葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

壊獣へ至る系譜:陽光弾く輝石の翼

リアクション公開中!

壊獣へ至る系譜:陽光弾く輝石の翼

リアクション


■ 騒動が終わって ■



 事の発端とは言え、守護天使をびしょ濡れのまま石畳の上に転がしておくのも忍びなくなり、契約者達はもう少し日当たりの良い場所に移動することにした。
 置いて行かれたという現実を受け入れることができずしばらく呆然としていた手引書キリハは青い顔で眠り続ける守護天使の、何度目かになる様子見で今もまた男の顔を覗きこんでいた。
 その様子を眺めセレンフィリティは肩を竦める。
「無理してるわよね」
「そうね」
 相槌を打つセレアナも、セレンフィリティと同じ眼差しをしていた。
「ルシェードの言うことを全部聞いちゃうってわけじゃなさそうね」
「ええ」
 ルシェードは来るかと誘っていた。置いて行ったのは移動を担当した破名の意志である。ただ、置いていった意図がわからない。どこまで性格を変えられたのかもわからない。
「マ、マーガレット……」
 ベアトリーチェから両手に出来た深い刀傷の治療を施されているマーガレットの背にリースは遠慮がちに声を掛ける。
 ラグエルを膝に乗せるセリーナも顔を曇らせていた。
 傷が治っていく自分の手をマーガレットはただただ見つめ続ける。
「壊獣、絶対に成功しない研究に、生き物を生き物に創り変える技術か……守護天使は確か神に等しいって言ってたか」
 唸る甚五郎に、腕組に羽純は相槌を打つ。
「クロフォード、否、破名か。ややこしい。神というなら国家神じゃが……過去の事例を見るに想像できぬのぅ」
「成功させいみたいですが」
「絶対に成功しないって言い切られてましたね」
 ホリィとブリジットに、甚五郎は輪郭が浮かんできた破名とは違い、全く考えを見せないルシェードに知らず臍を噛む。
「ダーくん何考えてるの?」
 ベンチに座って手引書キリハを眺めている大鋸の横に美羽は座った。
「ア? ああ、ほら前にシーが子守唄が聞こえただの、変な皮膚病だのあっただろ」
「荒野に埋まった竜の?」
「あれ、クロフォードがやったことなんだなーって思ってさ」
「……うん」
「考えてみればその頃からクロフォードの奴、様子がおかしかったな。妙に焦ってたし、それまで一ヶ月二ヶ月は余裕で留守にしてたのに、月の半分以上居るようになった」
「そう、なんだ」
「ああ」
 そして、どちらともなく二人は無言になる。
「これでいいか」
 完了とベルクに言われ、赤みの消えた両手を握ったり開いたりして、流石はマスターですとフレンディスは礼の変わりにちょっと笑った。笑って顔を曇らせる。
「行ってしまわれました」
「サイコロの呪いか。あの時はすぐに解けたのにな。成功しない研究は嫌いだそうだから完成させたんだろう」
「何をしようとしているのでしょうか」
 考えこむ二人の横で、レティシアは広げた自分の両手を見下ろしていた。気遣わしげに見上げてくるサクラとモミジに気付き、心配させないように僅かに表情を緩める。
「黙ってて欲しいって言ってましたね」
 ナオの呟きにかつみは、手引書キリハが最初に口した今日何度目かになるお願いであった事を思い出した。
「皆様の事情が許して頂けるならどうぞ今日の事はご内密にして頂けないでしょうか、か」
 結果こそ誰も犠牲になっていないからいいものの、勝手な言い分であることには変わりない。
「秘匿にしたいってことは次もあるのか、それとも無いのか」
 お願いされて、別に構わないと答えたかつみだったが、疑問は残る。エドゥアルトと目が合って、自然と手引書キリハに視線を流した。
「和輝、あの人、バレちゃったね」
 破名が終わったら今度はルシェードか。と騒ぎを起こすのが好きらしい二人に、内心勘弁してくれと思う和輝はアニスに頷いた。
「それもあるが、問題はどの館に帰ったか、だな」
 何気にルシェードが保有する建物は多い。場合によっては知らされていない館に帰っているのかもしれない。事情を聞くべきかどうかと逡巡し、
「道具を手に入れたら連絡をするといっていたのだよ。その道具が小僧であれば、近いうちに連絡が入るであろう」
 手に入れたのだから。何を今更考える必要があるのかと言う『ダンタリオンの書』に、そうだったなとルシェードの言葉を思い出した。
「特に被害は無いそうよ」
 教導詰所に連絡を入れたルカルカが手引書キリハに公園周辺での状況を知らせた。
 報告を受けて明らかにほっとする手引書キリハにルカルカは少し元気になったみたいと安心する。そして、横で思案に暮れているダリルをちらりと見た。声をかけづらいほどにその横顔は厳しい。
「キリハさん、大丈夫?」
 とりあえず着衣が濡れたままなのも可哀想だと守護天使の上衣に手をかけて豪快に脱がせ始めた手引書キリハにネーブルはそっと声をかける。
「はい。大丈夫です。取り乱してしまってお恥ずかしい限りです」
 濡れて肌に張り付いている服を脱がす手際の良さに、ちょっとネーブルは驚く。
「手慣れてるん……だね」
