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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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                              ☆


「――あぅっ!!!」」
 精神への干渉が深まった途端、緋雨の体が弾けるように倒れた。
 百々の精神の中は、例えるならばドロドロとしたコールタールのようだ。何百年もの間、凝り固まった憎しみと怒りが渦巻いていてまるで嵐。
 その憎しみの黒い渦に飲み込まれた緋雨の精神は自らの体から一時的に切り離され、気を失ってしまったのだ。
「緋雨、緋雨――!!」
 そこにもう一人のパートナー、天津 麻羅(あまつ・まら)が緋雨を支えて意識を取り戻させようとするが、姫神と緋雨の意識は戻らない。
 
 レンとクドは、互いの銃弾を避けながら戦闘中だった。
 緋雨と百々が接触し、気を失ったのを見たクドは百々と麻羅の間に入る。
「……麻羅のねーさん、緋雨さんは大丈夫ですかい?」
 麻羅は視線を緋雨から逸らさずに、答えた。
「とりあえずは気を失っているだけのようじゃが……だがクドよ、いい加減にせぬか。緋雨をこんな目に合わせた人形をまだ庇うというのか?」
 クドは無言だ。だが、その瞳は何よりも雄弁だった。一歩も動かず、百々の前に立つ。
 緋雨を奏音に託し、後を頼むと言った麻羅。立ち上がってレンと並び、クドと対峙した。

「よかろう!! おぬしがあくまでもその人形を守るといならば、このわしが直々に叩きのめしてくれる!!」
 麻羅は自分の身長の倍はありそうなジェットハンマーを構え、クドに向かった。
 レンもその隙を縫う形で次々と銃弾を浴びせる。
「――っ!!」
 驚くべき事にレンとクドの実力は拮抗していた。
 銃と刀で接近と銃撃のヒット&アウェイのスタイルで勝負をかけるレンに対し、フィイアヒールと拳銃の火力と機動性で戦うクド。
 だが、そこに麻羅が加わることで一気に戦況は変化した。

「クド、言葉は所詮言葉でしかない!! お前が守りたいものをいつでも守れる男だということを、その行動で証明してみせろ!!!」
 クドが乱射した銃弾を銃舞で回避しつつ、一瞬に4発の銃弾を速射する高等技術、魔弾の射手でクドに迫るレン。
「うぉぉぉっ!!」
 レンの銃弾がクドに迫る。同じく銃舞の使い手であるクドも辛うじてその銃弾を致命傷は負わないギリギリのラインで回避していくが、その銃弾は威嚇射撃にすぎなかった。

「!?」
 4発の銃弾を回避した一瞬の隙がレンの狙い目だった。体勢を崩したクドへ一気に距離を詰め、片手に持った栄光の刀で斬りかかる!!
 しかし、その漸激を歴戦の防御術で受け止めたクド。レンの刀とクドの銃、二つの金属が火花を上げ、互いの顔を照らした。
 だがレンの2段攻撃は、それも含めて全てが囮であった事にクドは気付いた。

 そして、気付いた時はもう遅かった。


「くらえーーーっ!!!」


 レンがクドを引きつけている間に力を溜めていた麻羅が、チャージブレイクの上で渾身の力を込めて放つ正義の鉄槌!!
「――しまっ――!!!」
 文字通り、麻羅の鉄槌によって押し潰されるクド。
 実力者同士の戦いは意外と一瞬で決まるもの。レンとの小競り合いであちこちに傷を負ったクドは全身血だらけ、そこに麻羅の渾身の一撃が加えられたのだ。
 ハンマーと共に地面に叩きつけられたクドは、もはや立てる状態ではなかった。
「諦めろ、クド。お主の負けじゃ」
 と、麻羅は言い放った。

 だが。
 その男は立った。
 全身はもう傷だらけ。動かない体を動かして、血まみれになりながらも、クド・ストレイフは立った。

「まだ……まだだよ。俺はまだお姫さんの笑顔を拝んでないんでね……それまでは……何度でも……」
 クドの気迫に、レンと麻羅は無意識のうちに一歩引いた。
「なんと、あれを受けてまだ立ち上がるか……」
「ふ……それでこそ、俺の見込んだ男だ」


「何度だって――立ち上がってやるさ!!!」


 百々の精神、怨嗟と悲しみの渦の中に飲み込まれた緋雨は、クドの叫び声を聞いた。
「――そうよ、クドさんだって頑張っている――この憎しみの中にきっとある筈……百々さんを祀った人たちの、大切な想いが」
 黒い感情に飲み込まれないように、自我をしっかりと保つ緋雨。
「必ず、百々さんに届けてみせる――!!」
 やがて黒い濁流の中に、現れた一条の光があった。
「……これは……」

 自我を取り戻した百々は、はたと目を覚ました。緋雨の精神との同調が解かれたのだ。緋雨の精神は体の方に戻っているが、まだ気付いてはいないようだ。奏音は緋雨の様子を見ながら、彼女の目覚めの時が近いことを知る。


                              ☆


「――何じゃ、これは」
 百々は気付く。自分の体がクドに抱きしめられている事に。
「気付き……ましたかい」
 クドはもう息も絶え絶えだった。レンと麻羅という腕利きの同時攻撃を受けていたのだから当然とも言えるが、立っているのもやっとという状態である。

 それでも、伝えなければならない。

 レンと麻羅は少し離れたところで、その様子を見ていた。
「クドは……百々を救えるのじゃろうか?」
「さあな……あいつに任せるさ。百々ももう限界が近い……それでもまだ市民を襲うというなら……俺たちの出番だ」

 ざあざあと、雨が降っていた。
「……離せ」
 いくばくかの静寂のあと、百々が口を開いた。
「嫌だ……と言ったら?」
「……」
 百々は、黙ってしまった。いつからこうして抱きとめられていたのだろう。クドは全身血まみれだ。どうしてこの男は仲間である筈の人間を裏切ってまで自分を守ろうとするのだろう。
 疑問は尽きなかったが、百々はひとつだけ理解した。

「……分かった。お主、バカじゃろう」

 くっ、とクドは喉の奥で笑った。
「……ひどいねぇ、こちとら文字通り血まみれになって頑張ったのにさ」
 百々も、笑った。
「そうじゃな。だから、バカだと言うのじゃ。わらわのためにこんなになって……本当に、バカじゃな」
 クドは、百々から少し顔を離して言った。
「お、笑ったねぇ。……それなら……俺の勝ちだぜ」
 百々の瞳から一筋、雨水がこぼれた。
「そうじゃな……お主の勝ちじゃ……そして……さらばじゃ」


「――え」


 ドスリ、と音がした。
 一瞬の出来事だった。百々の長く鋭い爪がクドの腹部に深く刺さっている。
「――どう、して」
 レンと麻羅との死闘を終えたばかりのクド。限界などとっくに超えていた。
 どさりとその場に倒れたクドを見下ろすと、百々はずるずるとその場を歩いて離れた。

「……」
「……」
 百々はレンと麻羅の前まで歩き、一言だけ呟いた。
「あのバカを頼む」
 と。
 レンと麻羅は百々の顔を見て、何も言わずにクドと緋雨の方へと歩き出す。


 百々は、雨の空京をずるずると、ずるずると歩いていった。