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33


 その日、林田 樹(はやしだ・いつき)ジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)緒方 章(おがた・あきら)新谷 衛(しんたに・まもる)と共に買い物に出かけていた。
 お盆だとか祭りだとか、そういったこととは関係なく雑貨を見たり、日用品を買ったり。
 そろそろ帰って夕飯にしようか、というところで、
「Ola Itsuki!」
 普段聞き慣れない言葉が耳に飛び込んできた。とても、懐かしい声だ。
 ――まさか。いやそんなはず。でも、この声は、言語は……。
 慌てて振り返る。振り返った先には、浅黒い肌と黒い瞳、緩く巻いた黒髪が特徴の、スタイル抜群の女性が笑顔で立っていて。
「マ、ママーイ!?」
 日用品の入った袋を、落としてしまった。
 見覚えなんて、いくらでもある。だって彼女は、樹の育ての親だから。
「Como vai voce?」
「Be……Bem,obrigada……」
 問われるままに言葉を返したが、ふっと気付く。きっと、この馴染みのない言語では章たちに会話の内容がわからない。が、彼女ーーエバはそこまで考えが至っていないようで、次から次へと話しかけてきた。答えないわけにもいかず、已む無くやり取りを続行。
「なあ、ママーイってポルトガル語で母ちゃんって意味だよな? あれがいっちーの母ちゃんなのか? てゆーかなんて言ってんだ?」
 していると、衛が章に問いかけた。
「いや、樹ちゃんに家族は居ないはずなんだ。言葉の意味は、僕にも理解できない」
 章が衛に答える。
 ただでさえ当惑しているのに、このまま知らない言語で話し続けるのはまずいと判断した樹は、
「Aguarde,por favor!!」
 ちょっと待ったと制止の声を張り上げた。
 エバがきょとんとした顔で樹を見る。もっとも、きょとんとしているのは樹の傍の三人も同じだ。
「ママーイ。彼らにも通じるように話してくれ。それから場所を変えよう」
「ならお酒を飲みにいきましょう」
「わかった。近くにビアガーデンがあるから、そこで」
 一度話を切って、目指すはビアガーデン。


 場所を変え、各々が酒やジュースを頼み、乾杯し。
 話を始めたのは樹からだった。パートナーたちの紹介をエバにした後、
「この人は私の育ての親だ」
 次にエバを紹介する。
 エバが人好きのする笑みを浮かべ、
「初めまして。いつきの親代わりだったエバよ。享年三十六歳」
「え、待った。享年?」
「そうだ。エバは私が十八の時に死んだ」
「ってことは、……死人!?」
 衛が驚いて声を上げる。他二人も驚いた様子だった。酒を飲む手が完全に止まっている。
 対照的にエバはというと、ハイペースでジョッキを空にしていく。樹も無意識にエバのペースに合わせていて、テーブルの上には次々とジョッキが置かれていった。
「にしても、育ての親ってわりに身体つきまで似てんだなー」
 二人の飲む姿を見ていた衛が、不意に呟く。
 一体どこを見ているんだ、と睨もうとした矢先、
「あら、まもる。そんな目で女性を見ていると舐められるわよ」
「舐められる?」
「そう。『あの子はすぐに女性の身体に反応する、可愛らしい男の子だ』ってね」
 そりゃ心外だ、とばかりに衛が肩を竦めてみせた。
「ところでいつき」
 不意にエバの矛先が樹に向いた。ん? と酒を飲む手を一時止め、言葉の続きを待つ。
「その胸元のペンダントはどうしたの? いつきはその手のものに関心がなかったのに」
 樹の胸元にある『機晶石のペンダント』を指差された。まさか指摘されると思っていなかったため、驚きに身体ごと跳ねてしまった。
 ――……どう答えよう……。
 このペンダントは、章から婚約の証だと送られたもので。
 でも、そのものずばり言うのはなんだか恥ずかしくて。
 口をもごもごと動かしてばかりいるうち、
「僕が贈りました。婚約の証です」
 章が言ってしまった。躊躇うことなく、素直に真っ直ぐに。
 へえ? とエバが感心したような声を上げた。樹を見る。
「こっ、これは……そのっ、あのっ……」
「ただのパートナーじゃなくて、人生のパートナーでもあったわけね?」
 しどろもどろになる樹に、エバがさらに追い討ちをかけてくる。
「そうなれれば、と」
 樹の代わりに答えるのは、章だ。もっとも樹にとってそれも追撃でしかないのだが。いたたまれなくてジョッキを呷った。半分以上残っていた酒が一瞬でなくなる。
「で、いつきのこと、どこまで想ってるの?」
 もちろん、その程度の行動で止まってくれるエバじゃなかった。ああ、顔が熱い。世界がぐるぐる、ぐらぐらする。
 ――酔った時に似ているな、これは。
 なんて、一部冷静な部分で考えた。
「そうですね……『もう一度僕の心臓が止まるまで』彼女と共に在りたいと思っていますよ」
 そして、章の言葉でテーブルに沈んだ。
「あらまあ、ハポネスなのに情熱的な人なのね」
 ――頼む、もうやめてくれ。
 声にならない声で、樹は懇願する。
「アキラぁ……」
 これ以上続けられたら、恥ずかしさのあまりもう立ち直れなくなる。
 それを察したのか、エバと章が話しを止めた。
「自分の良さも悪さも知っているみたいだし……いい人見つけたわね」
「お褒めにあずかり、光栄です」
 そう、締めくくって。
「……あ、ありがとう……」
 もにょもにょと、口ごもりながらもお礼を言った。ふっとエバが笑い、
「それじゃ、そろそろ時間だから帰るわね」
 席を立つ。
「じゃあね、いつき。今度会う時には、あきらくんとの子供を見せなさいよ! Ciao!」
 去り際、手を振りながら言われた言葉に再び顔が熱くなる。
「こど……ママーイっ!!」
 悲鳴じみた声をあげても、もうエバは振り返らなかった。少女のように軽い足取りで、ビアガーデンから離れていく。
「いい人だったね、エバさん」
 エバの背姿が見えなくなる頃、章が言った。
「……ああ。私に様々な芸や、生きていくために必要なことを教えてくれた。料理とかもな。
 十五歳のときには、いい男の見分け方とかも教えてくれたっけ」
「いい男の見分け方?」
「教えた芸事の中で、歌だけがいつまでたっても上手にならないから、上手く『結婚』できるように教えてくれていたのかもしれない」
 当人に確認を取ったわけじゃないから、わからないけど。
「アキラ。お前の良いところは、私を『私』として見てくれているところだ。私の心がいびつな形をしていても、それで良いといえる。その大らかさだ」
「……何だい、突然」
「だから、ママーイはアキラのことを認めたんだと思う」
 空になったジョッキを指先で弄りながら言うと、章ががりがりと後頭部を掻いた。
「ん? どうした?」
「あのね樹ちゃん。今の言葉、聞く方は結構照れくさいってわかってる?」
「そうか? 私がそう思ったことを、言ったまでなんだがなぁ」
「……樹ちゃんはさ。少し自覚したほうがいいよね」
 どういう意味だと問おうとしたが、章がジョッキのおかわりを呼ぶ声に消された。
 ――まあ、いいか。
 ――こうしてみんなで飲んで、騒いで、紹介したい人も紹介できたし。
 ママーイ。
 心の中で、呼びかける。
 ――私は、今、とても幸せだよ。