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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4

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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4
ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4 ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4

リアクション

「おいしいねえ、お兄ちゃん」
 もぐもぐ。もぐもぐ。
「まあまあかな。俺は、お母さんの料理の方がおいしいと思うけど――って、思い出した!
 おい、青い鳥どこだよ!?」

「あ、忘れてなかったのか。はいはい。ちゃんと覚えてるよ。
 執事」
「は。チルチル殿、こちらをご覧ください」

 晃がさっと手をひと振りするとビロードを張った机が現れ、その上に何羽もの鳥が現れた。
 黄金でできた鳥、宝石をはめ込まれた鳥。
 大小さまざまな格好で、ゴツいのもあれば、優美な曲線を描いた鳥もいる。
 しかしそのどれも、生きた青い鳥ではなかった。

「違うよ。俺たちが探してるのは青い鳥だ」
「ふふふ……そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない」
「えっ?」
「本当にきみが必要としているのは青い鳥なのか? よーく考えてごらんなさい。青い鳥を手にした者はしあわせになる……なんて抽象的な言葉でしょう。一体青いだけの鳥が何をしてくれるんです? ごはんを出してくれますか? お金を生み出してくれますか? あったかい服を買ってくれますか?」
「そ、それは…」
「しかし! これならばッ! この物たちならばッ! そんな心配は一切不要! 全身純金の塊! 瞳はルビー製! 入用になるたびにちょちょっと削って売れば、たちまちおいしい食べ物やあったかい洋服が手に入るのですっ! もちろんお父さまだって働く必要はなくなり、街に大きな屋敷を構えることもできます! 馬車だって持てるし下男たちだって雇える! 美人のぴっちぴちメイドに「お坊ちゃま、なんなりとお申しつけください。わたくしはあなただけのメイドですわ」なんて言ってもらえて毎日ウハウハですよ!
 ああ、なんとすばらしい! 酒池肉林こそまさしく男の夢――」


「しょーもないこと吹き込んでんじゃなーーーーい!」


 スパーーーンと小気味のいい音が高く上がったと思ったら、残像を残して晃の姿が消えた。

「まーったく。小さな子ども相手に、何を吹き込んでいるのよ」
 壁まで飛ばされてそこにめり込んだ晃を見ながら、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は巨大ハリセンを肩でトントンさせる。

 晃はぺりりと貼りついた紙同士がはがれるような音をたてつつ壁から離れた。
「い……いや、しかしですね…」

「晃、鼻血垂れてるよ」
 おいしそうな料理をもぐもぐしながら、樹がツッコむ。

「現実的に考えて、生身の鳥などより黄金や宝石でできた鳥の方が、何倍も長く彼らをしあわせ(裕福)にすると思いませんか?」

「思わない!」

 さゆみは断言する。

「ひとのしあわせっていうのはね、お金とか物とか関係ないの。そういうのを超越したところにあるの。たとえば、いたわりとか共感とか。他人がかけてくれた何でもないたった1つの言葉が生涯に渡ってしあわせにすることだってあるのよ。物欲を満足させればしあわせなんて、さもしいわ!
 もしこの子がそんなふうになっちゃったら、どう責任とる気よ!」


「フッ。大丈夫、全ての責任は吉崎さまがちゃんとお取りになります」


「えぇえッ!? また俺っ!?」
 がびーーーーーーーん、となった樹のフォークから、ミートボールがころんと落ちた。


 そんな2人のやりとりなど無視して、さゆみは次にチルチルの方を向いた。
「あなた、まさかその鳥たちを持って帰ろうなんて思ってないわよね…?」
 先ほど目の前で晃が派手に吹っ飛ばされるのを目撃したチルチルはいまだ声もなく、衝撃の冷めやらない顔でプルプルと首を振るばかりだ。
 その視線はさゆりが担いだ巨大ハリセンにぴったり貼りついている。
「本当?」
 チルチルの反応を、何か後ろめたいことを隠しているのではないかと勘繰ったさゆみは距離を詰める。

 ピキ、とほおを引きつらせたチルチルを見て、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)がそっとさゆりに近付くとハリセンを握った手に手を重ねた。
「さゆみ。相手は小さな子どもです。あまりおびえさせてはいけませんわ」
「え?」
 思いもよらなかった言葉を聞いて目をしぱたかせる。
 本当? とアデリーヌを見返すと、アデリーヌはうなずいた。

