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リアクション
第四章 舞台、荒れる。
その頃、舞台では碧が一人、お城の背景の前に立っていた。
王妃の部屋らしく大道具が並べられた中で、中央の壁にかけられた鏡の後ろには、鏡役の遠野歌菜(とおの・かな)がいる。
「鏡よ鏡、国中で一番美しいのは誰か教えておくれ」
それは何度目かの台詞だ。今まで「王妃様こそこの国で一番美しい」と答えていた歌菜は、今度は別の台詞を読み上げる。
「女王様、あなたはこの国で二番目にお美しい。ですが一番は白雪姫です」
「何ということだ!」
碧は叫んだ。足の怪我のせいで移動は少ないが、充分な声量と演技でそれをカバーする。衣装は赤黒のチェックのロングスカートをクラッシュさせてティアードした、衣装係特注品。衣装のスカート丈は足の動きをごまかすために長くして貰った。
王妃は悩むが、心の中の黒いものはたまっていくばかり。
「狩人、狩人はいるか」
「お呼びでしょうか、王妃様」
続いて舞台に現れたのは桐生円(きりゅう・まどか)である。こちらはまるで海賊のような出で立ちだ。ダンディを決めているが、ホビットのような小柄な体はむしろピーター・パンのよう。背にはライフルを背負っている。
「あの子を森の中へ誘い出しておくれ。そしてあの子を殺して、その証拠に肝臓を持ってくるのだよ」
「仰せの通りにいたしましょう」
だが、森に白雪姫を誘い出した狩人は、もう決して城に帰らないと命乞いをする少女を殺せない。狩人は白雪姫の肝臓の代わりに、猪の肝臓を──。
そう──生の肝臓を。
円が舞台上で差し出したのは、牛の生レバー。
碧は心中で絶句する。本物だ。円の瞳を見る。こちらも本気だ。
「こちらが白雪姫の肝臓でございます」
「そうか、ご苦労であった」
舞台袖で異変に気付いたのは、あづさや他の出演者の面々だ。リハーサルと明らかに碧の動きが違う。
「西園寺先輩……!」
「これを見てください!」
日頃の丁寧な口調を崩して、本郷翔(ほんごう・かける)が小さく叫ぶ。彼も動揺していた。碧こそがあづさをいじめていた真犯人ではないかと目して周囲の警戒に当たっていたからだ。いや、これはいじめと関係ないのかも知れない。が。あづさの触れる小道具に関しては、他の面々も何重にも警戒そていたが、こちらは予想外だ。しかも、役者が何かするとは。
偽物の肝臓として使われる予定の、小道具係が用意した“消え物”のマジパンをアーモンド・プラリネでコーティングした菓子は、そっくりそのまま置いてあったのだ。
「ナイフとフォークを持て」
「ここに」
テーブルに皿を置く円。ゆっくりとナイフの刃先を入れ、碧は台本がそうであるように、ぺろりとそれを平らげた。
「ご苦労だったな。これで私も安心して眠れるであろう」
そして、シーンが終わり、暗転。
碧は口を押さえて舞台袖にゆっくりと戻ってきた。
「先輩、どうしたんですか」
碧にあづさが駆け寄る。翔はパートナーを振り向き、名を呼んだ。
「ソール!」
「予定が狂ったねぇ、いや、当たったのかな。あづさちゃん、彼女を助けたお返しに、俺の色に染まる気はないかい?」
ウインクするソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)に、あづさは涙目で頷き返す。
「先輩を助けてくれるなら何でも……」
「いいから早くしてください」
「はいはい、ったく、五月蠅いヤツ」
ぼやきながら、彼女はうずくまる碧の腹に手を当てて──当然役得だ──“ヒール”と“キュアポイゾン”をかける。堕天使のような物言いのソールだが、これでも一応、守護天使の一員である。
「何が原因かは判んねぇけど、これでひとまず大丈夫だろ」
「ええ、ありがとう。少し楽になったわ。誰か水をちょうだい」
碧はソールに礼を言うと、翔からペットボトルの水を受け取り、飲み干した。口の中はひどく血なまぐさい。
「本当はお手洗いに行きたいところだけど、そんな暇はないわね。……ほら井下さん、もう出番よ」
「行きませんと。演技を成功させはりませんと」
小人役の橘柚子(たちばな・ゆず)が下手に回る前に、背をぽんと叩き、促す。
うなずき、あづさは再び、舞台へと歩いていった。
演技はその後順調に進んだ。森を彷徨う白雪姫は、日が暮れる頃になって小人の家を見付け、中に入る。小人たちは丁度仕事に行ってしまって、誰もいない。
観客は知っている筋の上に一人舞台だ、難易度は高いはずなのに、舞台の上のあづさは見違えるように生き生きと演技をする。
部屋の中央には白いクロスをかけたテーブルと椅子。その上には七組のお皿、プーン、ナイフ、フォーク、カップ。背景には七つのベッド。そのうち一つは大道具係の作成した本物だ。どれも何度も調整したおかげで、観客席からも違和感なく、しかしはっきりと認識できている。
白雪姫は全てのお皿から少しずつ、スープとパンを食べ、コップからお酒を飲み──パン以外は演技で飲む振りだ──、そのままベッドの一つに寝入ってしまう。
照明が更に落とされ夜を演出したとき、七人の小人役の少女達が舞台へ現れた。手に手に、布袋やツルハシ、スコップを持っている。これは凶器にならないよう、発泡スチロール製だ。
彼女らが家の中に入ってランプを付けると、部屋の中がぱっと明るくなる。
「おや、誰だかわしの椅子に腰をかけた者がいるな」
秋月葵が椅子を引きながら訝しげに言う。
「誰かわしの皿のものを少し食べた者がいるな」
山田晃代(やまだ・あきよ)がお皿を覗き込んで言う。
御国桜(みくに・さくら)と白雪命(しらゆき・みこと)が続ける。
