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リアクション
第9章 幕間にて
第一幕が終わり、観客席には割れるような拍手が響いた。
幕の中では、ほっと息を吐きつつも、役者やスタッフが慌しく早足に行き交う。
幕の外では、感想を言い合う貴族の姿に、化粧室へ立つご婦人。細君がいない間にと、どさくさに紛れて酒を追加する紳士。
「今のうちにお手洗いや用事がある人は、行ってきてねー」
桜井静香(さくらい・しずか)は、何も事件が起こらないことにほっとしつつ、先生っぽいことを少女たちに言っている。
「やっと分かりあえたのに、昔の恋人が現れるなんて……これからどうなるんでしょう?」
クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が、隣に座る神和 綺人(かんなぎ・あやと)を見つめる。素直な彼女は恋物語にいつしか入り込んで、どきどきはらはらしているようだ。
舞台の上よりも、上演中の人の動きに目を向けていた彼は、そうだね、と一瞬だけ考えてから、
「結ばれるといいね。……クリスはオペラに興味があるの?」
「はい」
「だったら今度、観に行く? 値段の高いものは無理だけどね」
今日はせっかくのオペラでも、殺人事件の阻止という大役がある。クリスもリラックスしては見れないに違いない。
「……えーっと、アヤその言葉は、デートのお誘いという解釈で宜しいのですね? もちろん行きます!」
綺人は、今日のは悲劇だっていうから、今度は喜劇にしよう。『セビリアの理髪師』とか、『フィガロの結婚』とか……、などと考えながら、恋人の喜ぶ顔を思い浮かべた。
シャンバラ教導団林田 樹(はやしだ・いつき)は、要人警護の練習がてらオペラ鑑賞に、バルトリ家を訪れていた。
深紅のワンショルダードレスに動きやすいとはいえ、ヒールのあるパンプス姿に、
「樹ちゃん、似合ってるよ」
パートナーの緒方 章(おがた・あきら)が惚れ直しそうだと見とれている。
そう言う章もまたタキシード着用だ。
「同感です。ですが、ワタシのお勧めしたふりふりひらひらドレスですと尚のこと良かったと思います」
こちらはジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)。趣味なのだろうか、彼女はフリル多めのシャンパンイエローのドレスだ。
「ドレスはいいのだが。それは何だ」
あくまで護衛。正装でも樹は、太ももの部分に拳銃を2丁隠し持っている。あくまで隠し持って、だ。
だから彼女は、ジーナの抱えている大きなパンに突っ込まざるを得なかった。
「パラミタバゲットです」
「いや、だからな……いや、いい」
武器には見えないが、それはどうなんだと思わなくもなかった。飲食可能とはいえ、まるまる一本のバゲット、場違いではないか、と。
場違いといえば、彼女が警戒させようと用意した小人の小鞄は、役に立たなかった。彼らのできることといえば、主に掃除や洗濯で、高度な自意識というものを持たない。会場の隅で昼寝したり、指貫のお風呂に漬かったり、針と糸でメイ・ポールごっこをして遊んでいる。
「っ……樹様」
「どうした、カラクリ娘」
「餅、その呼び方は余計です。……樹様、殺気を感じました。あれは、あの男と……もう一人は、見かけたことがありませんね」
【あんころ餅】にジーナは返すと、前方から歩み寄る男達に厳しい視線を向けた。自然、バケットを握る手に力が入る。
「……奴か。もう一人も奴のパートナーみたいだ。気を抜かずにいた方が良い……」
一人は、彼らの知り合いだった──アルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)。
男はどうやらパートナーとオペラの内容について話していたようだが、の方は男にぞんざいな態度だ。
「アンタって、そんなにオペラに興味有ったかしら? だいたいオペラって、悲劇とか悲恋がほとんどなのよ。悲しいものを見てカタルシスを得るって言うの? そんな感じよ」
「そうですか。おや、……あそこにいるのは、イツキじゃないですか?」
アルテッツァは、樹に気付くと歩みを止めた。
「やあ、イツキ。元気でしたか?」
「貴様……何しに来たのだ。まさか、犯人は貴様等ではなかろうな? 我々は、要人警護の訓練の最中だ。例え貴様でも、ふざけた真似を行うようであれば、容赦はしない」
