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リアクション
第1章 2020年のはじまりに
真夜中の大気はきりきりと澄み渡り、研ぎ澄まされている。そんな風に感じるのは、今まさに2020年へと年が変わろうとしているからだろうか。
毎日月日は流れ続けている。けれど、大晦日から新年へと年が移るこの時ほど、多くの人々が日付が変わるその時を待ちこがれる時はないだろう。
「到着しましたよ」
自転車の二人乗りでスヴァン・スフィード(すう゛ぁん・すふぃーど)を乗せてきた宮坂 尤(みやさか・ゆう)は、スヴァンを促して参拝の列に並んだ。日本の有名神社ほどではないが、空京神社には多くの人が詰めかけている。
「たまには2人で二年参りというのも良いでしょう」
「ああ。悪くはないな」
こうして2人でゆっくりするのは久しぶり。どちらもいつものように蒼空学園の制服を着ているが、所変われば新鮮な気分がする。
「そう言えば、スフィードと初めて出逢ったのもこんな神社だったっけなぁ?」
迷子になったスヴァンと出逢い、契約をかわした。あの出逢いがなかったら、尤がここにいることもなかっただろう。そんなことを思いながらの尤の呟きに、スヴァンが反論してくる。
「たわけが! こんな大きな神社ではなかったわ。祠みたいな小さなところだったぞ」
「そうでしたっけ……? ああ、順番が来ましたよ」
記憶をたぐる間もなく、2人は神前に手を合わせた。
「……今年もスフィードと仲良く過ごせますように。あ、あとちょっとスフィードが優しくなりますように」
「…………今年こそ、尤が私を置いて何処でも行く癖が落ち着きますように」
どちらの願いも互いに向いて。
おみくじも振る舞いの甘酒も、イベントごとのようで何もかも嬉しい。
「たこ焼きでも食べますか?」
「ちゃんとタコが入っておる処で買うんだぞ」
「はいはい。大きいタコのを探しますよ」
ここならと決めた屋台で、焼きたて熱々のたこ焼きを皿に入れてもらっている処に、
「すげぇいい匂いだー」
トーマ・サイオン(とーま・さいおん)がソースの匂いに引かれてやってきた。
「トーマ、まだ参拝前なんですから、ほどほどにしてくださいね」
そんなに寄り道していると、本殿にたどり着きませんよと御凪 真人(みなぎ・まこと)がトーマの後を追ってくる。
「あ、あけましておめでとうございます。本年も宜しくです」
依頼で一緒した顔だと気づいた尤が新年の挨拶をすると、真人も挨拶を返した。空京にある大きな神社だということで、参拝する学生も多い。
「このたこ焼き食べたらオイラ、面白ければ何でもいいからって、お参りしに行くんだ」
口の周りをソースでべたべたにしているトーマに、隣で待っているセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)が、ティッシュを突きつけた。
「お、ありがとー」
「そのべたべたのソースを晴れ着につけられたら、たまらないっていうだけよ」
セルファの気合いが入った淡いピンクの振り袖を見て、尤は微笑する。
「デート、ですか?」
「ち、ちがうわよ。全然。まったく。そんなこと無いわよ」
ぷいっと顔を背けるセルファと対照的に、普通にコートを羽織った冬服姿の真人はあっさりと答えた。
「いえ、普通に初詣ですよ」
皆で賑やかに新年のお参りをしにきただけだと、真人はトーマとセルファを見やった。トーマが拭き残したソースを、セルファが文句を言いながら拭き取ってやっている。そんな何気ない様子が、妙に嬉しい。
退屈しないくらいに騒がしく、適度に幸せな時間。
大きな幸せは望まない。ただ、この騒がしくも楽しい日常だけで十分に幸せだ。
「今年も楽しくなりそうです」
新年のはじまりに、今ある幸せを思う――。
