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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第1章 切り開く翼 1

 遠目に見えた神官兵たちの姿を捉えて、先行した南カナンの少数部隊は身を隠した。まずは敵から見つからぬことに努めた彼らが続けて行ったことは、敵部隊の行動を観察することにあった。
 規律正しく急ぎ目に歩を進める歩兵部隊の後ろには、不気味な魔術師と寡黙な弓兵たちが並んでいる。まるで彼らに操られているかとでも言うかのように、その上空ではハルピュイアが飛び交っているが、それを真に操っているのがモートであるということは、当然の如く、周知の事実であった。
 なぜならそれは、砂漠を渡ってきた監視塔――沙 鈴が伝えてくれた情報でもあったからだ。
「ハルピュイアにグール……聞いてたよりも数は少ないけどワイバーンもいるわね。情報通りってところ?」
「そうだな」
 茶目っ気のある表情で聞いてきたルカルカ・ルー(るかるか・るー)に頷いたのは、彼女のパートナーであるダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)だった。今は身を隠すために着ている土色のフードの下にあるが、彼らの金髪と紺碧の鮮やかな髪色は、砂漠にあっても美しく己を主張していた。
 そんな二人の横にいるカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)は、ドラゴニュートの獰猛で鋭い双眸をもってじろりと敵部隊を見据えた。
「へっ……コツは止まらねぇことだぜ。一気に敵陣突破して、敵を慌てさせてやる」
「うむ」
 カルキノスの気合の入った一声に、先行部隊の主格を務めるアムドが謹厳な声を返した。
 騎士団“漆黒の翼”の騎士団長である彼以外にも、数名の団員が先行部隊には配属されていた。もともと、“漆黒の翼”の本領はその少数精鋭性からも分かるように、今回のような奇襲や単身突入の襲撃によって発揮されるものである。なまじこれまで戦いの中だけで生きてきたアムドにとっては、この先行部隊の仕事に自然と身が打ち震える。躍動感と緊張が混じりあい、いつしかアムドは自然とフードの留め具に指をかけていた。まるで、いつでも出られるとでも言うかのように。
 そんな、戦いを前にした鼓舞を見たダリルは、彼に同意を求めるような目を向けた。もはや後は決断とタイミングだけだ。身を隠している砂丘から飛び出ることと、相手の視界を配慮すれば、そのタイミングは残り数秒に迫っていた。
「いくぞ……!」
 そして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 神官兵士たちがまず感じたことは、驚愕の一言に尽きた。このままヤンジュスまで向かって敵を討ち、今夜には祝杯でも挙げられるかと緩みきった気持ちでいたところを、突然側面から南カナン兵たちが飛び出してきたからだ。
 数は少ない。南カナン兵だけであれば、恐らくはすぐにでも掃討できたであろう。しかし、敵軍の中心にいるのは騎士の鎧を身に纏ったカナン歩兵でも有数の実力者――“漆黒の翼”であった。更には――
「一斉攻撃だ! 中央を突っ切れ!」
「了解!」
 ダリルの指示に従って、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)を中心としたパートナーたちのユニットが陣形を組んだ。傍目からは世間知らずのお坊ちゃまのような美麗な容姿をしているエースであったが、こと戦いとなれば話は別だった。
「メシエ!」
「分かっていますよ」
 エースに呼ばれるよりも早く、すでにメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は攻撃の準備を整えていた。突き出された細身の腕……その先の広がった手のひらに魔力が集まってくる。
 気合の一声とともに、彼はサンダーストームを放った。鮮烈な雷が敵軍の中にぶち込まれ、その後に続くようにメシエは中央へと潜り込んでゆく。わざわざ敵に囲まれるような位置までやってきた彼は続けてファイアストームを円形状に振るった。猛々しく燃える業火が敵軍を焼き尽くそうと咆哮する。
