葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

皿一文字

リアクション公開中!

皿一文字

リアクション


【三 地下用水路 15:00】
 再び、地下用水路。
 甲賀 三郎(こうが・さぶろう)は思わぬ誤算に、つい舌打ちを漏らした。
 当初彼は、化け物ども、即ち河童の群れの中からサンプルを持ち帰ろうと画策していた。それが叶わない場合は、得意の火術なりを駆使して焼き払ってしまえば良い。
 単純にそう考えていた。
 しかし、地下用水路のそこかしこから、次から次へと湧いてくる河童の群れは、三郎のそんな思惑を凌駕し、圧倒的な物量で襲いかかって来る。
「単なる調査が、討伐戦に切り替わってしまうとは!」
 半ば自嘲気味に笑う三郎の笑みは、凄惨といって良い。極限状態の中で命のやり取りを迫られる男の迫力が、そこにはあった。
「どうしますか三郎さん! 一旦、退きますか!」
 同様の目的で地下用水路に潜り込み、三郎と一時的に協力関係を築いていたエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)が、襲い来る河童の群れを巧みに捌きながら、弾んだ声で呼びかけてきた。
 一対一の勝負なら決して遅れを取る相手ではなかったのだが、これ程の数になると、さすがにそうもいっていられない。のんびりサンプルを採取させてくれる暇も無かった。
「そうですな! 少なくとも、魔力や術の系統はほとんど全く通用しない、という事実が分かっただけでも、ひとつの収穫とみなして良いかも知れません!」
 三郎のこの返答は、決して負け惜しみなどではない。これはこれで、立派な調査結果なのである。精確にいえば、全く通用しない訳ではなく、どうやらある種の法則があるようなのだが、流石にそこまで分析が及ぶ程の余裕が無い。
 ただいずれにしろ、一方的に退くという行為に及んでしまうのは、不本意であった。
「もう少し余裕が出来ましたら、他所のチームにもお声がけしてみましょう!」
 エッツェルがいうように、この場で河童の群れを相手に回して奮闘しているのは、彼らだけではなかった。

 例えば、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)の場合。
 特にエヴァルトは過去に一度、同様の化け物と遭遇した経験を活かし、今回の事件でも何か出来ないかと考えていた。
「前にも河童と遭遇して酷い目に遭ったが、あれはゆる族だった……しかし、ここの連中はまるでタイプが違うぞ! 一体何なんだ、こいつらは!」
 あまり思い出したくない事象を、意思の力で何とか脳裏に甦らせてはみたものの、それが今回の一件で役に立つとは、エヴァルトにはどうしても思えなかった。
 外見から習性から、何もかもが異なる。本当に同じ河童かと、内心首を捻らざるを得ない。
「ぶつくさいわない! 今はこいつらを何とかする事だけに集中しようよ!」
 珍しく、ロートラウトが焦りの色を見せてエヴァルトを一喝した。が、いっている内容は正論である。
 近くで賛同の声があがった。
「然様! 無駄口叩く暇があれば、一匹でも多く仕留める事よ!」
 英霊織田 信長(おだ・のぶなが)の声であった。パートナーの桜葉 忍(さくらば・しのぶ)とともに地下用水路での化け物退治に臨んでいたのだが、予想外の苦戦を強いられている。
 その原因は、必殺の『第六天魔王』を封じられている点にあった。
 空間が限られている狭い地下用水路である。爆炎が通路内一杯に充満するような戦法を用いれば、河童以外にも被害が出てしまうのである。
 それ故、仕方なくこうして地道に接近戦を挑まざるを得なかった。
 尤も、既に三郎が分析した通りに術の類が効果的には通用しない相手であるのなら、如何に威力絶大な『第六天魔王』であろうとも、結果が出せるかどうかは疑問が残った。
「けど、それにしても」
 忍が息を弾ませながら、敢えて語りかけた。先程、信長が無駄口は無用だといったばかりなのに、である。
「こいつらどう見ても河童だよな。あの黒い円盤状の硬質物が少し気になるが、信長はどう思う?」
「思う前に、体を動かさんか!」
 信長に叱責され、忍はつい首をすくめた。

     * * *

 一方、こちらは清掃班。
 二十名を越える蒼空生徒を引率する蒼空学園の臨時講師音井 博季(おとい・ひろき)は、酷く疲れた色をその秀麗な面に浮かべていた。
 河童の群れに襲われたから、というのもあるのだろうが、博季の場合はそれ以上に、「生徒達を守り切らなければ」という強烈な信念が逆に自身を苦しめていると表現した方が正しいだろう。
 生徒達も一様に疲れ切った表情を見せてはいたが、彼らの場合は単純に、河童に襲われた恐怖による。博季のように、実際に河童を撃退した訳でもなければ、引率者としての責任感を負っている訳でもなかった。
 博季の左右の手で、地下用水路の図面が広げられている。そこに記されている地上へのルートを何度も確認しながら、博季はひたすら薄暗い通路を進みに進んだ。
 するとしばらくして、前方から足音が響いてくるのが聞こえた。すわ、敵か――誰もがそう思ったが、現れたのは、五十嵐 理沙(いがらし・りさ)セレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)のふたりだった。
「あっ! 音井先生!」
 理沙が弾けるような笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。対する博季も、僅かに緊張を和らげて、ふたりの女子生徒を迎えた。しかしその面には、すぐに険しい色が浮かぶ。
「一体、ここで何をしているのですか? この地下用水路は現在、非常に危険です。あなた方もすぐに、ここから出なさい」
「そのことなんですが、先生」
 理沙に追いついてきたセレスティアが、深刻そうな面持ちで訴えかけてきた。博季としても、耳を傾けざるを得ない。
「途中で、東條さんや椎名さんという方達と出会ったのですが、どうやら大変な事件が地上地下の双方で発生している模様ですわ」
 今からほんの数分前、理沙とセレスティアはカガチ、舞、真の三人と出会ったという。曰く、シズルを班長とする救援班が地下用水路内を向かってきているのだそうだが、いかんせん、河童の数が多い為に、なかなかここまではすぐに辿り着けていないらしい。
 先行したカガチ達三人は、運良く敵とは遭遇せずに、理沙とセレスティアに地上からの情報をもたらした。そして今度は理沙達が、博季が引率する救援班に事態を伝えた。
 一応、救援班の最初の目的たる情報伝達は、達成されたと考えて良い。

