校長室
戦乱の絆 第1回
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砕音・アイリス ■砕音 空京大学、医学部研究棟。 砕音・アントゥルース(さいおん・あんとぅるーす)の病室。 医療機器の稼働し続ける音と検査機の信号音だけが響いている。 その白い部屋の中で、砕音はベッドに横たわり、未だ昏睡状態のまま眠っていた。 彼の元へ訪れた黒崎 天音(くろさき・あまね)たちは、彼の手に触れた。 「では、僕はこちらで警戒にあたっていますね」 言った片倉 蒼(かたくら・そう)の声。 それを遠くに、天音らは砕音の魔道空間へと入り込んだ。 暗闇の中に一枚の細長い窓が輝いている。 「――お忙しそうですね」 エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は、微笑んだ。 暗闇の空間の中で本の山に埋もれて、何やら原稿らしきものを書いていた幼子姿の砕音が、ぐったりと苦笑する。 「コキ使われてるよ」 砕音は現在、空京大学教育学部の名義で、社会科の教科書やら授業で用いる資料の作成を頼まれているという話だった。 どうやら、放っておくと、まだどこのコンピュータをクラッキングするか分かったものではないので、どうせなら人の役に立つことをやらせておけ、というアクリト学長の『配慮』らしい。 山のような本も彼が書いている原稿も、魔道空間に具現化する際にその姿になっているだけで、実際は資料データだったり文書データや作成プログラムだ。 砕音がペンを置き、エメたちの方へと向き直る。 「聞きたいことがあるんだろ?」 「以前、先生は――風景のお話をされましたね」 エメは言って、微笑を浮かべたまま彼の方をじっと見やった。 砕音が以前言った言葉だ。 『綺麗な風景を見てるんだけど、実はそれがよくできた絵で、裏には何かとんでもない物が隠れているような気がする』 つまり、魔道空間の内容がエリュシオン側へ筒抜けだということなのではないか、とエメは考えていた。 それを確かめるように、間を置いて―― しばらく、エメの方を見やり片眉を傾げていた砕音が、それに気づいたらしく、「ああ」とこぼし、 「いや、すまん。誤解させたようだな」 言って、弱く笑いながら、ぱたぱたと手を振った。 「違いましたか」 エメは、わずかな緊張を解き、微笑を柔らかくした。 「ああ。大丈夫だ。魔導空間は普遍的に発生させられるものじゃなく、巨大コンピュータや古代機械の設備が揃っている所にしか発生させることができないんだ――だから、今この周囲の魔導空間は、エリュシオンどころか空京大学構内の一部にしか広がっていない。盗み聞きの心配はないさ」 「安心しました。ここでは、おそらく筆談も意味を成しそうにありませんから」 「俺が以前、綺麗な風景と言ったのは……ただ、俺のまわりが妙に平和で、話がトントン拍子で進んでいるような気がする、って事だったんだ」 砕音が軽く首を振り、視線を落としながら続ける。 「まあ……今までが騒乱つづきだったから、慣れていないだけの余計な心配かもな。こんな医療技術が整った所に保護してもらえて――アクリト学長とアガスティアには感謝しているよ」 「とはいえ、シャンバラにはまだ不穏な空気があります。私と蒼でしばらく護衛に付かせてもらおうと思うのですが……」 「……御神楽校長の暗殺、か」 砕音が力無く零すように言って、それから顔を上げた。 「あの時、アナンセの部品をしこんだ黒田がVIPルームにいたお陰でデータが取れたんだが――」 黒田とは黒田 智彦(くろだ・ともひこ)。アナンセとはアナンセ・クワク(あなんせ・くわく)のことだ。 「御神楽校長殺害の時に聞こえた声。あれは空京スタジアム内部にいた存在が発したものだと思う。堂々と入ってきたのか、誰にも気取られずに潜入したのかまでは分からないが……」 「キュリオ、かい?」 天音の問い掛けに、砕音が首を振る。 「いや、キュリオの声じゃないのは確かだ。校長殺害時の声は、あいつの声に比べると、もっと無機質で冷徹な印象を受けた。表面的には……あの声の方が、なんというか、かわいい感じはしたがな」 そこで砕音は考えるように目の端に小さな指先を置きながら、視線を静かに滑らせた。 「それに――このところの黄泉返りの多さ……」 半ば独り言めく。 それから、ふと、砕音はエメたちの方へと顔を上げ、 「まあ、ともかく、俺の護衛に関しては大丈夫だ。アナンセと黒田も居るから、安心してくれ。こうして、見舞いに来てもらえるのは嬉しいがな」 「お土産もあるんだよ」 天音が言って、砕音の方へとコリマ・クリスタルの欠片を差し出す。 小首を傾げた砕音の手にそれを渡し、天音が続ける。 「君の恋人から。なんでも、君が欲しがってたからとか言ってたよ」 「……はは」 聞いて、砕音が嬉しそうにクリスタルの欠片を見つめる。 その様子を見て天音が、クスリと笑み、 「忙しい合間にマメだよね」 「まったくだ」 そう頷いた砕音の顔は無邪気に微笑んでいた。 天音は、砕音に少しばかり恋人からの土産の余韻を与えてから、小首を傾げ、続けた。 「アイシャという少女に出会ったよ」 フマナで出会った吸血鬼の少女の話を告げた天音の横で、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が問い掛ける。 