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■第九章 白砂の遺跡


「っと」
 虎鶫 涼(とらつぐみ・りょう)の足先が、滑って足場の石の縁を削った。
 一瞬、心臓が冷える。
 薄い砂塵が埃のように舞う奈落へと、飛んだ欠片が落下していく。
 その欠片が穴奥のどこぞの壁に当たった音は、随分と経ってから小さく響いた。
(……深いな)
 壁の石縁を捉える指先に、更に力を込める。
 涼が居たのは通路の端だった。
 もともと何でも無い通路だったのだろうが、今は中央の床がすっぽりと抜け落ちて、端っこにわずかな足場を残すのみとなっている。
 中央の天井も抜けており、地上の白砂が止め処なく暗闇の底へと降り落ち続けていた。
 気を取り直すように軽く息を吸う。
 細かな砂混じりの空気を噛んで、涼は再び慎重に壁を這い始めた。
(……穴の側面にも壁が見える。床下にあった砂が流れて抜けたってわけじゃなさそうだな……この縦穴は元から存在していて、かなり深い場所にも階層があるって、ことか?)
「……もっと深い所に下層階が存在するとして」
 ふと思い返して、涼は周囲へと視線を巡らせた。
 この遺跡は石を削りだし、組み上げられたもののようだった。
「この遺跡は下へ下へと《組み上げられている》……? いや、むしろ――」
 刹那。
 ゴロ、と手元の石が崩れ、
「しまッ!?」
 胸の竦む浮遊感。体を捻って振り投げた手が虚空を掴む。
 そして、そのまま涼の体は暗闇へと投げ出され――


 ■


「また、分かれ道……ですか」
 狭い階段から二股に伸びる通路へと慎重に顔を覗かせ、八神 誠一(やがみ・せいいち)は零した。
 指を掛けていた石壁の端がボロリと崩れる。そちらの方を一瞥して、ため息。押し迫るように巨大な一枚岩の天井を見上げる。
「……崩れてこないでしょうね?」
 その岩に言い聞かせるように小さく言って、誠一は再び、通路の奥へと視線を返した。二つの通路は、どちらも同じような形で、同じように闇の先へと伸びている。
「まったく――メンドクサイなぁ」
 とりあえず、さしあたっての危険は無さそうだと判断して。
 上の階で待機しているはずのパートナーの元へ戻るべく、誠一は階段の昇る方へと振り返った――ところで、のしっとオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)の足に顔面を踏まれた。
「あの……」
「遅いのだよ」
「慎重なんです」
 よいせ、とオフィーリアの足を退かして、誠一は小さく息を付きながらオフィーリアを見た。
 彼女が急な階段の上に立っているから見上げる形になる。
「メンドクサイ、という台詞。聞こえていたのだよ」
「あー……ええと、本当にこんな所にクラリナは居るのでしょうか?」
 誠一は誤魔化すように問いかけながら通路の方へと出た。
 どちらへ進むかは、おそらく考えても無駄なので、適当に選んだ方へと進む。
 鼻を鳴らしたオフィーリアが続く。
「ニュースを見た限り、ジョゼのそばにクラリナは居なかった。この辺りは砂漠が広がっていて、人間一人を匿っておける場所など、そうは無い。となれば、この遺跡が怪しいのだよ――もし、ここに監禁されているのであれば、早く助け出し、ニコロの元へ届けてやらなければ可哀相なのだよ」
 誠一は「なるほど」と気の無い相槌を返しながら、後ろを歩むオフィーリアをちらりと見た。
 どうも、恋人と離れ離れにされたクラリナに感情移入しているらしい。
「……自分自身に恋人いないのに」
 小さく小さく呟いてしまう。
「何か言ったかな?」
 片方の眉端をぴきんっと揺らしたオフィーリアの顔が近づく。
「あ、いえ……と――リアはここで待っていてください」
 見え始めた通路の曲がり角。
 奥から、ザリ、と音が聞こえる。
 誠一は剣を抜いて、呼吸を整えた。


