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【二 地上 14:30】
 蒼空学園の講堂は一部、体育館を兼ねている。
 バスケットボールの試合が同時に八ゲームは出来る程の広さを誇る講堂の一角。そこに、テニスコート二枚分程の面積のブルーシートが敷かれていた。
 ブルーシート上には、ミイラと化した蒼空生徒達が整然と並んで仰臥させられており、その間を、ふたつの人影が縦横に行き来している。
 治療技試及び解析を担当するダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)と、純粋な補助延命医療を担当するソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)のふたりであった。
 髪の色は異なるが、いずれも背中で揺れるロングヘアーがトレードマークといって良く、そしてふたり揃って端整な顔立ちである。場所が場所なら、黄色い歓声が飛んでも不思議は無かっただろう。
 講堂内に、別の人影がのっそりと姿を現した。蒼空学園の校長、山葉 涼司(やまは・りょうじ)であった。
「あら、校長御自らお出まし?」
 出迎えたのは、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)である。山葉校長に掛け合い、ミイラ化した生徒達の保安所として講堂利用を申請したのも、彼女だった。
 山葉校長は、講堂内に現れた時からの仏頂面を崩さず、眉間に皺を寄せて問う。
「状況は? 何か分かったか?」
「そうだね……ダリル!」
 ルカルカが呼ぶと、長身の影がシート中央付近のミイラ脇からすっと立ち上がり、ブルーシート上を音も無く歩いてきた。ダリルから目線で合図を受けたソールも、後に続いて山葉校長のもとへと向かう。
「ひとつ、目に見えて分かる共通点が見つかった」
「ほう?」
 ダリルのひと言に、山葉校長が興味深げに小首を傾げた。するとソールがその場にしゃがみ込み、手近のミイラを斜めに抱き起こして、その背中を山葉校長に向けた。

 山葉校長の視線がその一点に固定された。
 ミイラの腰の辺り、丁度ベルトが当たる付近の、背中のその部位。そこに、拳大の穴が開いていた。
「ただ穴が開いてるってだけじゃあないんだよね」
 ソールは渋い表情で、更に穴の奥を覗き込むよう山葉校長を促す。ダリルの言葉が続いた。
「腰椎が、綺麗さっぱり抜き取られている……全員だ」
「俺達がいくら治療術を施術しても、この腰椎の欠陥ポイントで全部エネルギーが分散しちゃってね。だから回復はおろか、ミイラ化の進行を遅らせることも出来ないって訳さ」
 抱き上げていたミイラを再びブルーシート上に寝かせながら、ソールは苛立ちを隠せない様子で、豊かな金髪の上から頭をぼりぼりと掻いた。
 山葉校長は前屈みになっていた上体を起こし、ますます険しい表情でルカルカに振り向く。
「で、被害者は現段階で何人だ?」
「えぇっと……今で、四十六人かな」
 慌てて手元の資料をめくりながら応じたルカルカだが、講堂の入り口から別の声が響いた。
「四十九人ですよ」
 ルカルカ達に協力して、ミイラ化した被害者の運搬を担当するザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)の姿がそこにあった。彼は担架の一方を担いでおり、もう一方を、本郷 翔(ほんごう・かける)が担いでいた。担架には、一体のミイラが仰臥している。
「四十九って、ひとりしか乗ってないじゃない」
 ルカルカが指差して問うと、翔が僅かに肩をすくめた。
「まだ外におふた方分、残してきてあるのです。あの方々もすぐに、こちらへお連れ致します」
「あ、そういう事ね」
 ルカルカが納得して頷きかけたその時、講堂から決して遠くないところから、地鳴りのような震動が響いてきた。
 全員が一斉に、その方角へと目線を向ける。山葉校長が、誰に語りかけるともなく、低い声を絞り出した。
「出来れば救護活動に専念してもらいたいところだが、場合によっちゃあ、ここを守る為に一戦やってもらうことになるかも知れんな」
 山葉校長のこの言葉は、後に、現実のものとなる。

 講堂を鳴動させた震源は、矢張り蒼空キャンパス内にあった。
 第三運動場と呼ばれる開けたスペース。そこで、三つの影が激しく交錯していた。
「ひゃっはぁw! やっぱり河童じゃんw!」
 クロ・ト・シロ(くろと・しろ)は、何故か嬉しそうだった。いや、そう見えるだけなのかも知れないが。対照的にシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)はといえば、やや面倒臭そうな表情で、敵の正面に立つ。
「掃除……にしては、ちと手間がかかりそうじゃのぅ」
 クロが表現した通り、その化け物は外観から判断して、河童と断ずるべきであろう。地下用水路とその周辺に出現した化け物どもも全て、河童と呼んで差し支えない。
 しかし今、彼らの前に立ちふさがるその巨躯は、童話や昔話で見聞きする小柄な悪戯者という雰囲気からは随分とかけ離れた、極めて凶暴な姿であった。
 そしてその足元には、ひとつのミイラ。もともとは、イルミンスール所属のビーストマスターであるラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)だったのだが、河童の一撃を浴びて、ものの数秒でこの哀れな姿へと変じてしまったのである。
 ラムズが襲われた直後、クロと『手記』の両名が、この巨大河童と対峙することとなった。
 ふたりはそれぞれ、互いを補完しあう戦法を持っていた。ところが、巨大河童を相手にまわしてみると、これがなかなかうまくいかない。
 原因は、はっきりしていた。
「……なんちゅう速さじゃ。我らの術はおろか、感覚すらついていけんとはの」
「んなもん知ったこっちゃねぇよw」
 口ではそういうものの、クロも正直なところ、内心に焦りを覚えていた。相手のあの巨体からは想像もつかぬ程の速さで、完全に翻弄されてしまっていたのだ。
 おまけに『手記』の術もほとんど通用していない。これは一体、どういう理屈によるものなのか。
 が、彼らの戦いは思わぬ形で終結した。
 巨大河童が突然、ふたりの前から遁走したのである。向かった先は、運動場脇の飼育小屋。
「おいw オレを差し置いて勝手に卑怯な真似してんじゃねぇよw」
「無駄口叩いとる場合ではない。追うぞ」
 ところが。
 破壊された飼育小屋の入り口から中に飛び込んでみると、巨大河童の姿が忽然と消えていた。
 飼育用貯水庫の水面が激しく揺れているのが、奇妙といえば奇妙だった。
 まさかと思って覗き込んでみたふたりだが、あれほどの巨体が隠れられるような深さは、この飼育用貯水庫にはない。一体、どこへ消えたのだろう。

