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今日は、雨日和。

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今日は、雨日和。
今日は、雨日和。 今日は、雨日和。

リアクション

 
 
 
 下宿屋【しゅねゑしゅてるん】 
 
 
 灰色の雲から細い雨が落ちてくる。
 外に立つ木々が雨の紗ごしにぼんやりと見える。
「雨の日に出かけんのも嫌いじゃねーけど、こう続くと家に閉じこもる日もできちまうよなぁ……」
 それでもたまには家でのんびりと過ごすのも良いかも知れない。
 下宿屋【しゅねゑしゅてるん】の2階の自室から雨を眺めつつ椎堂 紗月(しどう・さつき)がそう呟くと。
「のんびりって……紗月、普段勉強とかほとんどしないんだから、こういう時にちゃんとしないと駄目だよ」
 即座に有栖川 凪沙(ありすがわ・なぎさ)に否定された。
「勉強?」
 思ってもみなかった単語に、紗月は面食らう。
「なんで勉強なんて……まぁ、たしかに成績はあんまよくねーけどさ」
「分かってるならちゃんと勉強するの。紗月だって留年なんてしたくないよね?」
「そりゃあそうだけどさ……」
 そう答えながら紗月はちらりと凪沙を窺う。出来れば勉強より、もっと興味を持てることがしたいのだけれど……。
「たしかに、雨の日だからってのんびりしたり、雨の日だから出かけたりするのもあっていいけど……でも今日は勉強! わかった?」
 凪沙の態度はきっぱりとしていて、これは逃げられないと紗月は観念した。
「ったくわかったよ、勉強するって」
 しぶしぶ教科書を広げると、凪沙が横に椅子を持ってきて座る。
「分からないとこあったらみてあげるからね」
「妹に勉強みてもらうってのも情けねー話だよな」
 そうは言っても、実際凪沙の方が勉強ができるのだから仕方がない。
 凪沙に教えてもらいながら、紗月は勉強に取り組んだ。
 紙に走らせる筆記具の音、教科書のページをめくる音。
 それに混ざって雨の音……。
「紗月、手が止まってるよ」
「ん、ああ……。けどさ、雨の日って窓の外の雨をぼんやり眺めるのも悪くなくね? 勉強もするけどさ、たまにはぼんやりとするのもいいもんだよなぁ……」
 晴れの日にはない静けさが雨の日にはある。
「たしかに雨をぼんやり眺めるのもいいと思うけどさ……でもだぁめ。今は勉強頑張るよ」
「はいはい」
 なんとか勉強時間を減らそうとしてみたけれど、凪沙はそれほど甘くない。
「まったく…………すぐサボろうとするんだから。はい、次はこの問題やってみて」
 でも、そんな一生懸命さも紗月を思ってのこと。
「げ、これ難しくねーか?」
 出された問題にたじろぎながらも、紗月は心の中で凪沙に感謝して真面目に勉強に向き合うのだった。
 
 
 同じく下宿屋【しゅねゑしゅてるん】2階の部屋では、赤羽 美央(あかばね・みお)がぼんやりと窓の外を眺めていた。
 窓から見えるのはザンスカールの森の木々。
 晴れの日に聞こえる小鳥や虫たちの鳴き声は聞こえない。
 代わりに聞こえるのは雨音。
 それに下宿屋で暮らす皆の立てる物音……お皿を洗う音、誰かが歩く音、みんなの話し声が重なって、優しい『日常』という名の音になる。
(思い出すなぁ……昔のこと……)
 美央の本当の家族は皆いなくなってしまったけれど……仲良く暮らしていた頃には、家の中にはずっとこんな音が満ちていた。
 懐かしいような寂しいような……在りし日の記憶。
 二度とは戻らないあの日々……。
 
 そうしてぼんやりと物思いに耽っている美央と、その隣でいかにも退屈そうにしているエルム・チノミシル(えるむ・ちのみしる)を、タニア・レッドウィング(たにあ・れっどうぃんぐ)は微笑ましく見やった。
 いつもは外に行って、木の実とか虫を捕まえてきて、おまけに泥だらけになって帰ってくる2人だけれど、さすがに雨の日はまったりしている。晴れの日の為に元気をため込んででもいるのだろうか。
 2人のそんな姿をもうしばらく眺めていたかったけれど、そろそろ皆のご飯を作らなければならない頃合いだ。
 精霊のタニアはもともと料理なんて全くしなかったけれど、美央は料理がからっきし駄目ときている。見かねて美央の当番の時にも作っているうちに、料理をするのはそれなりに面白いものだと知った。
「それじゃ、私は料理を作りに行ってくるわね」
 仲良くしててね、と声をかけてタニアは部屋を出た。炊事場は1階の食堂の横。とんとんと軽やかな音を立て、タニアは階段を下りていった。
 