「何か知らないか?」 「……アイシャ、女王の力を持つ少女、か」 砕音がしばし考えるような間を置いてから、首を振った。 「残念ながら、俺には本当に分からないな。その少女のことは今、初めて聞いたな」 ■アイリス 窓の向こう――庭園で高原 瀬蓮(たかはら・せれん)が友人たちと共にお茶を飲んでいる姿見える。 彼女の友人たちは、そうやって瀬蓮をそれとなく護衛してくれているのだ。 時折り見える瀬蓮の笑顔に安堵の笑みを零し、アイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)は、ノックされた扉の方へと振り返った。 「お茶をお持ちしました」 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)はティーセットを乗せたトレイを手にアイリスの執務室へと入った。七瀬 巡(ななせ・めぐる)が続く。 「ありがとう」 アイリスが微笑をかたむけ、歩は手馴れた動作でアイリスの元にトレイの上の物を並べた。 「お忙しいですか?」 「聞きたい事があるのかい?」 問いかけた歩へとアイリスの問いが返る。 歩はトレイを軽く胸に抱きながら、 「お時間があれば」 「もうじき面会を頼まれている時間だ。それまでなら」 アイリスに勧められた椅子を断って、 「龍騎士の人たちって神様だったりしてたんですよね?」 「ああ」 「なら、どうして空も飛べないイコンを抜擢する必要があったんでしょうか?」 「ヘクトルたちのことか」 アイリスが零し、カップに口を付ける。 「空を“飛ばない”ものには、その分の有利もある」 歩は、少し考えてから、 「その分――重量のある装甲を用いたり、武装にエネルギーを回すことができる……?」 「そうだ」 アイリスが頷き、 「だが、一番の原因はドラゴンやワイバーンの数が減少していることだな。そのため、帝国はイコンの活用も考えざるを得なくなった。将来に渡って帝国が帝国であり続けるためにね」 「でも、なんとなく、今まで頑張ってきた龍騎士さんたちからは反感を買ってしまいそうな気もするんですけど……その辺りは――」 ちょろろっと巡が歩のそばへ寄って、アイリスを見上げる。 「龍騎士のにーちゃんたちはカッコいい人多いし、悪口とか言わないのかなー?」 その言い方にアイリスが、クスと笑みを零し、 「悪口、か。確かに、伝統が切り替えられつつあることや、外から入って来た地球人に取って変わられるということに関して不満を持つ者も居るだろうな。だが、父の……大帝アスコルドの力は絶対なんだ。それは感情をもねじ伏せるだけの理由を持っている」 アイリスのカップがソーサーに置かれる。 「理由、ですか」 歩の問い掛けに、アイリスの視線は静かに伏せられた。 「望めば、まるで初めから全ての事象がその結果へ向かって動いていたかのように、運命が紡がれる――それが大帝の持つ大いなる力だ。彼の決定に抗える者など、何処にも存在しない」 ■ ヴァイシャリー、百合園への来客に応対するための部屋。 「少し待たせてしまったか」 「再び御会いできて光栄です」 シルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)は立ち上がり、姿を現したアイリスへと形式に則った挨拶を向けた。 隣でアイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)も挨拶を向け。 「ろくりんピック以来ですね。応じて頂き、ありがとうございます」 そして、一通りの礼節を交わしてから、三人は席につき、シルヴィオは早速本題に入った。 「あなたの考えを教えて頂きたいのです」 「総督府の声明なら……」 「アイリス殿、あなた自身のです」 言われて、アイリスの瞳に少しばかり疲れたような色が覗く。 返る言葉は無い。 シルヴィオは続けた。 「東シャンバラがアイシャ嬢を保護した場合、まず総督府の管轄になると思います。アイリス殿は龍騎士団の求めるまま身柄の引渡しに応じるのですか?」 「妙なことを言うな。引き渡さない理由は無い」 「アイシャ嬢が女王陛下の力を秘めていることは各学校生徒の知るところとなっています。シャンバラの民に広まるのも時間の問題でしょう」 そして、アイシスが静かにつなぐ。 「これは、陛下を“保護している”という立場のエリュシオンにとっても良いことではないと思うのですが……」 シルヴィオたちの言葉を、アイリスは静かに聞いていた。 というよりは、ただそれは行き去るのを待っているだけのようにも見えた。 アイリスがゆっくりと立ち上がる。 「アイシャがどのような力を持っていようとも、なるようにしかならない。私が何をしたとしてもな」 「あ……待ってください」 アイシスが呼び止めながら立ち上がる。 「白輝精と陛下は――」 「白輝精のことは何も聞いていない。しかし、女王アムリアナは帝都で問題なく保護されているという話だ。安心しろ」 やや億劫げに返答を残し、アイリスは部屋を出て行った。 「……怒って、しまったのかしら?」 「そういうわけでも、なさそうだけれどね」 アイシスの問い掛けに、シルヴィオは傾けた額の端に手を置きながら言った。