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OPEN BET


 ようこそ『OBLIVION』へ。
 ここはそれはそれは素敵な場所。
 何もかもを忘れ去ることができるのです。

 生活、時間、名誉、地位。

 すべてを投げ打ってね。
 どうぞ、わたくしどもの提供する『エンターテインメント』に興じてください。
 成功すれば莫大な金を得ることができます。
 まあ、失敗した場合は……ねぇ?

 なぁに、ともあれギャンブルをやる前から負けることを考えるのは木偶ばかり。
 勝者になればギャンブル以外の『エンターテインメント』もお見せいたしましょう。
 

 あなたに幸運の女神が微笑まんことを……。


 
 カーペットはクリムゾンレッド。ベルベットの逆毛が人々の歩みを優しく受け止める。
 アイボリーを基調とした内装に大理石で出来たイオニア調の柱。
「そして天井には天使が微笑む宗教画か。まるで天国へいざなわれているようだな」
 セレスティアーナ・アジュア(せれすてぃあーな・あじゅあ)は得意げな顔をしながら呟いた。
 誰かにその声を聞き取られるのを期待していたのだが、瀟洒なBGM、スロットのジャックポット、チップの山が崩れる音、それらすべてに埋もれて小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)の耳に届くことすらなかった。
 カジノに集まる人々は皆面妖だった。
 老若男女が血相を変え賭け事に臨む。
 偏に一夜で金を得るため、法外なレートがまかり通る地下カジノならではの光景だ。
「さて、どれから遊ぼ……ではなく。早く囚われた者どもを助けてやらねば」
 セレスティアーナは、口を一文字に結ぶ。
 煌びやかなオブリビオンに溺れる欲望を背に、正義を強く誓うのであった。

 賑やかな地上と対照的に、地下は物音ひとつせず、空気は乾燥しきっていた。
 青白い光に浮かぶのは鉛の鎖により床から1メートルほどの高さに吊るされた鳥籠ひとつ。
 しかし、人ひとり程度なら容易く収容できる大きさだ。
「おい、『検査』の時間だぜ」
 実際に釣鐘型の籠の中から髪の毛を掴まれ引きずり出されたのは人間だったのだ。
「い……痛い……」
 力なく男に連行されたアリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は、X字の十字架に手足首を拘束される。
 うっ血しそうなほどに固く結ばれた麻縄に、アリアの表情が苦悶に歪む。
「おまえ、例の映像の女だろ?」
「あれを……見た、のね?」
「ああ、傑作だったぜ。おかげで嫁にそっぽ向かれちまった」
 下衆な視線がアリアの体に落ちる。
 頭からつま先までを隈なく舐めるように見つめる。
「な、なにをするの……?」
「だから『検査』だと言ったはずだぜ。お前は有名人だからな。早々に買い手が付いたんだよ」
「買い手……」
「ああ。ここは人身売買の一大マーケットだ。日夜色んな『奴隷』を売っている」
「…………」
「そんな期待に満ちた目で見るなよ。辛抱できなくなるだろ? 俺はお前の『ファン』なんだからよ」
「あっ……」
 男の手がアリアの胸に触れた。
 アリアはこれから自らの身に起こることを予感し、固く目を瞑った。

