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誰が為の宝

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誰が為の宝

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 ニルヴァーナ、とある岩山。

 想定外の事態だ。
 東 朱鷺(あずま・とき)は涼やかな銀の瞳で、目の前の光景を確認する。
 中継地からなら、飛空挺を使っても丸一日がかり。一番近い町からでも、徒歩でゆうに半日はかかる辺境の土地だ。
 開発どころか調査も行き届かない、普通であれば人の近寄るような場所ではない。
 そんな場所だからこそ、朱鷺の「ぶらりニルヴァーナ探索の旅」にはうってつけの場所だったのだが。
 眼前に転がる岩の塊が、ぎちぎちと耳障りな音を立てて震えている。
 よく見れば、それは岩石ではなく、岩石に擬態した甲虫のようなものだ。
 そしてこの不快な音は警戒音なのだ。
 現に、何か無数の敵意あるものが這い寄るような、全身の産毛が逆立つ感覚が止まらない。
「……モンスターがいるなんて、聞いていません」
 ためしに抗議の言葉を口に出してみたが、事態に変化はなかった。
 そんな場所とは知らなかったから、探索の「ついで」に道々八卦術の修行をしながらやって来たのだ。
 目の前の岩石の甲虫は、いつでも飛びかかれるように身構えてこちらを窺いながら、仲間を集める警戒音を発し続けている。
 この一匹の攻撃をかわして、反撃を加えることは、おそらく可能。
 だが、その後、周囲に集まっているであろう群れに襲いかかられたら……正直、確実に凌ぎきる自信はなかった。
 何故なら、道々の修行で朱鷺のSPは「すっからかん」に近いのだ。
 敵の攻撃を凌ぎながら八卦術・六式【離】を展開してSPの回復を行っていたが、さて、大技で起死回生を図るまで身が保つかどうか。

 ……この場合、現状を打破する展開は。

 ひとつ、たまたまもっとヤバいモンスターが通りかかって、虫は逃げ去る。
 ひとつ。たまたま助っ人が通りかかる。
 ひとつ。たまたま朱鷺がすごいアイデアを思いつく。

 ひとつ目の展開は、状況が悪化するだけなので、御免被りたい。
 ふたつ目は、現実味がない。
 残るはひとつ。
「結局、自分でどうにかするしかない訳ですか……」
 不満そうに呟いて、ため息をつく。

(……おや?)

 警戒で研ぎすまされた五感の端で、モンスターとは違う気配をキャッチして、朱鷺は僅かに視線を移す。
 こんな場所に人が通りかかるとは、さすがに期待してはいなかったのだが……もしや、現実味のない展開が現実になったのだろうか。
 【名乗り】を使って協力を請うことができれば……と、朱鷺は微かな希望を持つ。

 同じ気配を感じたのか、目の前の甲虫が僅かに身を沈め、いきなり朱鷺に飛びかかった。
「……っと」
 ひらりと身をかわす。振り向きざまに攻撃を加えようとして、小さな悲鳴に危うく踏みとどまる。
「……きゃっ」
 朱鷺は不自然な姿勢で声の主を見た。
 女の子が1人、甲虫の行動線上で立ちすくんでいる。
 見たところ探索目的のようだが、真正面からの攻撃に棒立ちになっている様子から見て、彼女に戦闘能力があるとは思えない。
 ここから朱鷺が攻撃すれば彼女を巻き込むだろう。
 助っ人どころか、状況は更に悪化したらしい。
 朱鷺は少女に向けて叫んだ。
「避けて!」
 鋭い声に、少女はようやく我に返ったように横に飛び退って地面を転がる。
 甲虫は勢い余って背後の壁に突っ込んだが、たいしたダメージを受けた様子もなく、見失った目標を探すようにこちらに向き直る。
「……ち」
 小さく舌打ちして、朱鷺は八卦術・八式【兌】を展開した。
 神獣の幼生を召喚。
 ……これで、戻ったSPもまた尽きるな。
 ちらっとそう思ったが、見捨てる訳にも行かない。
 朱鷺は召喚した神獣に命じた。