「……そう警戒しないで下さい、今日はボクの新しいパートナーを紹介しに来たんですよ」
アルテッツァは傍らの女を一瞥する。
「魔道書の『レクイエム』です」
長身の男──百八十センチを超えるアルテッツァと並ぶ──ヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)は、こんにちはぁ、とオネェ言葉で挨拶する。
アルテッツァは微笑すると、硬い表情の樹に、すっと近づいた。
伸ばした片手は彼女の腰に。もう片手は彼女の髪に。
三つ編みの先を手で掬い上げると、口づけをしようとする。
「やめろ!」「樹ちゃん!」「樹様!」
樹がそれを両手で振り払い、二、三歩下れば、章とジーナが二人の間に割って入った。
「つれないですね、イツキ。そのような態度は、イツキの美しさを半減させてしまいますよ」
不気味に微笑み続ける彼を樹は睨みつけると、強い口調で言い切った。
「……私は貴様の思う通りにはならないと、何度も言っているはずだ。もう用はない、失礼するぞ」
踵を返し、回廊を歩いていく。
「……ジーナ、アキラ、次は出演者控え室の方の警戒だ。急ぐぞ、遅れるな!」
彼らの背を見送って、アルテッツァはほくそ笑んだ。
「……ふふっ、イツキらしいですね。すばらしいです。思い通りにならない場合は……奪うまでですよ。『花がなければ咲かせればよい』んですから」
レクイエムはパートナーの所業を、呆れたように見ていたが、同じように『騎士ヴェロニカ』を引用した。
「アンタ、明らかに嫌われているのに、そこまでできる根性が恐ろしいわ。『恋人と引き裂かれた悲しみが、貴方を狂わせてしまったのですか?』」
「狂っているって? ……ヴェル、ボクはあのときから狂っていますよ」
緑の瞳は、樹の背が遠くなり、回廊を折れて視界から消えてしまっても、まだそこに彼女を映していた──。
「……宣戦布告、だったのでしょうか?」
視線を振り払えたことに安堵しながら、ジーナは樹に問いかける。が、無言の樹に代わって答えたのは章だった。
「『春になれば、花は湖の水が育ててくれるだろう。私はほどいた彼女の髪に花を挿すだろう。ああ、愛とはひとりでに生まれるものではないゆえに』
『騎士ヴェロニカ』の一説さ。多分、奴の頭の中にはこの言葉があるんだろうよ」
「『騎士ヴェロニカ』……これって、ハッピーエンドの話でしたっけ? 例えハッピーだったとしても、あの男にはそんなエンディングなど迎えさせたくはありません。ねっ、樹様!!」
ジーナは力強くそう同意を求めたが、やはり樹は無言のままだ。
やがて、幾つか角を折れて、ジーナがその話題を忘れかけた頃に、彼女はぽつりと呟く。
「……ああ」
百合園女学院の生徒の多くは、お嬢様である。メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)もまた資産家のご令嬢だった。彼女は学校の生徒としてではなく、個人として今日の招待を受けていた。
お嬢様であれば、その場に相応しい姿を。友人も共にいるのだから──と、彼女は制服ではなく、今日はドレスアップしている。品の良い、清楚な印象のベージュのイブニングドレスにショール、真珠のネックレス。乳白金の髪に白い瞳もあいまって、雪のような姿だ。
友人たちの衣装を見立てたのも彼女で、パートナーセシリア・ライト(せしりあ・らいと)はレッド、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)はゴールド、ステラ・クリフトン(すてら・くりふとん)はブルーと、それぞれ着飾っている。
「素晴らしい演技でしたねぇ」
メイベルは、隣の席の貴族達と、オペラの話題に花を咲かせていた。事件の情報収集をしたい、ということもあったが、彼女は演劇部員。単純に演技にも興味がある。
「よくご覧になっていらっしゃるのね」
年配の貴婦人もオペラファンで、パンフレットを見ながら、あの役者はいつアレッシアの援助を受け始めたとか、この舞台が素晴らしかったとか、シャンバラの演目、地球のオペラの演目……と、どうやら話題は尽きないようだ。
その中に事件の手掛かりがないか、メイベルは注意して聞いてみるが、どれが重要なのか、今の時点では判断できそうにない。
「ヴェロニカさん本人に聞けたらいいんだけどね」
貴族の相手は無理だな、とメイベルから距離を置いたセシリアが、彼女のサポート役であるフィリッパに話しかける。