 あらためてよくよく見れば、アデリーヌの言うとおりだ。チルチルもミチルもおびえている。
「えー……えーと。ごめんなさい」
 ぽんぽんと軽く手をたたいてさゆみから離れたアデリーヌは、チルチルたちへと近付いた。

「そんなに警戒しないでください。大丈夫です。彼女はああ見えてとても正義感の強い女性で、あなたたちが悪いことをしないか心配しているんですわ」
「でも…。じゃあ、これは悪い物なの? こんなにきれいなのに」
 ミチルが手に取っていた小さな宝石の鳥を、ぎゅっと抱き締めた。
 その声やしぐさには純粋に、きれいな物、かわいい物への少女らしい愛情がこもっている。
 アデリーヌはほほ笑んだ。

「おねえちゃん……だれ?」
「わたくしも彼女も、ここにいる全員<幸福>の精霊です」
「こうふく?」
「そうよ」
 と、さゆみもやってきて同意する。
「わたくしたちはいつでもあなたの周りにいるんですよ。わたくしたちはみんな、あなたの家のしあわせなのですから」

「俺んちの!? 貧乏な俺んちにも幸福がいるのか!?」
 チルチルは本気で驚いているようだった。
「わたくしたちはどこにでもいます。ドアの影、戸棚の横、テーブルの端……それこそ屋根が持ち上がって、壁がこれ以上ないほどふくらむくらい、ね?
 ですからあんな物は、あなたには必要ないのです」

「だけど……これがあったら、お父さんたち…」
 ちら、とチルチルはテーブルの上の鳥たちを横目に見る。先に晃から聞いたことに魅力を感じて、まだ捨てきれないでいる様子だ。
 やれやれとさゆみはため息をついた。
「よく聞きなさい、小さなおばかさん。お金で買えるしあわせは、お金がなくなったらそれでおしまい。それは結局あなたから一番遠くにしかないものだから。でも、いつもそばにあるしあわせは、決してあなたを見捨てないのよ」

 チルチルはどこか複雑な表情をしていたが、さゆみの言ったことを反すうするように考え込み、やがて小さくうなずいた。少々、不承不承といった感ではあったが。

「よし! いい子ね! じゃあ向こうへいって、みんなで一緒においしい物を食べましょう!」
 さゆみはにっこり笑い、チルチルの肩に手を回すと宴会へと連れ込んだのだった。



 みんなでわいわい食事をしているなか。
「本当にきれいねえ、お兄ちゃん。これなんか、今にも歌い出しそう」
 食事を終え、鳥たちを使っておままごと遊びをしていたミチルは、あらためてしげしげと自分のてのひらの上に乗った宝石製の小鳥を見つめた。
「持って帰れないんだぞ」
「分かってるわよ。ただ、歌ったらもっといいのにって思っただけ」

「ふん。おまえ、その鳥が気に入ったのか」
 突然頭上から声がして、ミチルは振り仰いだ。
 いつの間に近付かれていたのか、すぐ後ろに青年が立っていて、ミチルの手元を覗き込んでいる。
「歌を歌うようにしたいのか」
「できるの?」
「ああ、できるぞ。なんといっても俺は、この宮殿お抱えの魔法師だからな」
 武崎 幸祐(たけざき・ゆきひろ)は自信たっぷりにそう言って、己を指した。


「こっちだこっちだ」
 チルチルとミチルは幸祐に案内されるまま、あとをついて行った。
 やがてとあるドアの前にたどり着き、幸祐がガチャガチャと鍵を開ける。
「さあ、ここが宮殿での俺の研究室だ」

 そこは、まるで学校の科学の実験室みたいな部屋だった。
 広い部屋なのに、ひと1人が通れる程度の隙間を残してほかは全部長テーブルで埋まっている。テーブルの上はフラスコやビーカーや、そのほかチルチルたちも目にしたことのない不思議な実験用具で埋め尽くされており、何やら得体のしれないサラサラの液体やねばつく液体、青や緑に発光している液体がゴポゴポ音をたてていた。

「うわーすげー」
 ミチルはちょっと異様さにおびえているが、チルチルは目を輝かせてそれらの実験器具に注目し、まるでジェットコースターのように組まれた継ぎ目のないガラス管のなかを移動している液体を目で追っている。

