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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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遅い雛祭りには災いの薫りがよく似合う

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第9章


 百々は、雨の中を最初の雛人形イベントの会場までやって来ていた。
 そこには、桜井 静香校長とジェイダス・観世院校長、そして校長の護衛を引き受けているメンバーがいる。

 その前に、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)、そして葛葉 杏(くずのは・あん)が現れた。
 雨でズブ塗れな上にクドの返り血がべっとりと付いている百々の姿。
 それは、もはや雛人形の美しい姿を留めてはいなかった。

 百々は、美羽と杏に向けて重い口を開いた。
「……どけ。殺すぞ」
 美羽は答えた。
「……どいたら、どうするの?」
 百々は更に答える。
「そうじゃな……あの偉そうな人間2匹をズタズタに引き裂いて、その後でその辺の人間どもをかたっぱしから――」

「やめて!!」
 杏は叫んだ。鼻白んだような顔の百々に、言葉を続ける。
「やめてよ……人間がみんな、雛祭りのお人形に厄を背負わせるために飾ってるなんて、本気で思ってるの?」
「……」
 百々は答えない。
「そんなわけないでしょ!? もっと単純に――女の子のお祭りだから飾ってるだけよ! ただお雛様が素敵だから――飾ってるんでしょうが!!」

 美羽も、百々に言葉をかけた。
「私も同意見……。私ね、日本人だから雛祭りは毎年楽しみにしてたよ。綺麗なお雛様……1年に1度だけの特別なお祭りだから……大好きだった」
「ふ……そうか。ならば、その雛と仲良くするが良い。ついでに、わらわも見逃してくれるとありがたいがのう」
 百々は冷淡な笑みを浮かべた。解けた髪が雨に塗れてへばりつく。

 その姿は、一体の幽鬼のようだった。

「……見逃したら、どうするの」
「言うまでもなかろう、人間共を殺しに行く」
「……見逃さなかったら、どうするの」
「お主たちを殺して、人間共を殺しに行く」
 美羽と百々の押し問答を引き裂くように、杏の叫び声が響いた。

「このわからずや! それなら私はあなたを壊してでも止める! これ以上誰も恐い目に合わせない!! いけ、キャットストリート!!!」
 杏はキャットストリートと名づけられたフラワシを放った。
 元々霊として普通に見ることはできないフラワシ。さらに杏のフラワシ、キャットストリートは一撃は軽いが超スピードで動き回ることが可能だった。
 雨を吸い込んだ十二単を引きずる百々に、その攻撃を避けることはできない。

「うにゃうにゃうにゃーっ!!!」

 そのキャットストリートにタイミングを合わせ、杏もまた猛烈なパンチの雨を降らせた。
 そこに、コハクも裂天牙によるなぎ払いを放った。
「行くよ美羽!! 僕たちで彼女を止めるんだ!!」
 美羽は、コハクの攻撃で大きくのけぞった百々のボディに強力な一撃を放つ。


「――せめて苦しまないよう、この一撃で終わらせるから……!!」


 怪力の籠手に覆われた拳を、力強く握りこむ。則天去私の強力な光輝の力を込めて、全力で叩きこんだ!!
「――ガ……!!」
 美羽の拳が、至近距離から百々の胴体にめり込んでいた。
 ぱらぱらと砕けた破片が飛び散り、どさりと美羽に自分の体を預ける百々。
 美羽は、雨の中で涙を流した。
 他の人間に辛い思いをさせるよりは自分で百々を破壊する、という彼女の決断だった。ロイヤルガードという使命のため、市民の安全のため、誰よりも優しい心を持った美羽は、しかし百々の命を断った。

「やった――の?」
 杏は呟きながら近づいた。
 だが、同じく美羽へと歩み寄ろうとしたコハクが気付いた。美羽が開けた胴体の穴。そこから瘴気のようなものがあふれ出ていることに。

「危ない、二人とも離れて!!!」

「――え?」
 だが、コハクの叫びは遅かった。
 たちまち百々の胴体から溢れ出た瘴気が、美羽をあっという間に包み込み、近くにいた杏を巻き込んでコハクを襲った。
「しまっ――!!」
「きゃあーっ!!!」
 杏の叫び声がやけに響いたような気がした。

 数秒の後、そこには精神力を全て吸い取られ、気絶した美羽とコハク、杏の姿があった。
 百々から溢れ出た黒い闇のような瘴気は、百々の残骸を操り、その口から呪いの言葉を吐き続ける。

「人間がニクイニクイニクイ……!!! コロスコロスコロスコロス、ニンげンをコロス!!! 全テのニンゲんをコロシテこわシて全テを呪っテ汚して……!!!」


                              ☆


 七枷 陣(ななかせ・じん)は、闇の化身と化した百々の前に現れた。
「ありゃあもうアカンな……闇の瘴気――数百年溜め込んだ災厄に完全に乗っ取られとる……このまま放置するわけにもいかねぇ、やんぞ、刹貴!!」
 奈落人、七誌乃 刹貴(ななしの・さつき)は陣のパートナーだ。陣の体を借りて意識を共有することで、生前の殺人鬼としての本性を現すことができる。
 童顔である陣の目つきがやや吊り上がり、茶の瞳が灰がかった蒼に染まった。
 外見的にはそれだけの変化で普段の陣と変わりないが、その佇まいから発するオーラがはっきりと違っている。

