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リアクション
不穏の影 3
己が持ち場の仕事をこなす搭乗員たちの中心にいて、シャムスは徐々に近づきつつある神聖都キシュの座標を確認する。もうすぐ、決戦の地だ。搭乗員たちの顔にも、わずかに緊張の色が窺える。
当然、シャムスも同様に緊張を感じていたが、それよりも彼女は、心のどこかで引っかかる不安にため息を禁じえなかった。黒騎士の仮面を外したそんな娘へと、夜薙 綾香(やなぎ・あやか)が声をかけた。
「シャムス、エンヘドゥが気にかかるのは分かる。が、今は戦闘に集中しろ…………とは、言うまでもないか?」
「いや、その通りだな綾香。姉バカかもしれん。どうにも、見ていないと不安になってしまってな」
シャムスは自嘲するような笑みを浮かべた。
その不安も分からなくはない。エンヘドゥはつい先日まで、自分たちの敵として操られていたのだ。今はまだ、彼女を傍で見ていないと落ち着かない心持ちなのだろう。
それに、だ。綾香は思った。その不安も決して根拠なき不安ではないと。エンヘドゥの姿が見えなくなってもう優に数時間は経つ。いくら広い艦内とはいえ、これほど行方が知れないというのもおかしな話ではないだろうか……?
突如、綾香たちの不安を感じ取ったかのように、シャムスの頭の中に声が響いた。
『聞こえる? 南カナン領主……シャムス・ニヌア』
「誰だ……!?」
魔法? いや、あるいは地球人の生み出した念力という能力か? 突然の声にシャムスは険しい表情になる。思わず吐き出された誰何の声に気づいた綾香も、眉を寄せていた。
『そんなことは、今はどうでもいいわ。一つだけ、あなたに教えておきたいことがあったの』
「教えておきたいこと?」
『代々の神官長に受け継がれてきたイコン……こちらにあるエンキドゥは知ってるわよね?』
シャムスは用心もこめて答えなかったが、声は別に返答を期待したわけでもなさそうだった。耳朶の震えるような感覚……その奥で、声は静かに告げた。
『エンキドゥには、あなたの大切な人が乗っているわ』
「大切な人……だと?」
脳裏に浮かんだのは、エンヘドゥだった。シャムスは搭乗員たちが訝しい表情を向けるのも構わず、自分の頭の中だけに聞こえる声と会話した。
「なぜ、そんなことをオレに……?」
『さあ……なぜかしら』
声はとぼけるように言った。怪訝なものから、不思議そうな表情へと変わるシャムスの顔。それを見ているかのように、声は続けた。
『ただ、戦う意味と戦いの戦火は違うっていう、矛盾の生み出した気まぐれなのかもね』
「なにを……」
『急いだほうがいいわよ。あいつもまだ、力を全て取り戻したわけじゃないしね。それじゃ』
声が途切れると、耳朶の震えるような感覚も一緒に消えてしまった。
再び戻ってくる、元の音の世界。シャムスは呆然とした表情で立ち尽くした。
「シャムス……何があった?」
心配そうな声で覗きこんでくる綾香に、シャムスは途切れ途切れながらも頭の中に響いた声について話し始めた。それに聞き入るうちに、綾香の表情も険しくなってゆく。
大切な人――それが、エンヘドゥのことであるのは最早状況的な推測からしても間違いなさそうだった。なぜ彼女がエンキドゥに乗っているのかは分からぬが、声が告げた情報はシャムスの不安を駆るのには十分なものだった。しかし……それを信じていいものかどうか、逡巡する。なにせ、彼女にそのことを告げた声の正体は分からないのだ。
そのときだった。艦橋の扉を開いて飛び込んできたのは、恐らく必死で駆けてきたのであろう鳳明だった。息を切らした彼女にシャムスたちの視線が集中する。遅れて、ロベルダと天樹が入ってきた。
「鳳明……それにロベルダ」
「シャムスさん。エンヘドゥさんが……」
鳳明は、エンヘドゥの動向を追っていたことを告げ、最後の目撃情報についてもシャムスに教えた。
『黒い影』……その言葉を聞いたとき、シャムスだけでなく、その場にいた綾香たちさえも瞳を見開く。不吉な予感は、確信めいたものに変わった。“奴”が、まだ生きていたとでも言うのか……!
思わず、シャムスが動き出した。艦橋を出て行こうとする彼女の背中に、綾香の声がかかる。
「行くのか? 真偽も分からない情報だ。もしかすれば、敵の罠ということもありえるぞ」
冷然な態度であったが、この場合においては、それは冷静な判断でもあった。だが、振り返ったシャムスが言った。
「大丈夫だ」
綾香の瞳を真っ直ぐ見つめている。
「お前たちが……いる。信じられる者がいるんだ。仮にこれが罠であったとしても……お前たちと一緒ならば乗り越えられるはずだ。そう――オレの心が告げている」
綾香はわずかに驚いたよう、唖然とした顔になった。やがて、それが穏やかに唇の線を結ぶ。そうだな、一緒ならば……な。
それに、わざわざシャムスをおびき出すためだけにエンヘドゥを攫うようなことはしまい。罠だとしたら大掛かり過ぎる。いずれにしても、シャムスは兵を率いて先導せねばならぬのだから。
「私も出よう。真偽を確かめる意味でも、直接戦場に出ねばなるまい」
「綾香……!?」
「任せてくれ、シャムス。お前の願いは……お前の積み上げようとする平和と勝利は……私たちが成してみせる。それが……お前を信じ、そして信じられたいと願う私たちの、想いの力だ」
思いの力は理想となる。綾香は少なくともそう信じている。そう信じられるものが、あの時、あの戦いで得られた仲間たちとの絆だ。綾香の言葉に立ち尽くしたシャムスに向けて、搭乗員の中から毅然とした声が発せられた。
「艦内哨戒第一戦闘配備」
それは、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)の声だった。エリシュ・エヌマが起動する前からこの艦に携わってきた娘は、誇りを持って告げた。
「――艦の舵輪(艦の操縦一切)は、私が借り受けるわ。だからシャムス、貴方は顧みず自分の信じる道を行って」
彼女ならば、信じられる。そう思えるものが、シャムスにはあった。
そんなシャムスとの信頼を分かち合うかのよう、ローザマリアは少しばかり悪戯めいた表情を作った。
「……但し、絶対に還って来ると約束して。私に艦長代行は出来ても、このエリシュ・エヌマの主はシャムス、貴方だけなのだから」」
ローザマリアだけではない。彼女のパートナー、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が告げた。
「征くのだ、シャムス。妾らの想いを礎にして……」
他の搭乗員たちも、シャムスに頷いて見せた。任せてくれ、と言うかのように。
シャムスはそれに応じるよう、力強く瞳を開いた。ロベルダに短く告げる。「後は任せた」と。長年ニヌア家に仕えてきた老執事は、いつものように恭しく頭を下げた。
そして彼女は、綾香と鳳明たち――コントラクターとともに、戦いの地に降りるべく格納庫へと向かった。
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