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第4章 お茶会 その2


 牛肉、豚肉、鶏肉。エビにイカにチーズにほうれん草。
 そこは色とりどりのカレーが並ぶ一角だった。
 地元のレストラン自慢のカレー、ヴァイシャリー海軍のカレー、そして特別に、焙煎嘩哩「焙沙里」も出店している。
 「焙沙里」のオーナーネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)は制服の上から白いフリルエプロンを付け、朝から髪の毛からつま先にまでカレーのスパイスの匂いをさせながら鍋をかき混ぜていた。
「今日のカレーは、普段とは違うスペシャルカレーだよ!」
 朝からスパイスから調合したカレーは、卒業していく先輩に向けたものだった。
「ねぇ、将来はカレー屋さんになるの?」
 高校三年生だろうか、カレーの盛り付けを待ちながら、一人の女生徒が話しかける。
「まだ何も考えてないんですよ」
「そう、これからだものね」
 納得したように女生徒は頷いた。ネージュは小さい女の子にしか見えないから……本当は、見た目通りではないのだけど。
 ただ考えていないのは本当だ。ネージュにはいくつもの肩書がある。
 イナテミスにある「子供の家」のスポンサーだったり、獣人の村の「子供の家『こかげ』」代表だったり、魔法少女だったり、外資系IT企業「フロゥテクノロジー」令嬢だったり。肩書は勿論、したいことだっていくつもあった。
「ヴァイシャリーで、学校の休日・休講日に開店してるので、よかったらまた食べに来てくださいね!」
 ネージュはにこっと笑う。その後ろから早速、次の女生徒が待ちかねたように進み出た。
「……スペシャルカレーを一皿ちょうだい」
 教導団の軍服に身を包んだ女性にカレーを渡しながら、
(さ、さっきからこの人、何杯目だろう?)
 ネージュは疑問に思う。その女性軍人はネージュの山盛りのカレーを持っていったかと思うと、今度は隣の海軍のブースに行って、
「この『金曜日のカレー』と『海鮮カレー』ください」
 と、さらにカレーをもらってきていた。
 カレーコーナーの人々の注目を受けつつ、その女性――セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は素知らぬ様子でテーブルに付くと、普通に、それなりに品よく、ぱくぱくと……ハイペースで、あっという間にその全てを胃の中に収めた。
 流石に他校のこういった場なので普段の露出度の高いビキニは控えているせいで、普通の凛々しい女性に見えるが、その分お腹に余裕がある食欲魔人である。
「あの人すげーなー。もう何皿食べてんだ?」
 海軍の鍋の前で、海軍の海兵隊の少年・セバスティアーノがぽかんと口を開けていた。
 当のセレンは、カレーコーナーに記憶をこれ以上残すまいと――しかし食欲は止めずに、次にパスタコーナーに向かう。
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はそんなパートナーに、少し呆れたように、
「……食べ過ぎじゃないかしら。今日は進路の相談、なんでしょ」
 とは言ったものの、元気なセレンフィリティの方が「らしい」と思った。
 セレンの周囲のお皿が次々に空になる。ある程度の処でメイドが下げてくれたりしているので目立たないが、もう人の何倍も食べていた。
「もうそんな季節か……」
 唐揚げを口に運びつつセレンフィリティは感慨深げに言った。喋るのと食事は両立できる。
「あたしが教導団を選んだのは過去の経緯からだけど、百合園の乙女たちにも一人一人、あるんだろうしね」
 彼女はセレアナから視線を外すと、側の女生徒に話しかけた。
「悩むだけ悩んで、悩み切ってからでないと踏み出せない一歩もあるから、思いっきり悩んじゃいなさい。そうして不安も恐怖も振り切るのよ」
 そう言ってまたスパゲティを頬張る彼女のその言葉に、セレアナが優しい目をする。
(自分は下級とは言え一応は貴族令嬢、本来なら進路など自分で決められるはずもなかったのだが──)
 地球へ降りてセレンフィリティと出会って。
 売春組織から脱走を図り、逆につかまって見せしめにリンチされて死んだものとみなされて全裸で捨てられていた、16歳のセレンフィリティをの、命を救うために契約した──結果的に、自分で人生を選んだ。
 それを知っているから、彼女の言葉が心に響く。
 どんなことがあっても前向きな彼女を見て、ここまで元気になったことを嬉しく思う。



「パラミタに来て、もう随分経ったなぁ……」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は紅茶のカップをことり、とソーサーに置いて、息を吐くように言った。
 村上 琴理(むらかみ・ことり)がカップを口元から離して、顔を上げる。歩の視線は会場をさざめき歩く女生徒たちに向けられていた。
「色々あって、その度に考え方とかも変わって……。大人になったんだろうけど、きっとまだまだ変わっていくんだろうね」
「そうね」
「色んな事件があって、それを皆で協力したり、時には意見がぶつかったり。
 あたしは戦うのが怖くて、だからいつも出来る限り平和的な解決方法を探してたつもり。その時はきっとそれが自分に出来る一番「正しい」ことだと思ってたから。
