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【蒼空に架ける橋】最終話 蒼空に架ける橋

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【蒼空に架ける橋】最終話 蒼空に架ける橋

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■第44章


 肆ノ島太守の屋敷で最も平穏な場所はどこかといえば、皮肉なことにそれはヒノ・コやツク・ヨ・ミのいる柱の間だった。
 表宮から届く喧騒はまだ続いていたが、クク・ノ・チの言葉が行き渡ったのか、使用人たちは粛々と屋敷から避難を始めており、最初のうちの混乱しきった無秩序な騒々しさではなくなっていた。彼らのいる奥宮でもどこかで人の争う戦闘音がしていたが、こちらへ影響が及ぶ気配はない。心配された頭上のオオワタツミや雲海の魔物戦の余波も、エネルギーを得て能力を全開にしたヘヅノカガミの結界を貫くほどではなかった。……とはいえ、この結界はあくまで霊的な作用で、物理まで防げるわけではなく、破壊されたタケミカヅチの破片や魔物の残骸などが降ってくるのを防げるわけではないのだが、空中戦をしている者たちの努力で戦場が肆ノ島上空から雲海へと押しやられていったおかげで、屋敷がそういった物に押しつぶされる可能性も今はなくなっていた。
 ここも間違いなく戦場でありながら、ぽつんととり残された海洋の小島のような安全地帯となっている。ときおりどこかで瓦礫の崩れる音がする以外はとりたてて音らしきものもないそこで、七刀 切(しちとう・きり)は、ヒノ・コとツク・ヨ・ミの入ったリングの前に立ち、2人に向かって声がけをしていた。
「ワイらはちゃんとここにいる! そちらの声も届いてる! ちゃんと見てるからな!」
 立ち上るエネルギーの奔流に邪魔をされ、こちらからなかが見えないように、向こうも外が見えないのだろう。今のような状況下で周囲の様子が見えないことに不安を抱かせないようにという心配りからだったが、その成果ははかばかしいとは言えない。
 眠そうな声で、ゆっくりとではあったが、はじめのうちこそ切の呼びかけにツク・ヨ・ミも答えていた。しかしここ数分でさらにそれは鈍化し、酩酊状態にある者のように呂律が回らなくなった。発音が怪しくなり、単純な単語を並べるだけで、文章がつくれていない。それでも答えようとしてくれていたのに、ついにそれすらも返らなくなってしまった。
「ツク・ヨ・ミ! ジジイ! ワイの声、聞こえてるか! 聞こえてたら返事をしてくれ! 何でもいいから!
 チクショウ。このなかはどうなってんだよ!」
 これはツク・ヨ・ミとヒノ・コの魔力をエネルギーに転換してヘヅノカガミへ送る装置だ。それは分かっても、どれほどの速度で彼らから魔力を吸い出しているのか分からない。2人の魔力がどれほどあって、あとどのくらいもつのかも。尽きれば、次に彼らの肉体が、そして最後に魂までも変換される。
 もしかすると、このなかではもうそこまで進んでしまっているのかもしれない。ここで切が手をこまぬいてただ声をかけている間に、彼らは肉体を溶かされて消失してしまったのかも――。
「……くそっ、くそっ」
 いら立ちの持って行き場がなく、固めたこぶしを震わせているしかない姿を見ておれず、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)はその背中から視線をはずした。
 そして、抜けた天井からヒノカグツチを見上げる。
「ポチ、マスター……」
 切の感じている心配とは多少違っているかもしれないが、フレンディスもまた、自分の手の届かない位置で危険にさらされている者たちのことを思いやっていた。彼らの居場所は分かるが、今現在どうなっているかは分からない。どんな危険に直面しているのかも。浮遊砲台ヒノカグツチがあるのははるか高度で、フレンディスのいる地上から見えるのはせいぜいがボール大の大きさでしかない。いくら目を凝らして見つめていたところで中央の浮遊岩内の制御室にいるはずの2人の姿が見えるわけはなかった。
 フレンディスの唇から、やるせないため息が漏れる。
「……後悔しているの?」
 その小さな吐息を聞き取ったのか。割れてせり上がった床をイスがわりに浅く腰かけていたJJが問う。淡々とした抑揚のない声で、フレンディスの方を振り返りもしないので、独り言と思ってしまいそうだった。
「いえ、そんなことは……」
「……ここはわたしに任せると命じて、彼らとあそこに残っていれば、そんな心配をする必要はなかったのよ」
 声に彼女の判断ミスと責める響きはない。考えてもいないのだろう。ただ、そうすることもできたし、その方がフレンディスがそうしてやきもきせずにすんだのではないかと言いたいのだ。
 彼女のことを思いやってくれている……そうと察することができるくらい、JJのことが理解できるようになっていることにフレンディスはふっと笑むと、首を振った。
「お気遣いをありがとうございます。ですが、大丈夫です。2人のことは信じていますゆえ。必ず、みごと役目を果たして、意気揚々と戻るでしょう」
「……そう」
