葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

リアクション公開中!

【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

リアクション

第3章 戦場とラボ


「これ以上、樹の近くに敵を近付けないようにしないとね」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は『アルテミスボウ』を構えながら呟く。先程近付いてきた敵はルナによって丘を登る途中で蹴散らされたが、敵の方も大樹の異変は気付いているらしく、様子を見に来るような動きが時々見受けられる。
「今の時点で、味方の潜入口はあそこしかないんだから」
 北都の隣でクナイ・アヤシ(くない・あやし)も静かに頷いて同意する。
 2人は丘の裾野に大分近付いていた。それでいて、考えられる「陣営から丘の頂上を結ぶライン」からは大きく外れた場所だ。丘の扉を守る敵の前衛はかなり良く見える。
 味方の潜入を助けて敵を攻めるためだ。
 先程先陣を切ってさゆみたちが潜入を果たしたが、この後にも続いて入っていく者もいるだろう。
「でも、殺したくはないから、捕獲で禍根を絶ちたいね」
 北都が呟く。
「分かってます」
 クナイの応えには、ほんの少しだけ複雑な響きがある。灰を浴びせられて性質を変容され、コクビャクに洗脳されたために故郷のこの島に剣を向けることになった守護天使の戦士たち。彼らはコクビャクがコントロールに使っていた念波の機械を制圧されたために洗脳が解け、味方の陣営に収容されているが、魔族化した体を元に戻すにはこの後決して短くはない期間を治療に当てなくてはならないだろうというのが、警察の医療班の見解だった。
 そのような仕打ちをやってのけたコクビャクに対して、同じ守護天使として怒りが完全に解けたわけではないのだ。北都が望まない殺戮を行うつもりはないが。
 北都はごく穏やかな調子で付け加えた。
「『死』は、取り返しの付かないものだから。それはこの島の過去が証明している、でしょ?」
 コクビャクのブレーンとなり、この騒乱をここまでのものに発展させるそもそもの源となったタァの原点は、この島の黒い歴史――憎しみと差別とそれによってもたらされた死、の中に在る。
「……そうですね」
 その言葉を反芻し、クナイは再び首肯する。さっきよりは幾分深い声音で。
 ――敵が凶悪だからといって、こちらも同じになる必要はない。

 北都は、味方の陣営の方を一度、背伸びして大きく見渡した。
「今、モーちゃんが頑張ってくれてるはずだから。僕達はそれを信じて戦うだけだね」
 戦場の向こう、陣営の天幕の天辺がかすかに見える。



 空京警察医療ラボ(仮)。
 モーベット・ヴァイナス(もーべっと・う゛ぁいなす)は、その天幕を開けて入っていった。中は広くはない。まだ抗体製作は始まっていないらしい。医療関係者が器具を持ってバタバタと歩き回っているだけだ。
(待つのだろうか。一刻も早く抗体を量産しなくてはならないはずだが)
 これができれば、コクビャクの切り札は大きく威力を削がれる。戦局を動かすためにも、やる価値はあるだろう。そう考え、戦闘は北都達に任せて製作に協力することにしたモーベットだった。
(精神的にも肉体的にもかなり負荷がかかると聞くが……さて、どうなるだろうか。集中力と体力には自信があるが)
 しばらくすると、一人の魔鎧が現れた。
「すみませんが、残りはあちらのシャーレに。奥の培養器は後でチェックします……」
 医療スタッフとひっきりなしに喋っているところを見ると、あれが今回の発起人の魔鎧なのだろう……とモーベットが見ていると、やがてその魔鎧――グラフィティ:B.Bはモーベットに歩み寄ってきた。
「あ、協力して下さる方だね。お待たせして申し訳ない」
「大して待ってはいない。それより、もしや我だけなのか」
「いえ、まだ来るはず。ひとり、出来るかどうか様子見に行かなきゃならないのがいるけど……
 スタッフにお願いしておくので、先に始めててもらっても構わないかな」
「急ぐ事案なのだろう。一向に構わんが」
「良かった。もし危険そうな異変を感じたら、鎧のままでも人に戻ってもいい、周りのスタッフに合図してほしい。人助けとはいえ、己の安全が何より大事だから」
「心得ておく。案じるには及ばぬと思いたいがな」
 モーベットの言葉に、少し笑みながらB.Bは頷き、スタッフを読んで指示を与えた。やがて一人のスタッフがやってきて用意した抗原をモーベットに接種した。

 B.Bが天幕を出ると、ニケ・グラウコーピス(にけ・ぐらうこーぴす)が、ルカルカ達「卯雪を護衛して『丘』へ向かう一向」と一緒にいた。
「今HCで鷹勢と話をしたけど、丘の樹の下で落ち合うことになったから」
 ルカルカは一同にそう説明していた。
「行くのね。どうか、気を付けて……いってらっしゃい」
「うん。必ずみんなで帰ってくるよ。ニケも頑張って」
「えぇ、私は大丈夫よ。待っているわ」
 そこでルカルカは、B.Bの姿に気付いた。要塞で別れて以来の再会だ。といっても時間は大して経っていないが、この状況の変化で何となく時間以上に長く離れていたような気分になる。
「『丘』に行くんだ。……充分、気を付けて」
「分かってる。ニケをお願いね」
 そして、ルカルカら一行は丘へ向かって、陣営を出ていった。
 自分は人を捜してくるから、と、B.Bはニケの準備を医療スタッフを呼んで任せるとその場を立ち去り、ニケはラボの天幕の中に入っていった。




