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はじめてのお買い物

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はじめてのお買い物

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 ルシアはいつの間にかエースとクマラを見失っていた。ナンパと街頭販売に引っかかった結果ではあるが、おのぼりさん丸出しのルシアが見失うのは、それがなくても時間の問題だったとも言える。
 遅まきながらこれは迷ったと悟ったルシアがチラシを取り出して地図を眺める。現在位置の把握に苦戦しているのか、チラシと辺りを何度も見比べたり、なぜかチラシを傾けてみたり、そして、
「どうしたの? 大丈夫?」
 ルシアに声をかけたのは水鏡 和葉(みかがみ・かずは)ヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)だった。
 そもそも和葉とヴェルリアが遭遇したことからが偶然だった。近所のスーパーに買い物に行くつもりだったというヴェルリアが和葉とばったり、それぞれのパートナーが顔を青くすることになるその遭遇にそれ以上の意味はなく、だからこそ一際喜んだ二人が記念に空京のデパートまで行こう、おー、というのがことの経緯だった。
「そっかあ、ルシアちゃんはこれがはじめての買い物なんだね」
 和葉は、迷ったルシアに向かって、「まっかせてよっ」と胸を叩いて迷いない足取りで先導する。
「うん。でも、空京って思ってたよりも広いのね。初めて来たから驚いちゃった」
 ルシアの言葉にヴェルリアが同意した。
「そうなんですよ、これだけ広いとちょっと迷っちゃうこともたまにあるんですよね」
 和葉も何度か頷いて、
「そうそう、ボクも何度か迷っちゃったことがあるよ」
「なるほど、みんな通る道なのね」
 ルシアが納得したように言った。
「そうです、慣れれば迷うことなんて、ちょっとしかありませんよ」
「たまーに迷うくらい誰にだってあることだしね」
 ねー、と和葉とヴェルリアが顔を見合わせて笑った。それぞれのパートナーが聞いたら果たしてどんな顔をするか、事情を知らないルシアは微笑ましい光景に口元を緩めた。
「二人は仲良しなのね」
「そうだよっ。だから、お休みの日なんかはこうやって一緒に遊びに行きたいんだけどね、なんでだかルアークに邪魔されるんだ。あ、ルアークっていうのはボクのパートナーなんだけどね」
「私の方もなぜかパートナーの真司が止めてきて、こうやって二人でお出かけするのは久しぶりなんです」
 話を聞いて、ルシアは首をひねる。
「なんで二人のパートナーは止めたりするの?」
 さて、心当たりがない、と和葉とヴェルリアが腕組みをして考え込んだ。
「うーん、あ、そうだ、ボクがヴェルリアちゃんと仲良くすることに嫉妬してるのかもっ」
 そんなことを言って笑い合う。知らぬは本人ばかりとはまさしくこのことだった。
 笑い合う三人がまるで気づかないその頭上には「この先、空京デパート」の看板。看板が誘導する矢印は三人の進行方向とは真逆を指しており、三人は一歩一歩を踏み出すたびに目的地であるはずのデパートから遠ざかっていく。
 ルシアを案内する和葉とヴェルリアは、何の含みもなくルシアを空京デパートに連れて行こうとしている。今歩くこの道をどこまで行ってもデパートにたどり着くことはないなどとは、欠片も思っていない。
 要するに、和葉とヴェルリアの二人は方向音痴だった。それも、とびっきりの。
 方向音痴二人をくっつけていいことがあるわけがない。方向音痴を足すのか掛けるのかは分かったことじゃないが、迷いに迷った二人を迎えに行くのがパートナーの役目とくれば、和葉とヴェルリアの二人で外出なんて事態は、パートナーとしては普段からなんとしても妨害していた。
 なので、二人のパートナーはそれなりの善後策を用意するのも早かったのだった。
「ん?」
 和葉が鼻をひくつかせる。
「これは……とっても美味しそうな甘味だよっ!」
