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■5


 テスラ達に促され、トリスタンと名乗った騎士は、神々しい幹に背を預けながら空を見上げた。彼が語る事を迷うように視線を動かした丁度その時、ピンク色の花輪を携えたリュナと蛇々、そしてあゆみとヒルデガルトがやってきたのだった。
 テスラ達先に訪れていた一同が視線を向ける。
 だが蛇々の瞳は、怖そうな騎士へと向けられていたのだった。
「リュナはさっさと花輪をお供えしなさいよ! ……わ、私があの騎士と話をつけとくからっ!」
――此処にたびたび居るって事は伝承の何らかの関係者の可能性が高い感じなのかな?
――だったら気分を悪くしないようにお供えの許可を貰わないと……詳しくお伺いしてみよっと……。
 そんな心境で、蛇々が一歩前へと進み出る。
「あの……っ、騎士さん」
 とはいったものの、蛇々は巧く言葉を紡ぐことが出来ないでいた。
「ここは愛のピンクレンズマンにお任せね、QX――トリスタンさんですよね、ちょっとお花をお供えさせて下さい」
 あゆみがそう言うと、トリスタンが穏やかに微笑み頷いた。そんな光景をヒルデガルトは穏やかに見守っている。そんな周囲の前で、願いを込めたピンクの花輪をリュナは置いた。
「それで?」
 一時和やかになったその場で、貴瀬が続きを促す。
「私は英霊です。それも不義を働き、死した物語を持つ、見ようによっては最低最悪な」
軋む鎧が、冬の風よりもいっそう強く、辺りに音を響かせる。金属音だ。
「世話になった叔父の妻となるべき人と不貞を働いてしまった」
 トリスタンの語る回想は、貴瀬達もテスラも耳にした事のある、地球のとある物語と同一のものだった。
 叔父であるマルク王のため、コーンウォールに朝貢を要求するモルオルトと決闘をした彼。そして打倒した後、何の因果かその姪であるイゾルデに助けられた軌跡。それからアイルランドの平和を保つためマルク王とイゾルデの仲を取り持とうとしたものの、すでに彼女に恋いこがれていて、ある日船上で――。
 そんな三角関係の物語である。
 その逸話の英霊である彼は、再度樹を見上げながら大きく嘆息した。
「恋情とは不可思議なものです。私は叔父を敬愛していた。けれど彼女の事を真に愛していたのです。愛せずにはいられなかった」
「地球の吟遊詩人の多くすらが詩った物語。私も、その悲恋を否定するつもりはありません」
 テスラが穏やかにそう告げると、トリスタンが微苦笑した。
「けれど私はナカラで日々を過ごし、これでも――そう『心』を取り戻したのです」
 続いた彼の言葉に、瀬伊が首を傾げる。
「では何故この樹を守り、待ち合わせの場を保っているんだ」
 同様に英霊である彼の率直な問いに、トリスタンは穏やかに笑う。
「生前にできなかったことを、貴方はしたいと思ったことはありませんか」
 そのやりとりを見守っていた歩が腕を組む。
「つまり、待ち合わせをしていて、それを遂行したいってことだよね? やっぱり騎士さんはこの樹に関わりがあるの?」
「そうだよ、そうだ、どうして返事をしないの――って、知らないんだっけ」
 歩の言葉を受け取るように貴瀬が呟く。
「そもそも、この樹の伝承ってどんなのだったかな」
 後ろで束ねた薄茶の髪を揺らしながら歩が続けると、瀬伊が再度書籍に視線を落とす。
 その隣でテスラが口を開いた。
「蒼空学園で聴いたものは、嘗てその木の下で待ち合わせをしていた二人にまつわる伝承です。当日――待ち合わせ場所に、事故で亡くなり女性が現れる事はなかったという、パラミタ人と地球人の悲恋の逸話でした」
 すると本の内容を確認していた瀬伊が、眼鏡のフレームを押し上げながら首を傾げる。
「この書籍は、蒼空学園建設以前の事を綴る更に古い文献だが、やはりパラミタ人と地球人の悲恋の伝承が載っている」
 二人の声に、貴瀬が頬を指で撫でた。
「ねぇお兄さんはさ、ずっとこの樹を守ってるんだよね。だったら、伝承のことも知ってる?」
 その声に、騎士は深々と懐かしむように頷いたのだった。
「そう。ならトリスタンさん、ちょっと教えて貰っても良いかな」
 貴瀬が続けると、トリスタンは鎧を軋ませながら、一同へと視線を向けたのだった。


「元々、私が英霊になった時から、この樹はあった。そのように思います。植林されてなおも、私はこの樹と共にある」
「植林されたことは事実なのか――そして、その以前から貴方はこの場所にいたんだな」
 瀬伊が確認するように尋ねると、トリスタンは深々と頷いた。
「ええ、そして私は……何の因果か一人の人物と出会いました。まさかあの方までもが英霊となっているとは……」
「英霊? じゃあ、イゾルデさんも英霊になったの?」
 歩が首を傾げたのだったが、トリスタンはただ微笑を返すばかりだ。