御堂 緋音(みどう・あかね)とシルヴァーナ・イレイン(しるう゛ぁーな・いれいん)、そしてエルミル・フィッツジェラルド(えるみる・ふぃっつじぇらるど)とシルト・キルヒナー(しると・きるひなー)は、揃って神社に行こうと約束して、空京で待ち合わせた。
先についたのは緋音とシルヴァーナで、ほどなくやってきたエルミルとシルトを迎えるように、新年の挨拶をした。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」
「あけましておめでとう。緋音共々今年もよろしくね」
緋音は極薄いピンクの地に桜柄の振り袖姿。帯は全体を柔らかく締める紫を合わせている。シルヴァーナは、動きやすい方が良いからと、着物ではなくよそゆきの服を着てきた。
挨拶を返すエルミルは、色白の肌によく映る青系の晴れ着を。シルトは明るい淡黄色の晴れ着を纏っていて、4人揃っている様子は新春らしい華やかさだ。
「緋音ちゃんとそろって出かけるのは初めてかもしれませんね〜」
同じ蒼空学園にいても、ゆっくりと一緒に出かけることはあまりない。初詣という行事は一緒に出かける良い機会にもなると、エルミルは嬉しそうに歩き出した。
空京神社が近づくに連れて、人の姿も増えてくる。
参道を進む人の波に小柄な緋音が埋もれてしまいそうになるのを、シルヴァーナが軽く片手を添えて支え、もう片方は手探りに緋音の手をしっかりと握って本殿まで導いた。
賽銭箱の前まで来ると、4人並んで初詣。
「今年はいろんな冒険に参加できますように……。わたくしの背後霊の方、よろしくお願いします」
エルミルは真剣に祈って頭を垂れる。その横でシルトは元気に柏手を打って、
「エルミルちゃんが幸せに過ごせますように!」
と祈った。
後ろで待つ参拝客に場所を譲り、甘酒を振る舞っている場所目指して歩き出しながら、エルミルは緋音とシルヴァーナに尋ねた。
「お2人は何をお祈りしたんですか?」
「緋音が幸せでありますようにと、ね」
シルヴァーナの答えにシルトが、一緒だね、と笑う。
「私は……皆さんと楽しく過ごせますように……と」
「それにしては、随分と長くお祈りしていませんでした?」
「き、気のせいですよ」
4人の中で一番長かったような、と首を傾げるエルミルから逃げるように緋音は足を急がせた。
振舞酒の処には人だかりが出来ていて、甘酒や樽酒が次々に配られている。
「甘酒だ〜。これってあたしも飲んでいいのかな?」
「ええ。シルトちゃんは甘酒の方をどうぞ。わたくしは少々樽酒の方もいただきますね」
「えへへ〜、いただきま〜す。……ん〜、なんだか不思議な味だね」
冬の寒さの中での初詣に、温かい飲み物が嬉しい。じんわりとした温もりが身体に広がってゆく。
身体を暖める程度に甘酒をたしなんで、そろそろおみくじでも、と思いだした頃。
「うふふふふ、緋音ちゃん、きれいに着物を着付けてますね」
妙に楽しげな様子でエルミルが緋音の振り袖のあちこちに触れた。長い袂、合わせた胸元、変わり結びの帯、そしてその帯の下……。
「シルヴァーナが着付けを覚えて、着せてくれた……えっ、えっ、エルミルさんっ? どこを触ってるんですか!」
「あはっ、着付けの仕方を見てるだけですよ。気にしなくていいですから〜」
くすくす笑い続けるエルミルに、シルトがああ……と呟く。
「エルミルちゃん、酔っぱらってくると笑いが止まらなくなるんだよね……」
「ええっ、酔っぱらい……って、きゃあ!」
くるっと回った緋音の袂が翻り、はしゃぐエルミルのふわふわポニーテールが揺れる。
4人の年始めは、挙がる声まで華やかだった。
鳥居を入る前に一揖し、御手洗で身を清める。