 不意に、前後の両方向から、甲高い獣の雄叫びのような声が、幾重にも重なって地下用水路内に響き亘る。
 その場に居た全員の面からさっと血の気が引いた。敵は、こちらを挟み撃ちにする形で迫ろうとしていたのである。
「ま、まずいですよ、これは……」
 博季は慌てて図面に目を落とした。前後を挟まれてしまった以上、他に逃げ道を探さねばならない。すると横から、清掃班員のひとりである椿 椎名(つばき・しいな)がひょいっと顔を出して、図面を覗き込んできた。
「先生、ここのキャンプルームなんてどうかな?」
 椎名が指差すその箇所は、図面上では比較的大きな一室になっている。見たところ、全員を収容するだけのスペースはありそうだった。
 問題は、そこまで無事に辿り着けるかどうかである。
「じゃあ私が囮になるよ」
 理沙の突然の申し出に、博季はぎょっとした顔を作った。次いで、大きくかぶりを振る。
「だ、だ、駄目ですよ! そんな無茶な事、引率者として許す訳にはいきません!」
「ご安心くださいませ。わたくしが理沙のサポートにつきますから」
 いいながら、セレスティアが持ち出したのは何故か、日本酒だった。
「河童といえば日本酒、らしいですわね。わたくし、どういう意味かよく分かりませんでしたけど」
 セレスティアの視線は、理沙に向けられた。理沙は理沙で、えへへと苦笑いしながら頭を掻いている。
 博季はもう、訳が分からない。一体何がどういう理屈でこんな展開になっているのか。頭で考えれば考える程に、筋が通らなくなっているような気がしてならなかった。
 すると今度は、キャンプルームへの避難案を出した椎名が、腕まくりしながら笑いかけてきた。
「んじゃ、しんがり戦はオレ達が請け負うよ。皆を頼むよ、先生」
 更にソーマ・クォックス(そーま・くぉっくす)椿 アイン(つばき・あいん)が、椎名の左右を固めるようにそれぞれ進み出てきて、椎名とともにしんがり戦を請け負うと言い出した。
「ボクらがついてるから、大丈夫だってば! 先生はとにかく生徒の皆を連れて、早く避難して!」
「ご心配なさらずとも、しっかり生きて戻りますから」
 ソーマとアインが立て続けにいう。もうこうなってくると、博季としても諦めざるを得ない。
「……分かりました。では、ここは皆さんにお任せしましょう。でも、絶対約束してくださいね。必ず、生きて一緒に、ここを出ましょう」
 更に加えていえば、博季の引率を、ナギ・ラザフォード(なぎ・らざふぉーど)がサポートすることになった。これは椎名からの頼みだという話であった。

     * * *

 清掃班は、単一のチームではない。
 夜月 鴉(やづき・からす)アスタ・アシナ(あすた・あしな)が所属しているのは、別区画を清掃する為のチームである。ところがこのチームは、少人数に細かく分散して清掃に当たっていた為か、チーム内の情報共有がほとんど全くといって良い程に出来ていない。
 鴉は、今この地下用水路で何が起きているのかを、まだ把握していなかった。だから、彼の目の前でサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)が河童に襲われ、毛皮と化してしまったという現象を、半ば愕然と眺めているしか無かった。
「サクラコ!」
 彼女のパートナーである白砂 司(しらすな・つかさ)の絶叫が、鴉には随分と遠い声音に聞こえた。
 正直なところ、鴉にとっては、サクラコがどうなろうと知ったことではなかった。むしろ彼が意識の中で重きを置いていたのは、サクラコを襲った化け物が、その粘性の体液で床を汚していた点に対してであった。
「……この野郎……!」
 鴉がキレた。
 見た目的にはほとんど変化は無いが、目が完全に据わっている。河童は河童で、サクラコを餌食にしただけで満足したのか、その場を去ろうとしていた。
「待ちやがれ!」
 河童を、鴉が追い始めた。
 すると今度は、鴉のパートナーたるアスタが、河童ではなく、何故か鴉を追いかけたではないか。
「夜月くん! サボりはいけませんよ! サボりは!」
 アスタはこの期に及んで、鴉が清掃班の仕事をサボろうとしている、と解釈したらしい。
 だがとにかくも、河童はこの現場から姿を消した。ついでに鴉とアスタも消えてしまったが、司にとってはどうでも良い。
「サクラコ、今、連れ出してやるからな」
 司は毛皮だけの哀れな姿と化したパートナーを、優しく抱き上げた。今はとにかく、ここを脱出するしかないのである。