「兎に角私は、彼女と出会った。英霊となり曖昧模糊とした記憶の最中でも決して忘れることがなかった彼女とそっくりな、少女に」
「それがイゾルデさんなんですか?」
 テスラが尋ねると、貴瀬が首を傾げた。
「イズールトじゃなくて?」
 二人のそんな問いに答えるわけでもなく、ただ自身の記憶を吐露するように、トリスタンは続ける。
「彼女はかわらないように見えた――いや、まったく同一の、綺麗な金髪の髪をしていました。けれど、私には言えぬ過去がある。ですから、見ているだけで充分でした。……今でも目に焼き付いています。彼女が太陽のように笑い――いえそれが純粋な姿なのか、照れ隠しなのかは分からない。ただ、微笑みながら、チョコレートを差し出す姿を」
「でも英霊と英霊じゃ、伝承とは違うよね」
 歩が尋ねると、トリスタンが穏やかに笑った。
「私がこの木の下にいるようになった時には既に、パラミタ人と地球人の悲恋が、この場所には伝わっていました。それは、もう深く長い伝承です」
「なるほど、そちらがこの書籍には描写されているのか」
 瀬伊が頷きながら応えると、トリスタンが静かに目を伏せる。
「ええ、おそらくはそうでしょう。そして、テスラさん――貴方が言うように、私は近年ホワイト・ディの間近になると、百合を供えています。それは、この樹に新たな悲しい伝承が加わったからに他ならない」
「どういう事ですか?」
 テスラがサングラスのフレームの位置をただしながら問う。
「――古くからそうした伝承のあったこの木の下で、ある約束があったのです。守られなかった約束が。先程名があがった少女は、この場所へと訪れることはなかった。蒼空学園の生徒だったのです。ですが彼女は……」
 答えたトリスタンは、樹から背をお越し皆に向き直る
「そして瀬伊さんの仰るとおり、その件が、古来からの伝承に加わり、今の逸話となっているのです」
「よくわからないけど、待ち合わせに失敗して、それがこの樹の下なんだよね」
 歩が言うと、深々とトリスタンが頷いた。
「嫌じゃない範囲でお話が聞きたいんだけど」
 彼女が告げると、トリスタンは、穏やかな笑みを浮かべたまま頷いた。
「まず待ち合わせをしていた恋人さんの、ちゃんとした名前を教えていただけますか?」
「イゾルデともイズールトとも、呼ばれることがある名の少女でした。そのスペルは、地球の各国によっては呼び方が異なるのです」
「……それに守られなかった約束――事故のことも、嫌じゃなかったら、教えてほしいな」
 歩が続けると、トリスタンは静かに目を伏せる。
「丁度、あの日も、補講が行われる予定の朝でした」
「だけどこなかったんだよね?」
――今でも、来ることを待っているの?
 そんな含意を滲ませる歩の問いに、ただトリスタンは微笑むだけである。
「――じゃあ私、ちょっと先にイゾルデさんに会いに行ってくるよ」
 思わず歩はそう告げた。
 どうにも彼女には、トリスタンが、
――まだ恋人さんに会うこと諦めてないんだなぁ……
という風に見えたのである。
――何か力になれれば良いけど、あたしに出来ることってあるかなぁ? うーん、未練があったらナラカにも行けずに魂がさまよってるってこともあるみたいだし。
 そんな心境で歩は静かに口にしたのだった。
 彼女は、現在自分の守りたいモノを模索している最中である。だからこそ、こうした一つ一つの事から消化していこうと、前向きに考えていたのかも知れない。
 テスラや貴瀬達、あゆみや蛇々達も、その行為に頷くような視線を向けている。
 それを見て取り、彼女は、舞達への連絡も決意しながらその場を後にしたのだった。
 その姿を見守りながら、ヒルデガルトが首を傾げる。
「私には視えます。トリスタンさん、貴方もまた蒼空学園へと出向く姿が」
「いいえ……私は。私はそうすることが出来ない。理由は二つあります。一つは、二度と恋い焦がれる相手と、敬愛する存在の狭間で不義を働くことが無いよう、別の守るべきものを大切にしなければと考えているからです。そしてもう一つは、その守るべきモノを、この樹と決めたからなのです。私が視たことは一度もありませんが、この樹には未だ彷徨う彼女が傍にいるはずなのです」
 トリスタンのその言葉に、テスラが薄く微笑んだ。
「では、私が鎮魂の歌を唄いましょう。あるいは別の場所で、貴方を待っている方もいるのかも知れません」
 その申し出にトリスタンはしばし瞠目したのだったが、すぐに響き始めた流麗な調べに、次第に頬を緩めていく。険しくすら見えた眉間の皺がほぐれていくようだった。それは一緒に聴いている皆も同様だ。まるで光が奥深くへと差し込む深海の蒼を想起させるような歌声が周囲へと谺していく。こうしてつかの間、伝説の樹の正面には、テスラの清艶な声音が響き渡ったのだった。