「はい。クロフォードが環境に適応できなかった頃に慣らされました」
「……そうなんだ」
「お体の調子はどうですか? どこか気持ち悪かったり違和感はありませんか?」
「ううん。無いよ……大丈夫」
「それを聞いて安心しました。不調があればどうぞお気軽に声をかけてください」
 脱がした服を固く絞る手引書キリハをその作業が終わるまでネーブルは隣で座って眺めていた。
 ひと通り皆の治療を終えたベアトリーチェが手引書キリハに近づいた。
「詳しく話を聞かせていただけますか?」
 ベアトリーチェは、水気を絞り落とし、広げて扇ぎ空気を孕ませる上着を胸に引き寄せる手引書キリハの俯く顔に、知らず両手を握りしめた。
「お話……そうですよね。詳しくご説明いたしますと私言いましたし……でも、何からお話すればいいのか」
 非常事態が去ってしまえば、口を噤むのが規則である。
 伝えられることは、自分達が十数年前ルシェードの手により封印が解かれた存在であること。
 ルシェードの言うように、自分達が生き物を生き物に創り変える技術を持っていること。
「それと私が置いて行かれたことですが」
 と、続けた。
 手引書はマニュアルである。マニュアルには道具の使い方と直し方と、どうしたら壊れるかが明記されているものだ。故に、破名は肌身離さず持ち歩いていた。気まぐれで手放すこともない。それを契約者の中に置いて委ねたということは、それこそがルシェードに向けた破名の答えだったのかもしれない。
 それか、本当に要らなくなったのか。
「しかし、どれも推測の域を出ないのがもどかしいですね」
 ベアトリーチェの言葉に魔導書はそうですねと同意した。
 手引書キリハが考えることができるのはそこまでである。
「大丈夫かい?」
 メシエに聞かれ、手引書キリハは大丈夫ですと答える。
「ヒューヴェリアルにはずっと側でフォローしてくださりとても助かりました」
 気遣いが上手なんですねと手引書は添える。側に来たエースは片手を軽く左右に振った。
「何か手伝えることある?」
「ラグランツにも。子供達の事にまで心配してただき、ありがとうございます」
「そのことなんだけど、子供達には伝えるの? その……」
「クロフォードが院を留守にするのはいつものことですから居ないという事だけなら大した問題ではありません」
「じゃぁ、黙っておくんだ」
「さぁ、どうしましょう」
 と、破名が戻ってくる保証があるわけでもないので手引書キリハは困り顔でエースに弱く笑った。
 気遣ってくれる二人に頭を下げて手引書キリハは綾耶の座るベンチへと移動した。
「巻き込んでしまい申し訳ありません」
 人影に気づいて顔を上げた綾耶に手引書キリハは地面に両膝を落とす。
「診せていただいてもよろしいですか?」
 請われて、隣に座る某を見た綾耶は先にしたのと同じく、そろりと自分の足を見せた。白色系の柔肌は傷ひとつ無く滑らかで、脈打ちに微かに震えている。共鳴で受けた影響は見る影もなく消えていた。
「じっと見んなよ」
 外見が少女とは言え、知らない人間にマジマジと足を見られて喜ぶような綾耶ではない。恥じらいに、しかしやさしいが故に何も言えずに居る綾耶の代わりに某が不機嫌な声で抗議した。
「すみません。どうですか、気持ち悪いとか違和感とかございませんか?」
「ない、です」
「そうですか? 何か少しでも変だなと思ったらどうぞ遠慮なく声をかけてください」
 安堵に胸を撫で下ろした手引書キリハに綾耶は茶色の瞳を瞬いた。
「ずっと歌が聞こえてました」
「はい」
「優しい声での歌が聞こえてました。聞いたことのない言葉でしたので、どんな歌かはわからないですが、声はとても愛おしそうでした」
「……はい」
「正直、ずっと怖かったです。ですけど、歌だけは、聞こえなくなる最後まで優しかったです」
 と、某の手を綾耶は握った。躊躇いの沈黙を置いて、綾耶は口を開き、閉じた。振り捨てるように緩く頭を左右に振る。足の感覚が戻るにつれて聴こえていた歌は、その旋律は、目覚めた夢のように、優しかったという感覚だけを残し記憶から消えていた。だから、続けようとした言葉を綾耶は見失ってしまっていた。
「……それだけ、です」
「…………はい」
 囁くような声で頷いた手引書キリハは、まっすぐと綾耶を見た。
「ご無事で、なによりでした」
 何も、傷のひとつも残すことがなく本当によかったと、手引書キリハは喜ぶ。



「王」
 と、皆がそれぞれ帰る中、手引書キリハは大鋸を呼び止める。
「なんだ」
「あの、守護天使の方と私を孤児院に連れていただくことはできますでしょうか?」
「なんだ、その男引き取るのか?」
「はい。多分それが一番妥当だと思うので」
 大の大人が一人追加となればマザーが驚きそうだなと大鋸は思う。
「連れて行く事は構わんが……」
「その、流石に一人では大人の男性は担げないですし」
 手引書キリハは顔を赤くしながら声のトーンを下げた。
「そもそも、私、お金持ってないんです」
 移動は常に破名の転移魔法頼りで、通貨という上等なものは持ち歩いていない。
 そして、それが、本日最後のお願いになった。