 島の大地の上に着陸した移動要塞には、空京警察の捜査員たちが集結しつつあった。
 中に残っているコクビャク構成員たちは、着陸の前にすでに契約者たちが無力化している。契約者程の戦闘力を持たない警官たちでも、それなりの装備を固め人を集めてかかれば、構成員の護送は難しいことではない。
 先に潜入していた杠 鷹勢(ゆずりは・たかせ)と魔道書パレットは、要塞の正面門を開いてその近くに待機し、やってくる捜査官たちに内部の構造の説明をしたり、質問に応答したりしていた。おかげで捜査官たちはスムーズに動いていた。
「卯雪さん、来てくれるって。『丘』の樹の下で落ち合うことになったよ」
 HCで通信した鷹勢が、パレットに言った。
「警察の人たちも要塞内部のことは把握できたみたいだし、もう俺たちが離れても大丈夫そうだね」
「うん、だから、皆を呼んできてくれないかな」
「分かった」

 ネーブル・スノーレイン(ねーぶる・すのーれいん)鬼龍院 画太郎(きりゅういん・がたろう)は、まだ制御室にいた。
 正確に言えば、この部屋にある転移装置をもう少し調べたいというタァに付き合って、待っているのである。
 部屋には時々捜査員が来るが、ネーブルが、契約者である自分たちが調べているから、と言うと、別段疑いもせずこの部屋は任せる、という風に去っていってくれる。
 鷹勢がルカルカと通信した答えを持ってパレットが来て、ネーブルは室内を振り返った。
「タァさん、もうそろそろ、行くって……
 どう…? 何か、収穫…あった……?」
 ナラカ以外での活動は苦手なのが奈落人なので、パラミタでは普通誰かに憑依して行動するものだが、以前憑依していた卯雪を奪還されてから、タァは、自分の生命力をパラミタでも安定させる簡易磁界発生装置のようなものを作って所持していると、要塞が着陸してから鷹勢やネーブルたちには話していた。それでもナラカで活動するのと同じように自在に動けるわけではなく、「無防備でいるよりは幾分かマシになる」というほどのものらしいが。
『……だめだ。そうさきろくははそんしていて、よみとれない。
 このきかいをつかったかもしれないとおもったが……『丘』のだいてんいそうちのきろくが、えんかくでどうきされているかのうせいもある。
 ……またせてわるかった。わたしのちからでは、ここまでがげんかいだな』
 落胆したような声が聞こえてきた。

 誰にも憑依していないタァの姿は、時折くる捜査員たちに気付かれることはない。もしも誰かがここにタァがいると教えれば、コクビャクのブレーンであった彼女は逮捕され、連行されることになるだろう。しかし鷹勢たちもネーブルたちも、それは口にしなかった。
 その「守られる無言」を感じているのだろう。
『いいのか、ほんとうに』
 自分で要望を出した割には、どこか弱気に念を押す。
 戸惑ってもいるのだろう。無茶を承知で、今まで敵対していた相手に協力を願ったはいいが、それが受け入れられたとなると却って「え、いいんだろうか」という気持ちになったりもするのだろう。
 ネーブルは、正直なところを言えば、卯雪を連れていきたいというタァの要望に、結局的に賛成したいとは思っていなかった。
(今まで、石化したりして体の負担もあるだろうし……
 それだけじゃなくて、事件に巻き込まれて、大変な思いもしてるし……)
(でも……)
「卯雪さんが…自分で決めた、って、言っているから……」
 
(タァさんがお父さんを探したいって気持ちも…判るから……)
(でも、でもね……
 それで卯雪さんが怪我したり危ない目にあったりするのも…いけないって思うんだぁ……)

 だから。
「私も、タァさんに…ついていくよ」
 卯雪を連れていくというタァと、自分も一緒に行く。
(そして、どっちも…守りたいって思うから……)
「…私は、その為に今、ここに居るから……」
 要塞から遠くに丘の上の樹が見える。
 それを見つめて、ネーブルはきっぱりと言う。

「かぱぱぱっ」
 その隣で画太郎が、さらさらさらっと筆を走らせる。
『ネーブルのお嬢さんはタァ様について行くのですね
 では、俺は背後からお伴させて頂きます』
「かぱーかぱかぱっ!」
 胸を張っているのは「必ずお役にたちます! 俺はカッパで執事ですから!」と主張しているらしい。

『……そうか……分かった』

 対立していた相手がそこまでの誠意をためらいなく見せてくることに驚いているのか、まだぼんやりとした幼げな口調が返ってきた。