葦原明倫館へ

空京大学

校長室

天御柱学院へ

この場所で逢いましょう。

リアクション公開中!

この場所で逢いましょう。
この場所で逢いましょう。 この場所で逢いましょう。 この場所で逢いましょう。

リアクション



19


 どうしても謝りたいことがあった。
 だけどそれは不可能だった。
 なぜなら、対象が既にこの世に居ないから。
 数年前のあの日。
 佐野 和輝(さの・かずき)の両親は、不運な交通事故で死んでしまった。
 結婚十周年を祝った夫婦水入らずのデートの日のことだった。
 当時幼かった和輝は、両親が揃って出かけてしまうのが寂しくてしょうがなくて。
 『早く帰ってきて』と言ってしまった。
 ――もし俺が、あんな我儘言わなければ。
 ――我慢して二人の帰りを待っていたら。
 二人は事故に遭わなかったかもしれない。
 今も幸せそうに笑っていたのかもしれない。
 ――どうして俺は、あの日だけでも我慢の出来る子供になれなかったんだ?
 どうして、どうして、と。
 後悔だけが、頭の中を占めていた。
 だから、謝らなければいけなくて。
 謝りたいのに。
 いざ、両親が――総一郎彩音が現れ、
「和輝君かい?」
「カズ君、なの?」
 懐かしい声で、懐かしい呼び方で自分を呼んだとき、膝から崩れ落ちた。
 どうしてこの二人は自分に笑いかけてくれるんだろう?
 どうして、愛情のこもった表情を向けてくれるんだろう?
 ――あの事故は俺のせいかもしれないのに。
「ちょ、ちょっとカズ君っ。どうしたの? どこか具合が悪いの?」
 彩音が駆け寄ってきた。和輝の傍に膝をつき、心配そうに見つめてくる。
 和輝は彩音の目を見ることも出来ず、ただ俯いて「ごめんなさい」と繰り返した。壊れたレコードのように、掠れて聞き取りづらい声で何度も何度も。
 謝れば、楽になれると思ったのに。
 そんなことはなかった。むしろ、謝るたびに罪悪感が募っていって視界が霞んだ。声も涙声になっていて、すでに上手く発音できていない。地面に涙が零れたのを、頭の隅のほうで認識した。
 不意に、肩に暖かいものが触れた。それが彩音の手だと気付く前に、ぎゅっと抱きしめられて。
「な……」
 驚きに、涙が止まった。
 ――どうして? なんで抱きしめてくれるんだ。
「ごめんね、カズ君」
 ――どうして母さんが謝るんだ。
「本当にすまない……ごめんなさい、和輝君」
 ――父さんまで。
 わけがわからないまま、顔を上げる。総一郎も、彩音も、変わらず慈愛に満ちた表情で和輝を見つめていた。
「カズ君は悪くないのよ」
「だっ……て、俺が我儘を言ったから……」
 言わないで、いい子にしていればよかったのに。
「そんなことない。私、嬉しかったんだから」
「嬉しい……?」
「ええ。カズ君は本当にいい子で、普段から我儘なんて言ってくれなくて……だからね、あの日、カズ君が我儘を言ってくれて、本当に嬉しかったの」
「一緒に連れて行けばよかったのかな。そうすれば和輝君に寂しい思いをさせることもなかったんだから」
「置いていってしまってごめんなさいね」
 二人とも、責めることはなかった。
 それどころか、和輝が自分を責めていることの方を気に病んでいるようで。
 ああだけど、そうだと気付けても。
「それでも、俺は謝りたい。……ごめんなさい」
 再び謝罪を繰り返す和輝に、総一郎が微笑んだ。和輝の頭に手を伸ばす。
「僕たちのことを思い続けてくれて、ありがとう」
「……っ」
 かけられた言葉に、止まったはずの涙がまた零れた。


 泣いていた和輝が落ち着いたのを見て、アニス・パラス(あにす・ぱらす)はほっと息を吐いた。
 自分のせいで両親が死んだと思って謝り続ける和輝。
 そんな和輝を慰める父と母。
 ――……少し、羨ましいな。
 不謹慎かもしれないけれど、アニスが感じたのは羨望。
 アニスには親なんて存在しないから、両親に愛されている和輝が羨ましくて。
 ――変なの。アニスにはちゃんと『家族』はいるんだから……羨むなんて、かっこ悪いよ。
 だけどどこかもやもやしてしまって、足元の小石を蹴り飛ばした。
「父さん、母さん。彼女のことを紹介します。俺の家族のアニスです」
 その時、しばらく黙っていた和輝が口を開いた。
「えっ、奥さんかい?」
 総一郎が驚いたようにアニスの顔を見る。
「可愛いお嫁さんだわ。式はいつ? それともまだ婚約段階なのかしら?」
 彩音も興奮したように目を輝かせていた。
「えっ、えっ?」
 アニスとしては戸惑うばかりだし、
「そ、そういう意味じゃ! そもそもアニスはまだ子供ですよ!?」
「あら、もう立派な女性じゃない。ねえ、総一郎さん?」
「やっぱり血筋かな? 僕が彩音さんと結婚したときだって――」
「違いますって! アニスは本当に、そういうんじゃ……!!」
 勘違いさせてしまった和輝も顔を赤くして必死に訂正。
 ――別にそんなに頑張って否定しなくてもいいんじゃない?
 とは思ったけれど、言わない。
 代わりに、
「えと、その。和輝のパートナーのアニスです」
 と自己紹介。
 パートナーなの、そうなの、と二人の熱も一旦は落ち着いたようで。
「初めまして、アニス」
 彩音が笑顔で近付いてきた。
 はじめまして、とアニスが返すと、
「むぎゅっ?」
 ぎゅぅっと抱きしめられた。
「和輝の家族なのよね。それじゃあアニスは私の娘だわ」
「娘……?」
「あ。嫌だったかしら。私ったら先走っちゃって……やあね、忘れて?」
 彩音の言葉に慌てて首を横に振った。
「嫌じゃないの! ……あの、う、嬉しい……の」
「本当?」
 こくり、頷く。抱擁が、強く、けれど優しくなった。
 驚いて、心臓がどきどきしている。だけど嫌などきどきではない。
 ――なんだかとっても暖かい……。
 急に目頭が熱くなって、目から涙が零れてきた。
 構わず彩音はアニスを抱きしめ続けてくれた。