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リアクション
第十一章 手合わせ再び
霧雨 透乃(きりさめ・とうの)とイングリットの手合わせは緩やかな流れの中で繰り返された。
前回の轍を踏まないように、双方ともギリギリのはるかに手前で止めている。投げ技や関節技においても同様。投げ落とす、極め切る前に解いている。
「これくらいにしとこうか?」
透乃の提案に、イングリットはうなずきかけたが、「最後に一回だけと言うのは……いかがですか?」と持ちかける。
「良いねぇ。やっぱりそのくらいじゃないとね」
同時に始動すると、右の拳を同じように突き出す。2人の体がより深く交差した。
「良い動きだね。こんな新入生がいるならこれからも楽しみだよ」
「いいえ、まだまだ未熟なのを思い知らされました」
「そう? でも全力じゃないでしょ」
「それは透乃様も、同じなのではありませんか?」
互いにニヤッと笑うと、イングリットはラナの元へ、透乃は緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)の所へ戻った。
「透乃ちゃん、大丈夫? 治療は必要ない?」
陽子は手製のハチミツ入りジュースを渡す。
「うん、当ててないし、当たってないからね」
ジュースを飲み干すと、汗をぬぐった。
この日はイルミンスール魔法学校から東雲 いちる(しののめ・いちる)とパートナーのソプラノ・レコーダー(そぷらの・れこーだー)、ノグリエ・オルストロ(のぐりえ・おるすとろ)が、葦原明倫館の天 黒龍(てぃえん・へいろん)と高 漸麗(がお・じえんり)が、百合園女学院からは崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)が手伝いに来ている。ただし音痴の矯正は既に終わっており、技術的な向上を目指すものに変わっている。
まずローレライに一曲歌ってもらう。出会った頃とは格段の違いに、ラナは満足していた。
── でもローレライの歌となるとまだ足りないでしょうね。それをつかめるかどうか ──
天黒龍はローレライに事情を聞こうとしたが、他の生徒同様に確たる答えは返って来なかった。それならばと歌の練習に集中する。
「高漸麗、じっくり聞かせてやれ、皇帝をも魅了したその音色を」
「楽師の僕が言うのも変かも知れないけど、楽(がく)は、音が絶対じゃないんだ。音はあくまで手段であって、大事なのは伝えたいって想い。それをどうか大切にしてほしいな」
高漸麗は深呼吸すると、ゆっくりと音へと浸っていった。
ローレライはしばらく耳を傾けていたが、高漸麗の調べに声を沿わせていく。無数の糸がより合わさって太い紐になるように、音と声とが一体になっていった。
ソプラノ・レコーダーは眠たげな表情のままに、メモリーされたプログラムを起動させる。予定では音痴を治すためのプログラムだったが、更に高位の音楽プログラムに振り替えた。
「どうなるものか、お手並み拝見だね」
皮肉っぽくノグリエが言うと、東雲いちるが「しーっ」と人差し指を唇に当てた。
記録された古今東西の音楽の中からランダムで選択する。ソプラノが歌うと、ほぼ同じようにローレライも歌い上げる。それどころか独自のアレンジまで加え始めていた。
「デジタルカメラを持ってきて歌っている様子を録画しようと思ったのですけど、ここまでくると、私の出番はなさそうですわ」
そう言いつつ崩城亜璃珠はローレライのお腹に手を当てた。
「確認よ。なんでも良いから何曲か歌ってみてご覧なさい。お腹の動きを手で調べてあげますわ」
高漸麗の音に合わせて一曲、さらにソプラノの声を追って2曲歌う。
「お腹からしっかり声が出ているようね。これなら問題ないですわ」
などとコメントするが、その実『キャー、ローレライのお腹ってもふもふなのですね。この感触、癖になりそう!』などと思っていたのは秘密である。
緋柱陽子の配るハチミツ入りのジュースを飲んでひと休みする。
ラナ・リゼットやローレライを中心に、これからのことが話し合われる。
「人間レベルなら、もう十分ですわ。音痴どころか、歌い手としても十分にやっていけそうなレベルですもの」
亜璃珠の発言に天黒龍や高漸麗も同意する。
「人間を越えたレベルを求めるのであれば、人間に教えを求めても無理であろうな」
「でも……」
ソブラノ・レコーダーが相変わらず眠そうな目で手を挙げる。
「人間とかそうでないとかは関係なく、何かもうひとつ足りない気がするのでございます。それは多分、ローレライさんの歌を求める理由に関係があるのでございましょう」
「そなたはどう思うのじゃ?」
シニィが綾瀬に聞く。
「理由は分かりませんが、それがあのローレライの生きる目的でもあり、それさえ達してしまえば死さえも厭わない、とも思えますわ。他人が踏み込むには少々危険かもしれませんわね」
「ふーむ、難しいところじゃの」
「何にせよ。この余興も、そろそろ終わりに近づいたと言うことですわ」
「うむ、確かにな」
シニィはビールを、付き合いで綾瀬はノンアルコールのビール風飲料を口にした。
「ソプラノが個人的な願いをするのは珍しいけど、ここまで積極的に動くのもまた珍しいな。やはり音楽用の機晶機だからなのか」
「それは……わからないです。でも今回のことがソプラノちゃんに大きくプラスになったことは間違いないですね」
話し合いの末、技巧に走るのではなく、ローレライの歌いたい歌をじっくりゆっくり歌うことになった。
ソプラノのデータから選択させ、高漸麗が基本的なエッセンスだけを取り出すようにアレンジする。
「こんなところでどうかな」
高漸麗がアレンジし終わった曲をプラチナが録音して備える。
「私は、もう一回チェックしようかしら」
崩城亜璃珠はローレライの背後に回ると、両手をお腹の方へと伸ばす。
『キャー! もふもふ!』と心の中で叫んでいたものの、表の表情には何ら変わりがなかった。
まずソプラノが再生、高漸麗も合わせて演奏する。ローレライが心の赴くままに何度も歌いこんだ。それが繰り返されるごとに、同じ歌にもかかわらず、より心の奥深くまで達するような気がしてくる。
「これは?」
一同の中で、最初に気付いたのは東雲いちる。緑の瞳から流れ落ちる涙が膝の上にこぼれた。
やがてその場にいた全員、光を感じない高漸麗の目からも涙が流れる。
ただし「僕はこう言うのは苦手だよ」と、ノグリエはいち早くこの場を去っていた。
綾瀬もマスクの端から涙が流れている。
「地獄の釜の蓋を開けたことにならなければ良いのですが」
「ふむ、まぁ、これも酒の肴じゃな」
シニィはグラスを傾けた。
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