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湖の家へいらっしゃい

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「カガチ、隣いい?」
 問いかけられてゆるりとあげた顔は、緊張に固まってしまう。声はいつものなぎ子と殆ど変わりがないから良かった、だが何時もと違う姿を前にするとどうしても駄目だった。
 カガチの緊張を悟って、なぎ子は小さく困った笑みを浮かべる。
「ごめん」
 謝罪とともに視線を落す、そちらこそらしくないカガチの隣に、何時もより距離を開けて座った。
「いいよ……いきなりでカガチもびっくりしちゃってるんだよね
 だから私の事すこし話そうかなって思う……」
 そんな風になぎ子が話しだした彼女の過去や現在――。
 彼女が『最初のだんなさま』と呼ぶ人を守れなかった事。
 カガチの初恋の人の事は知らないが、「あの人」が好きだったのは「モロバレだよ」という事。
 情感が篭っているという程でもなく、静かに一つずつ紡いで行く彼女の話を、カガチはただ聞いていた。
 初恋と気付かぬうちに終わっていた恋も、なぎ子は知っている。「おっかないけど可愛い人が好きだったよ」と漏らす事しか出来なかった。
 それでもそうしていく内に、今自分が持っているものは『そういう感情』に近いものの、『違うのかな』と思えてきたのだ。
(一緒に居すぎたからか恋みたいなドキドキはないけど
 でももうやだってんじゃなくて……一緒に「生きて」いきたいよな、うん
 結婚するにしても年齢も問題ないし、でもやっぱり――)
 カガチが答えに行き着いた時、なぎ子も漸く長い話を終える。
 そして彼女はすっと顔を上げ彼を見つめると、こう告げた。 
「私もこれが恋愛なのかはわからないんだ
 でもね、カガチと生きていきたいのは本当
 だから答えは待っててあげるね」
 待っていてあげると言われた事に内心安堵して、それでも彼女と真摯に向き合いたいと、カガチも息を吐いた。
 確かに今直ぐ、答えは出せない。
「とりあえず「結婚を前提としたお付き合い」って奴からでいいかな。
 あと出来れば見慣れたなぎさんの方がいいです」
 カガチに見つめられながら、なぎ子は小さく頷いた。
 剣の花嫁は、『使い手にとって大切な人』によく似るのだと言う。
 これからなぎ子はどうなっていくのだろうか。それは二人も、未だ知らない事だった。



 昼食時を少し過ぎた『あおぞら』で――。
「お待たせしました!」
 ウッドデッキに現れた瑞樹を、仲間達は拍手で出迎えた。次いでやってきたジゼルが、スプーンの横に皿を並べて行く。盛りつけられているのは瑞樹がレシピノートを片手に作ったカレーライスだ。
「ご免ね、お昼時は忙しいから、厨房貸せるの遅くなっちゃって」
「こちらこそ無理なお願いをしちゃって……」
 ブンブンと手を横に振る瑞樹に、ジゼルは輝と目配せして微笑み合う。
 瑞樹は恋人の渉がカレーを食べたいと言っていたのを聞いて、苦手な料理を頑張ったのだ。
 一度参加したジゼルの料理教室での反省を活かしてレシピ通りに、
 道具を壊さないように力を抜いて――
 真剣な彼女の様子に、ジゼルも必要以上に手を出さず、何時もならハリセンで突っ込みを入れてしまう輝も暖かく見守ったのだった。
「味見したけど、完璧だったわ」
 ジゼルにこっそり耳打ちされ、一抹の不安を拭いきれなかった輝も、安心してスプーンを手にする。
「それじゃあごゆっくり」とジゼルが背中を向けたのを合図に、食事が始まった。
「おいしいっ!」
 あの料理下手がここまで! と、思わず渉よりも先に輝が声を上げてしまった通り、レシピ通りに作られたカレーは何ら問題が無い。
「とても美味しいですよ、瑞樹さん」
「え……、あ、ありがとう」
 素直に賞賛すると、瑞樹の頬が薄い紅色に染まる。パートナーの悠乃の舌に合わせてくれたのだろう中辛も、不器用そうに切られた野菜も、渉にとっては何もかもが愛おしい。
 バレンタインの墨になってしまったチョコレートの思い出に心配ではあったが、彼女の手料理を食べられる事自体が嬉しいのだ。
 たとえどんな結果が待っていようと、スプーンを口に運ぶ時、渉は笑顔だっただろう。
 それにしても驚くべき事だ。ここまでくるにはきっと何度も練習してくれたに違いない、と渉は料理教室の事も知らないというのに、このカレーで全てを察する。彼女の努力ごとゆっくり味わいながら、ふと隣を見ると、皆に褒められた事で漸く安堵した瑞樹が胸をなで下ろしていた。
 視線はそこに止まったまま、動かない。
 機晶姫の彼女の水着姿は見慣れていたが、今日は当たり前にファッショナブルなものだったし、そこにエプロンを組み合わせるというのは、かなり非日常的光景だ。
 瑞樹は左利きな為スプーンを掴んだ腕が触れ合いそうになり、渉の視線に気付く事になる。
「あの……どうかしましたか? やっぱり美味しくなかったんじゃ」
 慌てる彼女の腕に柔らかく掌を重ね、渉は微笑んで返した。
「いいえ、見蕩れていたんです。
 瑞樹さんの普段とは違う魅力に気付いてしまったから」
 ぼんっと爆発しそうな勢いで真っ赤になった瑞樹の様子に、角の席に座っていた輝は、何時席を外したものかと考える――。

