に人間を遥かに凌駕している魔族、しかも魔神と呼ばれる者が、身体的弱点を抱えているのだろうか、という素朴な疑問からだった。
「……いいえ、そうではないわ」
「なら、何故? 何か思い入れがあるのか?」
 隣で神崎 紫苑(かんざき・しおん)をあやしていた神崎 零(かんざき・れい)も、話の成り行きを見守っていた。彼女はロノウェが言い淀んでいる様から、あまり触れてほしくない事柄なのかもしれないと感付いていたが、ではロノウェがそこまで感情を露わにするのはどうしてか、という点に興味を覚えていた。
「…………。これはね、言うなれば魔神ロノウェが魔神ロノウェであるがためのものなの。役員が記章を付けるのと同じこと、と思ってもらえればいいわ」
「なるほど……それほどロノウェさんにとっては、大切なものなのですね」
 零が納得の表情で頷いた。ロノウェがそこまで言うのなら、おいそれと外す真似は出来ないだろう。……そう思いながら優の顔を見た零は、直後発された優の言葉に頭を抱えることになる。
「無理強いはしないが……俺はロノウェに、眼鏡を外した姿を見せて欲しいと思ってる」
(……またこの人は……ロノウェさんが困ってしまいますよ?)
 優の『真っ直ぐな』発言を受けて、案の定、ロノウェはどう言葉にしていいか困っているようだった。眼鏡を掛けた自分を『魔神ロノウェ』だと強く思っているロノウェにとって、眼鏡を外すということはロノウェでない何かを見せるということに等しい。ある意味裸を見せるよりも勇気のいる所業だ。
「俺は眼鏡を掛けたロノウェも、眼鏡を外したロノウェも、同じロノウェだと思ってる。
 ロノウェ自身にも、二人が別人なんかじゃなく一人のロノウェという女の子だというのを感じてほしいんだ」
 それが分かっているのかいないのか――普通は分かっていたらこんな発言は出来ないと思われるが、優に限っては分かっていながら言っているかもしれないし、分からないまま言っているかもしれない――、優はなおも言葉を重ねた。ロノウェはどうすることも出来ずにふるふる、と震えている。
「……優、紫苑が向こうを見てみたいと言っているので、少しの間席を外しますね」
 どうしようかと零は考えて、紫苑を連れて席を外すことにした。ロノウェがかわいそうかなとも思ったが、以前に優が「ロノウェを地上に連れて行って、色んな所を回って色んな経験をさせてやりたいんだ」と言っていたのを思い出し、これも一つの経験だ、と結論付けた。
(眼鏡を外したロノウェさんを見られないのは残念ですけど、ここでロノウェさんが一つ壁を乗り越えたら、見る機会はいくらでもありますよね)
 近い未来にその光景が叶うのを楽しみにしながら、紫苑を抱きかかえ零は席を立った。残された優とロノウェ、そしてロノウェが優の表情を伺うようにして口を開いた。
「……笑ったら、もう二度と会ってあげないから」
 意を決したように、ロノウェが眼鏡を外した。
「…………何か言ってよ」
 思わず見惚れていた優は、ロノウェの湿った声に我に帰った。……それはつまり、いつもの優に戻った、ということだが。
「可愛いよ、ロノウェ」
「――――!!」
 そしてロノウェは、優の超がつくストレート発言に顔を真っ赤にして、テーブルに突っ伏してしまったのだった。

「……そういえばあなた、眼の色が特殊ね。特別な力も出ているように感じるのだけど」
 眼鏡をかけ直し、いつものロノウェに戻ったロノウェが、優の顔を見た時に気になっていたことを口にした。
「これは、一族の血の影響らしい。数百年に一人の割合で生まれてくると言っていた」
 自身の眼について説明した優の言葉を、ロノウェはありのままに受け入れた。詳しい経緯は分からずとも、理由は理解できた。
「ロノウェ、これから貴女はどうしたい?
 魔族としてや上に立つ者としてではなく、貴女自身としてやりたい事や願いはなんだい」
 そして優はその不思議な力が込められた眼を真っ直ぐに向けて、ロノウェの手を取りながら告げた。言われたロノウェがしばらく言葉を発せずに居たのは、優の言葉がロノウェにとってまったくの想定外だったからだった。
「……人はどうしていつも、私が思ってもみなかったことをやすやすと気付かせるのかしら。あなたに限ってはその眼が気付かせているのかもしれないと思わざるをえないわ」
 そうね、とロノウェは思案して、そして優と零、紫苑を順に見て、言った。

「あなた達のように、暖かな家族と次の世代を担う子供に囲まれて暮らす……。
 そんな生活を、経験してみたいわ」