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リアクション
【二 準備はOK?】
第四班では、ちょっとした悶着が起きていた。
噴水広場に面する登山用品店内で、消耗品の不足分を確認しながら名簿をチェックしていたリカインが、第四班の人員の中に裏椿 理王(うらつばき・りおう)の名を発見したのである。
リカインにしろ、副班長のカイにしろ、理王がフライデンサーティンに挑むというような話は全く聞いていなかったのである。
そして理王自身も、初日の出ツアーに参加する意思は毛程にも持っていなかった。
彼は確かに、このエルリムまで同伴してはきたが、それはあくまで、大切なデータやデジタルビデオカメラ等を白竜経由で正子に渡す為であり、自身が直接、ツアーに参加する為などでは無かった。
その意思表明は、既に正子や美晴、或いは班長たる面々にしっかり伝えてある筈であったが、それでも尚、第四班の名簿に理王の名がしっかり刻まれてあったのだ。これは一体、どういうことであろう。
「う〜ん、参ったわねぇ……本人は参加する意思が無いっていってるのに、名簿には名前がある……誰が書いたのかしら?」
店内で眉間に皺を寄せながら、首を捻って名簿を睨みつけるリカイン。
カイも同様に腕を組んだままで眉を顰め、その長身を活かしてリカインの頭越しに、彼女が手にする名簿へと視線を落とす。
しかし誰よりも困っているのは、理王本人であった。
彼は自他共に認める非体育会系の人物であり、今回のツアーに関しても、フライデンサーティンに関する情報をデータに纏め上げ、デジタルビデオカメラに自身のビデオレターを添えて正子の手に渡るよう、手筈を整えていた筈であった。
しかし、いざ蓋を開けてみると、理王もしっかり登山者として登録されている。このままでは、体力に自身の無い彼が他の面々の足を引っ張ることになるだろう。
「困ったぞ……仮にオレがフライデンサーティンに登ったとしてもだ……いくら口では『正子を守る』といったところで、早々に遭難するか、滑落して迷惑をかけてしまうのは、もう目に見えている。それならいっそ、正子の安全の為にと思って調べ上げたデータを手渡すだけで引き下がるつもりだったんだが……」
だが実際はというと、理王の意図に反して、彼もまた、登山メンバーの中にしっかり組み込まれてしまっている。このままでは、本当にツアー一行の足を引っ張りかねない――そんな不安が更に強く、理王の感情を暗くしようとしていたその矢先、正子の巨影が登山用品店内にのっそりとその姿を現した。
「揉めておるようだな……わしがうぬの名を加えたのだ。不満か?」
三人は仰天した。犯人は、正子だったのである。カイが幾分戸惑い気味に、頭を掻きながら正子の強面を見上げた。カイ自身、相当な長身の持ち主ではあったのだが、そのカイをして見上げさせる程の巨躯を誇るのが、正子であった。
「正子さん……彼については、本人もいっている通り、自信が無いとのことなんだ……名簿から外す訳には、いかないか?」
カイが理王の心情を代弁して打診してみたのだが、しかし正子はカイの申し出を一蹴した。
「ならん。一緒に来い、理王。抱き上げただけで女の体重と体型を精確に判定するその技術は、何かの役に立つやも知れん。勿論、全くそのような局面にはならぬかも知れぬが、連れて行って損は無い」
最早、首根っこを押さえてでも引きずっていくという勢いを言外に感じさせる正子の返答に、理王も諦めざるを得なかった。
「案ずるな。確固たる自信など、最初から持っておる奴など誰もおらん。経験して初めて身に付くものだ。何かあれば、すぐに頼れ。その為にカイと同じ班に入れたのだからな」
結局のところ、正子と関わった以上は後方で大人しくしている、という慎ましやかな意図は須らく粉砕される運命にあるのだろう。有無をいわせぬ正子の指示に、理王は従う以外に取る術が無かった。
「あ、そうだ正子さん。ものはついでだから、ちょっと相談なんだけど」
踵を返して店外に出ようとした正子を、リカインが呼び止めた。
「実はね、あの子も登るっていって聞かないんだけど……」
リカインが指差す方向には、童子 華花(どうじ・はな)が店頭の品々を手に取ってはしゃぐ姿があった。
実年齢はともかく、華花の肉体と精神は紛れも無く、五歳の幼女である。リカインにしてみれば、華花が本当に最後まで乗り切れるのかが心配であった。
いざとなれば、リカインが華花を背負って登攀に挑む腹積もりではあったのだが、それでも危険は多い。コントラクターとはいえども、その実体は矢張り、ただの五歳児なのだ。
ところが、正子はリカインが思っても見なかった返答を口にした。
「何も問題は無い。わしがあの子を背負う。既にその用意も整えてある」
