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Perfect DIVA-悪神の軍団-(第2回/全3回)

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Perfect DIVA-悪神の軍団-(第2回/全3回)

リアクション


●教導団〜地下施設

「――ザ。ローザ」
 名を呼ばれている気がした。
「ローザ……ほら、ローザ、起きて」
 何かひんやりしたものがぺちぺちとほおに触れている。
「ローザ!」
 いら立った調子で、今度はぱちんと音がするくら強く張られて、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)はぱちっと目を開いた。
 真正面に覗き込むフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)のぼんやりとした顔を見て、ようやく自分が目を閉じていたことに気付く。
「フィーグ……私…」
 気絶していたの?
「まったく、今回は1人で先走ったね。らしくないよ、ローザ」
 注意するなかにもどこかほっとした響き。
 ローザマリアは頭に添えていた手をはずし、きょろきょろと周囲を見回した。通路だ。人のいる気配はしない。なぜこんな所に自分は寝ていたんだろう? 遮蔽ドアの向こうの通路では水たまりができている。壊れたスプリンクラー。遠くでしているのは水音か。強制排気の音。水のにおいにまじってかすかに煙のにおい…。
「ああ!」
 ひらめきのように、気を失う寸前の出来事がよみがえった。
 敵の策に落ちて、首を絞められたのだ。なぜそのまま放置されたかは不明だが……少なくとも、その後操られたような形跡はない。
 まさか彼が操られていたとは。その可能性に気付けなかった、自分の失態だ。彼がわざとあんなことをしたとはこれっぽっちも考えられない。あんな、ちゃらんぽらんなふうに見えても、根はとても教導団思いのいい子だと分かってる。
 正気に返ってこのことを知ったとき、彼は相当落ち込むのではないか。むしろそちらの方が心配だった。 
(彼の分も含めて、この借りは必ず返すわよ)
 回復が強まるにつれ、ふつふつとみなぎり始めたローザマリアの決意をその瞳から読みとって。
 フィーグは言った。
「さて、第2ラウンドといこうか」