 部屋を出て行くタニアを、美味しいもの作ってねと見送ると、エルムは美央の背中を眺めた。
 ただでさえ雨の日には外に連れて行ってもらえなくてつまらないのに、美央もぼーっとしていて構ってくれない。
「ひーまーだーよー! みお姉ー、何かして遊んでー! ねーってば!」
 そう訴えても聞こえていない様子なので、美央の髪の毛をぐいぐい引っ張ってみる。
「おーいおーい! みお姉ー、聞こえてるー?」
 と、美央の首は引っ張られるままにかくんと傾いた。
 あれ? なんかおとなしい……。
(よーし!)
 これなら少々のことをしても怒られなさそうだと、エルムは美央に飛びついてみた。そのままよじよじと背中をよじ登ってみる。
「うんしょっ、と」
 さすがに頭に手をかけると、美央はエルムを振り落とした。
「むー、エルムだめじゃないですか!」
「えへへー、みお姉、こっちこっちー!」
「もう……こらー!」
 ばったんばったん、がったんがったん。
 下宿屋の中での鬼ごっこは、管理人さんに怒られるまで続いた。
 
「エルムが騒ぐから怒られてしまったじゃないですか」
「みお姉がばたばた足音立てるからだよー」
 言い返すエルムに、美央はつい笑ってしまう。
 もともと美央には弟も兄もいなかったけれど、エルムは弟のようになついてくれ、同じ下宿に住んでいる紗月は兄になってくれている。2人とも美央にとって、大好きで大切な存在だ。
「タニアのご飯ができるまで、紗月お兄ちゃんの部屋に遊びに行ってみましょうか」
 そう誘ってみると、エルムは即座に肯いた。
「うんっ! 行こ行こ!」
 
 今日は雨。
 だから……この場所で羽を休めよう。大好きな人のいる場所で。
 
 
 
 それぞれの休日 
 
 
 雨の日は普段より時間がゆっくりと流れる気がする。
 晴れていればやらねばならぬこと、やりたいことに追われがちだが、雨の日には出来ることが限られている分、自分のペースで進んでいける。
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)はセーフハウスの地下室にこもり、普段から少しずつ手をかけているボート造りを粛々と進めていた。
 しゅっ、と音を立てて、台鉋で木材を削る。
 ただそれを繰り返すだけの地道な作業だ。
 削られた木材が鉋から吐き出され、薄く襞をたたんで重なってゆく。
 そうしてローザマリアがボート造りに取り組んでいる間、上杉 菊(うえすぎ・きく)はバンドの自主練習を行っていた。
 といっても、菊の練習風景は普通にバンドの練習、と言われて思い浮かべるのとは一風違う。
 身につけているのは小袖に打ち掛け、という衣装。
 キーボードは脚を立てずに琴であるかのように床に直接置き、ゆったりと演奏する。
 傍から見ると実にシュールな光景であるのだが、菊本人は落ち着いて演奏できるこの体勢がとても気に入っている。だから周囲からどう見えようと全く気にせず、マイペースに練習を続けていた。
 そんな2人の様子を見比べて、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)はキッチンに入った。2人とも作業に没頭しているようだから、今日の昼食は自分が作るとしよう。
 まずはジャガイモを細長く切って水につけておく。作るものは決まっているから、グロリアーナの手に迷いはない。
 続いて見事な大きさのタラを、大雑把にさばいて3枚におろした。
 ミートパイをオーブンに入れて焼き、それとタイミングをあわせて、おろしたタラと水気をきったジャガイモを、油を熱した鍋へと投入する。
 タラとジャガイモを揚げる音が、雨音を圧してキッチンに響く……。
 