「誰かわしのスプーンで飲んだ者がいるな」
「誰かわしのフォークを使った者がいるな」
真崎加奈が、
「誰かわしのフォークで切った者がいるな」
高務野々(たかつかさ・のの)も、
「誰かわしのコップで飲んだ者がいるな」
最後に橘柚子がベッドに近づいて、声を上げる。
「誰かがのベッドに寝ようとしたぞ」
そして柚子の周りに六人が集まって、自分のベッドを確かめて口々に、自分のベッドに誰かが寝た跡があると言い始める。そして柚子が、自分のベッドである本物のベッドに近づくと、その布団が盛り上がってるのに気付き、六人を呼んだ。
「おやおや、この子は何て綺麗なんだろう!」
小人たちがまた口々に言い、そのまま夜が明け、朝がやってくる。
照明担当の風森巽(かぜもり・たつみ)は舞台の上の簀の子で、まぶしさに目を細めながら光量を上げていく。パートナーのティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)にもう一組の照明係・ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)、和泉真奈(いずみ・まな)も、打ち合わせ通りに、小鳥のさえずる声を出す音響と連携して簀の子を渡る。
事前のチェックは万全、突然照明器具が落下したり、断線したりすることもない。ライトの色番号のフィルムだって細工がないか、当日講堂が開いてからはチェック済みだ。
が──明かりになれてきた目が、下を見たとき、どうも背景がたわんでいるように見えた。
演劇の最中もイジメを警戒していた舞台上の桜も、ふと、耳に届く布のこすれるような音に違和感をおぼえた。見回すも、舞台袖には忙しく働くスタッフ達。
何かがおかしい、と思ったとき、背景の布がぶわさっと音を立てて落ちてきた。咄嗟にあづさの手を引っ張って幕の直撃を回避する。
原因は単純だった。イルミンスールからやって来た関貫円(かんぬき・まどか)は、大道具を担当していた。本番中だというのに寝るのが大好きな彼女は例によって眠りこけていた。彼女は目を覚ますと同時にぼんやり眼で、
「ここ……どこだっけ?」
そして、何となく場面転換用のロープを引っ張ってしまったのだ。
小人の家の中なのに、背景は一転お城に。円のパートナーでゆる族・イリコ・マナニカ(いりこ・まなにか)が、混乱に輪をかけた。
いつもなら円の制止役のはずだったが、どうやら舞台を巡るイジメと監視の環境にあてられてしまったらしい。そういった感情に接すると、彼は見境がなくなってしまうのだ。役者でもないのに奇声をあげながら舞台に突進。
それを見計らったかのように、もう一人の円である桐生円も、舞台に飛び込む。
「これは魔女の仕業か……? やはり潜んでおいて正解だったようだな、白雪姫よ。心配だったので私も遠くから見守っていたのだ」
桐生円のパートナー、オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)まで舞台に飛び出した。
「ひと〜つふらちな悪行三昧〜」
「マスターそれちがう!」
「ふた〜つ人の世の……」
「マスターってば〜!」
桐生円の素の突っ込みに、台本外の登場人物達。呆然とするあづさと小人役。
いち早く自分を取り戻した晃代は、舞台前の心がけ通り、自分の役割を果たそうと演技を始める。
「ああっ、家が大変なことに……! 白雪姫、王妃の追っ手はわしらがなんとかするぞ!」
柚子も、四人から距離を取って、
「白雪姫、ここは危険じゃ。お逃げなされ」
と、自分の体を盾にするようにして舞台下手にあづさを引っ張って退場。
残った小人役たちは、人のものとは思えない雄叫びを上げて舞台を駆け回り、引っ込んだと思ったら再び出てきて小道具を蹴散らすイリコを、とりあえず取り押さえようと動く。
舞台を上から見ていた照明係、ミルディアと巽は、予想外の展開につい声を荒げた。
「円って名前の人間にはロクなのがいないわけ!?」
「何やってんだあいつら!」
ミルディアは、巽の顔をまじまじと見る。照明に立候補してからこの方、女装して女として振る舞っていた巽の声が、地声だったからだ。
「……あれ?」
「申し訳ない、実は我は男なんだ……舞台が終わるまでは黙っておいてくれないか」
土下座をする巽に、ティアが慌てた声をかける。
「そんなの後でいいから、照明落とそうよぉ!」
「そ、そうね。真奈も手伝って!」
四人はあわただしく、照明を次々と切った。眼下では物の倒れる音、布が破ける音、叫び声が混じって阿鼻叫喚の有様である。やがて幕が下りて、舞台は一時停止した。
その後すぐに幕は開き、何事もなかったように舞台は再び進行した。
特に、演劇部存続のためにと協力を惜しまなかった野々は、なるべく平静を保って、予定通りの演技をすることを心がけた。白雪姫にいつも嘘をついているが、構って欲しい寂しさからという、オリジナルの個性を混ぜ込んで──いつも嘘をつきたがるのは、自分自身でもあるけれど。
その様子は、混乱前よりも真剣さが増している。イジメだけじゃなく、今回の予想外の舞台の進行に、彼女は腹を立てていた。元々演劇が好きだから、ぶちこわしにする人たちなんて許せない。
そして、その許せない人たちは──二人の円とそのパートナーは、楽屋まで連行されていた。
「もしかして、イジメの犯人っていうのは……」
「どちらにしても放っておけないわね。このまま終幕まで大人しくしていてもらうわよ」
彼女たちは、縄でぐるぐる巻きにされて、監視を付けられることになった。
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