 では、それで話は終わりだというように、会話が途切れる。足元に伏せたパルジファルの頭をなでるJJの姿をしばらく見つめていたフレンディスは、思い切って切り出した。
「あの、JJさん」
「……なに?」
「かような状況で話すにはいささか不謹慎とは思いますが……JJさんは、私を依頼人と申されました。でしたら、1つ追加で依頼がございます」
 話が長くなりそうだと感じたか。肩越しに見るのをやめてフレンディスへ向き直ったJJは、小首を傾げて続きをうながす。フレンディスはすうっと息を吸い、止めて、ひと息に告げた。
「内容は……ときおりでかまいませぬ。『JJさんの友として賞金稼ぎ任務を無報酬で手伝わせていただきたい』のです!
 私の実力はお三方より劣りますが、忍びとして役立つ自信はございます。
 依頼理由は……人として、友になりたいから、では駄目でしょうか?」
 もう大分前から考えていたことだった。あきらかに自分で考え、判断し、身軽に動くことを好んでいるJJを相手に、とても実現しそうにないことだと半ばあきらめていて、口にはしなかった。けれど、ヒノカグツチを攻略する際にJJの話を聞いて、思い切ってみることにしたのだ。それは、自分は道具だと、道具でいい、と言うJJの姿がかつての自分と重なって見えたから、というのが大きかった。
 そう考えるまでに至った彼女の陥った状況は、昨夜弐ノ島でジャンから少しだけ聞いて、知っている。だがすべてではない。ほんの少しかじった程度ですべてを知った気になったりはできない。だから、あなたと私は似ている、なんて、軽々しい言葉は言えなかった。
 同情行為と勘違いされてもおかしくない。いや、実際そうなのだろう。彼女に自分をだぶらせ、ほうっておけないと思っているのだから。だけど自分たちは人間で。道具のままではよくないと知ってしまった者として、どうしても言わずにいられなかった。
 罵られるのを覚悟で、固唾を呑んで返答を待つフレンディスをJJは心持ち長く――まるで初めてフレンディスをまともに見たというように――見つめたあと。首を振った。
「……駄目よ」
「なぜですか?」
「……あなたには「できない」から。
 初めて会ったとき、わたしはアストー01という機晶姫を死体でもいいから持ち帰れという依頼を受けていたわ。それであなたと戦った。あれは途中で依頼主が気を変えたために、わたしは手を引いたけれど、もしそうならなければわたしはあのままあなたたちと戦って、死ぬことになったとしても依頼を遂行したでしょうね。
 相手にも事情はある。人生がある。わたしと仕事をするということは、それを知った上で依頼主の意向を最優先とすることよ。友人と思っている者と敵対することもあるわ。あなたは、あなたが心を許したその人と敵対することになっても、依頼を遂行することができるかしら?
 わたしは、できるとは思わない。あなたは自分で善悪を判断して動ける人よ。自分が正義と信じれば、それを貫く強さがある。わたしには……ないわ」
 最後、かすかに自嘲の響きを乗せて、JJは言葉を終えた。パルジファルが頭を足にすりつける。それは、自分だけはどこまでも彼女についていくと告げているようだった。
 その光景を見て、JJの話したことに内心激しく動揺しながらも、フレンディスは何か言わなければというあせりから口を開く。そのとき、あきらかに自然崩落とは思えない不自然な崩落音が廊下の奥の暗闇で起きた。JJとパルジファルが張っておいた糸を何者かが切ったのだ。
「やっぱり、そうそうだまされていてはくれないものね」
 近づく敵の気配を感知して、ルーン・サークリット(るーん・さーくりっと)が瓦礫の山からぴょんと飛び降りゴスロリドレスについたほこりをパッパと払う。
「まあ少々退屈していたところだし? 案外いい暇つぶしの相手になるかもしれないわねぇ」
 これで相手がヤタガラスやマガツヒだったらそうは言ってもいられないのだが、死霊があんな原始的な罠にかかるとは思えなかった。
(高確率で外法使い、もしくは随神ってとこかしら)
 来る途中で遭遇した、あの程度の輩ならまさしく暇つぶし程度だろう。
「行くわよ、切ちゃん。ここで戦いたくはないでしょ?」
 くい、と人差し指で招くしぐさをして、ルーンは音のした廊下へ向かって歩き出す。
 刀を手に、従おうと一歩踏み出したところで、切はリングのなかから何か声らしきものを耳にした気がして、ばっと振り返った。
 とても小さく、か細かったけれど、たしかに聞こえた。
「ツク・ヨ・ミ、まだちゃんとそこにいるんだな!」
「………。………」
「ナ・ムチも、ウァールも、みんな、2人を助けようと戦ってんだ! だからツク・ヨ・ミもがんばれ! 戦え! 負けるんじゃないぞ!
 じいさんもだ! これが終われば、あんたが願ったような、オオワタツミから救われた島の姿が見られんだ! それを目前に消えたりしねえようにしゃんと気張れよ!」
「…………まったく、きみは、口が、うまい、ねえ……」
 今度ははっきりと聞こえた。苦笑しているヒノ・コの声だ。
「よっしゃ! じいさんもいるな!
 いいか、ワイらは誰1人あきらめてねえ! 2人とも助けてみせる! だからおまえらにもあきらめさせねえ! 分かったか!」
「切ちゃん」
 戸口でルーンが振り返って切を待っている。
「今行く」
 切は先までと違い、刀を握る腕に力が漲るのを感じながら隋神たちの迎撃に向かったのだった。