*            *            *



 時間を惜しみ、空飛ぶ箒ファルケに乗ってエレベーター前へ戻ったローザマリアの目に飛び込んできたのは、覚悟していた以上に酷い光景だった。
 一面散乱したバリケードの残骸。壁や天井には飛び散った血が大量にこびりつき、床には数か所血だまりができている。実験動物たちの死骸と一緒に転がった、足を撃ち抜かれ、腕を折られてうめく研究員たちの数は膨大で、通路は足の踏み場もないほどだ。十数人ほど自分の足で立っている者もいたが、そのだれもが現状を把握できていないようで、ふらふら揺れる体を互いや壁についた手で支え、ぶつぶつと記憶が途切れる前の出来事を口走っている。
「李大尉! みんな、無事!?」
「こっちだ、ローザ」
 彼女の気を引くように、人々の間から手を上げてひらひらと振って見せる者がいた。林田 樹(はやしだ・いつき)だ。彼女は壁にもたれかかって気を失っている様子の緒方 章(おがた・あきら)の前に、片ひざをついていた。
「ほかのみんなは?」
ライゼが操られていたんだ。石を持って逃げた彼女を追って、李大尉含めほとんどの者は地上へ行った」
「そう」
 と、開いたエレベーターの昇降路へ向かおうとして、ふと振り返る。
「あなたは?」
「私は残る。アキラがまだ目覚めないんだ。石の支配が解けた彼らへの現状説明もある」
「分かったわ。彼らをお願いね」
 そしてローザマリアはフィーグとともにファルケで昇降路を上がって行った。
「頼む」
 ぽつり、つぶやいたとき。
「……行っていいよ、樹ちゃん」
 樹の語尾にかぶさるように、章が言葉を発した。
 顔の汗を拭き取っていた樹の手をとり、うっすらとまぶたを開く。
「アキラ、気がついたのか!」
「もう、大丈夫。でもみんなのように、追って行ったりとかは無理だから……ここは僕が引き受けるよ。彼らの治療もしないとね」
 うめき声を漏らしながら苦痛に転がる者たちを見渡して言う。遅ればせ、章は頭痛のほかに、右手を中心にジンジンと痺れるような痛みがあることに気がついた。
 握り締めていたこぶしを開くと、鎖の切れたハートの機晶石ペンダントがあった。激痛に気を失う寸前、胸から千切り取っていたのだろう。あの、まるで身内から発せられたような、有無を言わさない命令が彼を強烈に揺さぶったとき、心のよりどころとして無意識に助けを求めた物。握る力が強すぎて手のひらを切っていたが、まさにその痛みが、彼を樹のいる側へつなぎ止めたのだ。
「さあ、もう行って、樹ちゃん」
 両足に力を入れ、ぐぐ、と身を起こす。
「行きたいんでしょ?」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん。完全に、とは言いがたいけどね。けど、もうあんなふうに倒れたりはしないよ。約束する。
 僕としては樹ちゃんたちの方が心配だよ。地上は間違いなく戦場になってるからね」
 ここはかなり地下のはずだが、かすかに振動が届いていた。ここであったような戦いが真上で起きているのは疑いようもない。
「そこのアホ魔鎧」
「んあ?」
 うつむき、さっきからずっと携帯をいじっていた新谷 衛(しんたに・まもる)が、呼ばれて振り返る。
「樹ちゃんを、頼んだぞ。……ちょっと心配だけど」
「――ああ! 大船に乗った気持ちでドーンとまかせとけ!」
 ニッカリ笑って親指を突き出す。そういうところが心配なんだと章は内心思ったが、ここは彼女を信じるしかなかった。少なくとも今の自分よりずっと樹の役に立つのは間違いない。
(まったく……こんなときに樹ちゃんを護れないってのは、男としてかなり情けないけどね。今は、各自できることに専念しないと)
 点灯したランプに2人を乗せたエレベーターが無事地上へ着いたのを確認した章は、研究員たちの治療に入るべく背を向ける。
 流した視界に、樹月 刀真(きづき・とうま)の背中が入った一瞬ぎくりとなった。
 彼は、まるで氷像のようにそこに立っていた。足下に倒れた2人のパートナー漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)を凝視して。
 その手は、彼女たちの血に濡れた黒の剣を握っている。刀身を伝って切っ先から落ちる血の滴は、彼女たちの下からにじみ出ている血と混ざり合い、血だまりに彼の靴を沈めていた。
 章はすぐに気絶したため知らなかったが、ここで悲惨な戦いがあったのだ。
 決して起きるはずのない出来事。パートナーがコントラクターに……しかも常日ごろから「私は刀真の剣。刀真のモノなの」と公言していた月夜が、その刃を刀真へと向けた。ためらいもなく、むしろ陶酔するような声で口にした。
『わが主アストーさまを傷つけようとする者は、何人たりとも許しません』
 まるでその「アストー」という人物のために戦えることが誇らしいというように。
 一体何がどうなったというのか? だれもが驚愕し、場の展開についていけず動けないでいたなか、刀真が動いた。彼のふるった黒の剣と、進み出た白花の張ったバリアの間で火花が散る。
 まさかとだれもが目を瞠った。そんな技を彼女は使えなかったはずだと。そして、2人のパートナーに刀真がためらいもなく本気で斬りつけたということもまた、彼らを驚かせた。
 振り下ろされた黒の剣が、わずかにバリアへ食い込む。そのまま押し切ろうとする彼に、月夜が真空波を放つ。バリアを透過した刃は刀真を紙のように切り裂いた。すぐさま宙返りで距離をとり、床と壁を駆使して避ける彼を、ラスターハンドガンの光弾が追う。
 白花が防御を受け持ち、エレベーターに近付こうとするほかの者たちに蒼い鳥や白虎でけん制をかける一方で、月夜が攻撃を担当していた。
 2人はひと言も言葉をかわしていない。視線すらも。そうするのが当然というように、自然と役割を分担させている。
 だが――刀真と月夜では、力量の差はあきらかだった。特に今のように、刀真が一切手加減抜きで攻撃を仕掛けているとあれば。
 光弾と真空波が機関銃のように撃ち出されるなか、駆け抜けた刀真の手がすらりと白の剣を抜く。二刀を用いた渾身の一撃を受け、バリアはガラスのような音を立て、あっけなく破砕した。
 一瞬の交錯。終わってみれば、ほんの数分に満たない死闘。あとに残ったのは折り重なるように倒れて動かなくなった2人と、その返り血を浴びた刀真だった。
『とうまさん…』
 すれ違いざま耳にした白花の声が、今も耳について離れない。
 自分に向かって振り下ろされる刃を目前にしたあの一瞬、彼女は正気に返っていた。そして、その一瞬に受容した。己の命を絶つかもしれない刃を。それをふるう刀真を。許し、受け止め……受け入れた。彼ならば、と。
 刀真の胸に倒れ込み、ため息のような小さな呼気をして、そのまま彼の体をすべり落ちた。
 満足そうですらあった、白花の涙まじりの笑み。
 胸の奥深く貼りついて、もう二度とはがせないようなそれが、ますます刀真を凍らせる。
 まばたきすることのない目が、エレベーターへと向く。
「――章」
「は、はいっ?」
「2人を頼む――決して死なせるな」
 感情を欠いたつぶやきを残し、地上へと向かう。
 表情の一切を失った面のなか、抜き身の刃のごとくぎらりと光る双眼。頭から血濡れたその姿は、まさに死神そのもののように章には見えた。