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リアクション
第一章 試合前の朝
この日、タシガンのある地域、薔薇の学舎周辺は、初夏らしい晴天に恵まれた。
普段は霧に包まれたこの魔都も、青年たちによる戦いの日だけは陽光を降り注がせたようであった。
ルシェール・ユキト・リノイエは晴れた空を見上げた。
今日は大好きな友人、泉 椿(いずみ・つばき)に会える。
薔薇の学舎に女性の立ち入りは禁止されているため、例え友人であろうとも、入ることはできない。それが、今日の対抗試合のため、校舎から一番遠い運動場だけは入ることが許されるのだ。
校舎を案内できないのが残念に思えたが、会えるだけマシだとも思う。
いつもは会えないのだから。
そう思うと、ルシェールは笑顔になった。
電話やメールだけじゃ、時々、言いようのない寂しさに襲われることがある。
パートナーのいない両親や祖母は、空京までしか来ることができないし、ずっと一緒にはいられない。そうなると、余計に寂しくなるのだ。
パラミタで出会ったパートナー、ソルヴェーグ・ヤルル・ヴュイヤールはず一緒にいてくれるし、自分も一緒にいると約束したけれど、何故か胸が痛い。優しげな微笑に謎を包んで、ソルヴェーグはルシェールを見つめるから、いつも、なにもわからない。
こんなやるせない思いは、閉じ込めておくに限る。
ルシェールはそんな思いを振り切った。
皆が来るから。今日は、きっと楽しい試合だから。
今日は会えるんだから……
「椿ちゃぁ〜〜ん!」
ルシェールは椿に抱きついた。
「おーっす、ルシェール……って、どうした?」
とか言いつつ、椿はしっかりと抱き返した。
「えへへ♪ なんでもない〜」
それでもルシェールは小さな頭をぐりぐりと椿に押し付けた。白くて長い三つ編みが揺れる。ぺったりくっついて甘えた。
「わぁ、今日はアリス服なんだ」
「ま、まあな。おしゃれしないと……薔薇学には似合わないだろ」
椿は少し照れた。
「すっごく可愛いよ。アリス服って、いいよね。すごくいいね!」
ルシェールが笑った。
また椿に抱きつく。
椿は仲良くなったルシェールの成長が気になって観戦にやって来たのだが、こう甘えてくると本当に大丈夫なのかなと思わないでもなかった。
取り敢えずは元気そうだ。怪我とか無さそうだし、虐められてる様子もないし。杞憂かもしれない。
まだ小さいんだから、不安とか、そういう気持ちみたいのはあるかもしれないし。
今日はいっぱい応援しようと椿は思った。
「ルシェール。おまえ、大丈夫かよ。ちゃんと、やっていけてるか?」
「なぁに、椿ちゃん? ご飯はちゃんと食べてるよぅ」
「だーっ! そういうんじゃなくってさ、会えないと、色々と心配になるんだよな」
「そお?」
「だって、小さいじゃん」
「椿ちゃん、俺より小さいよぅ? 5センチぐらいかなぁ」
「こら! そうじゃなくってさ。おまえ、11歳だろ。小さいじゃんか」
「俺、もうすぐ12歳だもん」
「そうなのか? 知らなかった」
「うん。俺、電話で言ってなかったよ」
ルシェールは顔を上げていった。
いつもの笑顔だと椿は思った。
ずっと今まで一緒にいたわけじゃないけれど、「いつもの」と言える笑顔だったように感じた。
(大丈夫だよな)
そう思うことにした。
「じゃあ、着替えてくるね」
ルシェールはそう言って、ロッカールームに向かう。
椿はイケメンをチェックすべく、携帯で写真を撮り始めた。
しばらくして、ロッカールームから、
「何でぇぇぇぇ〜〜〜〜〜!」
という、ルシェールの声が聞こえてきた。
あまりの大きな声に、椿は驚いてドアの方を見た。
「な、何だぁ?」
中の方では、きゃーきゃーという、どう聞いてもルシェールの悲鳴、というか、声が聞こえてきていた。ついでに、ドタドタという物音も聞こえる。
そして、ドアが開き、ルシェールが出てきた。
「椿ちゃぁん……」
「うっ!?」
「ふぇぇ〜ん」
「ル、ルシェール……それ、ユニフォームか?」
「言わないでぇ、恥ずかしいから」
「ふんどし」
「うん」
「ヘッドギア……も?」
「うん」
ルシェールに褌は似合わないわけではなかった。……が、金太郎の置物みたいで、変だ。似合うというか、似合わないというか。椿はとにかく困った。
痩せて小さい体の前に、プラ〜ンと前掛けのように布が垂れている。後ろは桃尻を強調するTバック。一本の三つ編みにした頭には、防護用のヘッドギア。顔が可愛いだけにシュールだ。
(まともに見られねえ……とはいえ、見ないのも勿体無いしなあ)
「ふぅん。ふ、ふふふ……そうかぁ」
「笑ってもいいよ?」
「あー、いや。ちょっと恥ずかしいだけだしさぁ」
「そお? もう! こんなの選んで、サラ・リリの馬鹿ぁ!」
「とりあえず写真な」
片目をつぶって椿は写真を撮った。
「大丈夫。他のヤツも撮るからさ。記念撮影だぜ」
「うん」
「ルシェールのために、頑張って応援するからさ」
「ホント? じゃぁ、頑張る」
他の人間も撮ると言われ、溜飲が下がったのか、ルシェールは拗ねるのをやめる。
そこにヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)とシグノー イグゼーベン(しぐのー・いぐぜーべん)がやって来た。
