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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―希望ヵ歌―

リアクション

     ◆

 時間は随分と平等である。それは時に残酷であるし、それは同時に優しさでもある。

 時計の針が昼の二時半を回った頃、病院が見える路地に佇む猪川 勇平(いがわ・ゆうへい)は、共に此処までやってきていたウイシア・レイニア(ういしあ・れいにあ)魔導書 『複韻魔書』(まどうしょ・ふくいんましょ)の背中を見ながら、ふと自ら懐に手を忍ばせてみた。
「……………」
 特に何を言うでもない。何せ今、彼が何かを呟いたところで反応を見せる人はいないのだから。だから勇平は何を言うでもなく、何やら含みのある表情で自身の前方を歩く二人と、そして目の前にある病院を交互に見やった。
「ほれ、何をしておるか勇平」
「どうなさいました?」
 ふとそんな事を言いながらウイシアと複韻魔書が勇平へと振り返る。何が気がかりなのかが明瞭としない表情で、しかしそれでいてどこか不審な物を見る様な目で二人の先、病院を見ながらに、彼は答えた。
「いいや、なんでもねぇよ。ただちょっと、違和感があるってだけだ」
 二人はやはり、何が言いたいのかわからない様な表情を一度浮かべて、踵を返して勇平に背を向けると、小さな声で言葉を交える。
「勇平君、何処か変ですわね……」
「そうだな。わらわもそれは感じる。今日になって急に『見舞いに行こう』と言い出した時は、些か呆れたが」
「いきなりでしたわね、確かに。一体どうしたのでしょう」
「わらわに聞かれてもわからぬよ。こればかりはな、本人にさえわかっておらぬだろうから……あの調子では」
「みたいですわね」
 聞こえない様に数度、会話を交えた二人は再び足を進めながらに背後へと意識をやる。決して二人との距離を縮める事はない勇平は、やはり何処か思いつめた様子だった。
と、そんな事を話している二人は早々に病院前へと到着し、後ろを歩く勇平へと再び目をやった。振り返り、勇平が来るのを待つ。
「早くしないか、そなたが言い出した事であろうよ」
「悪ぃ悪ぃ」
 改めて会話を交わした勇平と複韻魔書を見ながら、ウイシアは首を傾げた。と、三人の横に、フィリス・ボネット(ふぃりす・ぼねっと)がやってくる。後ろには霧丘 陽(きりおか・よう)アイス・シトリン(あいす・しとりん)の姿があった。
「何だ? こんなとこで何やってんだよ」
「フィリス……そんな言い方やめなよ……いきなりでそれはあんまりにもカンジ悪いなじゃないか」
「知るか! オレは早いとここのうざってぇ日差しの下から逃げてぇんだよ!」
「それはあくまでもフィリス、あなたの都合でしょう?」
 入り口前にいた勇平、ウイシア、複韻魔書を見て地団駄を踏みながらフィリスが声を荒げるが、背後にいた陽、アイスの二人がすぐさま制止する。
「あ、すみません……」
 フィリスの言いにむすっとした表情を浮かべる勇平と複韻魔書の横から、ウイシアが陽たちに謝りながら割って入った。
「いえいえ、こちらこそごめんなさい。いきなりで失礼でしたよね」
「本当だぞ。わらわとて、好きで此処にこうして立っている訳ではない。色々とこちらにも事情と言う物がだなぁ……」
「そ、それで貴方達は、誰かのお見舞いですか?」
 謝る陽に食って掛かろうとする複韻魔書を更に制止し、ウイシアが慌てて話題を切り替える。
「陽君が以前お会いした先輩のお見舞いで来たんですよ。貴方たちは……」
「俺たちもだ。一応面識あるし、なんか入院したって聞いたんで、ちょっと遅いとは思ったんだが、見舞いにな」
 やはりどこかむくれた表情の勇平の言葉に苦笑を浮かべる陽とアイス。
「フィリス。ちゃんと謝りなよ。事情も聞かずにあんな言い方はないだろ?」
「………なんだよなんだよ……。結局オレが悪者かぁ? ったくよ。ヘイヘイ、わかったよ、謝りゃいいんだろ。申し訳ございませんでしたねぇ」
「…………」
「…………」
 全く悪びれもなく謝罪の言葉を口にしたフィリスを、何とも露骨な表情を浮かべて見つめる勇平と複韻魔書。無論、ウイシアと陽、アイスはその様子を内心おろおろしながら苦笑を浮かべて見つめている。と、陽はそこで漸く気が付いた。怪訝そうな顔をしているままの勇平の方を向いて尋ねる。
「ねぇ、君たちがお見舞いに来た先輩ってさ……」
「ん?あぁ、ウォウルって人だよ。ウォウル・クラウン(うぉうる・くらうん)
「そっか、やっぱり!」
 その単語を聞いた陽は、急に表情を明るくして声を上げる。
「僕たちも同じなんだよ! いやぁ、良かったぁ」
「? 良かった? はて、何かあったのか?」
「いや、なんだかさ。此処に来るまでの間、ちょっと不思議な感じがしてね? だってそうじゃない? 病院って結構入院している人がいるし、当然その人たちにはお見舞いだって来るでしょ? なのに病院に幾ら近付いても誰も人影を見ないしさ」
 どうやら勇平が持っていた違和感を、陽たちも感じていたらしい。その言葉を聞いた複韻魔書とウイシアは成程、と相槌を打ち、勇平は表情を変えた。
「やっぱりそうだよな。俺も思ってたんだ、なんか変だって。でも何が違和感だったか分からなかった。言われてみれば、人がいねぇ……」
 辺りを見回し、改めて、と言った様子で呟く。
「良かったら一緒に行きましょうよ」
 アイスの提案に頷く勇平たち三人。その横でフィリスがヘロヘロになりながら小さく呟く。
「どうでも良いからよぉ……早く中に入ろうぜ……。もういい加減、日差しが……」
 むすっとしていた勇平と複韻魔書も、フィリスが何故あんなつっけんどんな態度を取ったのか、その言葉でなんとなく理解し、そしてケラケラと笑う。
「笑いごとじゃねぇよ!」と声を荒げてみても、何処か元気のない様子のフィリスには無論威圧感などなく、「はいはい」と陽とアイスに宥められながら六人は一路病院の中へと進んで行った。



