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第7章 流れるもの


『色は赤いですが――』
 ここで、もうインクは限界寸前に掠れている。あ〜、と呻いて、八雲は余白に少しペン先を走らせてみたが、もうどうしても出てこないようだ。
 湯溜まりの周辺の砂が、温泉成分による化学変化か赤くなっているが、特に問題はないと書いておこうと思ったのだが。
(まぁいいか、マジックは予備あるし、特に緊急とか重大な注意の必要な個所ってわけじゃないし)
 その横で、弥十郎は、やはり洞窟内を調査している北都と話をしていた。ばったり会ったのだ。
 奥に進むにつれ、やはり皆入り口から奥へ向かっているという方向性が同じためか、契約者同士が顔を併せたり、また他の契約者が残した形跡を目にしたりということがちょくちょく起こっている。
「そうだね、応急処置の看板でも、緊急に知らせた方がいいことをお客さんに伝えられるよね」
 北都はそう言って、続けた。
「さっき見つけたんだけど、あっちに狭くて行き止まりになってる水路があるんだ。
 大人は入らないだろうけど、子供が遊び半分に入ったら危険だから、何かお知らせを付けておきたいと思っているんだけど」
「そりゃあ危険だよねぇ。そっちはまだ見に行ってないし、ちょうどこれから行こうかと思ってたところだから」
 弥十郎はそう言って自分たちの用意で看板を置くことを約束し、「兄さん」と八雲を呼んで出発を促した。
「あー、分かったー」
 急かされて、八雲は文字が掠れたマジックで取り敢えず全文を書き記し(後半はほとんど読めない)、その看板を置いて弟と共に出発した。



「やっぱ『広間』なんてデマかな〜」
「えーいーじゃん、楽しいし」
「おめぇ本気で一攫千金とか考えてたわけ?」
「つかヤバいっしょ」
「あーもうこの辺暑いー。もう出よーよー」
 興味本位で「ヌシの宝」探しに奥までやって来た若者たちが、傍若無人な声量で談笑している。
 そこへ。

「きゃっ」
「!?」

 何かが、天井近い岩場から滑り落ちてきた。そこからは湯が落ちている。それと一緒に何かが排出されてきたみたいな感じだった。
 落ちてきたのは――全裸の女性。
 ペルセポネである。

 パワードスーツがパージされた上、その装甲がバラバラになって流れて行ってしまうのを慌てて追ったペルセポネは、斜めになった岩を伝って下の方の階層に湯が流れ落ちる場所で足を滑らせ、そのまま落ちてきてしまったのだ。

「あ……あの」
 若者たちに気付いたペルセポネは真っ赤になって慌てる。若者たちも一瞬、声が出せない。若い女性が全裸で眼前に現れるなど、若い男には天国のようにも思えるが、いきなりそんなことが目の前で起こると常人は、エロい天恵に感謝するより先に、驚きで思考が停止するものらしい。
 滑り落ちた結果、若者たちから少し離れた岩場に立っているペルセポネは、恥ずかしさのあまり、とっさに何か体を隠すものがないかと、左手で胸と下腹部を覆うようにしながら右手を徒に振り回して何か探した。そこへ、ペタッという感触と共に、指に当たったものがあり、とっさにそれを掴んで――布切れのように見えて――胸を覆うように隠した。
 それが何であるか、よく確認する暇もなく。
 胸に当たったそれは、奇妙にひやっとした。思ったよりざらざらしていた。
 そして、動いた。
「え」
 もぞりとした感触に、ペルセポネが自分の胸元を見下ろすと――
 一見イモリのような、爬虫類っぽい体、見上げているのは小さいが、竜のような厳つい、威圧感のある顔。

「――」
 もう声もなかった。
 そもそも熱だまりでかなり暑さにやられて朦朧としていたところに、自分の胸元からミニサイズの竜の顔がのぞいているという衝撃。悲鳴もなく、ペルセポネはひっくり返った。岩場の上から、姿が消えた。
 岩場の下には湯が満ちていて、そこから先はまた別の場所に繋がる水路になっていた。

 後には、何が起こったのか全く理解できないままの若者グループが残った。



 もうもうと立ち込める湯気の中。
「――ここが……」
 唯斗は、完全に岩に囲まれて部屋のように確立された、岩屋の中にいた。
 『広間』ではない。あまりに狭い。
 そしてその狭い中をごうごうと音を立てて吹き出る高温の湯が満たしている。
 満たした湯は、岩に閉ざされた空間で一度渦を巻くが、やがて、岩の隙間からじゃぼじゃぼと勢いよく外へ逃れ出ていく。
 唯斗はほぼすべてを調査し尽くしていた。例の『広間』にはまだ到達していないが。そしてその結果、この洞窟は内部の高低差もかなりあることに気付いていた。
 この源泉噴出孔は、少なくとも入口より高い場所にある。
 ここからすべて流れ出て、洞窟の中を満たしているらしい。
「高い位置からここより低い場所に流れ落ちているのか……」
 見てきた中にはなかったが、もしかしたら場所によっては、気を付けなければ、まだ熱い源泉を頭からかぶる危険があるかもしれない。これは運営する方に急いで報告して確認と対策を促す必要があるだろう。重要な発見だった。源泉がかからぬ岩の上に立ち、唯斗はひとり、仕事の手応えというものを感じて満足していた……
(……ん? !!)
 突然だった。煙る湯気の向こうに気配を感じた。
「まさか……」

 湯気が少し晴れた時、その姿がはっきり確認できた。
 岩の壁に貼りついた、深緑色の細長い姿。その背にコウモリのような翼、1対だけの肢――
 パラミタリンドヴルム、『ヌシ』だ。


(…っ、参ったな……)
 他の場所だったら気付かれずに済んだかもしれないが、この狭い岩屋の中、しかも目が合ってしまっている。
 源泉噴出孔を挟んで向こう側の壁だから、距離はあるが。
 金色の、瞳孔が縦に長い爬虫類的な瞳がこっちを見ている。
(あんまり戦いたくないんだがな)
「何とか穏便に済ませてもらねぇかね」
 呟いた。
 突然、ヌシは、ふいっと目を逸らすと、岩壁を1対の肢の先の鉤爪で掴みながらペタペタと方向転換し、そのままペタペタと這っていったかと思うと、岩の割れ目に突然するりと姿を消した。
「……ふ〜。ま、よかったよかった。けど……」
 安堵のため息をつくと、唯斗は改めて、湯気越しに目を凝らした。
「あんなところに、どこかへ続く通路があるのか」

 まだ、唯斗の仕事は終わらなさそうだ。