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28


 ワイシャツにジーンズという動きやすさを重視した軽装に、白衣を羽織った姿。
 背中まで垂れた長い白髪は、一くくりにして束ねてある。
 六十歳という高齢ではあるが、老いを感じさせない生気に満ちた顔は、彼女が――アルレス・マーチェが死人であることすら忘れさせた。
「すぅ〜……はぁ〜……」
 ノール・ガジェット(のーる・がじぇっと)が硬直したまま彼女を見ていると、アルレスは深呼吸を始める。
「久方ぶりのシャバの空気は美味いねぇ〜」
 そして、満足そうにニィッと笑った。
 ――我輩、何も見てない。
 ガジェットは、心の中で呟く。
 ――あのババァのことなんて、見てない。知らない。
 逃げよう。
 そう決めて、くるっとリターンしかけたところで、
「ん?」
 一足先に、アルレスが振り向いた。
「……っっ!!」
 ばちり、目が合った。しっかり目が合った。
「ガジェットかい?」
 違う違うとぶんぶん頭を振った。関係なしにアルレスは近付く。対照的にガジェットは退がる。
「違う、チガウ」
 一応、否定しながら。
「バカ言ってんじゃないよ。形は随分変わっちまってるけど、このバカっぽくイヤらしい雰囲気。あんた以外に誰が居るっていうんだい」
 カツカツカツ、と靴音を響かせて大股に近付いてくるアルレスに、身体が動かなくなった。
 逃げなくちゃ、と脳が警笛を鳴らしても。
「と・こ・ろ・で。あんた今、あたしから逃げようとしたね? 視線も逸らしたね?
 ……親に対して、良い根性してるじゃないか♪」
 にっこりと、アルレスが笑う。
 それはもう、背筋がぞくっとするなんて表現じゃ生ぬるいもので。
「スキンシップとして、とことん弄くらせてもらうよ!」
「イッ……」
 がしり、腕をつかまれた。
 さあもう逃げられないぞとでも言うように、駄目押しでにこりとアルレス。
「イヤアアァァァァァァァァアアァァァアアァァァァァァァ……」
 ガジェットの悲鳴が、街中に響き渡った。


 今日はお盆だからゆっくりみんなで過ごそうと、ガジェットとリア・リム(りあ・りむ)を連れて待ちにやってきたわけだけど。
 ふむ、とルイ・フリード(るい・ふりーど)はひとつ頷いた。
「時には振り回されるのも良いでしょう♪」
 叫び、逃げようとするガジェットと、扱いなれた様子で難なく彼を縛り上げるアルレスに微笑みかけながら。
「あの口振り……ガジェットの生みの親なのか?」
 リアが、意外だという気持ちを前面に押し出しながら呟く。
「そのようですね」
「何がどうして、あの親からこんな性格の機晶姫が生まれるんだ……」
 心底疑問そうに、首を傾げて。
「パラミタ七不思議ですかね?」
「さあ……というか、深く考えたくもないな。そういうことにしておこう」
 きっぱりと言い切るリア。その顔には、『だって時間の無駄だし』と書いてあるのがルイにはわかった。
「さて、ルイ。あの女性に協力するぞ」
「協力ですか?」
 が、そう言ったので目を瞠った。
「うむ。彼女の持っている機晶姫に関する技術には興味がある。僕らに手伝えるなら手伝いたいんだ」
「なるほど」
 頷き、ガジェットとアルレスを見る。ガジェットが暴れるので、さすがの彼女でも手を焼いているようだった。
 ――ガジェットさん、あんなに感情を顕にして……なんて嬉しそうなんでしょう!
 ルイはほんのりと感動する。それもそうだろうと深く首肯しながら。
 だって、アルレスはガジェットを開発した人物なのだ。いわば生みの親。親との感動の再会なのだから。
「良いでしょう。私も親子のスキンシップに一肌脱がせていただきますねっ」
「親子のスキンシップ……というには、どうにも本気で逃げようとしているようにも見えるがな」
 ぼそりとリアが何か言ったが、よく聞き取れなかった。
「まあガジェットの悲鳴なんぞ知らん。さあ手伝おうか」


