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第4章 到来の予兆


「処刑人が出たらしいぞ」
「異様な風体の男がマーケットに紛れ込んでいる」

 そんな噂が風のように、マーケット内にさざ波のように走りつつあった――


「あの、星耳男爵……ですね?」
 その声に男爵が振り返ると、2人の魔道書――パレットとリピカがいた。
「こんにちは」
 書物好きの男爵の表情が柔らかくなる。しかし、魔道書達の表情はどこか固い。
「何か私に御用ですか?」
 魔道書自身が、何か理由あって書物を求める例は多少ある。男爵が切り出すと、パレットが思い切ったように一歩進み出た。
「聞いていただきたい話と、ご相談があるのですが」
 何か仔細ありげだと、男爵もすぐに悟った。
「――では、こちらへ。パーゴラの下でお聞きしましょう」



「『万象の諱』?」
 古い魔道書を並べている出店の老店主は、おうむ返しにその名を訊き返すと、
「そりゃああんた、とうの昔に処分されたっちゅう禁書じゃねえか。
 星耳男爵も、あれはもうないと言っておる。このマーケットに出てたらそれはもう、贋物じゃろうよ」
 その言葉に、十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)ヨルディア・スカーレット(よるでぃあ・すかーれっと)は、分からないというように眉を顰めた。
「最近じゃあ贋物でも買い求める好事家がおるとかで、レプリカ扱いで売っている者はいるようじゃがの。
 本物を謳っている店には気を付けた方がええじゃろな」
 それだけ話したところで、別の客が品物を求めてきたので、老店主はそっちの対応に移ってしまった。

 ブラックブック・マーケットに行きたいと言い出したのはヨルディアだった。珍しいことを言いだすもんだな、と思いつつ、宵一はついていくことにしたのだ。
 以前に関わっている事件の関係で、千年以上前に作られた魔鎧群『炎華氷玲シリーズ』について言及された古書がないかと思い、見に来たのはいいが、沢山の古書が並ぶ中、さぁショッピングを、と思った矢先に『禁書処刑人』の噂を聞くことになったのだ。
 謎の禁書『万象の諱』を消すためにやってくるという、ひどく不気味な人外の存在。
「古書市にも、変な奴が出てきて大変だな」
 宵一は呆れて肩をすくめただけだが、ヨルディアは何やら、この存在に酷く腹を立てているようだった。
「何の権利があってそんなことするのか知らないけど、楽しい買い物の邪魔をする者は許せない!」
「……ま、落ち着けよ」
「宵一……」
「何?」
「変人を退治するのはバウンティハンターの仕事じゃない?」

「――なんでそうなる??」

 なんでなのかは結局分からないまま、宵一はヨルディアに押し切られる格好で、禁書処刑人退治に乗り出す羽目になっていた。
 そこでまず、ターゲットだという『万象の諱』を捜そうと、様々な出店に聞いて回っているのだが、いずれも先程の老店主と言っていることはほぼ同じだった。
 曰く、その書は異端弾圧で焼かれた。現存するのはすべて偽書だ。
「ありもしない書を探して暴れ回ってるんだとしたら、傍迷惑もいいところだな」
「これだけ他の人間には存在を否定されている書が、何故あると確信しているのかしら。
 もしかしたら、処刑人には、その書を見つけ出す何か『独自の手段』があるのかも」
「……だったら、俺たちが書を捜し出すのは難しいだろうな。
 処刑人を見つけて尾行し、捜し出す瞬間を押さえて行動するのがいいだろう。『万象の諱』を確保するためにも……存在するのなら、だけど」
「そうね」
 そこでヨルディアは【密偵】で『下忍』をマーケット内に放ち、処刑人を見つけ次第追跡に入ることにした。