「うんうん。そうだろう、そうだろう。科学は浪漫だからな」
 幸祐はチルチルの反応に満足そうに何度もうなずく。

「あのぅ……それで、鳥さんは…」
「おっと、そうだった」
 ざっと書き物机の上を占拠していた設計図やら何やらを横に押しのけ、スペースを作る。
「ちょっと待ってくれたまえ。今準備を――ん?」
 キィと音を立てて「手術室」とのプレートがついたドアが開き、銀色の髪をした美しい女性が入ってきた。

「マスター」
 冷めた目と無表情で、ヒルデガルド・ブリュンヒルデ(ひるでがるど・ぶりゅんひるで)が幸祐を呼ぶ。
 その体は無数の飛び散った返り血と煤で汚れている。
「ああ、おまえか。来ていたのか。気付かなかったよ、鍵がかかってたし」

 幸祐はそんなヒルデガルドの姿も見慣れたもので何ともなかったが、チルチルとミチルはびくっととびあがってしまった。
「お兄ちゃん…」
 ささっと兄の後ろへ回って上着のすそを握り締める。

 ヒルデガルドはそんなミチルたちをチラ見しただけで、すぐ幸祐に視線を戻した。
「マスター以外の人が現れては面倒なので、内側から鍵をかけていました。
 マスター、調整をお願いします」
「ああ、そうだな。血は粘性がある。それだけ汚れてたら、駆動系に支障が出ているだろう」

 さっさと壁に並んだポットまで行くと、幸祐はスイッチを入れて起動させた。うす緑色の光がポット内部で点灯し、機械の作動音が虫の羽音のようなうなりを上げ始める。
「ほら、入れ」
 幸祐の指示に従い、ヒルデガルドは全裸になるとポットのなかへ入った。二重ガラスの入り口が閉じて、上から液体がシャワーのように降りそそぐ。液体はあっという間にポッド内に満ちて、ヒルデガルドの髪の毛がふわりと広がった。
 緑色の光を浴びて漂う銀色の髪と白い肌はとても煽情的だったが、残念ながらチルチルたちは幼くてそういったことは分からず、また幸祐は彼女の創造主であるがゆえに、特に何も感じることはなかった。

「これもおにいちゃんが作ったの?」
「ああ、そうだ。すごいだろう?」
「本物の人間みたいだ」
「外見はな。精神面はまだまだ、発展途上だ。俺は錬金術師だが精神科医じゃない。
 さあ、彼女はこれでよし、と」
 コンソールをたたいて自動洗浄をセットした幸祐は、再び机に戻った。

「お嬢さんは歌う鳥をご所望だが、そうするには少し時間がかかる。その間ここにいても退屈だろう。どこか……そうだな、宮殿でも探索してくるか?」
「えー? 俺、ここもうちょっと見たい!」
「わたし、探索の方がいいわ」
 すっかり部屋に魅入られて、ぐるりと首を回すチルチルと、落ち着けずに出て行こうと兄を引っ張るミチル。

 そのとき、入り口のドアが内側の壁にぶつかる勢いでバーーーーンと開いて、突然銀糸の絹で織られた外套に金銀宝石の高価できらびやかな装飾品を体じゅういたる所につけた、見るからに派手な女性、蘇 妲己(そ・だっき)が飛び込んできた。

「あーーーんっ、幸祐〜。ローデリヒったらひどいのよーーーん!」
「ぐえッ」
 わき目もふらずまっすぐ幸祐の元まで走り、勢いそのまま首にしがみつく。

「い、一体何があったんです? 女王」
「この宮殿の女王、ここで一番偉いこの私に、パスタを控えろって言うの! よりによってパスタよ!? 信じられる!? あれほどおいしい食べ物はないのに!」
 ちゃっかり幸祐のひざに座り込んで、妲己は涙ながらに訴えた。
 残念ながらその話はなんだか全く要領を得ない内容ながらも、ふた言目には「パスタが」「パスタで」「パスタを」とパスタが入っていたので、なんとなく理解はできた。

「パンやケーキよりずーーーっとおいしいんだから! みんなパスタを食べればいいのよ! そうよ、そうだわ! この国の主食は今日からパスタよ! そうすればローデリヒだってあんなこと言い出したりしないわ!」
「つまり、パスタが食べたいんですね…」
 力説する妲己の声があまりにうるさくて、指で栓をしながら答えていると。

