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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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第3章 汝、鐘の音と共に復活せよ


「……う……うう……」
 堕天使コカビエルは、倒れたまま痛む後頭部を手でさすった。
「このわたしに不意打ちを食らわせるとは……天使といえど侮れんな」
 傷がないことを確かめつつ、ゆっくりと起き上がる。どれだけ気を失っていたのか……そう考える彼の耳に、ラッパの音が聞こえてきた。一つ目よりも華やかな音、12時に鳴る<四つ目のラッパ>だ。
 首を回して伸びをして体が動くことを確かめると、コカビエルは立ち上がり……、目の前に立っている女性に気が付いた。
「……天使か……」
「そうですわ! ……私は……て、天使……の……血を引いているようないないような、……とにかく、貴方を止めますわ」
 探し回って追いついたアナスタシアだった。距離はさほど離れていなかったものの、倒れていたのでなかなか気付かなかったのだ。
 ちなみに声がだんだん小さくなっているのは恥かしさのためだった。
「望むところだ」
「ですけど、ここでは互いの“結界”を張りにくいですわ。移動しましょう」
 アナスタシアはそれらしい理由を付けて、倒れていたのと光翼で注目を集めるコカビエルを、静かで二階建ての建物の端っこにある占星術師のいる占いコーナーへと連れて行った。ここなら被害が少ないし、目立たない。
 コカビエルは薄笑いを浮かべながら怯え(緊張)を見せるアナスタシアの方へ歩み寄った。歩み寄って、足元の立派な石に気付かず、
「ここなら思う存分力をふるえそうだな。よし、行くぞ……っと、とととと、うああっ!?」
 ……こけて、突っ伏した。
「やったね! いまだよアナスタシア!」
「貴方は……!?」
 衝立に囲まれた占いのブースから飛び出してきたのは、見覚えのある人物……ヨル鳥丘 ヨル(とりおか・よる))だった。
 以前、新百合ヶ丘で起こった黒史病の記憶螺旋事件でも彼女を助けてくれた人物(患者)だ。
「昔、まだボクがボクになる前、ボクはスラムの住人だった。その時はわからなかったけど、今ならわかるよ。ボクはずっと、この日が来るのを予感してたんだ」
 ……しかも、あの時の記憶を持ったまま混ぜている。あの時は、ユーフォルビア(認定されたアナスタシア)を愛するスラムの盗賊だった。
「そういえば、あの時もアナスタシアはいたね。やっぱりキミはボク達の希望だったんだ」
「あ、ありがとうございます。……その、希望というのはカイツブリ……いえ、買いかぶりすぎですわ。今、この堕天使を捕えますわね」
 さすがにコカビエルも今度はダメージがなくすぐに起き上がろうとする。ヨルは手で近付こうとするアナスタシアを制止した。
「標的はコカ○ーラじゃない。その背後にいるルシファーだ」
「え?」
 アナスタシアは勇敢な笑顔を浮かべるヨルに戸惑って問い返した。まだルシファーは復活していないが、そこまで見越して行動するべきだったろうか?