実のところ、正子は今回のツアーを編成するに於いて、十歳未満の子供が複数名参加する事実を知り、幾分頭を悩ませていたらしい。
最終的に導き出した結論として、正子がふたり、美晴がひとり、それぞれ子供を背負う用意を整えておくという方針を確定させていたのであるが、まだ本人達には通達していない。
まずは自分自身の脚で斜面を登らせる努力をさせる、というのが、正子の考えであった。しかしいずれ、限界がくるだろう。その時に正子と美晴が、予め決めておいた担当の子供を背負う、という段取りになっている。
そして正子が背負う予定になっていたひとりが、華花であった。
「勿論、本人が頑張れるというのであれば、頑張れる分だけ歩いて貰う。しかし、少しでも駄目だという話になれば、すぐにわしと三沢で背負う。折角参加したのだ。あの子らにも、御来光の美しさを堪能させてやらねばならんよ」
この時、リカインはああ成る程、と納得した。
正子が鉄人組に於いて絶対的なカリスマを誇っているのは、何よりもこういう細やかな心遣いを常に持ち合わせているところにあるのだ、ということを、改めて認識し直したのである。
再び、視点を噴水広場に戻す。
噴水周辺に並ぶベンチの一角で、第五班の班長を務める輪廻は、天音相手に一風変わった方針を打ち出していた。
「ほほう……清掃班、か」
輪廻が持ち出した案に、天音はそれまで広げていたシャンバラ新聞を折り畳み、僅かに興味を惹かれた様子で相手の顔を正面からじっと凝視した。
「単に登山者としての模範を実践したい……って訳でもなさそうだね。アイデアを聞こう」
「例の、殺人鬼の話だよ」
矢張り、裏があったか――天音は読みが当たったといわんばかりに、その形の良い唇の端を、僅かながら苦笑の形に歪めて、更に輪廻の言葉を待った。
輪廻は自らの思考を整理しつつ、より詳細な推論を加えた。
「聞けば、山の精が殺人鬼と化したということだそうだ。山が怒り、人間を攻撃する理由なんて、大体察しがつく……つまり、山が汚れれば怒りの鉄槌が下る、という訳だ。最近は登山客にも、マナーのなってないものが多いらしい。汚されるのを嫌った人間からしてみれば、この状況は願ったり、といったところか」
輪廻は必ずしも、山の精が犯人であるとは考えていない。寧ろ山の精を語った自然崇拝者が、山を汚す者を襲っている可能性もある、とさえ疑っているのである。
ここまでの論法は一見すれば、確かに理に適っているようにも見える。が、天音はふと、小首を傾げた。その逆もまた、在り得るのではないか。
「山の精がひとを襲うから、登山客が怒って山を汚している、という可能性もある。つまり、卵が先か鶏が先かの理論だ。この場合、どっちなんだろうね」
天音が語ったこの論法は、正直なところ輪廻の頭には全く無かった。このケースでは、山の精がひとを襲う理由は一切不明だが、可能性としては捨て切れないのも、また事実である。
輪廻は、一瞬低く唸って考え込んだ。天音の説が正しければ、清掃は全く意味を為さなくなってしまうのである。つまり、単なる徒労に終わる可能性を孕んでいるのだ。
ところが天音は、輪廻の提案した清掃班について、是の判断を下した。
「君のいう、汚されたから山が怒ったという可能性も否定は出来ない。であれば、全ての可能性をひとつずつ消していくしか無いだろう。清掃班活動は、十分に意味を為すよ」
それに、と天音はちらりとベンチ近くの一点に視線を巡らせる。そこに、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の姿があった。
ブルーズは、登山装備に身を包んでいるのは勿論のこと、ゴミ袋とゴミバサミを携え、ゴミ拾いを兼ねての登山に意欲を示していたのである。
そんな天音の視線を敏感に察知したのか、ブルーズは随分気合の入った表情で、ふたりの座るベンチへと歩を寄せてきた。
「方針は決まったのか? 我はいつでも、準備万端だぞ」
輪廻も率先して清掃活動に勤しむつもりではあったが、ブルーズの意気込みは更にその上を行っているように思われてならなかった。
思わず苦笑を浮かべた輪廻だが、それは天音も同様である。
「おう、ゴミ拾いか。感心だな」
登山用品店から出てきた正子が、ブルーズの姿を目に留めて、からりと笑った。別に格好をつける訳でも無かったのだが、ブルーズが如意棒で鍛えた棒捌きを応用したゴミバサミ捌きを披露すると、正子が自身の腰に下げているゴミバサミをすっと抜き取り、対抗するかのように軽やかな技を見せた。
「焼き物のトングを扱うのと同じ要領だな」
「へぇ……鉄人組の代表ともなると、そういうことも得意なんだ。正子さんって、どんな料理が得意なの?」
天音の問いかけは、然程の意味を含んだものではない。単純に正子の日常について、興味を抱いただけの話である。
正子はその強面に、不敵な笑みを浮かべた。
