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【ザナドゥ・アフター】アムトーシスの目覚め

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【ザナドゥ・アフター】アムトーシスの目覚め
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序章 逃げる猫耳、始まる正月

 早朝。
 シャムス・ニヌア(しゃむす・にぬあ)は窓辺にいた。
 普段ならば眠気まなこなところを執事のロベルダが起こしに来て、部屋へ紅茶を運ばせるような時間だが――その日は、馴染みのない魔神 アムドゥスキアス(まじん・あむどぅすきあす)の塔の一部屋で、窓から聞こえてくる人々の賑やかな声に耳を傾けていた。
 アムトーシスの朝である。
 と言っても、その日はいつもの朝とは違っていた。
 今日は、この街を治める魔神アムドゥスキアスが立案した『日本のお正月』を楽しむお正月祭の日なのである。いつもは自分の芸術の時間に費やす夜間さえも、建設業を主に営む芸術家たちは切磋琢磨に動き回り、こうして……無事にお祭りの朝を迎えていた。
 あの日。魔族軍と地上軍との戦いが『リッシファル宣言』で終わりを告げてから幾日――こうしてお祭りといった手段で街の平和を実感するのは芸術の街アムトーシスならではといったところか。以前、シャムスたち南カナン軍を相手に戦いとして設けられた芸術大会が、バルバトス軍が襲ってきたことでうやむやになってしまったことも関係しているのかもしれない。街の住民たちは、きっと心のどこかで不完全燃焼に感じていたところがあったのだろう。今日こそはこの鬱憤を晴らしてやるぞと言わんばかりに、気合いを入れてお祭りの日を迎えたのであった。
 そして。
「ほらほら、シャムス様。動かないでください。動くと危ないですよ。はい、息吸ってー」
「ぬ……ぐ…………ぐええええぇぇぇぇ」
 シャムスはいま、『帯』と呼ばれる日本の装飾具に腹を締め付けられた。
 帯をしているとなれば、当然のように彼女が着ているのは振袖である。黒地に桜模様の着物であり、妹のエンヘドゥ・ニヌア(えんへどぅ・にぬあ)の着る赤紫地に桜模様の着物とは、下地の色は違うが柄がお揃いのものだった。
 着付けをするのは、彼女の背後から帯をぐいっと引っ張る神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)である。すでにシャムスと何度かの冒険を共にしている顔なじみのこの契約者は、今朝早くにパートナーの柊 美鈴(ひいらぎ・みすず)と一緒に振袖一式を持ってシャムスたちともとへとやって来たのだった。着方が分からないというシャムスに『着付けはお任せください』と言ったのはいいものの、結果は苦悶の声だった。
 思わず、
「お前はオレを殺す気かっ!」
 シャムスはちぎれそうになった自分のお腹を労りながら叫んだ。
 翡翠は苦笑いを浮かべる。
「そうは言っても……こういうものなんですよ。振袖って」
「日本の女は自分を痛めつけるのが好きなのか? …………理解に苦しむ」
 隣を見ると同じように、
「エンヘドゥ様、じっとしていてくださいませ」
「ぐ…………ぬぐ…………」
 双子の妹であるエンヘドゥが美鈴に帯を締められて苦しそうな声を漏らしていた。
 だが、まだシャムスの実例が先にあったからだろうか。こちらは必死に苦しみをこらえていたが。
「お姉さま…………これは……ご、拷問……なの……では……」
「……まったくだ」
 妹の疑惑に同感してうなずくシャムス。
 と、そこに――
「はは。日本のお正月を体験するなら、振袖も一度は袖を通しておかないとね。これも経験さ、シャムス」
