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chapter.1 flicker reply
Can閣寺へと続く階段を、渡辺謙二(わたなべ・けんじ)は力強い歩みで、一歩一歩上っていた。
住職と話をしようとしている彼の周りには、その場への同席を申し出た者たちもいる。そこにいるひとりひとりの思惑は少しずつ違ってはいたが、目的の人物がこの寺の住職、間座安(かんざあん)であることは一緒だった。
そんな彼らを待ち構えるかのように、階段上に立つ人物がふたり。
雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)と、パートナーのベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)だ。
「嗚呼、謙二様……薄暗い牢屋で、一体どんなアレやソレな目に合われていたのでしょうか……」
「……ねえ、こっち戻ってきなさいよ」
どこかへトリップ気味だったベファーナを、リナリエッタが呼び戻す。はっと我に返り、ベファーナは下から上がってくる謙二たちに視線を落とした。
対照的に、リナリエッタの方はどこか面倒くさそうに呟く。
「童貞助けたと思ったら、男子禁制の寺に兄が……ねぇ。ややこしいのはあんまり好きじゃないんだけど」
言いながら、彼女もまた謙二らを見る。そして、自らの背後に建つCan閣寺の方をちらりと振り返った。彼女はそこに何を思ったのだろうか。もしかしたら、特に振り返った理由はないかもしれない。あるいは、彼女自身わからないかもしれない。
ただひとつ、言えることがあるとすれば、この事件のどこかに愛という感情が絡んでいるのなら、自分の目はそれを見つめ、足はそこに向かって動くのだろうということだ。
リナリエッタは階段をひとつ下りる。謙二たちは、もう目の前まで来ていた。
「……おぬしは」
見上げた視界にリナリエッタを捉え、謙二が言う。既に幾度か顔を合わせた間柄だった。
「また、拙者をからかいに来たか」
謙二が低い声で尋ねると、リナリエッタは首を横に振ってみせた。
「ではなぜそこにいる」
「別にい。ただ今回の騒動が、何なのかなって思って」
そう答えたリナリエッタは、謙二を見下ろしながら、今度は逆に彼へ質問を放った。
「で、ぶっちゃけこの一連の騒ぎは、童貞弟と変な愛に目覚めた兄の兄弟喧嘩なわけ?」
「……」
ぴくりと、謙二の眉が動いた。危険な雰囲気を察したベファーナが、慌てて口を挟む。
「け、謙二様。今のは聞かなかったことに……とりあえず私は味方です。これから寺へ突入するのでしょう? 私が先に行き、道中の危険をお知らせしますので」
ベファーナの言葉に謙二はふうと短く息を吐くと、まずはベファーナの言葉に返事をした。
「寺へは行くが、おそらく今回は道中に危険はないだろう。あるとすれば……」
住職との会談の場だろう。そう言いかけて、謙二はやめた。何も起こらなければそれが一番良い。謙二自身、どこかでそう思っていたからだろう。
「それと、変な愛、と言ったな」
続いて、謙二はリナリエッタの方を向いて答えた。
「あやつは愛などと言っているが、そんなものではない。もっと、ねじ曲がった邪なるものだ」
「邪なるもの、ねえ」
「……だが、いざこざにお主らを巻き込んだのも事実。それは、後でいくらでも詫びよう。今は、そこをどかれよ」
言って、階段を上りきろうとする謙二。しかし、そこをどこうとしないリナリエッタを見て、謙二はもう一度、言葉をかけた。
「なんだ? 話は終わったであろう。それとも、お主も中に入るのか?」
「別に」
煮え切らない答えのリナリエッタに業を煮やし、謙二は強引に横を進もうとする。と、彼女の声が、通り過ぎようとした謙二を引き止めた。
「ねえ」
謙二が振り向くと、そこには、真剣な表情のリナリエッタがいた。謙二が彼女のそんな顔を見たのは、初めてだ。
「貴方は何のためにここから先に行くの?」
散々、ビッチは死ねとか大和撫子命とか、超言いたい放題だったじゃん、と付け加え、リナリエッタは尋ねた。
「ここにいる子供たちとの約束を果たし、恩を返すため」
後ろにいる契約者らを指し、謙二は答えた。さらに。
「……そして、誰かがあの狂気を止めなければならぬ。そのため、拙者は進む」
「ふうん」
彼のその言葉や表情から、固い決意とその奥にあるなにかを感じ取ったリナリエッタは短く声を漏らした後、少し目を細めて言った。
「ま、ギリギリ合格ってとこね」
「?」
そう言ったリナリエッタは、謙二と共に行動していた契約者たちの中へと加わった。