羽織袴を身につけ、しっかりと参拝に臨む本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)のすることを、クレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)も見よう見真似でなぞった。
これが正装だからと涼介に教えてもらい、クレアは薄紅色にこぼれんばかりの白梅をあしらった振り袖を纏っている。綺麗だけれど動きの制限される衣装を着て、少しぎこちなく涼介の真似をするクレアは、いつもに増して愛らしい。
「あれが神社?」
参拝の順番を待つ間、クレアは背伸びして本殿を眺めた。
「ああ。ここには伊勢から分社された天照大神が祀られているんだ」
「アマテラスオオミカミ……?」
聞き慣れない名前に首を傾げるクレアに、涼介は言い直す。
「シャンバラ女王、とも言われているらしいな」
パラミタは日本の上空にあることから太陽により近いとされ、そこで天照大神が空京神社の祭神となったという。
また、かつてのシャンバラ王国は女王が統治した国家だ。そのため、日本の女神に興味を持って空京神社を訪れるシャンバラ人も増えてきている。
空京神社の決まり事が地球にある神社よりゆるやかなのは、シャンバラ人を受け入れる為、という理由もあるのだろう。
二拝二拍手一拝で参拝を済ませると、涼介は御神札授与所へ向かった。
「えっと……いらっしゃいませ?」
境内掃除から交代したばかりの秋月 葵(あきづき・あおい)が、疑問系で言いながら傍らのエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)をちらっと見た。
「葵ちゃん、ここでは『ようお参りでした』とご挨拶するんですよ」
「そうなんだ。じゃあ……ようお参りでした」
エレンディラに助けられながらの危なっかしい接客だ。巫女仕事どころか日常生活までエレンディラがいないとままならない葵だけれど、笑顔だけは忘れない。
「願いが叶うといいですね」
にっこり笑顔で授与された絵馬に、涼介は願い事をしたためる。
『己が欲のためではなく、人の笑顔のために力を尽くす』
それは涼介の戒めであり目標だった。
契約者となった自分たちの力は、街を破壊しかねない力を秘めている。だからこそ、その力は私欲のためではなく、人の笑顔を守るために振るいたい。
クレアの絵馬には、
『いつまでも、おにいちゃんと仲良くいられますように』
の文字。パートナーであるからには、死が二人を分かつまでずっと仲良く共にいたい。その願いをこめて。
それぞれの絵馬を奉納し、2人は空京神社を後にしたのだった。
「……凄い人」
参道に並ぶ人々の数に、セルシア・フォートゥナ(せるしあ・ふぉーとぅな)は溜息をついた。時間を外してくればよかったと後悔したけれど、ここまで来てしまったからには出直すのも億劫だ。
はぐれないようにフランボワーズ・アンテリーゼ(ふらんぼわーず・あんてりーぜ)と手を繋ぎ、セルシアは本殿への流れに乗った。
人の多さに辟易しているセルシアと対照的に、フランボワーズはにこにこと嬉しそうに、セルシアと繋いだ手を揺らしている。
「ルーにはね、絶対着物が似合うって思ってたの! すっごく可愛いのー!」
着物には興味がないセルシアに、これ、とフランボワーズが見立てて着せたのは、濃赤を基調に白やピンクの野薔薇が散らされた振り袖。正月らしく帯は淡い金をあわせ、襟元には白のファーショール。
フランボワーズは、淡いピンク地に牡丹の花々をたくさんあしらった子供らしい華やかな振り袖で、こちらもよく似合っている。
人波に運ばれて本殿にたどり着くと、お賽銭を適当に入れて手を合わせる。その段になってから、セルシアは何を願おうかと考えた。
願い事……欲しいもの……。
(……素直さが欲しい。……ウィンの……ような)
素直になれない所為で、嫌われてしまうのが……怖い。