「アナスタシア、ボクはこれから堕天使達を滅ぼすとても強力な魔法陣をしかけにいくよ。キミは、みんなと協力して生き延びていてね」
 遠くから、カランカランという鳴子の音が聞こえた。アナスタシアが振り向けば、堕天使の羽を付けた患者が一人、こちらに気付いてのんびりと歩いてきていた。足元に引っかかった鳴子を見てまたぐと、今度はダッシュしてくる。
「大丈夫、時計の周囲にはボクが<イニシエの魔法陣>を張り巡らせてる。万が一があってもルシファーを撃退する役に立つよ!」
 元気に言うヨルだが息が荒いのは鳴子のトラップ設置に大分時間と体力、精神力を消耗していたからだ。それに、コカビエルや堕天使が仕掛けた罠(草地の草を結んで輪っかに作ったものや、オナラの音が出るクッションとか)を地道に外してもいた。
「あっ、待って!」
「コカ○ーラ、ボクたちが相手だよ!」
 ヨルは制止を振り切って、コカビエルに駆け寄ってにらみ合った。
 それにしても“たち”とはどういうことだろうとアナスタシアが周囲に目を走らせると、五人の天使たちが集まってきていた。


 一人は、金の髪をなびかせ、すらりとした長身の男装の麗人、クリストファークリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん))だった。本名は久理子だが、演劇部と言うこともあり、事情により男役として通している。
 髪の色は、別に天使だからではなくて日英のハーフだからである。
 百合園女学院の元姫小百合団の騎士――百合園女学院本校の有志が作った、白百合団に憧れた少女たちの自警団という名のサークル活動――でもあり、過去にも黒史病に罹患していた。
 今回は音楽会にOGとして来たところで、第一のラッパにより“真実”を思い出したのだった。それは、受肉され色欲の大罪かつソドミー(同性愛)に堕とされた事……。
 そして……。
「貴方は……?」
 アナスタシアは、彼女の左のみの片翼に目を止めた。大きな黒い翼が苦悶するようにはためくと、その下から白い翼が見えた。
「……ああ、……ラッパが俺に過去を思い出させる……。……アナスタシア、アイリスより俺の方が君にお似合いだ」
 目を丸くするアナスタシア。クリストファーは苦痛の表情を浮かべながら彼女を庇うように前に出ると、コカビエルに告げた。
「コカビエル、たとえ受肉の牢獄に捕らえられようと堕天する僕じゃないとまだ判ってないようだね」
「……天使かそれとも黒い翼は堕天使の証か? ……いや、見覚えがあるぞ、堕天使マレフィキ
 問われ、彼女は顔をゆがめた。
(ラッパの音が……耳から離れない)
 自分は天使だったはずだ。なのに翼は片翼、それも二枚で、一枚のより大きい方は黒い翼。鐘が鳴るたびに過去の記憶が思い出されて頭の中を様々な映像が蠢いて目の前を覆い尽そうとする。
 確かに堕天使したが、しかしそれは自分の意志ではなく……?
「……クリストファーさん!」
 どこか懐かしい声に呼ばれてみると、一人の女性が立っていた。
 それは見覚えがある。百合園女学院の近所に住む翻訳家見習いの女性クリスティー(クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん))だったと思う。
 花に水を上げているのを見て、一言、二言言葉を交わしたことがある。けれど、名前は教えていなかったはずだ。
 クリストファーはそして、目を見開いた。
 不安げな、自分が名前を口にしたことに驚いているその女性は、右に自分のものと同じような小さな白い翼を持っていた。
「第四のラッパが私を導いたの。あなたが私が探していた、私が失ったもうひとつの私……!」
