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リアクション
8.切り札の落とし穴
強敵に相対した人間の反応は様々だ。
恐怖に怖気づく者もいれば、どう戦うか冷静に分析するもの、感情が高ぶる人も居るだろう。イレイザーのような強敵、という括りにしていいのか難しいところが、に対する反応は当然様々あった。
そういった連中の中、エリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァ(えりしゅかるつぃあ・にーなはしぇこう゛ぁ)の反応は少し変わっていた。というよりも、彼女は特に反応しなかった。
何も考えてないわけではないはずだ。しかし、普段とさほど変わらないぼーっとした様子でイレイザーを見ていた彼女が、何を考えているかと尋ねられても典韋 オ來(てんり・おらい)は答えに窮するだろう。
ただ、この彼女の普段通りは、思いもよらずいい方向に活躍した。イレイザーなどどこ吹く風と、淡々と治療を行っていた彼女に、小隊の隊員は安心感を覚えたようだ。自分たちを助けに来た仲間が、敵を気にしてそわそわしていたら心休まりはしないだろう。
応急処置を終える頃には、戦況に少し変化があったのかイレイザーは敵を追って移動を始めていた。どうやら誰かが痛恨の一撃を撃ち込んだらしく、イレイザーの動きは最初のものとはだいぶ様変わりしていた。
「うゅ? ……そっち、なの?」
「どうした?」
イレイザーが移動をしてから、その後ろ姿を眺めていたエリシュカが振り返る。
「はわ……みんなが、途中で方向を変えた、の」
「方向を変えた? ……ははーん、何か策があるな」
イレイザーが本気を出してから、こちらは押され始めて後退しながらの戦闘になっていた。後退とはいっても、橋頭堡にイレイザーを寄せるわけにはいかない。その為明後日の方向に下がるという珍妙な状況になっていた。
押されているから下がる。単純なロジックに思えるが、この作戦に参加した面子はどいつもこいつもイレイザーを倒そうと考えている。それが、ちょっと形成が不利になった程度で簡単に下がりはしないだろう。典韋は小隊の救出が役割だが、あれを倒す方法や手段を考えていないわけではない。
「うみゅ……策、なの?」
「そうだろうさ。そこまで部隊に大きな被害も出てないのに、ちょっと相手の動きがよくなったからって下がる連中じゃないだろ。たぶん、理由があって時間稼ぎしてたんだろうさ。そんで、その準備が終わったんだ」
「ええ、その通りです」
何の確証も無いが、典韋は断言してみせた。すると、思わぬところから肯定の言葉が返って来た。上杉 菊(うえすぎ・きく)だ。
「遅かったじゃねぇか、で策ってのは?」
「それは移動しながら話しましょう。イレイザーの意識がこちらに向かっていないうちに彼らを橋頭堡にまで運びます」
「調査小隊の隊員二十九名の確認が取れたわ。メルヴィア大尉の救出班以外の隊は、順次各イレイザーの討伐に向かわせるわ」
菊からの連絡を受け取って、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)にそう報告した。
「救出された小隊の中に、メルヴィア大尉の姿は無かったのですね?」
「ええ、向こうの見つけた結晶がいよいよ本命になってきたわね」
回収した隊員に話しを聞いた限りでは、メルヴィア大尉は戦闘中であり、何かの結晶に姿を変えられる瞬間を目にした者はいなかった。生物の中には、光物を好んで集める習性を持つものもいる。かつてニルバーナ人のものであった宝石か何かの像を、イレイザーが巣に持ち帰っていた、というのは推論としては十分ありえる。
第二班の人間は現物を見ていない。そのため結晶とやらは作り物で、大尉はどこかに身を隠していて欲しかった。もっとも、既に一班が回収のために危険な任務に当たっている以上、その可能性がかなり低いことは重々承知していた。
報告によると大尉らしき結晶は、誰かを抱きかかえた姿をしており、それが未だ確認の取れない最後の一人である可能性も高い。包囲網が狭まっていくように、結晶が大尉である可能性が高まっていく。
「わかりました……であるなら、こちらはなるべく早くイレイザーを片付け、一班と合流できるよう尽力しましょう」