     * * *

 同じ頃。
 キャンパス隣に位置する溜池の岸壁にて、呑気に釣り糸を垂らす姿がひとつ。イルミンスールのドルイド五月葉 終夏(さつきば・おりが)による、キュウリでの河童一本釣り作戦が実行中なのである。
 終夏自身は、これはナイスな作戦だと自画自賛したい気分もあったのだろうが、正直なところ、まだ成果は挙がっていない。
 そして何より、釣りというものがこれほど退屈で眠気を誘われるものなのかと内心驚愕の思いでもあった。
(あ、甘く見てた……釣りってのは、奥が深いんだなぁ)
 最早当初の目的を忘れて、ひとりのフィッシャーマンと化したきらいのある終夏ではあったが、しかし幸か不幸か、彼女の目の前で突然巨大な水柱が飛沫をあげて屹立した。
「危ないですわ!」
 どこかから、透き通るような声が高いトーンで叫びをあげる。続いて、紅蓮の炎が帯となって飛来し、終夏の頭上を飛び越えて、水柱の主に殺到した。
 振り向くと、ふたりと一匹の姿。
 まずふたりと呼ぶべき姿から見ていくと、一方は火村 加夜(ひむら・かや)、そしてもう一方は霧島 春美(きりしま・はるみ)。残る一匹は、春美のパートナーでジャッカロープ(角の生えたウサギの様な生物)獣人のディオネア・マスキプラ(でぃおねあ・ますきぷら)であった。
「やっぱり、思った通りだね!」
 ディオネアが元気一杯に跳ね上がって、嬉しそうに叫んだ。
「加夜さんの情報力と春美の推理力が合体すると、河童さんの動きなんてお見通しなのですっ!」
 突き立てた人差し指を左右に振りながら、春美が自慢げに笑う。その傍らで加夜は、何となく困ったような苦笑いを浮かべていた。

 しかし、乙女達が勝ち誇っていられたのも、ほんの僅かな間だけであった。
 水柱の中から岸壁へと跳躍した巨大河童の戦闘能力は、彼女達の想像を遥かに絶していたのである。決して加夜と春美の能力が低い訳ではない。
 ひとえにこれは、相性の問題だった。
「こ、この河童さん……魔法が通じないって感じじゃありません?」
 得意の魔法を何発か打ち込んでみたところで、春美が喉をごくりと鳴らした。彼女がいうように、敵はまるでダメージらしいダメージを受けていない。少なくとも春美には、そのように思えてならなかった。
「魔力そのものを中和するバリアーみたいなのを身に着けてる……みたいだね」
「……それに加えて、とんでもなく動きが速い、ですよね」
 終夏と加夜による分析が加わるものの、対処法がまるで浮かんでこない。辛うじて加夜が魔道銃を装備してはいるが、これだけでは明らかに打撃力不足であった。
「あの動き、何か、見たことあります」
 じりじりと後退しながら、春美は容赦なく距離を詰めてくる巨大河童の太い両脚を凝視した。やがてその地を噛むような摺り足から、ある競技の姿が脳裏を走る。
「そ、そうですわ……あの河童さんのあの動き、あれは……あれは、角力道です!」
 角力道。またの名を、相撲道。
 現代に於いてこそ相撲は投げ技を中心とする競技であると同時に神事でもあるのだが、弥生時代には打撃を中心とする必殺の格闘技であったという記録が残っている。
 何よりも相撲の最大の特徴は、巨体を自在にコントロールする筋力と、そこから生じる圧倒的なスピードとパワーに加え、横の変化に強いという点であった。
 空手やキックボクシングなどのポピュラーな打撃系格闘技は、基本的に縦の動きがメインである。相撲や柔道のように、横への瞬間的な動きには滅法弱いといって良い。
 ましてやこの河童、その動きから見て、古代角力道も会得しているらしい。横の動きに強い打撃系格闘技の達人であり、魔力がほとんど通用しないという話になれば、彼女達に出来ることはもう、限られてくる。
 三人と一匹は、一斉に踵を返した。
「あ、後でまたリベンジしましょう!」
 春美の捨て台詞が、西陽に傾きかけた低い空へとこだました。
 そう。今の彼女達に出来るのは、逃げる、ただその一点のみであった。