「また幸祐にアホなことを訴えてるんですか」
 ローデリヒ・エーヴェルブルグ(ろーでりひ・えーう゛ぇるぶるぐ)が、あきれを隠そうともせずに腕組みをしてドアにもたれていた。
「そんなことをしたところで何もならないのに、ばかのひとつ覚えですね」

「なっ、なによぉ。あんたなんかキライ! こんなとこまで追ってこないでよ!」
 妲己は涙目で訴える。
「私もそうしたいのはやまやまですが、そういうわけにもまいりません。さあ、早く戻ってください。パスタが冷めますよ」
「えっ? 食べちゃいけないんじゃないの?」
 きょとんとなった妲己に、ふーっと重いため息をつく。
「もう作ってしまった分はもったいないでしょう。今後はともかく、今テーブルに乗っている分は食べてください。
 それに、一応言っておきますが、食べてはいけないと言ったわけではありません。控えるようにと言っただけです」
「……同じじゃないの」
「全然違います」

「ま、いーわ。食べていいんなら」
 ぴょんっと幸祐のひざから飛び退いて、妲己はうきうきステップ踏みつつドアへ向かう。
「あ、そうだ。そこのおチビちゃんたち。あなたもいらっしゃい。ここでいちばーーーんおいしい料理を食べさせてあげるっ」

「え? でもわたし、おなかいっぱい…」
「いいからいいから ♪ おいしい料理はね、いつでも別腹なのよっ」
 妲己は上機嫌でミチルをぐいぐい引っ張って行く。

「ミチルっ」
「あー、きみも行くといい。こっちが終わったら、俺も行くよ」
 ずるずる引っ張られていくミチルと、それを追いかけるチルチルに向かい、幸祐は手を振った。



 妲己お抱え音楽家であり、エーヴェルブルグ公爵でもあるローデリヒは、オーケストラをバックにその卓越した腕前でピアノを演奏していた。
 美しい、妙なる調べがルネッサンスを思わせるような調度品であふれた大広間じゅうを流れ、満たすなか、妲己は喜々としてパスタづくしをほおばっている。

「ね? おいしいでしょう? ほらほら、これも食べてみて〜、私の大好物なの! カルボナーラよ!」
「う、うん…」
 同じテーブルについたミチルとチルチルに半ば強引にすすめていると、幸祐が箱を小脇に抱えて入ってきた。

「ほら。きみが欲しがっていた、歌う宝石の鳥だ」
 箱のふたを開くと小鳥が飛び出し、金の燭台に止まって歌を歌い始める。
 それを見て興奮したのはチルチルの方だった。
「すごい! ついさっきまで、ただの置き物だったのに。錬金術ってこんなことができるのかー!」
 すっかり目が釘づけになっている。

 そのとき、それまでずっと後ろで控えていた<光>が言った。
「そろそろここを出よう、チルチル。長居しすぎた。ここに青い鳥はいない」
「うん……でもちょっと待って。もうちょっと…」

「なんだ、きみたちは青い鳥を探しているのか」
「どこにいるか知ってるの?」
「いや、それは知らない。だが聞いたことはある。持ち主をしあわせにする青い鳥の話をね。しかし、きみたちに見つけられるかな?」
「どうして?」
「しあわせはふしあわせを知らないと、真に理解できない。錬金術と同じだ。そこには不変の節理があり、常に天秤は釣り合っていなくてはならない。分かるかい?」

 残念ながら、それはチルチルには難しすぎたようだった。ミチルには言わずもがなだ。
「言ってること、分からないけど……でもその錬金術っていうのを覚えたら、俺にもこれが作れるのかな?」
 きれいな歌声でさえずり続けている鳥に目を戻して訊く。

「チルチル」
「待ってよ<光>。だってこれは持って帰れないんだろ。俺が覚えて帰って、家で作ればお父さんたちきっと喜んで――」
 そこまで口にして、チルチルは背後からじわじわと迫ってくる不穏な気配に気付いて振り返った。

 グラキエスから目で合図を受けたゴルガイスが忠実な<犬>の仮面を捨てて、見るからに恐ろしい、悪夢にしか登場しないような怪物に変身している。


「うわーーーーっ!! 化け物だーっ!!」


 チルチルはミチルの腕を引っ掴むと、あわてて宮殿の外へ向かって走って行った。