 ルカルカと鷹勢、そして白颯は、回廊の真ん中にあるベンチの一つで休憩していた。
 鷹勢の手にあるのは、『万象の諱』――の偽書だった。これが最も古い偽書だと、売っていた商人は豪語していた。偽書に歴史があったところで何か価値があるのだろうかと、ルカルカは首を傾げたものだ。
 それでも最近は求める者が多いのだと店主は言う。
 この世の森羅万象の本性を押さえることを可能とする諱が、隠されているという暗号書。無秩序な言葉の羅列の中に、それは秘密の法則という鍵に施錠されて隠されている。
 もしかしたら偽書であっても、本物に使われているの同じ断片が隠されているのではないか。そう考えた、無限の力を目指す『自称』魔道士達がそれらを求めるのだという。
(「もしその本物と同じ断片とやらがあったとて、自分に知識がないのにそれをどうやって見分けるつもりなのかねぇ」)
 自分に力がないのにツールだけは強力なものを求める、昨今の魔道士達にはうんざりしている、というような商人の口ぶりだった。
「そうかぁ……そんな風なことを思ってたんだ」
 鷹勢から、彼がこのマーケットに来た理由を聞いたルカルカは、どこか労しげにそう言って、己の手の中でその書を弄ぶ鷹勢を見ていた。
 ページがめくれて、ひたすら文字が羅列された紙が風にひらひらとなる。
 イルミンスールの魔道書「パレット」もまた、このような本であるらしい――
 気が付くと、物思いに耽る鷹勢の翳った顔を案じるように、その足元にぴったりと白颯が身を寄せている。
「ね、鷹勢」
 ルカルカには、この白颯について一案があった。
 ――さっきも回廊沿いに店を見て回っていた時、山犬が一緒に歩いていることで驚いたり怯えたり、または商品に意識を取られたまま歩いているので足元にいるのに気付かず蹴躓いたりする客がいた。
 白颯は大人しく辛抱強いので、尻尾を踏まれても騒ぎ立てることもなかったが、それにしても、人には楽しいマーケットでも犬の視線では人の足や本を並べる棚の足しか見えず、さぞやつまらないものだろう。それがルカルカには気の毒に思えて仕方ない。
「だから、これ!」
 ルカルカはいささか意気軒昂に、【レーヴェン擬人化液】を取り出した。
「これで人間化して、一緒にマーケットを回ってみたらどうかな?」
 白颯は頭がよさそうだから、体を人間に変えても適応してきちんと振る舞えそうだし、鷹勢といつも以上の深い交流もできるのではないか。そんな風にルカルカに提案されて、鷹勢はちょっと戸惑っているようだった。無理もない、小さい頃からずっと一緒だった山犬を、人間の姿に変えるのだから。長い間馴染んでいる、見知った姿が、どんなふうに変わってしまうのか、いろいろ考えてしまうのも当然だった。
 そうは言っても、ひとりだけ四足で歩き回るために悪目立ちし、自分が本を見ている間大人しく待っていたら尻尾を踏まれる白颯が不憫で、こんな人ゴミの中に連れてきてしまったのが悪かったのかなぁなどと考えて沈んでいた時だった。ルカルカの案は、白颯に無理強いするのでさえなければ良いもののように思われた。
「白颯……どうだろう。いいかな?」
 白颯は、もちろん物は言えないが、大人しく座って尻尾を振っている。鷹勢に従う時の佇まいだった。
「じゃあ……やってみようか」
 そして、ルカルカが擬人化液を使った――その結果。

「……でっか」

 思いの外大きな体躯に、2人は異口同音に呟き、しばし絶句した。
 立ち上がった身長はゆうに190ありそうだ。足も肩も結構がっしりしている。未開の山を縦横無尽に駆けたという山犬が元なのだから、それも当然かもしれない。白い髪は長く、体を覆った服も白い毛皮のようなものだった。目は細く切れ長で、彫刻のような彫りの深さと、若さよりも年の功を刻んだ端正さを湛えた顔つきである。年自体は鷹勢と同じはずだが、山犬と人間の齢は同じには測れないからだろう、若者というより、青年期から中年期への過渡期に差しかかった年頃、と見える外見だった。
「……白颯?」
 分かる? というように鷹勢が呼びかける。白颯は切れ長の目を鷹勢に向けた。
「たかせ」
 その口が初めて、生まれた時からの仲良しの名を呼ぶ。
 思いがけない出会い――いや、ずっと一緒だったのだから出会いというのは厳密には当たらないのだが――が、回廊の真ん中でこっそり生まれていた。



 回廊内の出店のある通りを、「幼女三人を連れたリア充野郎」が練り歩いている(と傍目には見える)。
 佐野 和輝(さの・かずき)と、そのパートナーたちだ。
 先頭に立っているのは禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)である。
「ふふん、この辺りもまた、見巧者泣かせのラインナップになっておるな」
 並んでいる本を見渡して、いかにも面白そうに呟く。
 こういった催し物では贋作が山のように展示されているのが常と彼女は心得ているのだが、ここでは目端に何点か写る程度に留まっているという。
「これだけのものを集める商人たちが海千山千のやり手だということもあろうが……なるほど」
 すでに、荷物持ち係の【使い魔:大蜘蛛】は相当な量の戦利品を抱えているが、まだ『ダンタリオンの書』の購入意欲は薄れていないらしい。