 勢いよく指さした先は人通りのない脇道で、そこには、スイーツがポツンと。
 怪しい。それはもうあからさまに怪しい。
「なに、あれ」
 さすがのルシアも呆れたような声を上げた。
 しかし、和葉とヴェルリアはまるで耳に入っていない様子で、じり、とわずかに詰め寄る。
 もちろん、和葉だってヴェルリアだって罠かなにかだと分かってはいるのだ。が、その目が捉えるのはただひとつ、至極真面目な顔をして、声を落として、
「……ヴェルリアちゃん、女の子には退いちゃいけない時があるんだ。分かるよね?」
「……はい。それが、今です」
 なんだこれ。
 よーいドンの合図でも待っているみたいに、今にも飛びかからんとやや姿勢を低く、足裏のコンクリートをこれ以上なく力強く感じて、そして、和葉とヴェルリアはほぼ同時に素晴らしいスタートを決めた。
 弾かれたような速度でスイーツを回収、なんらかの罠が作動するよりも前に即座に離脱、これで完璧、一瞬、和葉とヴェルリアは、目を合わせ力強く頷いた。
「はい、ストップ。そこまで」
「まさか本当に引っかかるとはな」
 あ、と口を半開きにして、和葉とヴェルリアが停止した。
 二人のパートナー、ルアーク・ライアー(るあーく・らいあー)柊 真司(ひいらぎ・しんじ)だった。
「ほら、柊、ちゃんとうまく行っただろ?」
「そうだな。それについて喜ぶべきか、悲しむべきか悩むところだがな」
 ルアークはニヤリと笑って和葉に向き直り、真司は嘆かわしそうにヴェルリアを見やる。
「さぁて、俺達、これで結構探すのに手こずったんだ。お仕置きくらい覚悟してよねー」
「あ、あのね、ルアーク、ボクはちょーっとだけヴェルリアちゃんと遊ぼうと思っただけでね、それでね、」
 必要以上ににこにことした笑みを浮かべるルアークに、なにやら危険なものを感じて和葉は必死で、自分でもよく分からないような弁解をする。
「出かけるな、とはもちろん言わない。けど、自分と和葉の方向音痴ぶりは、少しは自覚してるだろう。迎えに行くこっちの立場になってくれ。異界にでも行こうものならどうしようもないからな」
「い、いやですね、真司。それはちょっと大げさですよ」
 真司は「大げさだったらどんなにいいことか」と、つぶやく。
「ともかく、帰るぞ。自分の方向音痴ぶりをもっとよく言い聞かせた方がよさそうだからな。正座で説教だ」
「それと、そうだね、罰として一ヶ月くらいスイーツ没収なんてのもいいんじゃないかな」
 「そんな殺生なっ!」と和葉とヴェルリアはじたばたと暴れるが、それぞれルアークと真司に首根っこを押さえられる。
「あ、ああ、ほら、ボクたち今ルシアちゃんを案内してるところだったんだよっ!」
 苦し紛れのように和葉が叫んだことで、これまで蚊帳の外で呆気に取られた顔をしていたルシアに注目が集まった。
「案内ぃ? 和葉が? どこに?」
 方向音痴の道案内なんてない方がマシだ、ルアークはそんな思いを隠そうともしない。
「ルシアさんは空京デパートに行くところだったんです」
 真司は眉根を寄せて、それからルシアに向かって少し頭を下げる。
「すまないことをした。ずいぶんとデタラメな道案内だった」
 ルシアが不思議そうに、
「え、デタラメな道案内って?」
 あんたも方向音痴かよ、ルアークはそう思いながら空京デパートの方向を指さす。
「空京デパートの方角は向こう。ちょうど真逆だよ」
 わぁそうだったんだ、ルシアと和葉とヴェルリアの三人が揃って意外そうな目でルアークの指先を追った。
「そっか、向こうなんだ。うん、ありがとう」
 ルシアが手をかざして眺めながら笑った。これはどうも不安だ、と、真司とルアークは顔を見合わせる。リファニーやその協力者を始めとして、会う人会う人にそんな風に思われるのは、これも一種の才能かもしれない。
「それじゃ、私は行くわ。二人のこと、あんまり怒ったりしないでね」
 真司は表情を緩めた。
「善処する」
 和葉とヴェルリアが手を振って呼びかける。
「またこんどねっ、ルシアちゃん」
「ルシアさん、がんばってくださいね」
 ルシアが手を振り返す。
「二人もがんばってね」
 待ち受ける説教を思って、和葉とヴェルリアがげんなりとした。