「うまくいくのかしら、その落とし穴。随分と、古典的な方法に思えるんだけど」
「私は最初、イレイザーが姑息な手段をとるのではないかと考えていました。しかし実際は、力押しばかり―――恐らく、策を弄さなければ勝負できないような相手が、彼らにはいなかったのでしょうね」
柔軟な触手は、ただ殴りかかったり火を噴くだけでなく、他にも有効な使い道が小次郎にはいくつも思いつく。だが、大きく強固な肉体に、それに見合った火力を持つイレイザーはそういった手段を講じなくても、敵を一方的に蹂躙してこれたのだろう。
落とし穴という策に嵌るかどうかは、彼らに知恵があるかどうかは問題ではない。彼らにそういった策で倒れた経験があるかどうかだ。経験が無ければ、ただの落とし穴であっても彼らには未知の出来事であり、必殺の策になりうるだろう。
「自信があるみたいね、だったらいいわ」
小次郎の表情を見て、ローザマリアはこの作戦が実行に値するものだと判断したようだ。
「根拠という程ではありませんが、シャーレット殿とグラント殿の報告が正しければ、イレイザーの頭まで埋まる程の深さがあるそうです」
「随分な危険地帯ね……、けど期待はできそうね。私も調査隊を再編したら合流するわ」
「ええ、お願いします」
これで、大尉と小隊の生存者を探すために割いていた人員も対イレイザーに回すことができる。彼らの中には、調査担当や治療担当などの非戦闘員も少なくないが、部隊を二つに分けてさらに分割していた今の状況では大きな戦力となるだろう。
それだけ戦力を割いてなお、イレイザーに対して有利とは言えないまでも、大きな被害を出さずに戦闘を続けていられるのは、個々が奮迅の活躍を見せているからだ。だが、それは長く続くものではなく、時間と共に体力も精神力も磨り減っていくだろう。
「なるべく早く、こちらだけでも決着をつける必要がありますね」
策はある、勝算も決して低くは無い。だが、時間は余り無いように思えた。
「……大尉が回収される前に、終わらせないと厳しいですね」
希望的観測が流れるほどに、皆大尉が無事であって欲しいと願っている。だからこそ、強敵を前にして心折れることなく戦えているのだ。第一班は大尉を生きているものとして回収しようとしているが、そののちに死んでいたと判断されてはどうなるだろうか。
少佐は律儀にも、大尉の状況について情報をこちらにも与えてくれている。もともと技術屋である彼にとっては、そういった心理的な状況変化よりも、情報が常に生きて交流している事実の方が大事なのだろう。
だからこそ、もしも大尉の死亡が確認されてしまった時、その情報を一時でも彼が隠蔽するかどうかわからない。わからない以上は、ありうると考えるのが指揮官の仕事だ。
部隊の心を支えているものが折れれば、例え数字で勝っても敗北することは往々にしてあるものだ。それは歴史が証明している。
イレイザーが、罠を設置した部分に足を踏み入れる。そこから、さらにもう一歩、そしてもう一歩、ど真ん中だ。
「うまくいってくださいよ」
イレイザーの足元が崩れ、視覚情報に送れて爆音が届く。
鳥の中には、空を飛ぶのを捨てて地面で生きることを選んだものがいる。身近なものだと、鶏なんかがそうだろうか。中にはずるい奴もいて、空を捨てたくせに物凄く早く走るダチョウなんてものもいる。
何が言いたいのかと言えば、そういった翼を持っていても飛ばない奴が居るということだ。翼は空を飛ぶための象徴みたいなものだが、決してその通りに使われるとは限らない。
イレイザーはずっと地上を足で動いていた。その間大きな翼は、ゆっくりと動いていたがはためいて空を飛ぼうとはしていなかった。バランスを取るためか、それとも威嚇のためにあるのか、どちらにせよ、多くの人はこいつが翼をばたばた動かして空を飛ぶなんてものを想像していなかった。
だから、罠までおびき寄せて、爆破によって地面が崩れだした途端、大きく翼をはためかせた時にはみんなの動きが一瞬固まった。罠に巻き込まれないようにと、少し距離を置いていたのもあっただろう。
「翼だ、翼を狙え!」
イーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)は声をあげながら、ブリザードによる攻撃を試みた。既に何度も与えたこの魔法は、イレイザーに対して決定打にはならないと判明している。しかし、広い範囲に攻撃できる手段だ。
