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そんな、一日。~台風の日の場合~

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12


 台風前日から今にかけて、琳 鳳明(りん・ほうめい)は水路増水対策に借り出されていた。
 かなりの突貫工事だったが、教導団員が大勢集まったため、天候がと本格的に悪くなる前には終わった。鳳明は、お疲れ様でしたーと挨拶を残して高速飛空挺に跨る。
 雨はまだそれほど強くない。雨合羽だけというこの軽装でも、行きだけならきっといける。急げばいける。……はずだ。だといい。もってください、天候。
 祈りながら、人形工房への道を進んだ。


 結果。
「てへっ、来ちゃった」
「びしょ濡れじゃない」
「いやあ……風のことを考慮し損ね……へっぷち!」
 迂闊なことに、この強風のことを失念していた。雨合羽は風ではだけ、しかし雨は容赦なく降り注ぎ、無残にもてっぺんからつま先までずぶ濡れ。それでも強行軍を続けたために身体は冷え切ってしまった。くしゃみが止まらなくなっていると、頭に何かがかけられた。疑問符を浮かべたまま手で触る。タオルだった。
「使って。風邪引くよ」
「うん」
 促されるままタオルで水滴を拭う。だいぶマシになったが、問題は濡れた服だった。容赦なく体温を奪ってくれている。このままでは本当に風邪を引いてしまう。元気だけが取り得なのだから、こんなところで間抜けに風邪など引いていられない。
「リンスくん」
「何?」
「暖炉借りていい?」
「暖炉?」
「うん。暖炉で乾かそうかなって。服」
「……俺が服を貸したほうが早いんじゃない?」
「あ」
 それもそうか。いやでもそれは恥ずかしくないか。だって服って。リンスの服って。どうしようその単語だけでどきどきしてきた。落ち着け自分。鳳明は内心で言い聞かせた。平静を装って、訊く。
「迷惑じゃない?」
「なんで? 風邪引かれる方が嫌だよ」
 答えながらリンスは自室へ入っていった。すぐに服を持って出てくる。はい、と手渡されたとき指先が触れて、それが妙にどきどきした。
「あ、ありがとう。着替えてくるね」
 どきどきを悟られぬように脱衣所に駆け込む。鏡に映った自分の頬は少し赤くて、わかりやすいなぁ、と鳳明はため息を吐いた。両手で頬を押さえてから、濡れた服を脱ぐ。
 リンスの服はわりと丁度いいサイズだった。肩幅や着丈が余ることもなく、強いていえば袖が少し長いくらいで不便はない。
 再び、鏡の中の自分に向かい合う。リンスの服を自分が着ていることはなんだか変な気分だった。なんというか、にやけそうになる。と思っている間にもう口角が上がっていた。はっとして頬を叩く。先ほどとは別の意味で頬が赤くなった。そして、いい具合に頭が覚めた。脱衣所のドアを開け、出る。
 出てすぐに、リンスと目が合った。どうやら気にかけていてくれたらしい。鳳明は安心させるように笑ってから近付いた。
「サイズ平気そうだね。良かった」
「うん、大丈夫。ありがとー。
 それでね、迷惑かけたし押しかけちゃったしお詫びにお昼作りたいんだけど、キッチン借りていいかな」
「お詫びとか気にしなくていいのに」
「何かしないと気が済まないから」
 というのは、実はただの口実なのだけど。
「そういうならお言葉に甘えて」
「どーんと甘えてくださいっ。今日、寒いしいね。温かいもの作るよ! 何か食べたいものある?」
「じゃ、ロールキャベツ」
 リンスが言ったのは、鳳明の得意料理だった。前に一日家政婦として工房に来たときに得意なのだと話をした。それを覚えていてくれたのだろうか。そういえばあの時もお詫びだった。少し前のことを思い出しながら、鳳明はキッチンに立った。
 調理中も雨脚は強まるばかりで、料理が出来上がる頃には土砂降りになっていた。完成した料理をテーブルに並べながら窓の外へと視線を向ける。当分外には出られなさそうだ。鳳明の心中を読んだのか、リンスが「いいよ」と言った。
「止むまでいれば。危ないし」
「うん。ありがと」
「ご飯。美味しそう」
「えへ。腕によりをかけました。いっぱい作ったし、みんなで食べよっ」
 温かいご飯は、みんなで食べることが美味しい。
 鳳明は工房で雨宿りをしていた人たちにも声をかけ、テーブルを囲んだ。


 食事の後片付けをして、お茶を淹れて。
 特に何をするでもなく、のんびりと時間を過ごす。由緒正しい引きこもり方である。
 空腹を満たしたことと、このリラックスした雰囲気のせいだろう。なんだか眠くなってきて、鳳明は頬杖をついて瞼を閉じた。すぐに目を開けるのだが、どうにも眠くまた閉じる。そしてまた開ける。閉じる。
 ぼうっとした頭で、作業中のリンスを見た。黙々と手を動かしている。機械的な動きだ。規則正しくて、見ていると余計に頭がぼんやりする。
「リンスくんって……」
 自分が何を言おうとしているのか、わからない。
「本当は、私のこと」
 ――どう思ってるの?
 小さな声だった。だから、強い雨の音で消えてしまった。たぶん聞こえていないだろうな。そう思いながら、鳳明は瞼を閉じた。


 紡界 紺侍(つむがい・こんじ)が好きなケーキはなんだっただろうか。
藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)は思い出そうとしたが、記憶の中の彼はどのケーキでも幸せそうに食べていた。
 特定できなかったので、まあ甘ければなんでも好きだろうと勝手に判断を下す。独断と偏見でいくつかケーキを見繕って『Sweet Illusioon』を出ると、天樹は紺侍の部屋へと向かった。


 果たして、ドアを開けた時の紺侍の反応は面白かった。
 二秒黙り、天樹の背後の土砂降り模様を見、五秒かけてつま先からてっぺんまで観察。それから不思議でしょうがないといった顔をし、首を傾げ、
「……あれェ?」
 素っ頓狂な声。天樹がくっくっと喉の奥で笑うと、紺侍は一層不思議そうにした。紺侍が不思議がるのも無理はない。というか、不思議がらせようとしてわざとこの格好で来たのだからこの反応でないと困る。普通に迎え入れられてしまったら、滑ったなんてもんじゃない。
「天樹さん、雨具は?」
 紺侍の指摘どおり、天樹は雨具を用意していなかった。普段着身ひとつ。軽装そのものである。傘もカッパも長靴もないのに、濡れてもないし汚れてもいない。
 天樹はホワイトボードにすらすらと、「タネも仕掛けもございません」と書いて見せた。
「……手品?」
『ハズレ』
 明後日の方向の回答に機嫌を良くすると、天樹は買ってきたケーキの箱を手渡した。もちろん箱も濡れていない。
「……?」
 ますますわけのわからないといった顔をする紺侍に満足して、天樹はくるりと踵を返す。
「ちょっ、天樹さん?」
『満足』
「何がッ」
『じゃ、また』
 何一つ紺侍に納得させないまま、天樹は寮を出て行った。
 外に出る直前、天樹は覚醒型結界とフォースフィールドを展開した。さらにはレビテートも発動させて、一歩踏み出す。こうすれば雨具がなくても雨風を凌げるし靴も汚れない。
 わざわざこんな手の込んだ真似をして紺侍に疑問符を植えつけたことに意味はない。意味がないから面白いのだと天樹は思う。
 驚いた顔を思い出してひとり笑っていると、遠くの空が音もなく光った。