「……まだ買うのか」
 分かってはいたことだが、と和輝は軽くため息しながらその後をついていく。
「あら、『古典芸術叢書』……本物かしら?」
 ダンタリオンほどではないものの古書にはやはり興味を持っている松永 久秀(まつなが・ひさひで)もまた、買い物を存分に楽しむつもりのようだ。そそくさと出店に寄っていく。
「ふうん……悪くないわね」
 一方アニス・パラス(あにす・ぱらす)は、いつもの如く和輝の影に隠れるように後ろにくっついて歩いている。
「ぅぅ、人が一杯だぁ……」
 人ごみでごった返すこのような場所は苦手なアニスは、それでも和輝と離れるのが嫌で、一生懸命ついてきている。
 和輝はといえば、何やらこのマーケットに関してキナ臭い噂を聞いているのが気になっていた。禁書処刑人が現れるという話だ。
(このマーケット運営する側は、大丈夫なんだろうか)
 気にはなるが、3人の“幼女”を連れ歩いている現状、おおっぴらに首を突っ込めそうもない。
「まぁ、あんまり考えていてもしょうがないか」
 取り敢えず、今見たところでは会場に異変はない。元来自分も本が好きなので、好みに合いそうな本を何冊か探したいところだ。アニスを人ごみから庇いながら移動し、近くの適当な出店に移動した。年代ものらしい重厚な装丁の本が、何冊も並んでいる。アニスは大人しく和輝の影に隠れて、時折本の表紙や背表紙に視線をじっと向けるくらいで静かに佇んでいた。
「(ふぅん……なるほど)」
「和輝」
 気が付くとダンタリオンが横に来ていて、片手を差し出している。
「……代金、か」
「何なら財布ごと預かるぞ」
「勘弁してくれ」
 そんなことをすれば今以上に本に手をだし、すっからかんになること請け合いだ。
「…? あれは……」
 本の山を乗せて歩いている格好の大蜘蛛の、その本の山が崩れそうになっているのに手を添えている男性がいる。タキシードに眼帯。
(確か、このマーケットの主催者……)
「こんにちは。楽しんでいらっしゃいますか?」
 大蜘蛛がきちんと本の山を整え直したのを確認して、男爵はそこから離れると一同の方へ寄ってきて、慇懃に会釈した。
「これはどうも。……星耳男爵、ですね?」
 簡単に挨拶する和輝の隣で、ダンタリオンは眉を顰め、人見知りなアニスはますます体を小さくして和輝の後ろに隠れた。
「なんだ? ……あぁ、主催者か」
 普段は非社交的で口の悪いダンタリオンだが、今は古書ショッピングを満喫していて気分がいい。気紛れに、挨拶を返そうという気になったものらしい。
「大いに楽しんでおるぞ。このような場を設けてくれたことに感謝する」
 当人としては大いに、滅多にないほど気持ちを向けた結果としての言葉だったが、魔道書を前ににこやかで愛想のよい男爵との間の決定的な温度差は、傍で見ていて否めない。ダンタリオンはそのまま、和輝から受け取った古書の代金を手に、彼女が本を求める出店へと大股に歩いて引き返していく。
「なんか……すいません」
 さすがに申し訳ない気がして和輝は言ったが、男爵は微かに苦笑しただけで首を振った。
「いいんですよ。熱心な本好きの方には、他人から故もなく声をかけられるのが五月蠅く思える方も多いですからね」
 マーケットの開催を重ねて、多くの古書商人、またマニアにも近い古書好きらと数多く触れ合った経験が、そんな言葉を紡がせるらしかった。
「……ところで、ちょっとよろしいですか」
 和輝は、いろいろ聞いていることの真偽を聞きたいと考え、ごく穏やかに切り出した。
「何か、様々な噂が流れてくる。マーケットに何か支障は?」
 人が多い場所であまり具体的に話すのはどうかと思われ、濁した言葉で尋ねる。
「……招かれざるお客様、ですね?」
 男爵にはその意図が伝わったようだった。しかし微かに微笑んでいた。
「今はまだ、何もございません。そのお客様がご所望の商品も、あいにく今回は出品がないようです」
 禁書処刑人の噂がだいぶ広まっているとみて、男爵もこの言い方で分かるだろうという最小限の言葉で返しているらしかった。
「そうか」
 今は平穏。しかし、用心はした方がよさそうだな、と和輝は密かに思う。
「そう、大変な叢書なのね。全巻揃っているというだけでも瞠目に値する業だわ。
 ……ねえ、貴方。これが欲しいのだけれど、持ち合わせが少ないの。値引きしてくれないかしら?」
 離れた所で久秀が、店員を籠絡(?)して値引き交渉に持ち込もうとしている。巧みな話術と、幼い外見に見合わない色気とを武器に、相手に自分の希望をいかにして飲ませるか、ということを楽しんでいる風情だ。財布は和輝のものだが、定額で買うのもつまらないと考えている。
「あちらもお連れ様ですか」
「えぇ……」
 久秀とダンタリオンの買い物風景を遠目に眺めながら、2人はしばらく無言だったが、
「……では、私はこれにて。どうぞ、ゆっくり買い物を楽しみください」
 そう言って男爵は会釈し、和輝とアニスの元を離れて歩き去った。