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●階下の異変

 ――今日はなんだか軍人が多かったな。
 ホテルに着いて、まずアルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)が思ったことだ。
「なにかあるんだろうか? コンサート以外に」
 同伴者のシルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)に問いかける。
「知らないの?」
 意外ね、アルらしくもない、とシルフィアは前置きして、
「ジャネット・ソノダっているじゃない? フェミニストだかなんだかの」
「ああ、あのオバサンか……そうか、なんだか会合があるとかで参加者を募集してたね。今日、しかもこの場所だったのか」
「そういうこと」
「実はあまり好きじゃないんだ。ああいう人」
「私も好きじゃないかな。想像でよくあそこまでいえるなーって思うし……まあ、アル君なら、ああいう人でも言い負かせられそうな気はするけど」
「たしかに私は舌は回るほうだとは思うけど、あの手合いと議論なんてのはちょっとやだなぁ……なんていうか結局、言ってることは結論ありきじゃない? あの主張通りじゃないと困る人がいるんだろうね……パスして正解かな。ま、なにがあろうと今日はこっちを優先しただろうけど」
「ふふ、デート優先ってことかしら?」
「そう考えてもらっていいよ。まあ、あえて女性パートナーばかりの私から反論するならば、会社との契約とか、結婚とかの契約に置き換えても同じことが言えるよね、ということかな。重婚とかは倫理観によるところはあるとは思うけど……」
 正装のアルクラントに対し、やはり正装で淑女然としたシルフィアは先を促した。
「なにより、君やペトラ、エメリーとの絆を適当な言葉で邪魔されたくない。だから気にいらない。
 ……ああ、また真面目な話してしまったな。せっかく二人で出かけてきたのに」
 どうもアルは、頭を使い出すと止まらない性分のようだ。見解なんて語る気はなかったのに、結局一通り口にしてしまっている。
「んー、別にいいけど。でも、のんびりしようって言ってたのにまた固くなっちゃって」
「そのようだ」
「ならリラックスしようよ。ほら、音楽ってヒーリング? 効果があるって言うし。難しいことはわかんないけど」
 シルフィアはアルクラントの手を取った。エレベーターを降りて音楽ホールへ向かう。
 もうじき、チェリスト『イーシャ・ワレノフ』による演奏会が始まる。堅い話で頭をいっぱいにするのはやめたい。
「ところで最近アル君見てて思うんだけど。またちょっとカッコつけてきちゃってない?」
 チケットを渡し、席を探しながら彼女が言った。
「カッコつけか……こればっかりは性分な所はあるからな。今日は気を抜くには『カッコウ』のシチュエーション、とでも言っとく?」
「あはは、ダジャレなんて珍しい」とシルフィアは笑って続けた。「たしかに色々あったし、自分がやらなきゃ、って思うことも多いんだろうけど、私の前くらい、気を抜いてもいいと思うなー」
 シルフィアが微笑したので、なんだかアルクラントは照れて、
「いや、すまん。確かに気を張りすぎてるかもね。じゃあ、お言葉に甘えて……甘えさせてもらおうかな。俺の恋人に」
「アル君のことを護る、ってのは心までだよ? 横にいるんだから。ね?」
 うっとりとした目でシルフィアは応えた。
 まずはこのコンサート、終わったら食事のできるところにいこう。
 このホテルでもいいし、外でも……。
 ところがその想像はここで中断となった。
 間もなくして二人は、異様な光景を目の当たりにすることになったからだ。
 会場中央に立った人物は、なるほどたしかにイーシャ・ワレノフだ。
 楽団も揃っている。
 だが、イーシャは楽器を取り出すことをしなかった。
「大変申し訳ないのですが、本日の公演は延期となりました。皆様、お気をつけてお帰り下さい」
 テノールの声でかく告げると、イーシャはぺこりと頭を下げたのである。
 当たり前のことであるが、当惑したようなざわめきがあった。
 なぜなら、楽器ケースは舞台に揃っているから。
 イーシャはもちろん、楽団のすべての者が平然としていたから。
 しかし次の瞬間、彼らが一斉にケースを開けた途端、会場は悲鳴に満ちることになった。我先に出口へと向かう者もあり、阿鼻叫喚というにふさわしい空間へと変わる。
 チェロのケースの中には、例外なく武器が詰め込まれていたのだ。
 重火器はもちろん、弾奏、ガスマスクに防弾スーツなど、よくもこれだけ揃えたといいたくなるラインナップ。彼らはこれをそそくさとまとうと、天井に向けて発砲を開始した。天井に爆弾を投げつけ、破壊した者もあった。
 真夏だが涼しい音楽ホールは、瞬時にして硝煙と爆熱風のいきかう場所と化し、暗い落ち着いたたたずまいも、炎と光で目も眩むような世界へと転じたのである。天地が逆さになったようなものだ。
「……これは、聴きたかった音楽じゃないな」
 アルクラントは辟易気味に言った。チェロの調べを味わうはずが、よりによって耳を聾する爆裂音、悲鳴と雄叫びの狂想曲を鑑賞するはめになるとは。
「デートはここまでかしら、アル君?」
「ああ、仕切り直しだ」
 二人はすぐに自分のすべきことを悟った。こちらはわずか二人。応戦して勝てる人数ではない。それならば、なにも知らない一般客の避難を誘導することが最優先だ。
 デートはまた、機会を見て行くとしよう。