「そうですわね。でもお会いできたとして、ヴェロニカさんも貴族の方ですわよ?」
「前に会った感じでは、貴族っぽくなかったから平気だよ。姿が見えないけど……東シャンバラ総督府にでもいるのかな? あ、演劇部の子も参加してるんだね。挨拶してくるよ」
「一人では色々と“危険”ですわよ、セシリアさん」
フィリッパは苦笑して、セシリアの後を追う。案の定、セシリアは彼女の先を行って、ドレスを踏んづけかけていた。
「待ってください、セシリアさん、フィリッパさん」
さらに彼女の後を、ステラが追う。機晶姫の彼女はやはりあまりこういった席には慣れておらず、というよりむしろ疎く。自身も情報収集には、フィリッパのサポートが必要だと感じていた。
彼女達は演劇部員に挨拶した後、アレッシアの交友関係や村上琴理(むらかみ・ことり)の行方について尋ねたものの、実になるような情報は特に得られなかった。
「残念ですわね……あら、あちらは何ですかしら?」
ため息をつくフィリッパが、視界の隅の人の輪を眺める。
その中心にいたのは、百合園生のヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)だった。
彼女もメイベル達と同じく聞き込みをしていたのだが、その際注目を浴びる出来事が起こったらしい、というより今まさにその真っ最中だった。
「ヴァーナー、恐ろしい子……!」
三人のうち誰が白目になってそれを呟いたのかは定かではないが……ヴァーナーは今、オペラの一人再演を行っていた。
女騎士になり、当主になり。“幸せの歌”に台詞を乗せて、彼女はくるくると動き回る。
「それから、ヴェロニカおねえちゃんが豪雨の中、森の奥に当主さんを探しに来たんです。『ジェラルド、あなたは何処にいるの!?』……ここがステキだったです!」
ちいさいヴァーナーが体をめいっぱい使って演技する様は愛らしく、紳士淑女のマスコットになっていた。和気あいあいといった雰囲気になったところで、ヴァーナーは本題にはいってみる。
「オペラすてきでしたです! まいとしこんなステキなオペラなんですか?」
「そうよ。今年が初めてなのかしら?」
「そうなんです。去年はどんなのだったですか?」
無邪気な笑顔に話題はオペラ。貴族たちも自分たちの仕草・振る舞いをスゴイと彼女に褒められて、ついつい口が軽くなってしまう。
「去年は、湖の精が王子と恋に落ちる悲劇だったわよ。その前は古代王国の宮廷内で起きた喜劇だったわ」
そういえば、年々役者の数が減っていったり、衣装も舞台装置も簡素になっているわね……、と彼女は言った。
「奥様がこちらにいらした頃──もう10年前になるわね、その頃の舞台のセットはもっとすごかったのよ。騎士たちが悪魔を打ち払う場面とかね」
「役者さんとか、今年は気になる人とかいたですか?」
「ディーノさんはやっぱり声も素晴らしいわね。魂まで響くような声だわ。今日は少し本調子ではないようだけれど……新しいスポンサーさんがいるからかしら」
あの方は今年が初めてよね、と夫人が隣の友人に同意を求める。
ヴァーナーはそれを心の中でメモする。
皆に調べたことを伝えなくっちゃです、と休憩時間も終わるころ、彼女は静香達に伝えに行った。
「……きば……さつき……五月葉さん?」
五月葉 終夏(さつきば・おりが)は、呼ぶ声に我に返った。
「え? あ、ごめんなさい」
「ううん、こっちこそ邪魔してごめんね。休憩終了まであと十分だから、もし用があれば済ませた方がいいかなって思って」
彼女を呼んだのは静香だった。
「ありがとうございます。他校生で面識もないのに、参加させてくださって」
「喜んでもらえて僕も嬉しいよ。このまま何もおきないといいんだけどね」
にこりと微笑んで、静香はまた別の生徒の所に行ってしまう。
……そうだった。
すっかり忘れるところだったが、殺人予告なんかが届いているのだ。純粋にオペラ目当ての生徒は、彼女のほかにいないらしい。
誕生日を壊そうとするのも無粋だよね、と思う。
でも、余計なことを考えていたら、もったいないよね、とも思う。
だからやっぱり事件のことは今だけ忘れて、真っ白な心で、全身で受け止めよう。
彼女は再び瞼を閉じた。再び目を開いたときに視界に入るのは、舞台だけ。
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