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第八試合

――観客席。
「それじゃ、ちょっと暴れてくるからね、コハク」
 次の試合を控える小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が、観客席のコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)に会いに来ていた。
「気を付けるんだよ、美羽」
 若干心配そうな様子のコハクに、「だいじょぶだいじょぶ」と美羽がひらひらと手を振る。
「おや、お次が試合でしたか」
 直ぐ近くにいた阿部Pが美羽達に話しかける。
「試合楽しみにしてますよ。なぁに、棺桶に入れられてもナラカに送られるだけですから大した事ありませんよ」
「大した事しかなかった」
 ケラケラ笑う阿部Pに空がぼそりと呟く。
「うん、頑張るよー……」
 そう言う美羽であったが、その返事は何処か上の空でじっと阿部Pを見つめている。よく見るとコハクも同様に阿部Pをじっと見つめている。
「む? 私に何かついてます?」
「あの、阿部P……」
「えっと、何と言うか……」
 言い辛そうな仕草を見せ、少し間を開けて美羽とコハクが同時に言う。
「「今日はツナギ来てベンチに座らないんですか?」」
「私を一体なんだと思ってるんですかね?」
「いい男じゃない?」
 空が視線を合わせないようにして呟いた。解せぬ。

――少し後、選手の入場が終わり、各自コーナーに着く。
「しっかし、何であんな格好してるんだろ……」
 リングから近いリングサイド観客席で神崎 綾(かんざき・あや)がドリンクを片手に呟く。本来ならばタッグマッチで出場する予定が、練習中に足を痛めたせいで今回は欠場。大人しく応援する事にしたのである。
 綾が見ているのはリング上、対戦相手の美羽の対角線上にいる神崎 荒神(かんざき・こうじん)である。傍にはセコンドのアルベール・ハールマン(あるべーる・はーるまん)もいる。
 荒神はこれから試合が始まるというのに、全身を覆う黒いコートを纏ったままであった。何時もであれば黒いジャガーを模したマスクを被ったブラック・ジャガーとして戦うのだが、今まであのような格好をした事を少なくとも綾は知らない。
 首を傾げていると、リングアナウンサーによる選手の名乗り上げが始まる。まず美羽が名乗り上げられ、続いて荒神。
 名乗り上げられると、纏っていたコートを投げ捨てた。
「んぶふぉッ!?」
同時に、綾は口に含んだドリンクを毒霧の如く噴射した。
 現れたのは黒いジャガー、ではなく黒をベースにした蛇柄のジャガーマスク、そして蛇柄のコスチュームを纏った荒神である。更に片手にはよく解らない手袋を着けていた。
 そして呼ばれた名も『ブラック・ジャガー』ではなくヘビ人間の『ブラック・蛇ガー』であった。読み方が同じである為解りにくいことこの上ない。
「ちょ、ちょっとアルベール! アルベール!」
 セコンドとしてコーナーサイドに着いているアルベールを綾は呼びつける。
「如何なさいました? わたくしはブラック・蛇ガーのセコンドで忙しいのですが……」
「そんな事はどうでも……いや良くないけどアレ! アレ一体何したのよ!? ヘビ人間って一体何!?」
「解りました。それではまずこちらを御覧ください」
 そう言ってアルベールはビデオカメラを取出し、ビデオを装填すると映像を再生する。
「本来試合開始前に流してもらいたかったのですが、尺の都合とやらで断れてしまいましてね」
 残念そうに言うアルベールを余所に、映像が始まった。
 それは試合前、控室でウォームアップをする荒神であった。
 一通り体を動かした後、荒神は部屋にあるテーブルの上にドリンクがある事に気付く。
「運営が用意したのか? 気が利くな」と一気に煽る荒神。
 その少し後、荒神は喉元を押さえ苦しそうに呻き声を上げる。そして遂には床に倒れ込んでしまった――そこで映像は終わっていた。
「そして結果がアレです」
「あのドリンク用意したのアルベールでしょ!? 一体何飲ませたの!?」
「いえ、ただの精力剤ですよ。ただちょっぴり配合を間違えてしまったようで」
「何処をどう間違えたらああなるっていうの!?」
 怒鳴りたてる綾を、アルベールがどうどうと宥める。
 そんな事をしているとゴングが鳴り響いた。
「おや、試合が始まってしまいましたね。ではわたくしはこれにて」
「あ、ちょっとぉ! はぁ……大丈夫かな……」
 とっととセコンドに戻ってしまったアルベールに、綾は溜息を吐いた。

 試合が始まると、荒神は体をゆらゆらと揺らしミステリアスな雰囲気を醸し出す。それに対し美羽は警戒する様に距離を取る。
 互いに距離を取り合う中、先に動いたのは荒神。手を伸ばし、手四つを挑んでくる。美羽もそれに倣い、互いの手を絡ませ、すぐさま腕を捻る。
 荒神はリングを転がり、ヘッドスプリングで立ち上がりつつ拘束を解き、逆に美羽の腕を捻り上げる。
 美羽もその場で側転し、拘束を解こうとするが、着地の瞬間荒神がその身体に蹴りを放つ。
 苦悶の表情を浮かべる美羽に対し、頭を指さしあざける様に笑う荒神はそのまま二発、三発とミドルキックを放つ。
 そのキックを堪えると、美羽は荒神を睨み付けミドルを叩き込む。
 素早い荒神のミドルと、美羽の重いミドルが交互に放たれる。
 何度か交互に放った後、美羽のミドルで一瞬荒神が動きを止める。好機と見た美羽がロープに走る。
 だが戻ってきた美羽に合わせ、荒神のカウンタートラースキックが顔面に叩きこまれる。
 しかし美羽は動じず、そのまま後ろを向いた荒神に飛び掛かり、背中に膝を当てるバッククラッカーの形で自ら背中から倒れ込む。
 リングに倒れ込むと同時に、荒神の背中に衝撃が走り大きく体を跳ねあげるとそのままダウンする。そして美羽もトラースキックのダメージからかダウン。
 しかし両者共に素早く立ち上がりお互いを見据えると、観客席から拍手が起こった。

