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リアクション
ディナークルーズは、途中までは滞りなく進行していた。
不穏な空気が流れ始めたのは、一部のスローペースなテーブルを除き、普通に食事を食べ進める者の前に、そろそろデザートが運ばれようかという時であった。
「……私だって……私だっていつも一生懸命やっているのだよ」
重苦しい、それでいてろれつがよく回らない声で、切なげな愚痴が聞こえる。
声の主は……鋭峰だ。
「団長? もしもし、団長?」
鋭峰と同じテーブルで飲んでいたクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)が、鋭峰の変化に驚き、肩を揺さぶった。
「目が据わってるじゃん……」
鋭峰の顔を無遠慮にのぞき込んだエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)が、くくっとのど元で笑った。
「ちょっとエイミーちゃん。一応この人、団長ですよぅ」
一応、というのもけっこう失礼なのだが、それは棚に上げてパティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)が、エイミーの非礼を指摘した。
「ははあ。つまり無礼講っていうのは、自分のための言葉だったんですね」
一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)が、先ほどの鋭峰の挨拶を思い出した。
鋭峰も、帝王学もマナーも心得ているため、適量をかっちりと飲むことはできる。
だが、たまには好きに飲んでみたい時だってあるのだ。
そして、好きに飲むと、彼はこうなるのである。
「私だって、少しは羽を伸ばしたいのだ……それなのに……それなのに今回もまた引率……」
「団長、飲むと愚痴っぽくなるのだな」
クレアが、自分のグラスに残るワインを、丁寧に飲み干してから言った。
あくまでマイペースである。
次のワインを手酌しようとしたところ、それをアリーセが制し、その手からワインボトルをやさしく奪い取った。
「泣き上戸でもあるようですね」
クレアのグラスにワインを注ぎながら、アリーセが苦笑いして言った。
「たまには遊んでも、バチは当たらないのだ……」
鋭峰の目には、光るものがあった。
「ストレスたまってんだな。確かに、たまには発散しないとハゲちゃうよ」
またしてもエイミーが無遠慮に言い放った。
「ダメですよぅ、エイミーちゃん!」
エイミーよりは常識を持っているつもりのバティがまたしても止めに入る。
「ハゲは、ハゲはけっこう人の心に刺さる言葉なんですよぅ」
「いや、若ハゲって可能性もあるだろ」
「若ハゲのほうが、ハゲより心に刺さりますぅ」
「基本、団長って帽子だからな。蒸れってハゲの原因だろ」
「あんまりハゲハゲ言っちゃいけませんってばぁ。それに、ハゲかどうか確認したこともないじゃないですか」
「でもそれって、ハゲの可能性もあるんだろ?」
「……はいはいストーップ」
二人の言い合いを、クレアがぴしゃっと止めた。
「……ここまで何回、ハゲっていう言葉が出てきましたっけね」
さりげなく1回足して、合計12回にしたアリーセが、ふふっと笑った。
「ま、なんだかんだでこの人も立派な団長。少し風にあてれば、すぐに愚痴モードから戻って来れるであろう」
クレアはそう言うと、鋭峰を椅子から立ち上がらせた。
反対側をアリーセが支える。
「あそこから、上のデッキに出られるようだ」
クレアは、飲食をしている船室の端にある階段を指さした。
乗客は、そこから自由にデッキに出て、夜景を楽しむこともできるのだ。
クレアたちは、まだぐちぐち言っている鋭峰を引きずって、デッキに向かった。
●
「はぁーーー……疲れた」
船のデッキで手すりにもたれかかり、大きなため息をついている四谷 大助(しや・だいすけ)。
彼は、日中のパリ観光の間中、パートナーの女性たち――白麻 戌子(しろま・いぬこ)、グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)、四谷 七乃(しや・ななの)――に荷物持ちをやらされていたのだった。
何せ女性三人ぶんの買い物だ。
大量のショップバッグを一日中握っていた手のひらが、まだじんじんする。
「お疲れ様だねー。荷物持ちとは、なかなか大変だっただろうー」
隣から、赤い液体の入ったグラスを差し出しながら、戌子が笑いかけた。
「ワインかよ、それ。飲めないぞ」
「こらこら、年長者の誘いは受けたまえー。安心したまえ、ただのアップルジュースなのだよ」
「ワンコだって一つしか歳が違わないくせに……」
「こらー、ワンコと呼ぶなといつも言ってるだろー。キミのせいであの娘たちからもそう呼ばれるんだぞー」
ゴッ!