「ハァイ、ワタシ、喜多川マリア。日本人ネ。キミたちはなんていうネ?」
 喜多川 マリア(きたがわ・まりあ)は同じ牢の中にいる獣人たちに声をかけた。
 鳥籠牢とは異なり、側面のひとつに鉄格子が嵌められた3メートル四方の空間だ。
 年の頃、10歳に届くかどうかの児童が5人。さながら低年齢者をひとまとめに収容するために用意されたものだろう。
 ところがマリアの呼びかけに応える子どもはいなかった。
「ほらほら、キミたちどうしたネ。元気出すネ」
「おねえちゃん……」
「はいそこのキミ!」
「……どうせ誰も助けに来ないんだから、静かにしててよ」
 壁に背を預け、三角座りをしている男児がマリアに目もあわせず言った。
「聞いたことあるんだ。最近悪い人が子どもを誘拐してるって噂。誘拐されたらもうおうちには帰れないんだ……」
 その言葉にマリアは立ち上がる。
 突拍子もない行動に、牢内の意識はすべてマリアに向けられた。
「湿っぽい話はもうおしまいネ! 諦めたらそこで試合終了ヨ! みんなで楽しく喋ったり、歌ったり踊ったりするネ!」
「あはは、歌ったり踊ったりって」
「お、元気が出てきたみたいヨ」
「あ……。本当だね、おねえちゃん!」
 マリアの陽気はたちまちに狭い空間で意気消沈していた子どもたちを勇気付けたようだ。
「まさか雛乃がこんな目に遭うなんて思ってなかったですぅ……」
 一方、雛乃・ヴィーシニャ(ひなの・う゛ぃーしにゃ)は体を硬直させてマリアの脚にしがみついていた。
 つい先ほどマリアと共に平和に空京を散歩していた折に見かけた誘拐劇。
『やや、あんな可愛い女の子がさらわれてしまったですぅ〜。お決まりの展開としてはアジトに連れ込まれてぇ……むふふ。……って、きゃあ!』
 目撃者の存在は危険と判断されたのか、2人して連れ去られてしまったのであった。
「このままだとあーんなことやこーんなことを……。うぅ……。雛乃涙目になってしまってますよねぇ〜。……でもそれはそれで、あり……ですかぁ〜?」
 人質が詰め込まれ息苦しい空間で、雛乃の呼吸が乱れてくる。
「雛乃、大丈夫?」
 マリアは心配そうに雛乃の顔を覗きこむ。
「にゅふ、にゅふふふふ……」
 雛乃の顔は、それはそれは見事に気味の悪い笑みに支配されていた……のだが。
「ひっ!」
 牢内の空気が一瞬にして凍りついた。
「…………っ」
 衣服が乱れ、傷からは血が滴り、意識が途絶えたアリアが男に担がれ、鉄格子の向こう側を連れられて行った。
 雛乃の目が凍りつく。
「だ、大丈夫ネ。絶対助けが来るからみんな頑張るヨ!」
 マリアの必死の鼓舞も、彼女らの耳に届いていただろうか。

「ここには色々な人達がいるのですね」
 カジノの副支配人に連れられ、地下へ案内された新風 燕馬(にいかぜ・えんま)は、辺りを見回しながら副支配人に声をかける。
「あなたはマフィアだったりするのですか?」
「まあ、世間一般からはそう思われているでしょう」
「あら、それは好都合ですわ」
「好都合?」
「ふふ、こちらの話です」
 燕馬は
「何のために彼らは連れて来られたのですか?」
「それは……」
 副支配人の目が宙を2往復見やる。
「負け分を支払えなかった者どもに仕事を斡旋しているのです」
「なるほど……、裏社会での営みは存外義理堅いと聞きますからね」
(怪しいのう……)
 言われるがままを鵜呑みに頷いている燕馬の一歩後ろを歩いている新風 颯馬(にいかぜ・そうま)は、眉をひそめ牢内の囚人たちに目を向けた。
(カジノにこのような幼い獣人が立ち入れるとは思えんのじゃが。おそらく自らの意思ではなく拉致監禁されていると考えた方がよさそうじゃ。となると、我々は何の目的で仕事を与えられたのじゃろうな……)
 泰然自若とした燕馬はと対照的に颯馬の眉間にはしわが寄る。
(いくらモグリの医者とは言えど、燕馬殿……ではなかったの。ここでは『閻魔』殿か……。偽名にしては欠落がありすぎるのじゃ……)
「さあ、こちらがあなた方の仕事場です」
 副支配人が医務「検査」室と書かれたプレートがぶら下がっている扉を開けた。
 颯馬が中へ足を踏み入れようかというとき、燕馬が声を上げた。
「彼女は?」
 燕馬の目の前を傷だらけのアリアが運ばれている。
「ああ、彼女はもう商品にならないでしょう。困りましたね。従業員教育に力を入れなければならないようです」
「商品とはなんじゃ?」
「おっと。聞き流してください」
 副支配人の野卑な笑みがアリアを見送る。
「待ってください。ここが私の腕の見せ場でありませんか? 傷を癒すのに貴賎はなし。患者を救うのが医師の矜持です」
 メタモルブローチにより白衣姿になった燕馬がアリアの元へ歩み寄る。
「ま、そういうことじゃ」
 得意げに髭を撫でながら颯馬は燕馬に続いた。
 ――――2人の初仕事は無事成功した。