 病院には必ずロビーなるものがあり、其処には必ず人がいる。無論――面会時間等の時間内に限られる話ではあるが。

 しかし、六人が入ったロビーは随分と静かであり、誰もいない。まるで廃墟の如く。まるで死地が如く、そこにいる筈の入院患者は、医療従事者は、面会客は、何処にもいない。
「あれ……やっぱりおかしいよね」
「ですね。何かこう――慌てて逃げて行った、とでもいう感じがありますけど」
 きょろきょろと辺りを見渡す陽とアイス。日光に照らされて弱っていたフィリスはロビー内に備えてある、一番入り口に近いソファーに腰掛け、背もたれに上体を預けながら、何とも気怠そうに呟く。
「どうでも良いよ。どうでも良いから早く見舞いにいって帰ろうぜ。オレぁもう疲れたよ……」
「皆いねぇってのはどうもキナ臭ぇな……あんときみたいだ」
「あぁ、ラナロック、とか言う女と対峙した時の――」
 勇平の言葉に反応した複韻魔書は、別段表情を変えるでもなく呟く。心当たりを無機質に答えたのだろうその言葉は、誰が聞いても無機質なそれでしかなかった。
「でも、困りましたわね……。病院の関係者の方がいないとすると、ウォウルさんの居場所がわかりませんわ。それに、もしかして彼も何処かに逃げておいでなのでしょうか」
 ウイシアは困った様に首を傾げる。辺りを見回したところで何があるわけでもないと括った彼女は、特に辺りを見回す事はしなかった。
「とりあえずは……病院内を探してみますか? いなかったらいなかったで、帰れば良いですし」
「賛成! 折角此処まできたからね、探すだけ探してみよう!」
 アイスの提案に対し、まるで空元気とわかる声色で陽が言う。どうやらその意見にはフィリス以外の全員が賛成らしく、言葉ないままに頷く。
「えぇ………まだやんのかよ。いい加減疲れたよ……」
 そう言いながらもソファーから体を起こしたフィリスは、大きく一度ため息をついてから立ち上がり、陽と勇平の隣にやってくる。
「文句があるなら後で幾らでも聞くからさ、今は手伝ってよ」
「しゃーねぇな。わーったよ、わーったわーった。わかりましたともさ」
 不承不承。そんな言葉がしっくりくる動作をしながら、病院の奥へと進む五人の後を追うフィリス。





