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第3章 騎士ヴェロニカの恋
丁度生徒たちが昼食をとっている頃、一人サルヴィン川を遡る女性の姿があった。
「この辺だったわね……」
最後の休息地となる村を出て、もう二時間ほどになるだろうか。
宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は記憶を辿りながら、草原を通る道をゆく。道の先に遠く見える緑は、イルミンスールの森林地帯。近くの小川の流れには、魚が涼しげに泳いでいる。昼間なら、巨大生物や怪物にそう出くわすこともない。そんな辺鄙だが穏やかな場所。
懐から引っ張り出した地図に、昔書いたバッテンを確認すると、彼女は視線の先にそれを見つけた。
道を外れた場所、ぽつんと草原に生える一本の樹だ。
祥子が足早に樹の根元に近づくと、そこに野宿の跡を確認できた。焚火のあとはまだ新しく、“彼女”がここで数日暮らしていることを示している。
背後からの、ざり、と土を踏む音に祥子が振り返れば、“彼女”──祥子の目的とする人物がそこにいた。
「お前は……」
二十代半ばであろうか、黒髪を編み上げた美女は、祥子を見て思い出すようなそぶりを見せたが、先に祥子が名乗る。
「再びお会いできて幸いです。ヴェロニカ・バルトリ卿」
「武具を授けた者の一人だな」
「はい。今日ここに尋ねましたのは、武具ではなく貴女にお会いしたかったからです」
ヴェロニカ・バルトリ。長身の肢体にドレスではなく銀に輝く甲冑を纏い、片手には扇ではなく長剣と大盾を握っている彼女は、古王国時代の戦いで命を落とし、女王の復活と共に目覚めた数多のパラミタの民の一人だった。
だけでなく、古王国時代に一部隊を率いていた騎士、そして、
「そう、現在も続くヴァイシャリーの貴族・バルトリ家……その祖先に当たる方、そしてオペラ『騎士ヴェロニカ』のヒロインですね?」
祥子は面食らった様子のヴェロニカに、かいつまんで事情を説明した。
今バルトリ家で起きている事件、上演されるオペラの内容から、以前出会った時の自己紹介を思い出し、同一人物であると推測したこと。
「なんと、私がオペラになっているというのか……」
「共にヴァイシャリーに来てもらいたいの。バルトリ夫人を護るため、そして騎士ヴェロニカが、バルトリ家に表れてない原因を払拭する為にも。無礼は承知ですが、オペラの一節では、貴女の夫となるバルトリは恋人と別れ、なお貴女は騎士で在り続けた……」
「残念だが」
ヴェロニカは首を振った。
「私は既にバルトリ家にとって過去の人物だ。貴族というものは色々と厄介でな。彼らに姿を見せて無用な混乱を招きたくはない」
「ですが、今回の殺害予告の件には恋愛沙汰が絡んでるのではと推察する人がいるんです。なんとなくだけど、殺害予告の件と騎士ヴェロニカの件は類するものがあるような気がするんです」
「私の過去が事件に関係するとは思えないが」
「それは別にしても」
祥子は食い下がった。
「エリュシオンに攫われた女王陛下の名代がヴァイシャリーにおわす以上、女王の騎士としてはその守護をする責務があるはずでは? その責を憂うことなく果たすためにも、一度戻ってみて欲しいんです」
「ジークリンデ・ウェルザング(じーくりんで・うぇるざんぐ)……アムリアナ・シュヴァーラ陛下にあらせられては、エリュシオン帝国におられる旨、聞き及んでいる。可能ならば私も帝国に飛んでゆきたいが、確かに東シャンバラセレスティアーナ・アジュア(せれすてぃあーな・あじゅあ)代王陛下が女王陛下の契約者とあらば、その身を守ることが陛下を守ることとなるだろう……」
何やら考えていたヴェロニカは、一つ頷いた。
「ヴァイシャリーには戻ろう。だが、屋敷には戻らぬ。いいな?」
祥子は頷く。今はこれ以上説得できそうにないと思えた。
二人で道を引き返しながら、ふと祥子は問いかけた。
「私個人の興味として。……貴女の恋とは、どんなものだったのですか?」
「私と夫との間にあったのは、残念ながら恋ではない。しかし、恋などなくとも愛が芽生えることはあるだろう? 私達は恋し合う夫婦ではなかったが、良き家族であり、良き友だった……」
ヴァイシャリーに戻った二人は、喫茶店<グレース>で昼食をとることにした。
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