 部屋の入り口から朗らかに声をかけたのはヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)だった。どこか現実離れした、絵の中に描かれる美貌にも似た雰囲気を纏う契約者である。彼はシャムスたちの着付けが終わりにに近づく様を、明るい微笑みで見守ながら、買ってきた朝食用の果物や飲み物をテーブルに置いた。
「体験ねぇ……」
 シャムスがうんざりとしたようにつぶやいたところで、少し遅れて、彼のパートナーたちが部屋に駆け込んでくる。
「ざなどーざなどーおもしろいとこー♪」
「もう、えーくん、走ったらあぶないよ」
「僕が思ってたのとはちょっと印象が違うなぁ……」
 即興の歌を歌いながら駆け回るのは、ゆる族のエーギル・アーダベルト(えーぎる・あーだべると)。たいそうな名前ではあるが、実際のところはみんなからは『えーくん』と呼ばれている、マスコットのようなゆる族である。その姿はいかにもかわいらしいぬいぐるみがはしゃぎ回っているようにしか見えず、女の子であればついついキュンとなってしまうところだった。
 そんなエーギルを追いかけているのは貴志 真白(きし・ましろ)。見た目だけなら彼もエーギルに負けず劣らずのかわいい少年である。もちろん、あくまで人間として見ればの話だが。魔鎧であることが理由かどうかは分からぬが、その見た目に反して実に落ち着いた少年であった。えーくんの保護者としての機能も、果たしているようだ。
 そして、一番後ろからやって来たのは空木 雪(うつぎ・ゆき)であった。こちらもさほど落ち着きのない様子を見せてはいないが、どちらかと言えばそれは温和という言い方のほうが合っているように思われた。感情の起伏は大きくなさそうだが、その瞳に映る輝きに胸躍るような気持ちが見え隠れしているのは――何のかんのと、彼も初めて訪れるザナドゥを楽しみにしていたからだろうか。
 いずれにせよ、活気に満ちたメンバーである。
「はじめまして、シャムス・ニヌアっ」
 と、エーギルがはじめにシャムスへと挨拶をしてきた。どうやら他人の名前をフルネームで呼んでしまうのは彼の癖のようだ。子どものすることだとシャムスはさほど気にしていないようだが、部屋で待機する南カナンの兵が一瞬顔をしかめる。ヴィナは申し訳なさそうに苦笑した。
 そこから、真白と雪も続けて彼女に軽い自己紹介と挨拶を終える。
(ねーねー、ヴィナ・アーダベルトー)
(ん……なんだい?)
 その最中、じっとシャムスを見ていたエーギルがヴィナの袖を引っ張った。
(シャムス・ニヌアって…………きれーなおんなのひとだねー)
(……うん、そうだね)
 ヴィナは少し過去のことを思い出して微笑んだ。
 エーギルは知らないが、元々シャムスは男として育てられた娘であった。
 黒騎士――漆黒のプレートアーマーを身につけて戦場を駆け抜けるその様は今でも変わらぬが、出会った当時は漆黒の兜も一緒に被り、自分の素顔を晒すことを良しとしていなかったものである。それがいまは正真正銘『おんなのひと』だ。
(いや……元々かな。それを、内側に隠し続けていただけで)
 そう思いながら、ヴィナが真白と雪のザナドゥに対する質問にあーだこーだと答えているシャムスを見ていると、
「ん…………どうした、ヴィナ」
 彼女はきょとんとした顔で振り向いた。
「……なんでもないよ」
 といって、微笑するヴィナ。
 シャムスは納得いかなそうに首をかしげたが、それ以上問いかけることはなかった。
 バタバタとした物音が聞こえてきたのは、そのときである。
「な、ななんだ……っ!?」
 慌てて全員の視線が物音の聞こえてきた先――部屋の扉の向こうへと集中する。
 バタン! と、扉を蹴り飛ばすようにして飛び込んで来たのは、一人の人影だった。
「あ、朝斗……っ?」
「はぁ、はぁ……はぁ……はぁ。こ、こんにちは…………シャムスさん……エ、エンヘドゥ……」
 げんなりした顔で、荒い息の合間合間に喋るのは、榊 朝斗(さかき・あさと)と呼ばれる少年だった。
