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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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【黒史病】天使と堕天使の交声曲

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第6章 創世の時


 <七つ目のラッパ>が審判の時を告げると同時に、天使たちに数多のラッパが吹き鳴らされ始めた(勿論、百合園女学院の最後のステージである)。
 広場に張り巡らされた<イニシエの魔法陣>を見ていた彼女は、空を見上げた。
 そこには冠のような星が、昼間にも関わらず燦然と輝き地上を照らし始めていた。これが数日間続き、様々な災厄と悪魔が地上を襲う。そしてすべての人々が焼かれた後に神が出現するという――。
 そして善き者は神の近くへ導かれ、悪しき者は地獄へと落ちる。
(……これで「この世界」は終るのかしら?)
 彼女の背には白い翼が生えていた。けれど、彼女はその審判を信じきれてはいなかった――神がすべての頂点に立つということ、いや、「この世界」が「たった一つの世界」であることを。
 彼女の名は、かつて螺旋女王ドナ――を、名乗った百合園女学院本校の生徒白瀬真希(しろせ まき)崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす))――といった。魔王の帝国に協力し、記憶を別世界へ飛ばした発端の一人。
(この世界も、結局私に何も答えぬまま終わってしまうのか。ああ、でも私にはただ眺めることしか出来ない)
 ドナは敗北した。そしてドナではなくなった。名を失くした。
 彼女は己の罪によって時の螺旋をゆく者。魂の器を変えながら気が遠くなるほどの時を過ごし、螺旋の中に全てを忘却した者。
 ……そうして「今」――今、という時が確かならば――この世界に天使として降りていた。
「あなたもこちら側の人間……傍観者なのですか? 二重螺旋のように、決して交わらず、しかし同じ輪を共有する者。魂を記憶の螺旋に捕らわれた者」
 彼女は、気が付いてアルティメット・ゴッドをはじめとする「かれら」と「あなた」を見た。「かれら」と「あなた」は、ただ黙って彼女の言葉を聞いている。それはまるで不思議な力に導かれているようだった。
「分からないのです。自分は何者なのか、それすらも覚えていない。覚えているのは、この命は天使のものではないということ。何もかもを忘れ、今はその器に入っているということ。
 私はきっと何か大きな罪を犯したのだから、堕したる天使として生まれてしまったのでしょう」
 名もなき天使は空に手を差し伸べた。
「私は一体何者だったのか、それを答えてくれるものを探しているのです。神でも悪魔でも構わない、この争いを通して、そのものが現れるのを待って……」
 そこまで言って、彼女は震える身体を自らかき抱く。
「ああ、しかし私は怖い。この混沌に何かをかきたてられれる自分がいることが」
 螺旋の中に忘却した記憶が蘇れば、「今」の自分が消えてしまうのではないか。
「<まつろわぬ者の手>――本来は同じ輪にありながらも、決して交わらない存在。その場にいながら、あらゆる力を受けず、与えず、ただ世の行く末を見るもの。
 絶対不可侵の観客席に、あなたを招待しましょう」