「ルシェール、久しぶりだな。元気だったか?」
「うん。ライオンおにーさんだぁ! わーい♪」
再び会えたことを喜び、ルシェールは抱きつく。
すでに着替えていたヴァルは、褌一丁の姿だ。
帝王と自称するに相応しい、雄々しき姿だった。スカーフェイスも褌の勇ましい感じに似合っている。
(こっちも褌……)
真っ赤になりながらも、椿はしっかりとヴァルの褌姿を写メに収めた。
「この人は?」
ルシェールはシグノーを見て言う。
シグノーは軽く挨拶した。
「どもッス」
「おはようございます。今日はよろしくおねがいします♪」
ルシェールは丁寧に挨拶した。
「ずいぶん丁寧な坊ちゃんッスね」
「ここはエリート校だからな。挨拶も一流であらねばな。立派な挨拶だったぞ、ルシェール」
「はぁい。ねーねー、ライオンおにいさんはご飯食べてきた?」
「今日は試合だからな。スタミナのあるものを食べてきたぞ」
ヴァルは腰に手を当てて言った。
「何食べたの?」
「ステーキだ」
「わぁ、朝から? 俺なんか、緊張して食べてない……」
「シグノーもビックリしたッスよ〜」
「そのようでは勝負事に勝てないぞ? 男はな、勝負事に負けてはならんのだ」
「うーん。もう時間ないし」
「次はしっかり食べろよ」
「うん」
ルシェールが頷いた。
ふと、瞳の端に見知った人の顔を発見して顔を上げる。
丁度、着替えて運動場に入ってきたラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)だった。既に着替えている。
「うっし! いい天気だな! 絶好の運動日和だ……よう、迷子。元気か?」
「あ、この前の人だぁ。ラルクさん、探してくれてありがとうございました」
ルシェールはぺこりと頭を下げた。
「気にするな。暴れられたしよ……、ぉ?」
「おおう……ここは我の天国かッ!」
いきなり、ラルクの連れ、秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)は言った。
吃驚して、ルシェールは答えた。
「へ? 天国なの? 俺の好きなお花とか、いっぱい咲いてるけど……誰も死んでないよ」
「違うぜぃ。我は、今すっげー感動してる!」
「そ、そうなの?」
「うおぅ!! なんかガタイがいいやつがいるじゃねぇかぃ! 我のハーレムじゃねぇかぃ!!」
「はーれむ? ライオンおにいさん、それってなあに?」
「ハーレムか? それは王者が得られる権利の一部とも言えるか……うーむ」
「おっしゃあ! 萌えて……いや、燃えてきたぜぃ!」
『闘神の書』は褌姿の男たちに感動していた。
着替えて出てきた赤城 長門(あかぎ・ながと)ら、マッチョ集団を見つめ、『闘神の書』はガッツポーズをする。
鍛え抜かれた漢の体がぶつかり合い、筋肉が躍動する。考えただけで、ゾクゾクしてきそうだ。下半身に力が篭る。
すると、長髪を風になびかせ、サラディハール・メトセラ=リリエンスール教諭がこちらにやってきた。
今日はごく薄いミントグリーン色に髪を染めているようだ。前に見たときとは違う。
「久しぶりですね、ラルク」
サラディハールは嫣然と微笑んだ。
親しき者にだけ見せる、極上の笑み。
前回のことを考えるに、今日も誘われるのだろうか。
ラルクは暫し考えた。
ここは予防線を張っておくべきかもしれない。
サラ・リリは、エリート校である薔薇の学舎の教諭。吸血鬼としての能力も低くはないはずだ。
毒牙にかかるのは、ちと困る。
「すまんなー、サラ・リリ。おっさん恋人がいるんだわ」
「はぁ?」
いきなり言われて、サラディハールは目を瞬いた。
呆気に撮られる教諭の表情(かお)を見るのは、ラルクは初めてだった。
ラルクの言葉に『闘神の書』は反応し、二人の間に割って入る。
「ラルクにはなぁ、砕音がいるんだぜぃ」
鍛え抜かれた者を見て少し興奮していた者とは思えぬ、真剣な表情だ。『闘神の書』の瞳には、ラルクを思う気持ちが見てとれる。
サラディハールは父親のようだと思った。
「今更、何を言い出すかと思えば……」
肩をすくめ、二人に微笑んだ。
そこへ様子を伺っていた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)がやって来ると、サラディハールの腕を引っ張り、ラルクから離れさせようとする。
「ちょっと来て!」
「何ですか。どうしたんです、いったい?」
「砕音先生がいるからダメ」
「はあ? 何をやぶから棒に」
サラディハールは美羽を見た。
彼女も真剣だ。
小さな体で、ラルクを守るように目一杯背伸びをしている。そんな感じがした。
サラディハールは苦笑した。
ラルクはこれほど皆に愛されている。そのことが微笑ましい。
サラディハールは美羽を見つめ返した。
「心配ないですよ。私はね、脈のない者に手を出す気はないんです」
「本当?」
「えぇ、もちろん」
サラディハールは頷いた。
先日の誘いが発展しなかった段階で、サラディハールは脈無しと判断していたのだ。
サラディハールは美羽に心配ないと続けた。
ただし、これからはじまる漢たちの褌姿は楽しむのであるが。
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