「コーヒーでも、飲まない?」
 不意に背後から聞こえた声に、練習に集中していた菊は一瞬肩をぴくりと震わせた。
 ローザマリアはこうして、いつの間にか音も無く人の背後に忍び寄っていることがある。斥候部隊にいた時に身につけたのだと言うけれど、される方はかなり驚く。
 けれどその驚きは表面に出さず、菊は穏やかな口調のまま微笑んだ。
「まあ。御方様、いらしたのですね。はい、わたくしで宜しければ喜んで」
 カフェイン中毒1歩手前と自認するだけあって、ローザマリアの淹れるコーヒーは美味しい。
 2人は差し向かいに座り、ひとときのコーヒータイムを楽しんだ。
 コーヒーカップを傾けながら、ローザマリアは地下室の天井近く、地表ギリギリの場所に設けられた窓を見上げた。窓に降りかかる雨を眺めていると、少年兵として訓練されたことや特殊部隊時代の従軍経験が思い出される……。
 つられたように菊も窓を見上げた……そこに。
「2人とも作業は一区切りついたのか? ちょうど良かった。昼食が出来た処だ」
 グロリアーナが料理を運んできた。
 メニューはイギリスの伝統料理、フィッシュアンドチップスと、ミートパイ。イギリスには美食文化は存在しなかった、と言われるけれど、とグロリアーナは見事に焼けたミートパイを切り分けながら言う。
「確かに……イングランドにはそうした文化は根付かなかったが、それでも妾はこれらを食して、スペインの無敵艦隊すらをも破ったのだ。イングランドのレシピは舌で感じるものではない、魂で感じるもの故な」
「そう言われると食べるのが怖いですけれど……」
 菊はそう言いながらもパイを口に運び、美味しいですと微笑んだ。
 
 まったく違った境遇で生きてきた3人が、ダイニングテーブルを囲んで談笑する。
 窓を叩く雨の音をBGMにしながら。
 
 
 
 伝い落ちる雨に 
 
 
 少し出てくる。
 そう言って樹月 刀真(きづき・とうま)が出て行ってから、どれくらい経ったのか。
「刀真……?」
 いつまでも戻って来ない刀真を心配し、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)は傘をさして外に出た。
 どんよりと暗い空。
 止め処なく落ちる雨の中に、ぼんやりと黒く、刀真が佇んでいる。雨に罰してもらいたがってでもいるかのように。
 
 降りかかる雨が刀真の全身を濡らし、髪を伝い、腕を伝い、流れてゆく。
 すべてを洗い流す雨は、どうして心の中にまでは降ってくれないのだろう。
 
 ――幼少の頃、刀真は『何か』に襲われ、それを庇った父母は殺された。
 自分を守ろうと覆い被さった両親が、ゆっくりと屍に変わってゆく……。その様を己の身で感じ続けるうちに、樹月刀真の己でも気づかぬ心の奥底で、最愛の両親はただのモノと成り果てた。
(それ以降……俺にとって人間と物は同義になった)
 引き取られた施設には優しい人々がいた。
 ……けれど、優しさを注がれ情操が健やかに育っていっても、それだけは変わることがなかった。
 他人はまるで人形の様にしか感じられず、そんな己に嫌悪感を抱くと共に、これから先もこうなのかと恐怖も抱いた。
 孤独が他者にしか埋められないものならば……他人を人間として感じられない自分は、この先ずっと孤独だろう。
 どうしてこうなってしまったのか。
 その解を刀真は、過去両親を守れなかった自分、に求めた。
 もっと強ければ両親を護れた。そうすれば自分の上で冷えてゆく両親を感じることもなかっただろう、と。両親の仇として存在を否定する為に……刀真は力を求めた。
 力を求めて進む中、目の前の誰を殺しても、置物を叩き壊す様な気分にしかならなかった。親しい人が死んでも、お気に入りの玩具が壊れた様な感慨しか浮かばない。
 それを当たり前に受け取る自分がいて。
 同時に、それから苦しみを感じる自分がいて。
 いつしか、苦しみを感じなくする為に、今までに得た力を使って人を殺す自分がいた。
 護りたい人がいなくなると苦しい。
 ……だから敵とした人を置物を壊す様に殺し、何も感じない他人を見捨てる。
 それを……仕方ないと…………受け入れてしまった。
 
 ずぶ濡れで立ち尽くしている刀真に月夜はゆっくりと近づいていった。
 敵だと思う人には老若男女全てに無慈悲な刀真。
 けれど、身内と思った人や助けたいと思った人にはとても優しいことを、月夜は知っている。
 自分が勝手に刀真の財布で本を買ったり、内緒でギンガムチェックのミニワンピースで売り子をさせたりしても、何だかんだで最後には受け入れてくれる。そうだと知っているからこそ、月夜も我が侭を言って甘えられるのだ。
 自分を人形を見るような目で見る刀真の瞳から涙が流れるように雨が伝い落ちている。その刀真に月夜は傘を差し掛けた。
「私は刀真のものだからずっと傍にいるよ」
 雨が降り続く時も。太陽が輝く時も。いつまでもずっと傍に。
 ……それは何かの誓いにとてもよく似ている――そう、永遠を約束する誓いに。