     ◆


 勇平、複韻魔書、ウイシアと陽、フィリス、アイスが病院内に入って行った丁度その頃――。
病院の前にある道路を挟んですぐの公園。そこに隣接した歩行者用道路を、ルファン・グルーガ(るふぁん・ぐるーが)イリア・ヘラー(いりあ・へらー)が通りかかっていた。足を止め、公園内に目をやってるイリアに気付いたルファンは不思議そうな顔をしながらイリアに声を掛ける。
「如何した、イリアよ」
「ねぇねぇ、病院って避難訓練とかするのかな」
 突然の質問に対して更に首を傾げるルファンは、暫く考えた後に答えを返した。
「それはまぁ、するだろうのう。病院であろうと学校であろうと会社であろうと、緊急事態は常々において存在し得る。対処する訓練ならばした方が良いし、出来る事をせねばいざと言う時に体が動かぬ。それが如何したのじゃ」
「うん。今ね、そこの公園に凄い数の人がいるの」
 イリアの指差す方向――公園内部に目をやったルファンは、一層首を傾げた。彼女の言う通り、避難訓練にも見えなくはないその光景はしかし、訓練にしては些か鬼気迫る体なのだ。
そこにいる入院患者や白衣姿は恐らく近くの病院から出て来た人であろう。彼等の表情は困惑と恐怖のみであり、故に彼にはどうにもそれが訓練には見えなかった。
「恐らくあれは訓練等ではなかろうのう。あれは何かに襲われ、何かに怯えている目だろうよ。そうじゃのうても訳あり、と言ったものじゃの」
 言いながら、彼はゆっくりと、しかし確実に、着実に。公園へと向けてその足を向けている。
「あっ! ちょ、待ってよダーリン! イリアも一緒に行くからぁ!」
 慌ててルファンの後を追い、イリアも公園へと向かって走り始めた。彼女の前方を歩く彼は、その足をただの一点に向けている。
懸命に後を追って走る彼女は、しかし決してルファンに追い付く事はなく、彼がその足を止めるまで一向に距離が縮まらないでいて、漸く彼がその足を止めたのを確認するや、懸命に駆けていた足を次第に減速させていく。
「ダーリン?」
「もし――」
 ルファンが声をかけたのは、一人の女性だった。女性、というにはまだあどけなさの残る彼女はしかし、不意にかけられた声に一瞬肩を竦める。
「急に声をかけて申し訳ないの。しかしちと、そなたに伺いたき事あって声をかけたのじゃ」
 ルファンの言葉に戸惑いながらも返事を返した彼女。口を開き、何かを言おうとしたタイミングで、彼らはやって来る。
「これは何かのお祭りですかぁ?」
「そんな訳があるか。どこをどう見れば祭りに見えるんだか…………ったくよ」
 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)の言いに対し、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が頭を抱えながら呟く。
「そうだぞ。これは祭りと言った風ではない。もっと違う何か……もっと別の感情が混じる空気だ。気付かぬかフレンディス」
 レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)は何故か笑顔を噛み殺し、気の昂りにも似た何かを感じとっているらしい。その笑顔を横で見ていたアリッサ・ブランド(ありっさ・ぶらんど)は、ため息をつきながらレティシアを見上げた。
「レティーちゃんはいっつもそうだもんなぁ…………もう少し違う事にも気づけば言うことないんだけどね」
 再びため息をつき、今度はルファンとイリアを、そしてルファンが話しかけていた女性を向いた。やはり何処か意味ありげに。まるで何かを知っているかのようににんまりと笑う。が、口を開く事をせず、そのにたにたと笑う顔だけを向け続けている。すると今度は、彼女たちの隣に立っていた堂本 恭介(どうもと・きょうすけ)がその場のいる全員に声をかける。
「兎に角、これは一体なんの騒ぎなのかな? とりあえず事情くらいは話してくれると助かるんだけどね」
「そうようね、何があったか位は聞いたって良いもんね。ほら、私たちにも出来ること、あるだろうしさ」
 彼の言葉に続けてひょっこりと彼の横から顔を出した茨木 瑞穂(いばらぎ・みずほ)が彼のあとに言葉を繋げた。
「ま、出来れば肉体労働はパスってのが、本音だけどなぁ…………」
「あー! 恭ちゃん、そんな事言ってぇ!」
「何さ、苦手って言っただけだよ。それにできない事は始めに言っておかないと不味いだろ?色々とさ」
「やるだけやってから言いなさいよー! もう!」
 言い合いを始める恭介と瑞穂を宥める様にして割ってはいった長原 淳二(ながはら・じゅんじ)は、苦笑だった表情を引き締め、「それは兎も角」と区切る。
「一体何があったんです? 見たところ、『特別何もない』という感じには、やはりどうしてもみえません」
「困ってる人がいれば私たちも力になりたいです。ねぇ? 芽衣」
「勿論や。困っとる人が近う居てるんに見てみぬ振りなんてでけへんよ。せやから、な? とりあえず私らに事情説明してくれへん?」
 淳二の隣にいたミーナ・ナナティア(みーな・ななてぃあ)如月 芽衣(きさらぎ・めい)は、至って真面目に、真剣にそう言って事情を知るであろう女性に問い掛けた。彼女は暫く考え込んだ末、一度小さくため息つきながら苦笑を浮かべ、首を縦に一度振る。それを見ていた彼ら、彼女らは安堵の表情を浮かべ、彼女の言葉に耳を傾けるのだ。