 ふらふらと歩く片翼の天使は、不確かな足取りでクリストファーの下に小走りに駆け寄ると、腕に抱き付いた。
 その瞬間、光が周囲を満たし――。
「……ベターハーフ、俺の失った片翼……!」
 光が消えた時、女性は消え去っていた(アナスタシアら患者以外にはしっかり見えていたが)。
 代わりに、クリストファー背中には翼がもう一枚、生えていた。右の白い翼、左の大きな黒い翼。
「俺はマレフィキではない。黄道十二宮の天使、磨羯宮のハナエル」
 ハナエルは宣言するも、まだ力は取り戻していないことは分っていた。
 コカビエルに敗れ倒れるヨルを見ながら、今仕掛けるべきか逡巡していると、一人の天使に軽くぶつかった。
「……す、すいません!」
 それは中性的な容姿の――天使だから当然ともいえたが――、一人の天使(関谷 未憂(せきや・みゆう))だった。
「すいません……あっ、て、天使の方……ですね!」
 コカビエルに怯えた顔をしていたぱっと明るい顔になり、今度はすがるような目でハナエルを見上げる。
「お名前はハナエル様でしたか。……すいません。……過去の記憶を失っているようなんです」
「そうなのか」
 ハナエルはこの名も無き天の御使いに親近感を覚えた。
「はい。誰かを探していることは覚えているんですが……誰を探しているか思い出せないんです。天使なのに力もないし……」
 言って俯く御使いだったが、ふいに頭の中に声が響いた。
(……時が、来たようだな……)
 ハッとして、頭を振った。その後すぐに、ガンガンと二日酔いのような痛みが襲ってくる。何かを思い出せそうなのに、思い出すのを邪魔するように。
「……そうだ私は……いや、違う……!」
「どうした? ここを離れて休んだ方がいい」
「で、でも……あっ、あっちに、だ、だだだ、堕天使が……! 助けてください!」
 息を吐き、ハナエルは脂汗を浮かべて腕を掴んでくる御使いを安全な場所に連れて行くことにした。本気で堕天使に怯えているらしい。周囲を見まわし、占いブースを見て回ると、休憩時間なのか空いている衝立を見付けた。
「丁度椅子もあるし、此処で休んでいきなよ。じゃあもう行く――」
 身を翻して出て行こうとした時遠くから<第五のラッパ>が響いてきた。
 ハナエルはふっと意識を自分のうちに籠らせた。
「……そうだ、これは受肉する肉体を2つに分け、さらにサイズを合わなくする事で元の1つに戻れなくすると言うサタンの周到な策略。これを破るには……」
 己の手(実際は消え去っていない女性が)黒い翼を毟り取った。血が流れるが構わない。これで、1対の完全な白翼を取り戻すことができる。
(そしてコカビエルと対決を……)
 無心に翼をむしるハナエルの背から流れる血。痛みは感じない――けれどそこに、刺すような痛みが加わった。
 刺すような……心臓に刺さるような。目に映る赤。背中に新しい血が、背中の中心とそして口から浴びせられた。
 ハナエルには何があったのか理解できなかった。ずるずると自らの血だまりの中に沈み込む彼女の耳に、信じがたい声が届くまでは。
「油断大敵ってね」
 余裕と残虐さに満ちた声音は別人のようで、けれど先ほど怯えきっていた御使いと同じ口から発せられていた。
 そしてハナエルが遠くなる意識の中机の下に押し込められるのを感じ、傾いた首と御使いと目が合い、意識が途切れる寸前に――残虐な表情は恐るべきことにふっと消え去ったのだった。


「……こ……これは?」
 御使いは、はっとしたように足元を見る。机の下からはみ出しているのは金色の髪、傾いた首に、何もうつさない虚ろな瞳。
(何で……何で、いつも天使が死ぬんだ……! 助けてくれた人が……それとも、これは自分を狙った誰かの脅迫なのか……!?)