 誰にも邪魔させず、この世界の最後を見届けるために――。





聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな


 天から歌声が響く。
「……“時”が来ましたね。全知にして、始天と終天を見守るが我が宿命。銀風の月を語るばかりではいられないようですね……」
 自身を風森 望(かぜもり・のぞみ)と信じる百合園女学院本校の文芸部員――銀風の月天使と呼ばれた少女は、今は銀翼の輪天と名乗らなくてはならない。
「星と月と太陽が空を巡る様に、顕世もまた幾度と無く巡るモノ。終天は新たな始天でしかなく、終わる事無き回転木馬で踊る姿は天魔共に哀れなり。いや、知らぬが故の幸せなるか」
 彼女はかつてドナと呼ばれた女性と、彼女が捉えた数多の天使と堕天使を横目に、『銀月ノ書』を手にした。これは全知なるも資格無き者には白紙となる、この世の全てが記されているという書だ。
 『銀月ノ書』はひとりでに宙に浮かび上がって、表紙と同じ淡い銀色の光を放っている。本には錠前がかかっていたが、そこに彼女は、煌めく『星羅ノ碧賢』をはめ込んだ。
 書を開くのは、九つの鍵。前回使用した『望月ノ銀鍵(けん)』は比較的浅い階層の知識しか解放しないが、この賢は全ての知識を開放する最後の鍵だった。
 書物は独りでにめくれ、彼女にしか読めない文字を浮かび上がらせる。書面が彼女の意志に応えて光り輝く。――知識が流れ込む。
 本が閉じられた時、彼女の瞳は淡い青に――月の色に輝いていた。
「終天と始天のこの狭間でしか、顕現せぬ我が力。せめてもの慰みとせよ」
 彼女の手にはそれぞれの法具が現れた。
 ひとつは、世界を照らし、顕世を終わらせる力を持つと呼ばれる『終天ノ陽杖』そして、あらたな始天、創世を司る宝玉『始天』
「そなたらを暴こう、人の敵対者たる天使よ、堕天使よ――!!」
 天の歌声が強まり、時が止まったかに見えた。天の冠は強く輝き、人の子は動きを止めた。
 天使と堕天使だけがただ動けた。
 彼ら彼女らは戸惑い、神かルシファーが降臨するのを待っていた。
 銀翼の輪天はただ一人舞いながら『星月夜ノ揺籃歌』を歌う。
「眠りなさい、猛き魂よ。今生の知識も記憶も一切もを忘我の海に置き、白紙たる魂となりて、新たな世を迎える為に」
 天使・堕天使の区別なく彼女の声を聞いた者たちの身体が白い砂のようにさらさらと崩れ落ちて消えていく。
「何をする――!」
 斬りかかったものもいたが、ひらり、ひらりと銀翼の輪天は躱していった。
 しかし一人の堕天使が彼女の腕を掴んで、制止した。
「何をするのか?」
「……キミの邪魔をするつもりはないけど、ボクの意図よりも、少し早い」
 それは、堕天使ダブリス(を妄想する猫実 蕗(ねこざね ふき)円・シャウラ(まどか・しゃうら))。最近恥ずかしくも快感に成りつつあり、おかげで妄想を発揮できる文学部と演劇部を掛け持ちしていた)。
「堕天使ダブリス――」
 銀翼の輪天の瞳がダブリスを捉える。
「――堕ちた天使達を見て神は正しいのかと疑問を抱き、自由に憧れ、神の管理する社会に疑問を感じ、自由意志をもって堕落した天使。
 自信の力は弱いもの、魔をコントロールする力は他の追従を許さない。自身を弱者と呼び、人の弱さを共感する」
「……ボクは善と悪が混じる人の世を、少なくとも堕ちた天使を許容する自由な世界を望む。
 その為には七つのラッパが鳴らねばならない。ルシファーの力は必要だ」
 二人は、話している間に発生した頭上の威圧感の源に目を向けた。そこには黒き堕天使の姿がある……。
 無数の天使の吹くラッパの中にひときわ高い音が響く。
 そして、粛清が始まった。


聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな


 空から降ってくる天使たちの歌声は厳粛に神の栄光を称えながら、地上に降り注いでいた。しかしそれは人の子にとって何の慰めになるであろうか。
「すまない人の子達よ、罰は後で受ける」
 ダブリスは漆黒の翼をはためかせ、氷の如く冷静な力、魔の力をコントロールし、空に舞うと自らの身を守った。
 空から黄金の火が投げ付けられたかと思うと、黒雲が立ち込め雷が鳴り、大地が揺らぎ始めたのである。そして次々に災厄が人の子に襲い掛かった。火が地上に降り注ぎ、川は赤く染まった……いや、それは既に起きていたのである。気付かなかっただけで。
 逃げ惑う人々を堕天使ルシファーが舞いながら指先から放つ消し炭にしていく。
 赤き太陽が今巨大化し、落ちようとする。そして――。
「ボクは、神が管理する世界よりも、自由な人の世を望む、その為に今まで待っていたのだ」
 ダブリスは高く、高く飛んだ。
 太陽は赤く紅く朱く色づき、腐れたオレンジのような色になりながらそのでこぼこな表面をダブリスに見せた。巨大な溶鉱炉。
 ダブリスは太陽を背に地上の破壊を見下ろしながら魔力を高めていく。その時、下方から見えざる手が伸び、彼女の白い脚を掴んだ。
 見えざる手は彼女を地上に引きずり降ろす。急降下する彼女に耳に、地上の声が何故か届いた。黒髪が螺旋を描く名もなき女天使の声。
「誰にも邪魔はさせないわ」
「……放せ、神が降臨する前に……!」
 急降下するダブリスは一度高めていた魔力を弾丸にしてぶつけて引き剥がすと、再び空へ舞い上がろうとする。
その時、彼女は、いや、彼女たちは、初めて気が付いた。
 “彼”の存在に。




