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第二章 賑やかなる日 7

 シャムスたちはとある公園にやって来た。
 アムトーシスでも長い時を生きる大樹「安らぎの樹」のある公園だった。街を流れる水路に面していて、周りは透き通る水と橋に囲まれている。大樹の周囲に広がる草原に董 蓮華(ただす・れんげ)アル サハラ(ある・さはら)がレジャーシートを広げ、少し遅めの昼食をとることになった。
 蓮華が五目肉包をつくってきてくれたのだ。まるでつくりたてみたいな湯気をあげる肉包が目の前に並べられると、みんな一様によだれを垂らしてしまう。ブライアン・ロータス(ぶらいあん・ろーたす)が愛用のティーセットでお茶を淹れるのも待ちきれず、ぱくついてしまう人までいた。これだけ皆が飛びついてくれると、蓮華も満足だ。
「さすが蓮華。美味しいですわね」
「ほんと! やったぁ!」
 エンヘドゥが肉包を頬張りながら言うと、蓮華は思いがけず喜んでしまう。それを宥めたのは、スティンガー・ホーク(すてぃんがー・ほーく)だった。
「蓮華。すこしは落ち着いたらどうだ?」
「あ、ごめんなさい」
 蓮華は素直に謝り、気持ちを落ち着けた。エンヘドゥたちに会えたこともあって、よほど嬉しかったのだろう。久しぶりの再会だ。舞い上がってしまったのも無理はなかった。スティンガーもそれはわかっているから、ほんのちょっとした注意ぐらいだ。むしろはしゃいでる子どもを見守るような気持ちで、ほほ笑んだ。
 肉包など、軽食を食べ終わると、蓮華はエンヘドゥの髪を梳かす役目を担った。座り込んだエンヘドゥの後ろに回って、櫛で丁寧に梳かしてゆく。その最中、蓮華やスティンガーたちは様々な質問をアムドゥスキアスに投げかけた。
「以前は戦争の緊張感とか爪痕もあったと思いますけど、もうほとんど元に戻ったのですか?」
「そうだね。一部の地域はまだ復興されてないところもあるけど、それはこのまま歴史の跡として残しておくかどうかを検討している最中なんだ」
 中には、あまり痛々しい爪痕は残しておきたくないという人もいるため、何度か会議を重ねる必要があるらしい。ただ、恐らくは戦災地域として保存されてゆく結果になるだろうと予想できる、という話だった。
 話の途中、ぎょっとなったのはブライアンだった。それまでは、見た目が同年代ということもあって、アムドゥスキアスに懐いていたのだが、話の流れからアムトーシスを治める魔神だということを聞かされたらしい。「ねえ、あの花はなんていうの?」などと、笑顔で聞いていたときとは違って、ガクガクと震え始めた。
「ご……ごめんな、さい。殺さ……ないで」
 か細い声でそう言って、怯える子犬のように蓮華の後ろに隠れる。アムドゥスキアスはすこし気まずくなって苦笑した。代わりに、蓮華が弁解した。
「ごめんなさい。この子、アムドゥスキアス様のことはあまり知らないでここに来たから……」
「全然。気にしないでよ。一応、ボクは魔神だからね。むしろこういう反応のほうが自然さ。君たちになれちゃって、ちょっと忘れてたけどね」
 蓮華はアムドゥスキアスのことをブライアンにちゃんと説明した。友好的な魔神であること。決してブライアンを傷つけたりはしないこと。改めてブライアンはアムドゥスキアスに謝罪する。
「その、さっきは……ごめんなさい」
「気にしないで。ボクだって、君のことは友達だと思ってるよ」
 アムドゥスキアスにそう言われて、ブライアンはぱぁっと笑顔になった。こんなところが、アムドゥスキアスと人間が手を取り合って生きていける関係になった理由だと、蓮華は思った。もちろん、魔神としての威厳や謹厳さは失わずにいるけども、それ以上に彼は他人と解り合おうとする心の強さを持っている。私も見習わないといけないな……。
「いやあ、それにしたってエンヘドゥ様ってのは髪も綺麗なんだなぁ」
「アル。あんまり近づかないでよ。エンヘドゥ様が汚れるから」
 のそのそと近づいてきたアルを見て、蓮華がいかにも嫌そうに眉根を寄せた。
「ひどい言い草だなぁ。俺はただエンヘドゥ様が綺麗だって話をしてるだけだぜ? ……蓮華もそこそこ大きいけどさ、いやあ、何を食べるとそんなに大きく育つんだか……」
 アルはじーっとエンヘドゥのある一点を見つめていた。豊かに実った二つの胸だ。エンヘドゥが「えぇっ!」と真っ赤になって、胸を隠す。蓮華の怒りが最高潮に達した。
「なにを馬鹿なこと聞いてるのよー!!」