「…………」
「深優ちゃん、おててつなぎませんか?」
「…………ぅ」
 震えた声を搾り出すように出したのは赤嶺 卯月(あかみね・うき)だった。
 無邪気に牢の中を歩き回る赤嶺 深優(あかみね・みゆ)に向けられた言葉だ。
 深優はぴょこぴょこと黒い狐耳を動かすと卯月に構わず再び探索を始めた。
「もう……」
 卯月は頬を膨らました後、ため息をついた。
(深優ちゃんとはぐれなかったのは不幸中の幸いでしょうか……)
「それにしても無様ね」
「ひゃっ」
 急に飛んできた声に卯月は肩をすくめる。
「せいぜい恐怖に怯えなさい。どうせ正義とやらのくだらないエゴを掲げたお馬鹿さんたちが来るのでしょうけどね」
 鉄格子を挟んで立っていたのは御東 綺羅(みあずま・きら)ヴィシャス・ブラスフェミー(びしゃす・ぶらすふぇみー)。共に仮面をかぶっており、卯月が彼女らの身元を知る機会は決して訪れない。
「けれど、そんな何でも思い通りに行くと思ったら大間違いよ。それを分からせてあげるのが私の責務」
「ど、どういうことですか?!」
「簡単な話よ。ここに捕らえられているカモたちに助けは来ない。商品として売り払われるだけよ。そうね……。一番手っ取り早いお金の作り方って知ってる?」
 綺羅は卯月を見下ろす。へたりと座り込んだ卯月は腰が抜けてしまったようで綺羅を睨み返すことしかできない。
「なら教えてあげるわ。それはね……」
 仮面越しに綺羅は笑う。
「臓器売買よ」
「ぞ、ぞうき……?」
「体のすべてを余すことなくバラすのよ。せっかくだから関節のひとつひとつを全部外して手足ももごうかしら」
「ケイ様」
 沈黙を保っていたヴィシャスが口を開いた。
「その様子をスナッフフィルムとして商品化してみてはいかがでしょうか。物好きは多いですのでな。更にお金を稼ぐことができます」
「あら、いい提案ね」
「それならば善は急げということわざがありますな。今からでも臓器ブローカーに連絡をつけませんと」
「そうね。私たちがやっていることは『善』ですものね」
 仮面で隠されて表情は見えない。
 しかし、くつくつと笑みを押し殺した声は大きく響き渡る。
 そのとき、がしゃんと大きな金属音がとどろいた。
 深優が格子に体当たりをしたのだ。
「静かにしてください!」
 ヴィシャスは腰にかけていた雅刀を深優に突きつける。
「黙らないとあれば容赦しませんぞ!」
「ヴィー。この狐を連れて行きましょう。吠える犬はさっさと処分するべきよ」
「ま、まってください! それだけは!」
 卯月の制止も聞かず、ヴィシャスは牢を開錠し深優を連れ出そうとした。
 が……。
「…………ゃ!」
 深優の体が光り、『天のいかづち』を放ちながら暴れだした。
「く、面倒ね。ヴィー。放っておきなさい」
「わかりました、ケイ様」
 深優を牢内に戻し鍵をかけると、2人は牢の前から立ち去った。
 深優は卯月の元へ駆け寄る。
「いいこいいこ……」
「……すぅ」
「あら、寝ちゃったんですね」
 恐怖を微塵も感じさせない深優の尻尾を卯月は撫でるのであった。