願い終えてふと気づけば、隣でフランボワーズがじっとセルシアを見ていた。セルシアと目が合うと、こっそりと聞いてくる。
「ウィンのことお願いしたの?」
「……違うもん」
素直になりたいと思うのに、願いを言えずに目を逸らす。初詣の御利益があるのなら、少しずつでも自分を変えていけるだろうか。
そんなセルシアに内緒で、フランボワーズは神前に手を合わせる。
(2人が幸せになれますようにー)
自分からは絶対に言えないセルシアと、ウィンの為に。
「あ、壮太あれ見て。りんご飴だって。飴とりんごがいっぺんに食べられるんだよ。すごいねえ」
「おいミミ、イカ焼きもりんご飴も買わねえからな。朝にさんざん餅食ってきただろうが」
ほらほら、と駆け出そうとするミミ・マリー(みみ・まりー)を瀬島 壮太(せじま・そうた)の呆れ声が止めた。残念そうにりんご飴から離れたミミの目は、またすぐに別の物に惹きつけられる。
「あれは何? はじめてみる食べ物だよ。空福餅? あんこがいっぱいー」
「だから屋台のほうに行くなっつってんだろが! 迷子になっても探してやんねーからな」
「ミミちゃん、ここは人が多いから、目を離すとはぐれてしまうわよ」
フリーダ・フォーゲルクロウ(ふりーだ・ふぉーげるくろう)も声を掛けた。はしゃいでいるミミの様子は可愛いけれど、これだけ人が流れているとちょっと油断すればその姿を見失ってしまいそうだ。
「えっ、あ、待ってよー。置いて行かないで!」
列から外れて行きそうだったミミは、髪に挿した蝶の髪飾りを揺らし、慌てて壮太の処に戻った。
壮太は白地に黒の桜が描かれたシャツとジーンズ、その上に濃茶のジャケットを羽織った恰好。ミミは日本の正月風に緑地に桜を散らした振り袖を着ている。壮太に着せてもらったその振り袖が壮太のシャツと同じ桜柄で、お揃い気分のミミは上機嫌だった。
去年の正月は、知らない女性と初詣に行く壮太を見送って留守番、なんて憂き目にあっているだけに、壮太とフリーダと一緒に神社に来られたのが嬉しくて仕方がない。
フリーダは晴れ着を着られない代わりにぴかぴかに磨き上げてもらって、壮太の左手人差し指に収まっていた。壮太と契約を交わすまでは、ショーウィンドウの中から世界を眺めることに慣れていたフリーダにとって、こうして自ら赴いて初詣ができるのは新鮮な体験だった。
それは壮太にとっても同じ。去年の今頃はミミと既に契約は交わしていたけれど、そのときにはパラミタに来ようなんて思っていなかった。地球のものと似ているようで違う神社の佇まいに、自分が違う世界に来ているのだと実感する。なんだか不思議な気分だ。
「ほら、賽銭だ」
「これを入れてお願いをするんだね」
「ああ。で、こいつは姐さんの分な」
壮太はミミに賽銭を渡し、フリーダの分と自分の分の賽銭を続けて入れる。
別世界での不思議な生活……だが、嫌な気分はしない。だから壮太は口には出さずに願い事をする。
(これからもこいつらと一緒にいられるように)
その壮太の指でフリーダは、これからもずっと退屈しませんようにと願う。ミミは両手をしっかり合わせ、
「壮太やフリーダさんが怪我せずに健康でいられますように」
一息で言って、笑顔で壮太を振り仰いだ。
無事参拝を終えて神前を離れれば、振舞酒の前へと人の流れが出来ている。
「甘酒配ってる。あれタダなのかな。……えっと……」
ねだって良いものかどうかと、ミミが壮太をちらっと伺う。
「しゃあねえな。貰ってきてやる」
「わーい、ありがとう!」
初詣に振舞酒におみくじ。今日くらいはそんな定番の行事を楽しんでもいいだろう。
2020年1月1日。
新しい年の始まりの日なのだから――。
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