「やれやれ、せめて合図を送ってもらわねばな」
愚痴を言いつつも、フィーネ・クラヴィス(ふぃーね・くらびす)はイーオンとほぼ同時にブリザードの詠唱を終えていた。
遅れて、他の術者もそれぞれに魔法を唱える。それぞれの魔法が、イレイザーの翼に向かって放たれた。だが、それらはことごとく、触手によって阻まれてしまう。
「はは、なんだあの堅い触手の先も、ちゃんと威力があれば壊せるではないか」
全員の息があったとまではいかないが、かなり密度の高い魔法の連打に、壁になった触手は弾けて飛んだ。その先がまるまる吹き飛んでしまっている。
「くそ、もう一発、間に合うか」
続けざまに魔法の詠唱を行う。
だが、触手はまだ残っている。切り落としたり、魔法や対イコン用の武器を使って破壊して、半分ほどにまでその数を減らしているが、この状況では一本であっても驚異的だ。陽動をかけるか考える。しかし、それで出力は足りるだろうか、わからない。
「おい、あそこに誰かおるようだな」
既に魔法の溜めを終えて、イーオンに合わせるだけの状態で待っていたフィーネがイレイザーを指差す。そこには、人の姿らしきものが、確かにあった。
イレイザーの意識は、魔法を撃ってきた前方に集中していた。
だから、道があった。触手による妨害が薄く、通り抜けることのできる道だ。
「飛ばせはしないっ!」
これだけ大きな生き物の背中は、人間が駆け上がるには十分過ぎるほどのスペースがあった。しかしこの化け物、自分の背中だろうが攻撃をしてくる。もっとも、当然のごとく威力はセーブしていた。人間が腕で血を吸う蚊をみつけて叩くとき、腕が壊れるほど思いっきり叩かなくても蚊は潰せる、そういうことなのだろう。
葛葉 翔(くずのは・しょう)は一回目はそれで失敗したが、今は道があった。
イレイザーは翼を魔法で攻撃されて、飛ぶのを邪魔されるのを嫌がっている。まだその大きな体は空に浮かび上がってはいない。だがそれまでに残された時間は、ほんの数秒もない。崩れている地面からほんの少しでも足が離れれば、この罠は意味を失ってしまう。
狙うのは翼の付け根、目標は飛び立つのを邪魔すればいい。不安があるとすれば、この翼に自分の攻撃が通用するかだ。そのための手段はあった、チャージブレイクだ。わが身を捨てた攻撃だが、しかし攻撃を仕掛ければさすがのこの化け物もさすがに気付くだろう。その時、触手の迎撃を抜けて逃げ切れるか―――はっきりいって、自信は無かった。
「えぇい、一か八かだ……これでも喰らえ!」
翼の付け根にグレートソードを叩きつける。
途端、揺らいだ。
太鼓の音などを間近で聞くと、空気が振動しているのを感じることができる。要はそれと同じものだ。突然の一撃を受け、浮かび上がろうとした体が揺らいだ瞬間、イレイザーは咆えたのだ。その振動は、いやもはやそれは何かに殴られたかのような、衝撃そのものだった。
「くっ……」
全身を余すことなく貫いた衝撃で、一瞬飛びそうになった意識を気合で繋ぎとめる。
次にすべき事は、ここから離れなければならない。全力の一撃を受け、飛び立つ最後の瞬間を逃したイレイザーは、崩れ落ちる大地に吸い込まれている最中だった。逃げ遅れれば、イレイザーと一緒に生き埋めだ。
「簡単にっ、逃がしてはくれないか」
思った通り、触手が迎撃に来る。向かってくる巨大な口に、切り返そうとグレートソードを持ち替えた時、その刃が中ほどからぽっきりと折れてしまっている事に初めて気付いた。
「……嘘だろ」
アウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)の乗るレッサーワイバーン、ガディはイレイザーに近づくのを嫌がった。
怯えているのかと最初アウレウスは考えた。知能のある生物は色々と理屈をこねて、強大な敵に立ち向かうことができるが、そうでない生物は感覚に対して敏感だ。相手を絶対に勝てない相手を認識したら、戦うのをよしとはしないだろう。
ガディがイレイザーを怖がるのも、仕方ない。そう考え、ガディに無理をさせないようにアウレウスは手綱を握っていたが、それは間違っている事に途中で気付いた。ガディは一定の距離以上イレイザーに近づくのを嫌がったのは事実だったが、それは戦闘の最中に段々と狭まっていったのだ。その間に何が起こったのか判断するのは簡単なことだった。イレイザーの触手の本数が減ったのだ。