 その後の試合展開も、スピーディかつ激しい物となった。
 美羽はロー、ミドルのキックをベースとし、隙を見てハイキックをフェイントとし、勢いそのままにヒールキックを叩きこむ虎尾や、カウンターのゼロ戦キック、更にはフロントネックロックで動きを止めてからの膝蹴りなど、キックを主体にして攻める。
 対する荒神もルチャスタイルの素早い動きから繰り出されるキックを主体としつつ、ジャベを含めた関節技やカウンターのフランケンシュタイナーといった技で捕らえどころなく一方的には攻めさせない。
 見かけはアレだが、実際は荒神は意識ははっきりとしており、普段はやる事が余りないヒールキャラを楽しんでいるようであった。
 美羽の攻めに危うくなると、セコンドのアルベールを引き入れ呪文を唱えてみたり(出鱈目なようである。アルベールはその隣でマラカスを振っていた)、アルベールが持ち込んだ『人間を強制的にスローモーションにさせる謎音楽』をラジカセから流したりとノリノリの節が見られた。
 これには美羽も少々面食らいペースを乱される。ならばいっそ一気に叩きのめしてしまおうと少々強引に攻め立てようとする。
 連続でキックを叩きこみ、蹲る荒神に膝蹴りを叩きこもうと走り出す。
(気付いてないな……蛇ってのは狡猾なんだぜ?)
 しかし蹲る荒神は仕掛けていた。隠れて可燃性のムースを手袋に塗りたくると、走り込む美羽に合わせ隠し持っていたライターで火をつける。
「食らいやがれぇッ!」
 一瞬で燃え上がる手を、美羽に叩きつける。
 荒神が着けていた手袋は不燃性であり、ムースが燃え尽きると直ぐに火も消えてしまったが美羽にその熱を与える事は出来た様だ。
「あっつぅ!?」
 カウンターでモロに炎を食らった美羽は足を止めて顔を押さえる。その背後に回った荒神が美羽をクラッチするなり、高速のジャーマンで叩きつける。
 その勢いの反動により、美羽の身体は倒れず起き上がり、膝立ちになる。だが美羽の目は虚ろで意識は定かか解らない。
 荒神はそんな美羽の前に立つと、顔面へのソバット――絶縁を叩きこむ。
 だが美羽の身体はぐらりと揺らいだ物の倒れず、ゆっくりと立ち上がった。これには荒神も驚きを隠せず、戸惑う様子を見せる。
 そんな事などお構いなしに、美羽は荒神の喉元にナックルを叩きこんだ。苦しげに喉元を押さえ、思わず荒神は膝を着く。瞬間、美羽が顔面への膝蹴り――ボマイェを叩きこんだ。
 しかし今度は荒神が即座に起き上がり、美羽にハイキックを放つ。小気味のいい音が会場内に響くが、美羽はその蹴り足を捕らえると、もう一方の足も抱え、そのまま抱え上げるおからボムで叩きつけた。
 そして今度こそ、両者が大の字になって倒れ込む。
 激しいやり取りに歓声が沸くが、立ち上がれない。本来ならばここでレフェリーがカウントを始め、ダブルKOなりどちらかのKOが決まりそうなものだが、この試合は棺桶マッチ。どちらかが棺桶に叩きこまれない限りは試合の決着は着かない。
 長い時間をかけ、ゆっくりと両者が立ち上がる。だがどちらもそのダメージは大きいのが明らかである。
(これ以上時間をかけられねぇな……ここは勝負に出るしか!)
 身体を引き摺る様にして荒神は動くと、美羽の頭を捕らえ一発張り手をかます。そして美羽の身体を引き寄せると背後に棺桶がある事を確認し、パワーボムの体勢で持ち上げる。
 そしてそのまま頭を抱え、固定しようと試みる。固定したまま、後ろにジャーマンの様に投げれば必殺の蛇ガープレックス(フェニックスプレックス)の完成である。
 だが頭を抱えようと動きを止めると、美羽は荒神の頭に拳を振り下ろして抵抗する。何発も拳を受け、拘束が緩むと美羽はそのまま荒神の背後に着地。そして後ろから荒神の片腕をハーフネルソンで捕らえると、残った手を股下に通し、リバースパワースラムの体勢が完成した。
「くらえぇッ!」
 美羽は気合と共に、荒神を捻りを加えて後ろへと投げ、棺桶の中へと叩きつける。
「……ん?」
 正面から叩きつけられた荒神だったが、その身体に走る衝撃は思ったよりも少ない。代わりにあったのは、硬い感触とは異なる違和感。
「やれやれ、間一髪といったところでしょうか」
 悲鳴を上げる身体に無理を言って起き上がった荒神の目に入ったのは、アルベールであった。いつの間にか棺桶に入っていたのであった。どうやったおい。
「突っ込みたい所は色々あるが、よくやった……! だがここから出ないと……」
 このまま棺桶の蓋を閉められたら負けだ。棺桶の淵に手をかけ、這い出ようとする。
「せぇやぁッ!」
――直後、荒神の後頭部に衝撃が走る。ダメ押しに美羽は飛び上がり、荒神の後頭部に膝を落としたのである。
 これにより流石に荒神も動けなくなり、そのまま棺桶の中へ倒れ込む。それを確認すると、美羽は「よいしょっと!」と蓋を下ろすと、閉じた棺桶は突如発生した穴に飲み込まれるのであった。