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第二章 二匹目の黒猪 

「ううう……こ、怖くなんかないぞ。怖くなんて……」
 仄昏き森の奥の更にその奥。ゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は、茂みの中でガタガタと震えていた。
 彼の目的は二つ。黒毛猪が現れたら、仲間達が作っている巨大罠まで囮になって誘導すること。猪の毛皮まで被り、自身を偽装。準備は万端だ。
 そして、もう一つの目的は――仲間たちに自分の勇敢さを示すことだった。内心では、黒毛猪の説明を聞いている時点で怖くて仕方がなかったのだが……そんな自分を奮い立たせて、危険な役を引き受けたのだった。
 だが……実際は――
「う、うわっ!? ちゃ、着信!?」
 携帯電話のバイブ音にすら、驚いてしまう始末だった。
「も、もしもし……?」
『む? どうした、おぬし何を焦っておるのだ?』
「な、なんだ……幻舟ですか。何の用です?」
 電話の主が、パートナーの天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)だと知り、思いっきり安堵の息を漏らすフリンガー。
 しかし、どうやら安心している場合ではないようだ。
『まずいぞ、フリンガー……』
「え?」
『今、上空から黒毛猪を探していたのだが……どうやら、そっちに向かっているようじゃ』
「えぇええええ!?」
 ゴットリープは、思わず握っていた携帯を落としそうになってしまった。
『とりあえず、私も今からそっちに向かう。黒毛猪が現れたとしても、焦ってしくじるでないぞ!』
「あ、ちょっ――」
 幻舟は、ゴットリープが止める間もなく通話を切ってしまった。
 そして――
「うっ!? こ、この音はもしかして……」
 ふと、耳を澄ますと――

 ドドドドドドドドドド!! ブォオオオオオオオオ!!

「き……来たっ!」
 地響きと巨大な獣の咆哮が、こちらに向かって近づいてきている。
 そして、その足音はゴットリープが身を潜めている茂みの近くで急に立ち止まった。
「まさか……気づかれた?」
 ゴットリープの耳には、フゴフゴといった黒毛猪の鼻息が聞こえくるのと同時に、出発前に大和田から聞いた話しが脳裏によぎっていた。
『いいか? 猪の嗅覚は、実は犬並みに良いんだ。下手なカモフラージュはすぐに見破られてしまうから気をつけてくれ』
 背中に、嫌な汗が流れ始めた。
 いや……それでも今は――やるしかない。囮を引き受けた以上、勇気を見せなきゃいけない!
「う、うぁあああああ!!」
 なけなしの勇気を振り絞り、ゴットリープはついに黒毛猪の前へと躍り出た。

 一方そのころ――
「よしっ。このぐらい掘れば大丈夫でしょう」
「そうだね。黒毛猪の体型を考えれば、これで充分なはずだよ!」
 森のやや開けた場所でマーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)と、ゴットリープ・フリンガーのパートナーである綾小路 麗夢(あやのこうじ・れむ)が、黒毛猪狩りのための罠設置に勤しんでいた。
 彼らが担当する作業は、罠の第一工程。幅10メートル×長さ100メートル×深さ1メートルの巨大な溝を掘る作業だ。
「でも、クロッシュナー。この罠、本当に成功するの? いくらなんでも大掛かりすぎない?」
「…………」
 クロッシュナーは、黙したまま辺りを見回す。
 彼らが掘った溝の先では、パートナーの本能寺 飛鳥(ほんのうじ・あすか)が何本もの巨大な鉄骨を加工して、鉄の巨槍を作りあげようと作業していた。
 更にそれと平行して、その隣ではパートナーのアム・ブランド(あむ・ぶらんど)が、クロッシュナーたちの掘った溝に氷術を上手く利用して川の水を流し込んでいた。
「おそらく……この調子だと、あと三十分もあれば罠は完成するでしょう」
 この大掛かりな罠の特性上、早い段階から作業に取り組んできたのだが……どうしても完成まで時間がかかってしまっていた。
 もう少し人数がいれば――まさに、クロッシュナーがそう思った瞬間だった。
「ん? なんの音でありますか?」
 ふと、この場にいた全員の耳に奇妙な音が聞こえてきた。
「地響き……?」
 アムが溝に川の水を流し込む音とは明らかに違った、地面を伝わる低い振動音。
「まさか!?」
 クロッシュナーが、音の正体に気づいた瞬間――
「うぁあああああああああああ!!」
 森の奥から、ゴットリープがこちらに向かって駆けてくるのが見えた。
 そして、その後ろには――

 ブォオオオオオオオオオオオオ!!

 黒毛猪が木々をなぎ倒しながら、ゴットリープを追って猪突猛進していた。
「くっ……やはり、時間が足りませんでしたか」
 クロッシュナーが罠の方へ目を向けると、まだ鉄骨の加工が終わっていないようだった。
「しかたありません! 罠は第二工程まで発動であります! アム!」
「わかったわ……」
 クロッシュナーの合図と同時に、アムは溝へ溜めた川の水へ手をかざす。
 すると――水は、氷術によって瞬く間に氷はじめた。
 更に――
「私も手伝うわ!」
 麗夢はアムの元へ駆けつけると、一緒に氷術を展開。
 溝に溜められた川の水は、あっという間に氷の道と化したのだった。
 だが――
「まずい! フリンガー、避けるであります!!」
 氷の道へ黒毛猪を誘い込んでいたゴットリープだったが、次第に追いつかれつつある。このままでは、牙の餌食となってしまう。
 そして――

 ブォオオオオオオオオオオオオ!!
 
 ついに、黒毛猪がゴットリープを射程圏内にとらえ、牙を立て獲物に向かって跳躍した。
「くっ……」
 後ろを振り返ったゴットリープ。その目には、牙獣の飛び込んでくる姿が映った。
『もうダメだ……』
 自分の勇気を仲間達に見せようと頑張ってみたが、どうやらここまでのようだ。
 そう思って彼は自然と目を閉じてしまった。
 だが――いつまでたっても、黒毛猪の牙は自分に刺さってこない。
 恐る恐る目を開いて見ると――
「うわぁ!?」
 ゴットリープの身体は、宙に浮いていた。
「まったく……おぬしという男は、いつまで経っても世話の焼ける!」
 ふと振り返ってみると、そこには幻舟の姿があった。
 どうやら、黒毛猪に襲われるギリギリのところで、飛んできた幻舟によって助けられ、そのまま空の上まで避難させられたようだ。
「げ、幻舟……ありがとうございます」
「まぁ、よく頑張ったのう。おぬしの誘導は、成功じゃ」
 そう言って、幻舟は眼下の森を指差した。