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リアクション
「じいちゃん……」
店の入り口に立っていたのは、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)。
そのすぐ後ろに冬月 学人(ふゆつき・がくと)も付き従うように立っている。
その表情、様子から、ただの客ではないことは、どれだけ鈍感な者にでも察することができた。
ローズはふらふらと、その老店員に歩み寄った。
「じいちゃん。自分は……貴方の孫です! 分かるか?」
ローズは身振り手振りを加えながら、英語で話しかけた。
ローズが用いているのはアメリカ英語で、老店員が使っているのはイギリス英語。
所々のイントネーションは若干異なるものの、お互いがゆっくり、注意深く話せば、理解するのは難しくない……はずだった。
だが、どちらもすっかり興奮してしまっていて、お互いが伝えたい言葉をまくし立てるばかり。
これでは、たとえ同じ言語を使っていたとしても、会話は成立しないだろう。
カランコロン。
出入り口のドアについているベルが、また鳴った。
現れたのは、くすんだ金髪と陶器のような白い肌をした、長身の若いイギリス人男性である。
「やあマスター。どうしたの? そんなに青い顔をして」
青年は、老店員――ローズの祖父――に、気軽に話しかけた。
どうやら、この店の常連客のようだ。
喫茶コーナーでお茶を飲みながらやりとりを見ていた夜月 鴉(やづき・からす)は、浮かせかけた腰を下ろした。
あのまま、祖父と孫の会話が成立しないというのもやりきれないので、状況が好転しないようであれば自分が仲介に入ろうと思っていたのである。
青年の登場で、場はいったん落ち着いたようだった。
「親族か……。事情は知らないが、うまくわかり合えるといいな」
そう言って、お茶を一口すする。
ほわりと、素晴らしい香りが鼻へ抜けていった。
「せっかく、いい音楽が流れているのですから、これを聞いて落ち着けばいいのですわ」
鴉と向かい合ってお茶を飲んでいたアグリ・アイフェス(あぐり・あいふぇす)が、やはりお茶を飲みながら、言った。
先ほどまでの喧噪で聞こえなくなっていたのだが、店内にはごく小さな音で、美しいバラードが流れていた。
今は逆に店内はしんと静まりかえり、バラードはやけに大きく聞こえる。
今度は老店員とローズは、何を言っていいのか分からなくなってしまったようだ。
「今こそ、話せばいいのに。大事な人とは、話をして理解をふかめなきゃだぜ」
「ふふ。そうですわね。大事な方とは、お話をたくさんしなくては」
アグリは嬉しそうに、もうひとくち紅茶をすすった。
「それにしても……」
鴉は、くすんだ金髪の青年をじっと見た。
「あのお客、たぶんどっかの貴族だろうな」
「ええ。オーソドックスですが、とてもいいお洋服を召していらっしゃいますわね」
青年が着ているのはデニムパンツに白シャツ、そしてニットのベスト。
とてもシンプルではあるが、素材は最高級であることは一目瞭然だった。
「ところでどうだ、最近楽しいか?」
鴉が話題を転じた。
「ええ。もちろん楽しいですわよ。今も……」
店内はいまだ奇妙な空気に包まれているのだが、鴉とアグリのテーブルだけは、その空気から切り取られたようであった。
だが実は二人とも、祈っていた。
祖父と孫の問題が、良い方向に解決するように……。
さて、ローズと祖父は、どうにか落ち着きを取り戻し、お互いが孫と祖父の関係であることを認識したようだった。
「ほら、お父さんのことを……」
学人に促され、ローズはようやく本題に入ることができた。
「親父……つまり貴方の息子は、どうしていますか」
ローズは、絞り出すようにそう言葉にした。
祖父は、ぴくりと肩をふるわせた。
そして下を向き、なにやら思案しているようだった。
「マスター。勇気を。あなたの肩の荷が、下りるかもしれません」
何か事情を知っているのであろう金髪の青年が、ローズの祖父の肩をそっとなでた。
「あなたは以前、私に話してくれたではありませんか。あなたの息子さんのことを。そして、孫を心配しているという気持ちを。あのときのあなたの目を、私は忘れません」
優しく微笑む青年。
その微笑みに背中を押されたように、祖父は歩き出し、いったん店の奥へと消えた。
すぐに戻ってきた祖父の手には、一通の手紙が握られていた。
「これを……」
祖父から手紙を受け取ったローズ。
宛名は無いが、裏側に書かれている名前のサインの文字に、見覚えのある癖を見つけた。
「親父の手紙……」
ローズは震える手で封筒を開き、中の便せんを取り出した。
おそらく、手紙に書かれている文章はとても短いものだったのだろう。
ものの数秒で読み終えたローズは、膝から床に崩れ落ちた。
「……!」
その様子に、手紙の内容を察した学人が、ローズの手を握った。
「……やっぱり、やっぱり会いたかったんだ……」
小さな声で、ローズはぽつりと言った。
「シャンバラで戦いに関わって……死が身近にあって……自分も、大切な人も、いつ死ぬか、いつ会えなくなるか分からないから……」
肩が震えている。下を向いているから、泣いているのかどうかは分からない。学人以外には。
「だから……謝って……もういちど会って……」
「わかった。まずは落ち着こう」
学人はローズをそっと立たせた。
「座りなよ。こっちへ……」
一番近いカフェテーブルにいた鴉が席を譲り、ローズを座らせた。
ローズは、決して弱くはない。
祖父自身が持ってきた紅茶を飲むと、落ち着きを取り戻した。
そして、学人に言った。
「自分は……みんなと、あとどれくらい一緒に生活できるんだろう」
学人は、優しい声で言った。
「これからどうなるかは分からないけど……君が望むなら、皆と長い時間を一緒にできると思うよ」
その言葉はローズだけでなく、その場にいた全員の心に刻まれたのだった。
「長い時間を一緒に……。そうだよな、いたいよな……」
鴉は、ふとアグリの方を見た。
アグリもちょうど鴉を見たところだったので、視線がぶつかった。
店内にいる者それぞれが、大切な人のことを考える機会を得たのだった。
「私も父と一緒にいる時間は長くなかったから、気持ちが少しは分かる」
青年が言った。ローズは黙って聞いている。
「これからはマスター……祖父のことを大切に。そして、誰もが、絆を持てた人を大切に思えれば……もっと平和になるかもしれないね」
そう言うと青年は「買い物は今度にするね」とだけ言い残し、店を出て行った。
ローズの祖父は、その青年の背中に深々とおじぎをした。
「……なかなかの色男じゃが、結局あれは誰だったんじゃ?」
老子道徳経が、それを老店員に尋ねるようにと、セルマに告げた。
セルマが、はいはいと言いながら老店員に話しかけた。
「いまの青年は、誰だったのですか?」
「……ご存じないのですか? この国の皇太子殿下ですよ」
その言葉は、店内にいた者すべてをフリーズさせるに充分な効果があった。
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