 ルイとリアの協力を得て、見事ガジェットを捕まえることに成功したアルレスは、
「しっかしまぁ、この子が男性と契約するとはねぇ……。世の中何が起こるかわからないもんだ」
 研究所にてガジェットとルイを交互に見て、くすくす笑いながら呟いた。
 何せガジェットは女の子……というか、可愛い子が大好きで。
「少なくとも、あんたみたいな筋肉質な男は好みじゃないはずなんだがねぇ」
 リアはともかく、とルイを見て言う。
「まぁだからこそ楽しいんだけどね」
 椅子にどっかりと座り、足を組んだ。
「それで? ルイ、あんたとうちの子が契約を行ってから、今この瞬間に至るまで何をやらかしたんだい? 教えておくれよ」
 のんびり見守ることもできなかったし。
 いろいろと知りたいんだ。だってどんなに手がかかろうとも節操なしでも、やっぱり大切な我が子だから。
「してきたことですか? そうですねぇ……」
 ルイが考えるように顎に手を当てた。
「カメラ係をやったりですね」
「なんだいそりゃぁ」
「少し前に友人の結婚式があったんです。そこで、幸せな姿を、楽しい時間を納めるためにカメラを提供してくれました」
「そうかいそうかい。友人の結婚式か。……色々楽しそうに生きているようだねぇ」
「ええ。貴方が生み出してくれたからです」
 ルイが微笑んだ。思いがけない言葉に、アルレスの頬もふっと緩む。
「さあ思い出話も楽しんだことだし、破損したデータの復旧作業に入るとするかね!」
 白衣の袖をめくり上げ、浮かべる笑みをまた別の種類のものに変え。
「あたしは限られた時間しか居られないんだ。一分一秒でも惜しい。契約者のあんたらにも手伝ってもらうからね!」
 ルイとリアに、びしりと指示。
 はい、という明るいルイの返事と、ああ、という楽しそうなリアの返事に再びニヤリ。
 ――素直な優しい子らじゃないかい、ガジェット?
 いい人たちに巡り合えたねと嬉しく思いながら、リアから借り受けた工具箱に手を伸ばした。


「データ復旧のついでに、本来の用途と能力、そしてあたしがデザインしたフォルムを残しておいたよ」
 帰り支度をしながら、アルレスが言った。
「…………」
 それを、ガジェットは黙って見ている。
「? なんだい、嬉しくないのかい。あたしは楽しい一日だったよ。いや、有意義だったというべきかしらね? ともかく、あんたに会えてよかった」
 別れ際に、そんなことを言わないで欲しい。
 清々しい笑みで、親愛の情を向けてこないで欲しい。
 だって、別れづらくなってしまうじゃないか。
「ババァ」
「なんだい」
「我輩……多少なりとも親と会えて、嬉しく思う部分もあるのである」
「……なんだい、殊勝なこと言って。あんまり変なこと言ってると明日にでもナラカに堕ちてきちまうんじゃないかって心配になるだろ? そんなことになったら許さんからね!」
「なるわけないのである! たまに会うからババァとは丁度良いのである! 毎日会ったら、我輩おかしくなる!!」
 そこは断言してやる。だって今まで十分刷り込まれてきたし。
 けど、こうして久しぶりに会ったのは。
「……嬉しかったである。……少しだけね! 本当だから!!」
 ぷいっとそっぽを向いて、言う。
 かっかっか、とアルレスの笑い声が聞こえた
「あたしも嬉しかったよ」
 それから、優しい声。
「それじゃ達者でな。アデュ〜」
 最後はのんきな声を上げて、振り返ったらもう居なかった。
 生前と同じく、破天荒な人だったである、とガジェットは小さく呟くのであった。