ガディが自分の出せる速度で、触手を避けきれる距離―――言うならば、イレイザーの迎撃能力を測って戦っていたのだ。アウレウスは驚いた、ガディは凶暴なレッサーワイバーンではあったが、烈火のような炎だけではなく、静かに熱く燃える青い炎をも持ち合わせていたのだ。
そしてそのガディは今、イレイザーの迎撃能力を「恐れるもの無し」と判断した。
「手柄は取られちまったか……アウレウス、道は俺が開く、あなたはあいつを」
互いに援護をし合いながら戦っていたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)と、アウレウスは共にイレイザーの背中に突入していた。その目的は空へ飛ぶのを防ぐためだったが、それはそれよりも先に、恐らく罠が発動するのと同時に背中に飛び乗っていた誰かに取られてしまったが、まだやるべき事は残っていた。
その大手柄の主を回収することだ。先ほどの咆哮で、翔はその足を止め、また武器も見事に砕けてしまっている。
「主は」
「俺は、邪魔な触手を追い払う!」
レーザーマインゴーシュが閃く。触手を切り落とすのではなく、刃を持っていかれないようその肉を削いでいく。触手には痛覚があり、それはどうやらイレイザーとは別物らしい。そのため、一本一本の触手は自分が傷つくことを、よほどの事態でないと避けようとする。
触手一本を倒すのに十の力が要るとすれば、怯ませるのに必要な力は三もあれば十分だ。時間を稼ぐのなら、グラキエスにとって絶望的な内容には成りえない。
「そこのおまえ、頭を下げるのだ」
言うやいなや、引き絞った対イコン用爆弾弓を放った。翔に食いつこうとしていた触手に当たる。甲殻に当たり倒せはしなかったが、その爆発にあおられて触手の先は吹き飛ばされた。
「うわぁっ!!」
爆風に煽られて、翔も空に放り出される。
「ガディ!」
拾うのなら、イレイザーの背中の上に立っていられるよりもずっと空の上の方が簡単だ。いとも容易くガディは空中に投げ出された翔に追いすがり、その腕をアウレウスが掴んだ。
「主! 確保完了である!」
「よし、巻き込まれる前に逃げるぞ」
「……恐らく、軽い脳震盪でしょう。何か魔法的なものではなく、単純に大音量の衝撃波を受けたショックだと思います。といっても、私のにわか判断ではなく、あとでしっかり軍医の診察を受けてから判断してください」
戻ってきた二人が連れてきた、翔を簡単に診察したロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)はそう判断した。
その軍医はといえば、今は負傷者が大バーゲンの真っ最中で、近づくこともできはしない。ヒールを用いて簡単に治療できるだけでも、今はすごくありがたがられていた。
「すまん、助かる」
意識は比較的クリアだが、立ち上がろうとするとふらついてしまう。
「最後の詰めには参加できそうにないな」
ここから遠く、窪みになって見えない地点に現在イレイザーが居る。崩れた地面に飲み込まれ、頭部と触手の一部のみが地上に出ている状態になっていたはずだ。現在、ほとんどを地中に飲み込まれたイレイザーに対し、最後の総攻撃が行われている。
軍医が大バーゲンセール中なのも、この最後の総攻撃に参加したいと負傷者が押しかけているのだ。
「十分過ぎる程のご活躍でしたよ……おや」
二人の元に、ガディとアウレウスがやってきた。
「怪我人ですか? それとも……」
駆け寄るロアにアウレウスはゆっくりと首を振ったのち、ほんの少し口元をほころばせた。
「喜べ、イレイザーの討伐に成功したのだ。今は死亡したのか確認を取っている段階なのだが、主が早く伝えてやれというので一足先にここに来たところだ。それと、教導団はこれより指揮を執っていた戦部が部隊を再編を行うそうだ。協力者である我々は、戻るか第一班に合流するか、選ぶことができるそうだ」
「では、エンドは無事なのですね」
「当然であろう。傷の一つたりとも受けてはおらぬ」
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