 ■


 半円を描く。
 出雲 阿国(いずもの・おくに)の足先が床を蹴り、しなやかに振り出された剣がシュタルの甲殻を柔らかく滑り、高く澄んだ音を擦り出す。
 その切っ先が間接に滑り込む、と同時に阿国が着地。寸間の一拍で、打って返すように体を逆に回転させながら切っ先に引っ掛けたシュタルをヒゥッと跳ね上げる。
 半拍で打つ、志位 大地(しい・だいち)の足音。ヒロイックアサルトで強化されている大地の体が阿国と一つの円を描くように踏み込む。
 刀先が閃く。
 シュタルの体が床に落ち、シィン、と大地と阿国の刃は鞘に収められた。
「お疲れ様です」
「ハッ、こんなもんかいのぅ」
 阿国が乱れた髪先を払いつつ、笑い……
「お待たせいたしましたわ」
 振り返って、微笑んだ。
 パチパチと拍手しながら、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、ほぅと息を吐いた。
「まるで、舞いを見せられたみたいだったわ」
「後で本物を披露する予定です」
 あはは、と笑いながら大地は端に置いておいた荷物を持ち上げた。
「皆さまー」
 後方からロザリィヌ・フォン・メルローゼ(ろざりぃぬ・ふぉんめるろーぜ)セリエ・パウエル(せりえ・ぱうえる)とが駆けて来る。
「あちらの方から下へ降りれそうですよ。崩れかかってて、少し狭くなってましたけど」
 セリエの背には風呂敷に包まれた大荷物がわさわさと揺れていた。


 ■
 

「例えば、地球にある遺跡ってね、当時の社会状況とか起きた事件が壁画とかレリーフに残されてたりすることが多いんだよね」
 久世 沙幸(くぜ・さゆき)は、んーっと片目を瞑って扉の鍵穴を覗きながら続けた。
「……あと、文献とか」
 ライトを口に加え、手元を照らしながら手に馴染んだ道具を鍵穴に差し込む。
 隣へ藍玉 美海(あいだま・みうみ)がしゃがみ込んだのを気配で感じる。
「過去に似たような事件が起きていれば、この遺跡に何らかの形で記録されているかもしれない……ということですの?」
「うん、ひょうひゅうひょひゃひゃへは――」
 美海の手が口元のライトを取って、沙幸は少し頬を赤らめながら言い直す。美海に照らしてもらった手元は止めぬまま。
「そういうのがあれば……今回の事件を解決する何かヒントになるんじゃないかな、って」
「随分と古い遺跡ですし、残っているかしら?」
 と言った美海の声が尋常じゃなく近い。
 びくんっと肩を震わせて視線を向ければ、
「ひゃあっ!?」
 美海の顔がものすごーく近くにあった。
「ちちちちち近いよ! 美海ねーさま!」
「ふと気づいたのですけど」
「な、何に……?」
「二人きり、ですわね」
「え……」
「ここならどんな大声を出そうとも助けは――」
 美海の口元が妖しげに線を描き、沙幸の耳元へと滑り、軽く触れる。
「みみみみみみ美海ねーさま!?」
「冗談ですわ」
 くす、と笑って美海が沙幸の額を指先で軽く突いた。
「へ?」
 顔を真っ赤にした沙幸がとんっと尻餅をついて、カチリ、と扉の鍵が開く。


 ■


 ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)は、なにやら壁の一部を弄くっているエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)の背中を見た。
 二人は今回の事件の原因を調べ、可能なら対処するために、遺跡を訪れていた。
 そして、今は、そこで見つけた部屋の中。
 ロートラウトは、小さく息をついて、
「暴れだしたのって、機晶姫だったんだよね?」
「ああ。 ――っと、ここか」
 何か見つけたらしい。
 ロートラウトは作業だか調査だかに夢中なエヴァルトの後頭部を眺めながら小首を傾げた。
「ボクまで暴走したりしないかなぁ?」
「テレビでは結婚がどうとか言ってたし、痴情のもつれがあるとヤバいのかもしれないな。あとは『楽しい』って感情が精霊を鎮めるとかなんとかって聞いたが……」
「なら大丈夫、かな? ……ねえねえ、さっきから何やってるの?」
「お宝の匂いが――」
 ちょうど、エヴァルトが壁の石を一つ、ズズゥッと引き抜いた。
 ゴロゴロと壁の向こうで仕掛けの動く音がして、部屋の壁の一部が薄い砂埃を上げながら床へ沈んでいく。
「な?」
「おおー! すごーい! ……でもこれが、お宝?」
 壁の向こうに現れたのは小さな空間で、真ん中には赤い音叉らしきものが置かれていた。
「……さあ?」
 エヴァルトがそばに寄って、罠の有無を確認してから、その音叉を持ち上げた。エヴァルトの掌二つ分ほどの大きさで、材質は、おそらく赤銅か何か。
「特別な物には見えないな……」
 それをエヴァルトが明かりに翳し見ようとする向こう、彼らが部屋に入ってきた入り口の方でカサカサと音がした。
 エヴァルトとロートラウトが同時に視線を巡らせ、
「――げ」
 エヴァルトが嫌そうな声を漏らす。
 二体のシュタルが壁を這って、部屋に侵入してきていた。