 御使いは恐慌状態に陥りそうになったが、はぁはぁと何度か呼吸して落ち着かせると、ブースを出た。
(自分は誰かを探している。そいつがやったのか、そいつは今どこに……)
 ふらふらとした足取りで表に出ると、二人姉妹の天使がコカビエルと対峙しているのが目に入った。さっき向かっていた堕天使はもう倒されたのだろう、床に這いつくばっている。
 姉妹の一人は25歳のOL水谷絢子水原 ゆかり(みずはら・ゆかり))。歳の離れた妹はまだ学生の水谷絢佳マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる))。二人ともただの人間だったが、モールへ買い物に出かけた際に妹の様子がおかしくなったのをきっかけに、戦いに巻き込まれ、天使としての自分に覚醒したのである。
 絢子も覚醒した……とはいえ、絢佳は姉から見ても“おかしい”様子であることには違いなかった。
 さして魅力的とも思えない平凡な堕天使(?)コカビエルを見るや否や恋焦がれた理想の男性に出会ったかのようなうっとりした表情を浮かべたのである。しかしそれでいて凄まじい殺気にあふれた台詞を口にした。
「……ついに来たのね……コカビエル、あなたとのその因縁にに永遠の終止符を打つべき時が……」
 その表情はまさに最愛の人との再会に打ちふるえる恋情にも似た歓喜をたたえ、夢見るかのような足取りでコカビエルの元へ真っ直ぐに向かう。
「終わりを始める時は……まさに今よ。そして、さようなら。コカビエル!」
 そこにあるのは、コカビエルを滅するという歓喜。それをその幼い双眸から涙とともに一切の感情を洗い流し、冷徹な神の使徒──天使としての顔に変わった。
 二人の間に何があったのか、天使であった時も姉妹の絆で結ばれていた絢子にも詳細は知り得ない。ただかつて堕天使たちが神に反逆した時、刃を交えたことがあると聞く(ちなみに前述であるが、コカビエルの罪は人間の女の子をナンパしに行ったついでに、自分の仕事である星と星座の運行の秘密、占星術なんかの職務内容をぺらぺら喋ったというのがそれである)。
 絢佳は炎を生み出すとコカビエルに次々と叩きつける。コカビエルは光翼を羽ばたかせ“結界”を展開すると、それを叩き落とす。
 次に彼女は念じて堕天使の翼を引きちぎろうとしたが、これもまた“結界”に阻まれる。
「この程度か? 今度はこちらから行くぞ」
「姉さん!」
 コカビエルが逆に奪取し、絢佳は二、三歩下がった。焦りが滲んだ声に絢子は二人の間に身体を割り込ませると、槍(占い宣伝用ののぼりのポール)を突き出した。
「……二対一か、天使にしては卑怯だな」
「卑怯? ……堕天使から妹を守るのに理由はいらないわ!」
 いつの間に身に着けたのか、魂が覚えていたのか。絢子は槍を振るう身体がスムーズに動くのに気が付いた。
 突き、払い、殴る。槍のリーチはコカビエルを二人から距離を取らせ、それが絢佳に魔術による攻撃のチャンスを与えた。
「星々の光よ、天使に裁きを!」
 妄想で我慢できなくなったのだろうか。コカビエル、いや守護天使の手が光った。
 成り行きを見守っていたアナスタシアが、不意に声を上げそうになる。
(あれは、“光術”ですわ! ……星と言っても今はお昼ですけど)
 単なる目くらましだろうが、暫く立ち上がれないほどの光量は単純に目に悪い。出て行って加勢しようとした時――、今よ、と対抗するように絢子が槍を下方に振るうと、体勢を崩した守護天使に向かって右手(のスマホ)を突き出した。
「堕天使よよく聞くがいい、これが<断罪の歌>よ――!!」
 瞬間、守護天使の耳元から叫び声のような声が響き渡った(「世界一音痴なオペラ歌手」の音楽データを、耳元で再生したのだった)。
 悶絶して転がる守護天使に、すかさず絢子が止めを刺す。
「これで終わりよ……神の雷に焼かれなさい!!」
 掌から雷が迸り、コカビエルは電撃に貫かれてあわれ、翼どころか頭頂からつま先まで黒こげになって転がった。
 それを見計らって、先ほどの御使いが二人に駆け寄ってくる。
「あ。あの。……助けてくだ……」
「血の匂いがするわね。堕天使が天使になり、天使が堕天使になる……裏切り者ね」
 絢子が言えば、いつの間にか氷で作り出したナイフを握りしめながら、御使いはひきつった笑みを浮かべた。
「<合わせ鏡の向こう側>」
 それは、相手が最も恐れるものやトラウマを引き出ずり出す秘術だった。二人の目の前に幻覚が現れる。それは今倒したばかりのコカビエルであった。
「やがて衰弱死しに至る……」
「――もう怖れないわ」
 瞬くと、絢佳は幻想を振り払った。そして、御使いを炎で包み込んだ。
 アナスタシアはその間にひっそりと、転がっているコカビエルを魔術の網でぐるぐる巻きにして、応援を呼んだ。