 カレーを食べ終わったところで、輝はジゼルの居るキッチンの前のカウンター席へ向かい、渉と瑞樹はビーチへ戻って行った。
「カレー美味しかったですね、紅葉くん」
 悠乃が無邪気に見上げてくるのに、紅葉はあははと笑って誤摩化す。実は辛いものが食べられない彼は、カレーも甘口しか食べられない。だがそんな事を言える空気でもなく、死ぬ気で平らげたのだ。
 瑞樹がまともな食べ物を作ったのは凄いと思ったが、正直味わっている余裕等無かった。
「な、何か飲みもの頼みませんか?」
 燃えるような口の中を別の味で中和しようと、紅葉は手を挙げる。程なくして佳奈子がやってきた。
「お待たせしました、ご注文はお決まりですか?」
「トロピカルブレンド下さい。それから――」
 悠乃を見ると、彼女も「同じ物をお願いします」と続く。
「トロピカルブレンドお二つですね。それではお会計は――」
 基本的に出入り自由な店内なので、何時ものあおぞらと違い、会計はその都度テーブルチェックになる。その為佳奈子は全てのメニューを事前に記憶していたようだ。
 こうした手慣れた店員のお陰で、飲み物が運ばれてくるのも早かった。
「それじゃあ乾杯」
 紅葉にそう持ちかけられ、傾いたグラスに自分のものを寄せる。入っているものがジュースでも、まるで大人の恋人同士のようだ。
 それは悠乃が密かに憧れ、夢見ていた状況で、恥ずかしくも嬉しかった。
 日が落ちる迄あと少しもないが、彼女は今日の一日に満足していた。否、準備からしてそうだったのだ。大胆なものは流石に恥ずかしいから、でも子供っぽくならないように……と水着選びに悩んだ事も、今考えればとても楽しい事だった。
 笑みを零したまま悠乃が改めて再確認したのは、こんな想いだ。
(紅葉くんと私は恋人なんだ……)
 視線を落すと、周囲に聞こえる騒がしい程の人の声が、ぼんやりと打ち消されて行くようだ。
 トロピカルジュースにアルコール成分は無いが、雰囲気と勢いに酔う気分に任せるように――
 紅葉の頬にキスがちゅっと音をたてて弾ける。



「舞花ちゃん、こんにちは!」
 ビーチから手を振りながら現れたのは、舞花と同じ御神楽 陽太(みかぐら・ようた)のパートナーノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)だった。
「いらっしゃいませノーン様」

 それから暫く、ノーンが食べ終えた焼きそばの皿を盆にのせると、佳奈子が別の皿を持ってやってきた。
「お待たせしました、かき氷宇治金時です」
 自分が担当しようとしていた仕事だったので、舞花は「あっ」と口を開くが、佳奈子は微笑んでいる。
「ジゼルちゃんが暫くお話してても大丈夫だよって。客足も引いて来たし、私達が引き受けるから。
 これ持って行くね」
 ぱちんとウィンクすると、佳奈子は舞花の片付けを引き受け去って行った。舞花は仲間達に感謝しつつ、ノーンの隣の椅子を引く。
「塩の湖って浮かぶんだね。スゴイね!」
 かき氷をすくい口に入れ、ほろ苦い甘みを味わいながらノーンと舞花は暫く会話を続けた。話題は他愛の無い事から、先日の魔法世界での戦いの事まで幾つもあるから話が途切れる事は無い。
 と、そんな――あと少しで最後の一口という時、ふとスプーンを動かしていたノーンの手が止まる。
 「そーいえば、この間、予言ペンギンさんが(プラカードで)言ってた合言葉って、ひょっとしてまだ続いているのかな?」
「合い言葉……って…………」
「山登りのときの事だよ」
 ノーンに言われて舞花は思い出した。少々前の事だが、葦原島で登山をした時、舞花はアレクを「お兄様」と呼んだのだ。しかしあれはあの時のみの合い言葉では無いのだろうか。
「……それにアレクサンダル大佐に失礼では?」
 舞花はアレクの現在の地位や出自を正確に知っている数少ない一人だ。だからこそ、と彼女の生真面目な性格もあって、そう簡単に口に出すのは抵抗が有るらしい。
「そうかなぁ? もう一度呼んでみたら喜ぶかもよ」
「…………アレクお兄様」
「はい何?」
「ひゃああ!!」
 突然背の高い影が伸し掛るように後ろに現れて、舞花は彼女らしく無い悲鳴を上げてしまう。
 ひょこっと顔を出して来たアレクに気を取られていると、
「舞花ちゃん、どうかした?」と反対側からハインリヒが現れた。あの味のしないコーヒーを飲んだ時を思い出し、舞花の顔は赤くなったり青くなったり忙しい。
「どうもしません! 大丈夫です!!」
「でも俺の事呼んだよね」
 あわあわする舞花がサンドウィッチされているのが面白く、ノーンはクスクスと笑いを漏らして席を立つ。
「それじゃワタシそろそろ行くね。
 ごちそーさま、とっても美味しかったよ!」
「あっ、有り難う御座いました」
「おにーちゃんと環菜おねーちゃんにも、舞花ちゃんが頑張ってたってお話ししておくよ!」
 ノーンはコロコロと明るい笑いを止めないまま、手を振ってビーチを去って行った。