 シャムスにとっても顔なじみであり、エンヘドゥにとっては親しい友人の一人である。実際、今回のお正月イベントにも、エンヘドゥがぜひ朝斗もと、招待したのだ。
 それが、突然やって来て、この状態である。彼がどうしてこんなに慌てているのか。シャムスたちは疑問に思ったが、それは次の瞬間すぐに解消された。
「あさとおおぉぉぉ!!」
「げっ…………もう来たっ!?」
 ドカン! と、朝斗が後ろ手に鍵を閉めた扉を蹴り破って入ってきたのは、ゆらゆらと揺れるオーラを背後に浮かべる、にやりとした顔の女だった。
 ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)――朝斗のパートナーであり、最も信頼のおける9年来の付き合いになる吸血鬼は、いつもなら温和な笑みでニコニコと笑っている表情を悪魔の微笑みに変えていた。
「フフフフ…………逃がしませんよぉ。あきらめて猫耳メイド『あさにゃん』になるのです」
 不気味な顔で不気味なことを言い出すルシェン。
「い、いやだ! 折角エンヘドゥさんから招待されてアムトーシスにきたのになんで『ネコ耳メイドあさにゃん』にならなきゃいけないのさ!? しかもそれで大会司会をやれ? 冗談にも程があるわ! なんのかんのといつもやられてたけど……もう嫌だ! 僕はやらない! やらないぞ!」
「朝斗……そんなことが許されると思っているのですか?」
「ア……アイビス……」
 遅れて部屋に入ってきたもう一人のパートナー、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)を見て、朝斗は彼女まで出張っていることに目を剥いた。
「どうして、君まで追ってくるのさぁ……」
「仕方がないのです。この私の……私の過去の羞恥写真を晒すという非人間めいた脅迫を受けたのですから」
「吸血鬼だもん」
 せめてもの抵抗とばかりに、非難めいたことを言ったアイビスに、ルシェンはのほほんと答える。
「自分が助かるためなら、僕のはずかしめはどうだっていいって言うのか! 君はそれでもパートナーかっ!」
「はい」
「この薄情者め!」
「安心してください。ちゃんと写真は販売して実益は出します」
「嬉しくなぁぁぁいっ!」
 もはや、彼女たちに話し合いは通用しなかった。
 朝斗はじりじりと詰め寄ってくるルシェンたちから後ずさりする
(こんなところであきらめたら、今までの二の舞だよ、朝斗!)
 自分にそう言い聞かして、彼はダッと後ろに駆け出した。
「絶対に……絶対に逃げ切ってやるううぅぅぅぅぅぅっ!!」
 と――叫んでから、脱兎のごとく窓を飛び出す朝斗。
(……ここ、5階だぞ)
「逃がしませんよ、朝斗!」
 それを見ていたシャムスの心の中のツッコミもむなしく、ルシェンとアイビスも朝斗を追った。
「それじゃあ、エンヘドゥ、シャムスさん、失礼いたしました!!」
 最後にはピシッと退室の礼を残して去って行くあたり、ルシェンらしい。
 むろん彼女も、5階の窓を飛び越えていったわけだが。
「元気なのはいいことですね」
 窓の下――おそらくは何らかのスキルを使ったのだろうが(もしくは、契約者の身体能力なら屋根を踏み台にするのもやりかねない)、無事に街路へと降り立った朝斗がルシェンたちから逃げる様子を見下ろして、見守るようにヴィナが微笑んだ。
「元気なのはいいことですね」
「…………そうだな」
 シャムスは振り返った顔で壊れた部屋の扉を見て、何事か言いたそうな言葉を飲み込むと、苦笑した。同時に、他の仲間たちも苦く笑う。
(まあ…………扉のことはアムドゥスキアスの兵に任せるか、うん)
 完全に我関せずを貫くことを決めるシャムス。
「お姉さま、そろそろ時間ですわ」
「お、もうそんな時間か。ヴィナ、翡翠、そろそろ街に出よう」
「うん、分かったよ」
「了解しました。美鈴、いいですか?」
「はい、もちろんですわ」
 後の片付けは部下の兵たちに任せて、時間の迫ったシャムスたちは街へ繰り出すことにした。