「全てだ」
不得手な料理は無い、と正子はいう。これも彼女のいう、実践した上での自信というものであろうか。
第六班は、他の五班とは一線を画す、極めてユニークな方針を打ち出していた。理沙とあゆみがそれぞれ班長と副班長を務めるこの班の特色をひと言で表現するなら、色々持参班、とでもいうべきであろうか。
まず班長の理沙からして、
「山の神様に対しては、感謝の心を示す為に日本酒を持って行くものだと、おばーちゃんがいってたからね」
という理由から、本当に超有名銘柄の日本酒を持参している。
一方のあゆみは何故か、蒸し上げる前の肉まん数十個。いや、厳密にいえばあゆみだけではなく、他にも何名か肉まんを分けて持参しているのだが、とにかく霊峰に挑もうというこの場に当たって、何故か肉まんなのである。
最初にいい出したのは、どうやらひっつきむし おなもみ(ひっつきむし・おなもみ)であったらしい。
御来光スペシャル肉まんを登山者達に振る舞い、温かい肉まんを頬張りながら御来光を拝観し、祈る。そんな光景を描いた実録漫画をおなもみが是非作りたいと熱望し、その思いにあゆみ以下数名の仲間達が応じた、というのが実情であった。
更にこの肉まんには、具材として茄子と鷹の爪を使用している。一富士、二鷹、三茄子から成る初夢の縁起を担いだ内容となっていた。
あゆみ達が立てた計画としては、これら数十個の肉まんを水晶亭に持ち込み、備え付けのキッチンを借りて蒸し上げ、熱々の肉まんを頂上アタックの前に振る舞い、体を温めてもらおう、というものであった。
鷹の爪によるカプサイシン効果もあって、熱々の肉まんでの保温効果は十分に見込めるといって良い。
「皆で体を温めて、気持ち良く御来光をお迎えしよう! うん、最高の計画だね! クリア・エーテル☆」
自画自賛して張り切るあゆみを、理沙が幾分、乾いた笑いで眺める。
日本酒を持参している理沙自身も、他の面子と比べると多少は路線が違うという自覚を抱いていたのだが、肉まんとなるともう、完全に空気が異なるベクトルに向かっている。さすがにあゆみだ、発想のオリジナリティがまるで違う、と感心せざるを得ない。
「肉まんを蒸し上げるのも大事ですが……例の噂も、気になるところではありますね」
ヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)がいつの間にか、噴水広場のベンチの一角を占めるあゆみ達の傍らに寄り添うような形で佇み、保存容器の数を読んでいるあゆみに半ば、冷水を浴びせかけるが如くの淡々とした声音でふと、そんなことを口にしてみた。
例の噂とは即ち、山の精が変化した殺人鬼の話ではあるのだが、これについてはおなもみが、ある仮説を立てていた。
「あれってさー、戒めか何かだと思うんだよねー。山を畏れ敬えってことなんじゃないのかなー?」
おなもみのこの見解には、ヒルデガルドも頷いて同意している。
そもそも、本当に殺人鬼に襲われて無限の時間地獄に陥った被害者が居るとして、一体どのようにしてこの事実が噂として広まるというのだろうか。
襲われた者は永久に戻って来れないのだから、このような噂が立つこと自体、不可能であるとさえいって良いのである。
であれば、誰かが意図的に流したデマゴーグである可能性が高いとも考えられる。輪廻が天音に語っていたように、山の汚染を厭う誰かが話をでっち上げた、という路線も考慮に入れなければならないだろう。
「仮にその、息子Jなる存在の脅威が本当だとしても……それこそ山に敬意を払い、真摯な気持ちで真剣に登山に取り組めば、きっと悪いようにはならないと思いますわ」
セレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)が、思慮深げに意見を口にした。彼女は第六班の人員の中では、数少ない普通の登山者という立場であった。勿論ただの登山者だけでは終わらず、他のメンバーのサポート役を自ら買って出てもいたのではあるが。
だがそもそも、あまりややこしいことには首を突っ込まず、本来の目的である御来光拝観に意識を集中していた理沙にしてみれば、普通に登山者としてのマナーを守ってさえいれば、何とかなるだろうという程度の意識しか無かったのも事実であった。
「んー、まぁ息子Jのことは本格的に対策を考えてるひと達にお任せしちゃって、こっちはこっちで、山登りを楽しんじゃえば良いんじゃない?」
要するに、これが理沙の本心なのであろう。
楽天的といってしまえばそれまでだが、今から息子Jのことをあれこれ考えても仕方が無い。
セレスティアとヒルデガルドは僅かに苦笑を浮かべて、互いに小さくかぶりを振った。
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