「ありゃ、いけなかった? ごめんごめん」
 怒られても、アルはまるで動じない。のほほんとした顔で、片手で謝罪のポーズを取っていた。馬鹿なのか脳天気なのか。恥ずかしいことをずけずけと聞いてくる性格をしている。時にはそれが効果的に働くときもあるが、いまは邪魔なだけだ。蓮華はアルを隅っこに追いやった。
「よ、良かったの?」
「良いんです。ああでもしないと、めげない人ですから」
 心配しているエンヘドゥにそう返答して、蓮華は髪を梳かす作業に戻った。
 薄暗がりでも、のどかな天気。あとで、周りにある水路のそばに行ってみよう。そこならきっと、さらさらの綺麗な髪になったエンヘドゥ様が鏡みたいに映るぞ。蓮華はそれが楽しみで、嬉しそうにくすっと笑った。


 大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)たちはレジャーシートの上に座ったまま、熱心にツアコンである舞花の話に耳を傾けていた。
 舞花の話は興味深いものが多かった。話は主に、アムトーシスの歴史や芸術文化に関しての豆知識などだ。話を聞き続けているうちに、泰輔はそっと語るよう口を開いた。
「芸術を理解する懐の深さは、人間の器の大きさに繋がるって、恩師が言うてはった。心を豊かにするだけでなく、表現手法を通じ、また表現された歴史上の一点、背景と照らし合わせる事によって、表現者自体の心に近づく事が出来る。『自分』であることを止めないままに、『他者』の考えや視点を手に入れる事に近づくわけや。一種、読書に似てるところもあるなぁ」
「どういうことですか?」
 レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)がたずねた。
 真紅の瞳が泰輔の顔をのぞき込んでいる。本当に疑問を感じている顔だ。レイチェルはよくもわるくも堅物で、泰輔の物言いを自分の中で反芻しているに違いない。泰輔も聞き返されたのは嬉しく思い、饒舌に続きを語った。
「他者の体験の、追体験によって、自分が実際に体験しぃひんでも、知覚を広げる事が出来る――っちゅーこっちゃ。芸術の鑑賞っちゅうのは、ただ単におもしろいっちゅうんでもOKやけど、そういう風に楽しむのも、自分自身の肥やしというか成長のネタにもなるわね」
「なるほど。泰輔、そなたは思想家だの」
 讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)が感心したようにうなずいた。
「別に、そういうんやないけど……」
 本当に、恩師から聞かされた話の一端なのだ。自分はそれを自分なりに解釈して、みんなに伝えただけだ。ずっとこの地下世界で生きてきた顕仁や、音楽など、芸術に造詣の深いフランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)とかとは立っている舞台そのものが違う。照れくささもあって、あまり褒められるのは慣れなかった。
「この街は『うつくしいもの』を大事にしている街なんですよね。魔族の人たちの『うつくしいもの』って、いったいなにがあるのでしょうか?」
 レイチェルがみんなに問いかけるように言う。フランツが率先して答えた。
「そりゃあ、色んなものがあるでしょう。特に音楽はすばらしいと思いますよ。噴水広場ではたくさんの歌姫たちが歌を歌ったり、踊ったりと、街を盛り上げていました」
「もちろん、歌の美もあるがの。ただ、街そのものが美を表現しているのこそが、最も素晴らしき美に違いない。そうは思わぬか?」
 顕仁がすかさず口を挟む。フランツはなんだか邪魔されたような気分になって、むっとなった。
 それから二人の話は長くなった。あーだこーだ、これが芸術、これが美だと、思い思いのことを言い合う。傍目には喧嘩しているように見えなくもないが、あれでいて二人はその討論や話を楽しんでいるのだ。泰輔はさほど気に留めることもなく、ごろんと寝転がって、レイチェルと一緒に安らぎの樹の梢を下から見あげた。
 さらさらと風にさらされる梢を見ていると、なんだか穏やかな気持ちになってくる。
「これぞまさに芸術やなぁ……」
「なにか言いましたか?」
「うんにゃ、別に」
 レイチェルにたずねられたけど、泰輔は答えなかった。
 いまさら言うのも野暮だからってことはあったが、なんとなく恥ずかしかったからもある。きょとんと首をかしげるレイチェルを見て、泰輔はほほ笑む。それから徐々に彼は、うとうとした気分に浸っていった。