 敵軍は炎と雷の猛攻からなんとか逃れようとするが、その前に目の前を霧が覆った。何事かと訝しがるよりも先に、霧に見舞われた兵士たちはむせ返ったよう息を乱した。
 酸の霧――アシッドミストだ。
「やりますね、エオリア」
「このぐらいでしたら」
 アシッドミストを放ったもう一人のパートナー、自分の横に飛び込んできたエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)にメシエが興味深そうな笑みを浮かべた。エオリアは遠慮がちにほほ笑み、メシエは彼の放ったアシッドミストに足止めされた敵を標的とした。
 玉のように密集した敵に、南カナンの集団が釘を刺したような形となっている。釘の先端にいるメシエたちに続いて、カルキノスが飛び込んできた。
「メシエ、エオリア、離れてろよッ!」
「ちょ……無茶言わないでくださいよ」
 エオリアが冷や汗をかく。それほど自由になる距離もあるわけではないというのに、カルキノスは上空からメシエたちに向かって牙を剥いたワイバーンへの牽制も込めて攻撃を仕掛けた。メシエの円舞となったフィアストームに続いた業火の嵐が、敵兵たちに恐怖を植えつけてくる。生半可に反撃を仕掛けると味方を攻撃することになり得る。モート軍はダリルたちの思惑通り完全に停滞した。
「そーれそれそれ! どんどん撃ち込んじゃえー!」
 クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)率いる南カナンの弓兵部隊がメシエの打ち込んだ穴の周囲――敵軍へと矢を放つ。無数の雨となった矢にモート軍はたじたじとなった。もはや連携はあるはずもない。慌てふためいて敵の攻撃から逃れようとする彼らは、弓兵を統率するクマラ自身を狙ってきたが――彼の毒を仕込んだポイズンアローの嵐までもが飛び込んできた。矢が突き刺さった兵は、その場にうずくまって毒の痺れに震える。
「へへっ、オイラを甘く見んなってんだ」
「クマラ、その調子で援護を頼むぞ」
「あいあーい!」
 ダリルに檄を飛ばされてクマラは調子よく返答した。弓兵の援護は彼に任せる。あとは、こっちの仕事だ。
「ルカ、いけるか」
「もっちろん!」
 クマラに負けず劣らず不敵で明るい笑みを浮かべたルカが、空飛ぶ箒に乗ってダリルとともにメシエたちの作った穴の上空へと飛び込んだ。だが、標的は歩兵ではない。メシエたちを虎視眈々と狙っていたハルピュイアたちだ。
 生々しい獣の目をしながらも女性の顔をした恐ろしい鳥人の魔物は、鷲の爪をもってして南カナン軍を狙ってきた。それを防ぐべく、ルカの攻撃が振るわれる。
「はああぁぁッ!」
 気合の声とともに真空波がハルピュイアたちを切り裂いた。更に続けざまに、ルカの詠唱が始まる。
「我は射す光の閃刃!」
 この地の国家神イナンナの加護を受けた光が刃となり、ハルピュイアたちの軍勢を駆け回る。空中を飛び交う光の刃は彼女たちの翼さえも切り裂き、猟銃で撃たれた鳥のように地に落とした。
「さすがはルカ……やるな」
「へっ……こっちも負けてられねぇってわけだ」
「当然だ。烏合の集となった軍など敵ではない……恐れるな。女神は我らにあり!」
 カルキノスと併走して戦う夏侯 淵(かこう・えん)の最後の言葉は、自らが率いる南カナン兵に向けられたものだった。手にした者の魂さえも蝕むとされる曰く付きの拳銃で敵を撃ちつつ、シールドさえもその強固な角を用いた殴打で武器として扱い、敵陣を突破してゆく。
 見た目はただのちびっ子に見えるが、かつては大軍を率いた英霊である。彼の獅子の奮迅に感化されて、兵士たちも自らを叱咤して剣を振るった。敵兵とがっちと打ち合う剣の金属音が辺りに鳴り響く。
 兵士たちの意識さえも力強いものに変えるのは、ルカたちの戦いに対する咆哮にあると言えた。敵兵たちはまるで蛇に睨まれた蛙のごとくすくみあがり、閃光のように発せられる声に慄く。
「シャンバラのルカルカ・ルー! 私に刃向かおうと言う者は前に出よ! この刃、受け止める覚悟があるというのならば……容赦なく打ち振るわん!」
 名声。普段の彼女のお気楽ぶりは影に隠れ、今は「軍人ルカルカ・ルー」としての姿がそこにある。
 その名に相応しきルカの戦いぶりに、彼女の右腕たるダリルは無意識に微笑していた。