「キミ達、彼女を護ってください!」
 

 ◇   ◇   ◇

 
 遡って、数時間前。

 モンスターの討伐依頼に追加依頼を書き込み終えて、情報屋はため息をついていた。
「情報の内容と、情報を渡す相手はしっかり見極めた方が良いと思うけどねぇ」
「……言うなよ」
 背後から飛んだ辛辣な一言にそう返して、もう一度ため息をつく。
 声の主は、飛び込んで来て大騒ぎするウィニカの相手をする為に、やむなく奥で待たせていた黒崎 天音(くろさき・あまね)だ。
 いつの間にか傍らに立って、手元の端末を覗き込んでいる天音に、言い訳がましくつぶやく。
「これでも少し、反省してるんだ」
「へえ、めずらしい。ええと……おじさんイイ人だね、だったかな」
「だーから、反省してるって」
 ゴツい顔を歪めて、天音の悪戯っぽい笑顔を睨みつける。
「……で、あんたの件だが」
 強引に話題を変えるように言って、情報屋は端末から離れた。
「白い犬の目撃情報だったか。今、それらしいネタは……おい、どうした」
 部屋の奥に戻ろうとして、天音が着いて来ないことに気づく。彼は端末を覗き込んだまま、ちょっと考えるように頤に指をあてて首を傾げていた。
「これ、僕も受けようかな」
「おいおい」
 情報屋は呆れたように天音を見た。
「たいした報酬じゃねぇぞ。なんたって、依頼主がこの俺だ」
「さっきの件だけど」
 天音はようやく顔を上げて、情報屋を振り返る。情報屋は眉を顰めた。
「白い犬、か?」
「そう。その件、最優先で僕に情報を回してよ。報酬はそれでいい」
 意外な提案に思わず言葉を呑み込む。反射的に損得を計算してから、改めて疑わし気に天音のポーカーフェイスを観察する。
「確実に情報が入る保証はねえぞ」
「最善を尽くせ」
 言い放って、にこりと笑う。
「……話は纏まったか」
 今まで無言で扉の横に控えていたブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が唐突に口を開いた。
「なら、さっさと行動開始だ」
 情報屋が面食らっていると、ブルーズは目を僅かに細めて大きな口を歪める。
 どうやら、笑ったらしい。
「仕方あるまい。話を耳にしたからには、放っておくわけにはいかんだろう。ポイントを我のHCに登録してくれ」

 二人が立ち去ると、情報屋はなんとなく苦笑をこぼして、つぶやいた。
「ったく……おにいさんたちもかなり”イイ人”だぜ」


 ◇   ◇   ◇


 また少し後。別の場所で。

「どうしたの?」
 声をかけられたアイシァは、素直なストレートの髪を揺らして振り返った。
 心細い表情を隠そうともせず、声の主を不思議そうに見上げる。
「もしかして、迷子かしら?」
 こちらを見ている金髪の女性……ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の表情は、ファニー・メイの優しい笑顔にすこし似ていると、アイシァは思った。

 飛び出して行ったウィニカを追って戻った宿には、すでにウィニカの姿はなかった。
 誰もいない部屋にアイシァへの伝言すらないことも、また、予想していた通りだった。
 ウィニカは止まらない。
 だから、アイシァもこんな事で落ち込んで立ち止まってはいられないかった。
 とはいえ。
「……ど、どうしよう」
 数時間の後、アイシァはこうして道の真ん中に呆然と立ち尽くしている。
 情報屋から聞いたポイントにウィニカが直行すると考えて、特に何も考えずに「一番近い町」に向かったのだ。
 モンスターのことを知らないとはいえ、ウィニカだって準備くらいはする筈だ。
 だから、ここまでくれば追いつくと思ったのだ。
 だが、地図上の「近い」と、移動ルートとしての「近い」はしばしば異なるのだということを、アイシァは知らなかった。
「どうしよう」
 アイシァは泣きそうになってもう一度つぶやいた。
 町で聞いて回っても、ウィニカの姿を見たという人は見つからない。モンスターの討伐隊の人が集まっている様子もない。
 情報屋のおじさんに確認しようとして、その連絡先も聞いて来なかったことに気づいて、アイシァはようやく絶望的な事実に気づいた。
(もしかして、あたし……迷子?)

「ちっ、ちがいますっ」
 心の中を言い当てられた気がして、アイシァは反射的にそう言って、後悔する。
 どう考えても、自分は今、迷子なのだ。
 誰かの助けが必要なら、ちゃんと話をしなくちゃいけない。うまく説明できるかどうかわからないけれど。
「ええと、あの……」 
 必死で言葉を探していると、ルカルカが口を開いた。
「アイシァちゃん、だよね?」
「……え?」
 面食らったように自分を見つめるアイシァに微笑みかけて、ルカルカは言った。
「迎えに来たの。とりあえず、みんなと合流しよう」
 それから、状況が掴めずにいるアイシァを安心させるように、優しく微笑んだ。
「……それで、一緒にウィニカを助けようね」