「何を……」
「私も、手伝ってあげるって言ってるの」
「……そうか」
それ以上、謙二は追求しなかった。
門を抜け、庭を歩く一行。
その中で、ルエラ・アークライト(るえら・あーくらいと)は隣にいる契約者の世納 修也(せのう・しゅうや)に小さく話しかけた。
「ねえねえ、修也」
「ん?」
「これだけの人が一斉に行って、みんな同じ部屋に入れるのかな?」
「……たしか、大部屋みたいなところがあったからそこを使うんじゃないか?」
前回寺の中へ入った時のことをぼんやり思い返し、修也が答える。ルエラは「そうなんだね」と短く告げ、再び前を向く。それ以上の疑問は特にないようだった。
が、ルエラにはなくとも、修也の胸中にはいくつかの疑問が残ったままだった。
「……」
修也は、少しだけ歩みを早め、謙二の横へと並んだ。その疑問を解消するためだ。
「いくつか、聞いてもいいか」
「む?」
歩みは止めないまま、ふたりは言葉を交わす。
「住職と大事な話をしに行く、というのは分かった……だが、なぜ『今』なんだ?」
少し沈黙をつくった謙二に、修也はもう一度、言葉を付け足しながら尋ねた。
「住職と会うのを、渡辺はためらっていたように見える。それが今になって、なぜ話し合いをしようと決めた?」
おそらくは目の前の男と住職の過去に何かがあったのだろう、そう思いつつ、修也は謙二の答えを待った。
やがて、その謙二が口を開く。
「……拙者の弱さのせいだ」
「弱さ?」
「幼少の頃、拙者はあやつに恐怖を植え付けられた。それがずっと残ったまま、ここまで来てしまった。しかしお主らが、機会をくれたのだ。ここで変わらねば、拙者はどのみち男として駄目になる」
「恐怖……ってなんだ」
修也がさらに問うが、謙二はそこから先は言わなかった。そのトラウマを口にすることで、せっかくの決意が揺らいでしまうのを恐れたのだ。
修也もそれを感じ取ったのか、そこから先は今は聞かないことにした。ルエラのところへ戻ろうとした彼だったが、ささいな疑問がまだ彼にはあった。
「あ」
「どうしたの、修也?」
「……これ、担いだままで同席していいのか?」
見れば、彼の背中には立派なスナイパーライフル。ルエラはそれに、苦笑いで答えることしか出来なかったという。
そして謙二たちは、庭の先にある本堂まで辿り着くと、正面から堂々と中へ入るのだった。
◇
寺の中に入った一行を、シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)はやや後方から見つめていた。
「向かうべき運命から逃げていた、か……」
謙二の言った言葉を繰り返すシン。その表情は、どこか憂いを帯びているようにも見えた。
「オレも、似たようなもんかもな」
シンは、消えた謙二の背中に自分の境遇を重ね合わせていた。
好きなものを好きと言えず、ただ乱暴に言い放ってごまかしていた日々。
彼の「悪魔」という種族が持つ一般的なイメージとは離れた趣味嗜好を持つ彼にとってそれは、自分の心を守る手段であったかもしれない。しかしそれは同時に、彼を苦しめてもいたのだろう。
シンは、「自分にとって大事なもの」と向き合う覚悟を持った謙二を、無意識に追いかけていた。
この、他人から見ればちっぽけかもしれない悩みを、打ち消せそうな気がして。
と、その時彼の後ろから声が聞こえた。
「あれ、シン?」
それは、彼の契約者、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)のものだった。
「……なんだ、来てたのかよ」
「いやあ、ここの尼僧さんたちはかなり女子力が高いからね。数値で言うなら53万くらい」
「基準値がわかんねえよ」
「あはは、まあそんなわけで、ちょっとその女子力にあやかったりあやからなかったりしようかなと」
そう言うとジェライザは、「じゃあ、夕飯までには帰るからね」と言い残し、寺の中へと消えた。
「おい、ちょ……待てよ、オレも入るんだよ!」
謙二たち、そしてジェライザの後を追うように、シンもまた本堂へと足を踏み入れた。
そんな彼の気配をすぐ後ろに感じながら、ジェライザは声には出さないものの、なんとなく彼の思いを計っていた。
――シンも、意地っ張りだからね。ここで同じ趣味の人と触れ合えて、気に入ったのかな。
その答えを、ジェライザは聞かない。
昇りきった太陽は、Can閣寺に大きな影をつくった。
まるで、それぞれが求めている答えを隠すように。
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