「災厄を祓うためのものが災厄に飲み込まれたか……救われないな」
 刺さるような殺意を隠そうともせず、刹貴は呟いた。
 意識下で、陣が話しかける。
「ああ……なら、せめてさっさと供養してやんのがせめてもの救いかもな」
 それに答えると、くっくっと笑い声を上げた刹貴。
「ふん。いずれ自らが災厄を振り撒く存在となった時点で――アンタはお役御免さ」
 刹貴は自分の短刀を構える。一見すると無骨な四角い木製の定規のようにも見える柄から、仕込みナイフのように直刀が出る仕掛けになっている、刹貴の生前からの相棒だ。
「ならばその醜く闇に染まった魂――極彩と散らしてやるのがまだ幸せというものだろうさ」
 ずるずると闇を引きずって歩く百々に、刹貴は踊りかかった。

「――ギシャアアアァァァッ!!!」
 もはやそこに百々の自我は残っていない。襲いかかる刹貴に反射的に反応して、鋭い爪を振り回す。
 だが、軽身功とバーストダッシュを組み合わせて空中を自在に動き回る刹貴のナラカの闘技に、その爪はまるで力を持たなかった。

 零から百。かと思えば百から零。トリッキーという言葉を既に超越した刹貴の動きは、まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように百々を切り刻んでいった。
「そら、どんどんアゲてくぞ――!!」
 生粋の殺人鬼、刹貴の独壇場であった。


 エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、その様子を春の精霊スプリング・スプリングと共に見つめていた。
「あれだけではダメだピョン!!」
 『破邪の花びら』を入手できなかったエヴァルト、パートナーのミュリエル・クロンティリス(みゅりえる・くろんてぃりす)アドルフィーネ・ウインドリィ(あどるふぃーね・ういんどりぃ)と共にスプリングを探し出し、助力を仰いだのだ。
「そうなのか!? では、どうすればいい。確かにあそこに俺も参戦すれば人形の体を破壊することはできそうだが……『破邪の花びら』はもうないのか……?」
 少し悲しげな顔をして、スプリングは首を横に振った。
「もうないのでピョン。もうほとんど全ての力を使ってしまったでピョン。……私にできるのは、あとはこれくらい……」
 スプリングはエヴァルトの手をきゅっと握った。そこに、清らかな光が宿る。
「これは……?」
「私に少しだけ残った力を分けたピョン。破邪の花びらのように何でも強化することはできないけど……、あの闇を浄化するには、一度人形の体を完全に破壊して、封印を解き放つことが必要だピョン。その後は何とかするから……この光をあの闇のできるだけ中心、百々のボディの奥で解放して欲しいでピョン」
 エヴァルトは大きく頷いて、刹貴と交戦を続ける百々を見た。
「雛人形か……厄を背負ったならば、その子供の健やかな成長を見ることもできたはずなのに……。だが、今は言ってもしかたない。一撃で仕留めるぞ、ミュリエル、アドルフィーネ……サポートを頼む」
 ミュリエルは驚いた。エヴァルトが自分に戦闘での助力を頼むことなどほとんどないからだ。
 つまり、それだけ状況が切迫しているということであり、エヴァルトがパートナーの力を必要としているということであった。
 確かに今この瞬間、百々と戦闘を行なっている刹貴の戦闘力は圧倒的だが、それだけではいけないのだ。
 まだ百々の体が形を保っている間に、闇の根源であろう百々の中枢に光の力を叩き込む必要があった。

「分かりました、お兄ちゃんのために頑張ります!! 変身!!」
 頼られたことが嬉しいミュリエルは、張り切って魔法少女に変身した。キラキラとした光が溢れ、着ていた長アリスロリータの形が変わり、さらに長いロングドレスになる。もともと肌の露出などを嫌うエヴァルトとミュリエルの嗜好を反映した、荘厳なドレスであった。
 普通なら重なるスカートとフリルでまともに動けるものではないが、そこは魔法少女なので大丈夫なのだ。

「あたしとミュリエルで隙を作るわ。決めるのはキミ。どうせなら、派手に行きましょう」
 アドルフィーネがニヤリと笑った。エヴァルトは真剣な面持ちで光り輝く右手を構えて、言った。
「――行くぞ!!!」

 アドルフィーネはハイパーガントレットを使い、リカーブボウから次々と矢を速射していく。
「――おっと」
 それを察した刹貴は後ろにふわりと飛び、距離を取った。
 アドルフィーネが放った矢は、百々の着物を捕らえて地面に縫いつけた。百々から吹き出した闇の塊は、まだ百々のボディにその動きを頼っているので、その矢でほとんど動けなくなる。
「いっ、けえええぇぇぇーーーっ!!!」
 そこにミュリエルのシューティングスターが炸裂した。上空から雨雲を突き抜けて飛来した魔法の星が、自由が利かない百々の体を頭から押さえ込む。


「ギ……ギ、ギギ……ギ」


 距離を取った刹貴は、その隙を見逃さなかった。
「この一閃による極死を、くれてやろう」
 刹貴が持つ短刀に全ての力が集中していくのが分かる。
 それは、全身をひとつのバネとして自らの得物を強力な銃弾と変える究極の投擲法のひとつ。
 身体全体を強力な発射台として、短刀に全ての力を込めた則天去私を放つ!!

「それこそが――汝に与える解脱と悟れ!!」

 刹貴から発せられた凶悪なまでの威力を秘めた短刀が発射され、百々のボディを砕いた。それは、美羽が開けた穴をさらに拡大し、大きな隙を作る。

「今だ――!!!」

 一瞬で間合いを詰めたエヴァルト、その気配はブラックコートによって遮断され、察知することはできない。
「――フッ!!」
 エヴァルトの放った貫手が、百々のボディに吸い込まれていった。
「――!!」
 エヴァルトはその中でスプリングから受け取った光を解放する。


「――さらばだ。ゆっくりと眠れ」


 それが、弔いの言葉だった。