「いでっ!?」
戌子は、頭を軽く小突いたつもりだったのだが、思わず力がこもってしまったかもしれない。
けっこう、いい音がした。
「お前は食べないのかよ?」
「今夜はキミと語り合いたい気分なのさー」
「……」
大介は、戌子の珍しい申し出に思わず、訝しげな目で戌子を見た。
「なんだいその目は。少しくらい昔話に付き合いたまえよー」
「まあ、久しぶりだしいいけどな……」
「そうだ、あの任務を覚えてる? 目標を殲滅した後にキミがその身内をこっそり逃がそうとしたアレさ。結局逃げられたけど、あの時はガチンコでケンカになったよねー」
「しっかり覚えてるよ。あの時は右腕と肋骨を折られたからな」
「もしかして怒ってるかい? でもキミだってボクの銃をおしゃかにしたのだから、痛み分けなのだよー」
思い出話が一段落すると、戌子の声のトーンがほんの少しだけ低くなった。
「今が楽しいようだねー」
「ん?」
「軍を抜けたキミは今、すごく楽しそうに見えるね。彼女が原因かい?」
彼女。すなわち大介がパラミタで出会ったパートナー・グリムゲーテのことである。
大助は驚いた様子で、すぐさま反論した。
「最悪だよ。アイツに出会ってから、朝から晩まで休む暇が無い」
最悪だと言いながらも、そう愚痴る大介の顔は、笑っていた。
それを見た戌子の心は、ぎゅっと締め付けられた。
「……せっかくキミを元気付けようとやってきたのに、その様子ではボクは必要なかったようだねー」
少し寂しそうに、戌子は言った。
そして、用意してきた最後の言葉を言おうと、息を吸い込んだ、その時。
「他人事だな。これからは、お前にも手伝ってもらうってのに」
「……え……?」
その言葉が戌子の思考を止めた。
ニヤリと笑って大助は続ける。
「一人だけ逃げるなんて許すかよ、相棒。あ、そういえばお前、まだ契約者の力に慣れてなかったよな。今度近くの狩場にでも行くか?」
「ボ、ボク……ボクは……」
戌子は、けじめをつけに来たつもりだった。
彼はすでに戦場を離れ、隣には別のパートナーがいる。
様子を見て、言うことを言ったら、とっととパラミタを去ってしまおうとさえ考えていたのに。
なのに彼はまだ戌子の事を相棒として見ていると、はっきり言葉にしたのだ。
(そんなことを言われてしまったら、ボクは……)
「大助! なーにそんなとこで黄昏れてるのよ! そんなことしてもモテないんだから諦めてこっちに来なさい!」
「マスターもいっしょに食べましょうー! すっごくおいしいですよ!」
いつまでもデッキから戻ってこない二人を、グリムゲーテと七乃が呼びに来た。
「なっ! べ、別にモテたいからこんなことしてるんじゃない! 誰のせいでここまで疲れてると思ってんだ!」
大助は、愚痴と不満をこぼしながら、しかし笑顔で二人のもとへと歩いていった。
「あ……」
戌子は思わず、大助の背に手を伸ばした。
その手が空を切り、彼の背中はあっさりと離れていく。
やがて戌子は、ゆっくりと手を下ろした。
「……やれやれ、柄にも無く期待してしまうではないかー。彼も罪な男だよ」
デッキの階段付近を見ると、大助がグリムゲーテとなにやら言い合いをしているのが見える。
戌子は、離れた場所からそれを見つめていた。
それが、まさに自分と、グリムゲーテと、大助との距離感を表しているように思えた。
いまの彼には、自分よりも近しい存在が居る。揺るぎようもないそれは事実だった。
「キミが実に妬ましいね、グリムゲーテ・ブラックワンス。でも、ボクもまだ完全に資格を失ったわけじゃないみたいだよー」
そうつぶやくと、戌子も三人を追って、デッキと船室を繋ぐ階段のほうへと向かった。
船室に向かう階段を降りていた大助たちは、入れ替わりでデッキの方へと向かう数名とすれ違った。
狭い階段なので、すれ違うのにも気を遣う。
見ると一人の男性が、両脇を支えられていた。
「あれ……団長?」