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コンちゃんと私

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コンちゃんと私

リアクション

 
 客席にいた観客は、今はただ声もなく、呆然とハデスを見つめていた。その為に彼が対峙する「それ」に目を向けるものがほとんど無かったのは、まだ幸いだったかもしれない。
 しかし、音も無く這い寄る粘液に足を絡め取られることにも気づかず、己の感情を支配する恐怖と混乱と熱狂の感情が、外部からの精神の侵蝕に寄るものであることにも気づいていぬままに、ただ一様に引き攣った笑みを浮かべて、ハデスを注視していた。

「は、ハデス様っ、そいつ、ハデス様の声に反応してます!」
 【ディフェンスシフト】でハデスを守りながら、剣を抜いたアルテミスが叫ぶ。ハデスは頷いた。
「当然だ! 我が声は、百万の味方を奮い立たせ、千万の敵を恐怖に陥れる声である!」
「いえ、あの、そーゆー意味じゃ……ああ、ちょっと静かに……って、きゃ、きゃあっ!」
 それでもアルテミスは立派だった。いっそうトーンを高めたハデスの声に煽られるように襲いかかって来たケララの粘液の奔流に瞬時に反応して、ハデスの前に立ちふさがり、彼を庇って剣を振るったのだ。しかし……
「きゃっ」
 客席がどよめいた……主に、男性陣が。
 剣で両断した粘液が空中で弾けたのだ。その白濁した液体を頭からかぶって、アルテミスが情けない声を上げてしりもちをついた。
「ああん、もう、ドロドロ……やだ、下着の中まで……って、え、え?」
 ぺたりとその場に座り込んだアルテミスの全身がひきつる。それから、頬から、剥き出しの腕から、その白い肌がさっと紅潮した。
「や、やだ、ちょ、動かない、で……や、やぁん」
 何が起こっているのか、誰にも……むろんハデスにも見えてはいなかった。
 ただ、想像しただけだ。
 一瞬息を呑んで、足元で身悶えするアルテミスを見つめてしまったハデスは、はっと我に返って叫んだ。
「な、なんという……破廉恥な! 称賛に値するぞ、邪神ケララよ!」
 そしてその声が、ケララの次のターゲットになった。

 あと一瞬遅かったら、観客はその場で発狂していたかもしれない。……いろいろな意味で。
 ハデスが白濁した液体に襲われる、若干マニアックな光景を目にしたものは少なかった。凍りついたようにハデスたち、主にアルテミスを見つめていた観客は、カンナの【驚きの歌】に弾かれたように振り返った。
 観客の背後からハデスに向かってのろのろと進んでいたケララも、ゆっくりとそちらに体を向ける。
「行くわよ、カンナ」
「OK。アレを正面から見ないように、気をつけて」
 二人は歌い出した。

 犯人は〜混沌の邪神〜♪

 カンナのかき鳴らすギターが鳴り響き、周囲の視線を集めながら、二人はステージに駆け上った。

 ♪触手と狂気を振りまき〜♪♪お客さんの正気を盗み、ステージを出たところを〜♪


 けたたましい笑い声のようなケララの叫び声が意識を掻き回す。カンナはそれを打ち消すように、激しくギターをかき鳴らした。その哀愁を帯びた音色は次第にミュージカルを通り越し、情熱のスパニッシュギターと化していた。

 ♪Gメンに〜捕らえられた〜♪

 ローズがギターに合わせて華麗にステップを踏み、【歴戦の立ち回り】を硬貨を使いながらケララの死角へと回り込んで、マスケット銃【ヤガミ・ディバイス】を構えた。
「困るんだよねぁ、邪神さん! ……ってことで、捕縛開始っ」
 ローズの放った銃声が、フラメンコの手拍子のように甲高くリズミカルに響き渡り、ケララの触手の一部が吹き飛んだ。
 一斉に観客から歓声が上がった。

「うわぁ、ダメだ」
 ステージを呆然と見ていた五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)が、絶望的な声を上げた。
「バケモノと一緒にお客さんまで引きつけちゃってるよ……」
 ケララとそのネバネバは賑やかなローズとカンナのショーに引き寄せられ、客の方に這い寄ることも忘れたようにステージに集まっている。しかし、客もまた危機感を喪失したような熱狂の表情を浮かべ、ステージに向かって押し寄せていた。
 その頭の上を、銃で吹き飛ばされた破片が飛んでくるのを、シロ……ことンガイ・ウッド(んがい・うっど)は見た。それは放物線を描いて、シロの足元に叩き付けられ、べしゃりと嫌な音を立てて潰れた。
「……む」
 一瞬不定形の液体状に潰れたそれが、またじわじわと中央に集まり、小型のケララに似た姿を形度って行くのを黙って睨みつけていたシロは、それが完成するのを待たず、いきなり踏みつぶした。
「なんだ、こやつは!」
 ぐしゃ。
 足の下で潰れた小型ケララは、また弾けて液体になって飛び散った。
 その飛沫が、さらに超小型ケララに変化しようと蠢いている。
「こやつは、こやつは!」
 ぐしゃ、ぐしゃ、とモグラ叩きのように踏みつぶして、シロは憤然と顔を上げた。
「あやつ、我を差し置いて這い寄るとは一体何様であるか!? 這い出てきたら真っ先に我に知らせるべきであろうが!」
「……どういう主張だ、それは」
 呆れたように上杉 三郎景虎(うえすぎ・さぶろうかげとら)が突っ込んだが、シロは気にも留めずに、まだ地面で増殖を続けるちっちゃいケララを踏みつぶす。
「だいたい、最近は軽々しく這い寄る者が多すぎるのである。実にもって、嘆かわしい!」

「おや?」
 シロの言葉に耳を止めて、エッツェルが小さく声を上げた。
「では……あれは本当に這い寄る者なのですか? 私はてっきりルルイエからの出張ショーかと」
「どんな邪悪なショーですか!」
 ラムズ・シュリュズベリィが即座に突っ込んだ。
「平然と見てるから、主が首謀者かと思いましたよ」
「失礼な。そこにも一匹、似たようなモノがいるようですが……まあ、放置もできませんね。一般客の避難手伝いでもいたしましょうかね」
 「似たようなモノ」と呼ばれた『手記』が発した殺気を受け流すように、エッツェルは言った。
「……触手の塊と協力など、あまり気がのりませんが、あのままでは一般のお客様に被害が及びますね。ラムズ、あの冒涜的なケララとやら、こちらに引き付けましょうか」
 ラムズがふうっと小さく嘆息して、肩をすくめた。
「不定形のお客様ですか?……本来でしたらお客様は選びたいのですが、致し方ありません。満足頂けるよう、頑張るとしましょうか。歌姫はお願いしますね、輝夜さん」
「えええ、えっと……」
 いきなり役を振られた輝夜は、戸惑ったような声を上げた。
 人前で歌うのは、恥ずかしい。しかし、緊急事態ならば、力はつくしたい。
 ……けど、不定形のお客さんって、どんな感じに歌えば喜ぶんだろう?