 でも、正しさって何だろう?」
 琴理は普段よりしんみりした様子の歩に、何かあったの、と聞きたかったが、彼女はきっと具体的なことは言わないだろう。何のことか――勘違いかもしれないが――察しがついた。
 黙って話を聞く。
「正しいことなんて人によって変わってくる。戦いたくない人でも戦わなきゃ何も守れないから戦ってることもある。もしかしたら、あたしが自分の都合で話し合おうって言った人にもそういう人がいたかもしれない。だから結局は自分で決めた意思に従うしかない。それ自体は悪くないと思う」
「うん」
「でも、あたしはやっぱり弱くて、臆病で、良く間違える。そんなあたしが自分の考え『だけ』で「正しい」選択が出来るとは思えない。だから、色んな人の考えを聞いて、その上で考えていきたい」
 行き交う生徒の、一人一人が未来を選択していく。そして、歩も。
「その結果、皆にとって正しいことを見つけられるのか、それはわからないし、結局誰かが不幸になる選択をするのかもしれない」
 “原色の海”であったこの前の事件だってそうだった、と琴理は思う。それぞれが自分が正しいと思うことをした――それがあの事件を引き起こし、解決したいと願う人々が、あの事件を終結させた。
「ただ、その自覚はきっと必要だったんだ。自分が誰かを押しのけてそのことを選んだっていう覚悟と責任。それだけは、あたしも大人になったんだから覚えておきたいな」
 琴理は、カップを手に取り紅茶の揺れる水面に視線を落とす。
「正しさってね、人によって違うよね。
 紅茶でよくある論争、知ってるかな? ミルクを先にカップに入れるか、後に入れるかって、みんな真剣なの。文化とか、それが美味しく感じるかとか、人によって違う。紅茶好きじゃない人にはそれこそどうでもいいことなんだろうけど、そんなことでも議論になる。
 それで私ね、正しいって……間違いを許せなくなるんじゃないかって最近思うことがあるの。
 歩ちゃんの言う通り、覚悟って大事。歩ちゃんが間違ったことするって、私は思わない。
 ただ、誰にでも優しいから――他人のことを許していくんだと思う。だけど、それだけじゃなくて、もし自分が間違ったことしたって思っても、自分を責めないで、自分の事を許してね」
 そんなことを言いながら、歩はひとつ学年が下だけど、自分より大人になって行くなぁ……と、琴理は思っていた。
「琴理ちゃんは卒業後どうするの? フェルナンさんと一緒? フェルナンさん、落ち着いてるように見えるけど、ちょっと思いつめちゃうところあるから、琴理ちゃんが見ててあげなきゃだよね」
「……私はね、あと一年専攻科に残って、学士の資格試験を受けようと思うの。ここはパラミタだけど、日本では大学卒業って大きな区切りだしね。それで一度実家に戻って証書を見せて、親にも兄たちにもけじめをつけて、ここに帰って来るわ」
 琴理は、家族に強弁してパラミタに来た。
「あの時は何となく地球から逃げたいっていう気持ちがどこかにあったと思う。だけど今は、私の意志でヴァイシャリーに残りたいって思うから。
 ただ、フェルナンは……結構へたれだなーって、最近思うようになった」
 小さく苦笑する。
 遠くで商談だかしているパートナーのフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)の姿は、見た目にはもう立ち直って、サマになってきているけれど。出会った時には、助けてもらったこともあって、王子様……の従者みたいだなって思ったけれど。
 やりたいことと、したいことが重ならないところを無視しても平気な人ではなくて。だから弱音を吐けばいいのに、格好つけるから本当のことは言わなくて。
「……でも趣味の絵、家庭教師から習うことにしたんだって。別に商人と画家両立できないことはないとか言い始めて。
 ね、見てないと駄目なのかな。あんまりべったりしてると、恋人か小姑みたいでしょう? これじゃお嫁さんの来手がないかも……。
 とはいえ、私も気になってる人はいるん……だけ……ど。時々仕事の話をするくらいで、全く進展してないのよね……」
 ぶつぶつ言いかけてはっと気づいて、
「えっと、私の進路の話だったよね。……それで、ヴァイシャリーに戻ってきたらお店を開こうと思うの。
 元々紅茶の貿易とかしようと思ってたんだけどね――覚えてるかな、感謝祭で一緒にブックカフェしたの。それがとても楽しかったから、ヴァイシャリーで開こうと思ってるの。紅茶と、絵本や童話と、出てくるお菓子のお店。それで今、卒業までに開店できるように、場所を探してるんだ。
 歩ちゃんは? もしかして……」
 歩は神妙に頷いた。
「……あたしはちょっと旅に出てみようかなぁ、なんて」
「寂しくなるね」
「学生の頃に、あたしが見てきた世界って自分が関わった事件とかの一部だけだった気がするの。だから、それ以外の部分も見てきたいって。
 もしかしたら、すごい嫌なことがあったり、後悔するかもしれないけど、それでもね」
 琴理は遠くを見る歩の視線に、決意を見て取って、
「ヴァイシャリーに帰ってきたら、お店に寄ってね。……その時、絵本とか写真とか、口承の物語とか、お土産に持ってきてくれたら嬉しいな。お店に置いてみんなに読んでもらいたい」
 新しい道を歩き始め、離れたって友情が尽きないように。琴理は、ポットから新しい紅茶を歩のカップに注いだ。