 鈴木 優(すずき まさる) (皆川 陽(みなかわ・よう))は、平凡な学生の一人だった。偶然ここに買い物に来ただけの平凡な買い物客の一人でもあった。平凡な群衆の一人。知り合いがいなければ、紛れてしまえば誰も気に留めず誰も見つけようとせず、誰の意識にも残らない。
 それが自分の力、自分という存在に科せられた宿命の余波であったことに、優は今初めて気が付いたのだった。
「彼は……彼は、堕天使ナラクだ……!」
 アルティメイト・ゴッドは名を呼びはするが、それ以上のことは知らない。しかし、銀翼の輪天にはそれが見えていた。
「あれは仮初の姿……けれど、その正体は……ああ、解らない!!」
 彼女は必死に『銀月ノ書』をめくったが、どこにもその記述はなかった。
 ――いや、正確には記述はあった。
「……記述が消されている、という記述が!」
 そう、ナラクは【名前を消された存在】――。
 彼はゆっくりと歩き、天を見上げた。
 堕天使ルシファーは彼に気が付き、彼に黒き雷を降らせる。しかし……雷が彼の頭上に到達したかと思った時、ルシファーは消え失せた。
 そうしてまた空を見上げる。彼は、降る神を待ちわびていた。
 地上の天使と堕天使は息を呑み、広場の光景を見守っていた。
 やがて、太陽から圧倒的な熱量と共に強い光が広場の全てを覆い尽そうと「降って」きた。

「神よ……! この異界の神が、今こそ、この世界を滅ぼそう!」

 ナラク、いや異界の神は空に両手を掲げた。

「<記録抹消(レコーディング・ブレイク)>」


 それは、相手の存在をこの世に成立させている、親や周囲の人の記憶や記録・当人にまつわる過去の出来事をすべて抹消するため、相手は「いなかったこと」にする能力。

 ……神が消える。
 その意味に気付き、弾かれたように銀翼の輪天とダブリスは揃って彼の元に駆け出した。
 自分の中の神が消えれば、天使も堕天使も消える、いや拠り所を失って地上を彷徨い続ける。
 ……いや、神は消えても良かったのだ。
 しかしそれは彼女たちが「あること」を行ってからでなければならなかった。

 ふたつの神の光がぶつかり、ぶつかったと思うと同時に一瞬にして消え失ようとする、その瞬間――。

 銀翼の輪天は『終天ノ陽杖』を振り上げた。
「神の顕世は終れり!」
 顕現しようとしていた神が怯み、降り注ごうとしていた光が数秒の間だけ留る。それは彼女にとって十分な時間だった。
 左手で胸に抱く数万の色を放つ宝玉『始天』が神の光を吸い取るようにしてさらに輝く。

「天使・堕天使共に創世に新生させるが我が使命! この地上の有様は、神の終末に非ず――!!」

 そして、ダブリスは。
 宝玉『始天』に自らの魔力を託し、漆黒の翼を広げて空に叫んだ。
 その叫びは彼女のものだけではない。
 見守る天使や堕天使のものだけでもない。地上に息とし生けるものすべての叫びを借りたような、声。


 天使と悪魔、双方最上級の力が集まりし時。そして、死した人の魂の叫び、慟哭。生への渇望の願い。
 それを全て纏め、その力、全てを使い、過去、現在、未来の全てを神、天使、堕天使、魔の力の存在を空想の物とした世界に書き換え、全て人に転生させる――。


 「<創世(ジェネシス)>!!!」


 そして――。
 そして、すべては、終る。
 戦いも審判の日も終る。
 天使も堕天使もなく、神もなく。記憶が消え、皆、人になる。
 新たな世界が始まる。

 ――そして、“彼”はまた忘れ去られる。
 いつものように。
 いままでのように。




「……お腹がいっぱいになったよ」
 魔道書『失われた物語』は小さなげっぷをひとつして、丸くなったお腹をさする。
 彼女の両眼は、拍手に満たされた広場を、特設ステージの上の笑顔でお辞儀をする奏者たちを、聴衆を、そして放心している天使や堕天使だった者たちを捉えていた。
「私は、夢を食べないと空白が多すぎて生きていけないの……でも……」
 彼女の中に書き込まれた数多の妄想は、夢は、そしていつか彼女を開いた人の中に散らばって、育っていく……。
「……そうして私は、ずっと生き続けるのよ」
 ひとつ瞬きをすると、『失われた物語』は彼女を待つ百合園女学院の生徒たちの中へと紛れていった。

担当マスターより

▼担当マスター

有沢楓花

▼マスターコメント

 こんにちは、有沢です。
 シナリオご参加いただきましてありがとうございました。
 黒史病シリーズも三回目にして最終回、無事終わりました。今回も皆さんの楽しい妄想を頂きまして、楽しく書かせていただきましたが、いかがだったでしょうか。本当にこのシリーズだけはアクション公開したい(マスターだけアクションを楽しんで申し訳ない)と思ってしまいます。
 今回も、それぞれの称号をお付けしています。

 それではご縁がありましたら、またの機会もよろしくお願いいたします。